第六話 消毒のキス?!
撮影は深夜近くまでかかった。
楽屋に引きあげて、荷物の整理をしていると、後ろから瞬に声をかけられる。
「ねぇ、真希ちゃん」
「何よ」
真希は振り返らずに、返事をする。瞬が脱ぎ散らかした衣装をハンガーにかけていると、不意に後ろから抱きしめられた。
「真希ちゃーん。何で、こっち向いてくれないの」
耳元に口を寄せ囁くように、瞬が言う。
「ちょ、何? 離してよ、シュン」
「やーだー。離さない」
いつものような甘えた口調。なのに、真希に抱きつく腕の力は強い。
「今日、何でスタジオから出て行ったの? まだ撮影中だったのに」
「そ、それは」
撮影風景を見ていると、なんだか胸がむかむかして、痛くて。
でも、どうしてそうなったのか分からなくて。
真希が答えあぐねていると、再び耳元に唇を寄せた瞬の声が聞こえてくる。
「俺が、他の人とキスをしてるの見てるのが嫌だったとか?」
その言葉が、なぜかストンと胸に落ちた。
いや、まさか。そんな訳ないと、真希は頭の中で即座に否定する。
「もう、いいから離れなさい。邪魔よ」
真希は渾身の力を振り絞って、瞬の腕から逃れると、少し距離をあけた。瞬と相対して睨みつける。
「シュンがどこの誰とキスしていようが、関係ないわよ。私が嫌がるとか、そんな、訳の分かんないこと言わないで」
大声で怒鳴りつけるように言った真希は、肩で息をする。
そんな真希を、瞬は目を細めて見ていた。冷たく見えるその瞳に、真希は沸騰していた気分が冷えるのを感じる。
「な、何よ」
瞬は小さく溜息をついて、真希に一歩近づいた。真希はその分後退する。
「気がついたらスタジオに真希ちゃん居ないから、心配して捜してたら、工藤さんと一緒にいるし。近づいちゃダメっていったのに」
「そ、そんなの私に言われても。出会っちゃったものは、し、仕方ないでしょう」
一歩、一歩と近づいてくる瞬から逃れるように、真希も後退していく。
そして、壁際に追い込まれた。
瞬が真希を閉じ込めるように、壁に両手をつく。
「浅間プロデューサーとも話してたんだって?」
「何で、そんなこと知ってるのよ」
「工藤さんから聞いた。真希ちゃん。誰かれ構わず愛想振りまくのやめてよ」
瞬の言葉に、真希は眉をひそめる。
「愛想を振りまくのも仕事の内なのよ」
「でも、浅間さんには近づかないで。あの人、評判悪いらしいから」
「はぁ?」
どうして、そんなことを瞬に指図されねばならないのか。瞬は真希より六つも年下で、真希の方が、世の中の事を知っているはずだ。
それを偉そうに。
「もう、いいから帰るわよ。明日も早いんだから」
軽く瞬を突き飛ばすと、呆気なく瞬は壁から手を離した。
真希は彼の横をすり抜けて、床に置いていた鞄を持ち上げる。
「さ、帰っ……」
帰るわよ。そう言おうとしたが出来なかった。
真希は不意に腕を引っ張られ、壁に体を押し付けられる。
せっかく持ち上げた鞄が床に転がる。
抵抗する間もなく、唇を奪われた。
「んっ……」
瞬の胸や肩を叩いて抵抗するも、一向に離れていかない。話の途中唇を塞がれたため、開いていた口の中に瞬の舌が入ってくる。
今朝したものとは比べ物にならない、濃厚なキス。
一体なぜ、こんな状況に陥っているのか。
頭の中がパニックだ。
朝、キスの練習をした。それは、キスをしたことのないという、瞬が失敗しないように、瞬が自信をつけるためにした行為。
今、この時この場所で。
なぜ、二人はキスをしているのか?
しかも、こんなに深いキス……
体に熱がこもっていく。心臓の音が高鳴り、頭がぼうっとしてきた。
その時、胸をまさぐられる感触に気付いた。
瞬間、手が出た。
瞬の頭を思いっきり叩く。
「痛ってー。真希ちゃん。仮にも大事な所属タレントを本気で殴る?」
「何をぬけぬけとっ。このエロガキ」
乱れた呼吸のまま、怒鳴りつける。
「あんた、何したか分かってんの」
「ん? キス」
気の抜けるようなにっこりとした表情で、あっさり答えてくれやがった。
真希は疲れたような思いで、額に手を当てた。
「何で、こんなことするのよ。もう練習は必要ないでしょう」
瞬は殴られた場所をさする手をとめ、真希をじっと見つめた。
その視線にたじろぐ。
「な、何よ」
「んー。消毒?」
「はぁ?」
消毒? 瞬の言葉の意味が掴めず、声をあげた。
「ほらぁ。キスシーンあったでしょ。だから、真希ちゃんとキスして消毒しとこうと思って」
「何それ。意味分かんない。私とキスすることで消毒なんて出来る訳ないでしょ。理沙ちゃんに失礼だし」
真希の言葉を聞いた瞬は、なぜかがっくりと肩を落とした。
「真希ちゃんって本っ当に鈍いよね。心底鈍いよね。マジ鈍感だよね」
言いたい放題だ。瞬は大きな溜息をつく。
溜息をつきたいのはこっちだというのに。
どうして、瞬なんかに、こんなに翻弄されなければならないのだ。
「もういいからさ、帰ろうよ。真希ちゃん」
いつもの顔で、いつものように甘えた声をだす瞬に、真希は気が抜けてその言葉に従ってしまうのだった。