第七話 打ち上げにて
楽屋でのキス騒動の翌朝、真希は瞬とどう接すればよいかと悩んだものだった。だが、心配は無用だった。
瞬はいつもとまったく変わらなかった。
仕事は完璧にこなす。仕事が終わればいつもの通り、ニコニコ笑顔で甘えてくる。
まるで、あの時のキスなどなかったかのように。
あのキスは夢だったのではないかとさえ思えてくる。
何だかんだと忙しい時を過ごし、ようやくクランクアップの時を迎えた。
本日の夜は打ち上げだ。クリスマスも近いということで、クリスマスパーティーも兼ねることになった。
打ち上げはホテルの広間を借り切って行われている。ドラマ関係者はもとより、それ以外の人もちらほら混じっているのではないかと思われる程の大人数だ。
始めのうちは瞬と一緒に行動していた真希だったが、瞬が共演した大御所俳優につかまってからは、邪魔にならないように彼から離れた。役者同士で話したいこともあるだろう。
今は、壁際に立ち、辺りを見回しながら、オレンジジュースの入ったグラスに口をつけた。にぎやかな笑い声があちらこちらから聞こえてくる。
ふと、気づくとまた瞬に目を向けていた。いつの間にか、理沙も話に加わったようだ。瞬の隣に立って、大御所俳優と楽しげに言葉を交わしている。理沙が、やけに瞬にくっついているように見えた。
ああ、そんなにくっついて、変な噂でもたてられたらどうするのよ。
そろそろ瞬のもとへ戻ろうか。そう考えた時、真希の名を呼ぶ声が聞こえた。
「いやぁ、星野さん」
「浅間プロデューサー」
声のした方を振り返ると、ネクタイなしのスーツを身にまとった浅間が立っていた。
「どう? 楽しんじゃってる」
「はい。このたびはありがとうございました。また、うちのシュンをよろしくお願いします」
真希が頭を下げる。
「いやいや、なーに。ところで星野さん」
浅間が言葉の後半で声を低めて、顔を近づけてきた。浅間に肩を抱かれる。息が酒臭い。身を離したいのを必死でこらえて、浅間の話の続きを聞く。
「この間の話なんだが……」
「この間の? あ、ドラマ主演の話ですか」
真希が声を上げると、浅間は口の前に人差し指を立てて見せた。
「しっ。声が大きいよ。ここでは何だから、別の場所で話をしないか」
「でも、シュンを送って帰らないとなりませんし」
「大丈夫。そう時間はとらせないから」
そう囁かれて、真希は浅間の顔を見返した。
ようやく大御所と呼ばれる俳優の長話から解放され、瞬は辺りを見回した。
真希の姿を捜しているのだが、見当たらない。
「やぁ、ナイト君。誰をお捜し?」
後ろから肩に腕を回され、瞬は動きをとめた。
「工藤さん。ナイト君って呼ばないでください。酔ってますか?」
「これくらいじゃ酔わないよ。それより、星野さんのことだけど」
「真希ちゃんの? まさか、工藤さん。真希ちゃんに手を出したんじゃないでしょうね」
軽く睨むと、工藤は苦笑する。その表情も様になっていて憎らしい。
「手を出してたら今頃こんな所には居ないよ。それより、さっき浅間プロデューサーと星野さんが一緒に会場を出て行くところを見たよ」
「え?」
瞬の胸に嫌な予感が広がる。
「駄目じゃないか。ナイト君。愛しのお姫様から目を放したら」
「そんなクサイ言い回しやめてください。それより、どこに向かったか分かりませんか?」
「分かるよ」
そう言って、工藤は世の女性を虜にしてやまない笑顔を見せた。
打ち上げ会場と同じホテルに部室を借りたのだと、浅間プデューサーは真希をその部屋に招いた。
部屋は、先ほどまで大広間にいたせいかやけに狭く感じる。
「あの、それでお話とは」
真希は後に立っていた浅間を振り返った。
浅間はそんな真希に妙な笑みを見せる。
何だか嫌な予感がしてきた。
「もちろん。今度の連ドラの主演を誰にするかって話だよ。僕はシュン君を推してるんだがね。他の連中がねぇ」
ニヤニヤとした笑みを見せながら、浅間は真希との距離を詰めた。
「あの、他の方はうちのシュンが主演するのに反対なのでしょうか」
真希は無意識に後退りしていた。なんだか、この男が急に気持ち悪く思えてきたのだ。
ここは、早いところでお暇すべきだ。
そう思って、真希は無理やり顔に笑顔を浮かべた。
「あの、それじゃあ仕方ありません。御縁がなかったということで。またお願いします。それじゃあ失礼します」
早口でそう言いつつ、浅間の横をすり抜けようとした時だった。
浅間の太い指が、真希の腕に絡みついた。
「何言ってるの? 星野さん。お宅の大事なシュン君の将来がかかってるんだよ。僕は彼を主演に推し通すことができるんだよ」
酒臭い息が、真希の顔にまで届いた。
嫌だ、気持ち悪い。
「でも、他の方が反対されているなら……」
「往生際が悪いね、君も」
顔に欲望をひらめかせて、浅間が動いた。
真希の腕を掴んだ指に力を込めて、真希を部屋の奥へと有無を言わさず引っ張って行く。
腕を離されたかと思ったら、肩を強く押されて真希はベッドに体を横たえることになった。
慌てて起き上がろうとした真希の上に、浅間が馬乗りになる。
「あの、ちょっと」
「大丈夫。すぐ終わるよ」
何が大丈夫なのか。
ちっとも大丈夫じゃない。
非常にまずい事態に陥っていることに、真希は今さらながらに気づいていた。