第二話 撮影開始
瞬が出演することに決まったドラマは、年始に放送予定のスペシャルドラマである。工藤仁扮する刑事の相棒であり、色々と巻き起こる事件の新犯人というのが、今回瞬に回ってきた役どころだ。
出番もかなり多いし、目立つポジションでもある。
このドラマが成功すれば、今までなかなかファンのつかなかった主婦層に顔を売るチャンスだと真希は思っている。
真希は心の中で『工藤仁を踏み台にのし上がろう大作戦』と名づけている。工藤ファンが聞いたらさぞや怒ることだろう。
工藤仁は真希と同じ二十六歳。多種多様な役が演じられる役者として評判も高く、彼の出演するドラマは軒並み高視聴率を叩きだしているという。老若男女に知られている演技派の役者だ。
そんな彼との初共演。しかも犯人とはいえ、出番の多い役。
演技派俳優との共演は瞬にとってもプラスになるはずだ。難しい役どころだが、瞬はやり切れると信じている。
スタッフの邪魔にならないように、スタジオの端の壁に背を預け、真希はランスルーを終え、本番に挑もうとしている瞬を見つめていた。
いくつかのシーンの撮影を終え、本日最後のシーン撮影だ。
瞬の演技も、なかなか堂に入っている。さすがに、工藤仁には敵わないが、瞬も負けないくらいの存在感を放っていた。マネージャーの欲目だろうか。なにはともあれ、本日最後の撮影も、この分なら安心して見ていられるだろう。
真希は肩にかけていた鞄から、瞬の台本を取り出した。その台本には色々と書き込みがしてあるが、はっきり言って字が汚すぎて、真希には読めなかった。本人が読めるのかも疑問だ。
普段はもっと綺麗な字を書くのに。と、思いながらパラパラとページをめくっていく。
「カット」
大きな声が上がって、思わずびくりと台本に落としていた視線を上げた。
少し目を離していた隙に、いつの間にか本番が終わっていたようだ。
カメラチェックを行って、監督からのオーケーが出た。初日は失敗もなく、まずまず上手くいった。上出来と褒めてやってもいいだろう。
真希は開いていた台本を閉じて、鞄に仕舞うと、工藤仁と立ち話をしている瞬のもとへ向かった。
「あ、真希ちゃん」
真希に気付いた瞬が笑顔を向けた。いつものような、いい男が台無しになるへらへらとした笑みではなく、爽やかな笑顔を浮かべている。
「真希ちゃん、工藤さんと昔共演したことあるって本当?」
瞬に尋ねられて、真希は背の高い工藤に視線を移した。
間近で見る工藤は本当に、端正な美貌の持ち主だ。ファンが多いのも分かるなと、尋ねられたこととは別の事をつい考えて、まじまじと工藤を見つめてしまう。
それをどう取ったのか、工藤は苦笑気味に口を開いた。
「憶えてないかな、星野さん。『向井先生の教室』ってドラマの生徒役で共演してるはずなんだけど」
真希は慌てて笑顔を作った。
「あ、はい。憶えてますよ、もちろん。あの頃から工藤さんすごく存在感ありましたもの。工藤さんに憶えていただけていたなんて光栄です」
内心、瞬の踏み台にしてやると思っている相手に、真希はこれでもかと営業スマイルを振りまく。
「星野さん美人だから、それはもうよく憶えていますよ」
そう言って笑顔を向けてくる工藤に、お上手ですねと真希は返した。
工藤と工藤のマネージャーを含めて少し話をしてから、真希は瞬と共に楽屋へ戻った。
帰る支度をしている真希の横で、私服に着替えた瞬が畳の上でうつぶせに寝転がっている。
「ちょっと、もう。何ふてくされてるの。さっさと帰るわよ。明日も早いんだから」
工藤仁のスケジュールの都合に合わせて撮影スケジュールが組まれたため、今回のドラマ撮影は、かなりの強行スケジュールになっている。
朝早くから夜遅くまで、しばらくはこのドラマにかかりきりだ。
「何で、隠してたの」
少し低い声で、瞬が呟くのを耳にし、真希は首を捻る。
「何を?」
「工藤さんと知り合いだったこと。俺知らなかった」
そんなことで拗ねていたのか。
真希は呆れて、瞬の後頭部を叩いた。
「何言ってるの。私が子どもの頃、子役としてドラマ出てたことくらい知ってるでしょ。それに、あのドラマあんたも見てたでしょ」
「見てたよ。見てたけど、真希ちゃんしか見てないもん。真希ちゃんも真希ちゃんだよ。工藤さんにあんっなに、笑顔振りまかなくても。工藤さんが変に勘違いしたらどうするのさ」
真希は今度はげんこつを作った。もちろん軽くではあるが、それを瞬の頭にぶつける。
「いい加減にしなさい。主役はってる役者相手に、笑顔向けるのは当たり前でしょ。それに、工藤さんが変な勘違いなんてする訳ないじゃない。ほら、さっさと立ちあがって」
瞬は渋々といった様子で、両手をついて起き上がる。
「そんなの分かんないじゃん。工藤さん実際真希ちゃんのこと憶えてたんだしさぁ。真希ちゃん気をつけてよね。あんまり工藤さんに近づかないようにしてよ」
まだ言うか。というより、何に気をつけろと言うのか。そもそも、天下の工藤仁が真希を相手にする訳がないじゃないか。
「シュンに心配されるようじゃ、私もおしまいだわ」
「あ、真希ちゃん酷い」
「はいはい、酷いで結構。それより、言葉使いと顔。気をつけなさいよ。家に着くまでが仕事だと思いなさい」
いつもの調子で小言を口にし、瞬のはーいというやる気の感じられない返事を聞いた後、真希は楽屋のドアを開けた。