本当に強いのは農夫と木こりと猟師でした
この世界において、人間の命は果てしなく軽い。
一歩町や村から足を踏み出せば、そこには山賊や野盗、そして魔獣や妖獣が待ち構えている。
もちろん、村や町の中にも危険はたくさん潜んでいる。
病疫や飢饉は突然襲いかかってくるし、町の中でも強盗や盗賊は存在する。時には、集落の中に魔獣や妖獣が侵入してくることだって稀ではない。
そんな危険と対面した時、ごく普通の庶民が頼るのは憲兵や軍の兵士、騎士などだが、大きな街やその周辺ならばともかく、辺境の村などではそのような存在に頼るのは極めて難しい。
そして、そのような辺境の村にこそ、多くの危険が潜んでいるのだ。
常日頃から危険と隣り合わせで生きている辺境の人々。
そんな人々に、いつしか希望に光が現れた。
それは国などの目の届かない、辺境を主に回って人々の脅威を駆逐していった。
時に辺境の集落を苦しめていた魔獣を狩り、時に辺境の森に出没する妖獣を退治した。
そして時には、辺境の街道に出没する山賊や野盗を一網打尽にもした。
やがて、世間ではその光をこう呼び始める。
──辺境の弱き者を助けるため、神が遣わした光と希望の使者。そは『漆黒の勇者』なり
と。
「結構ですじゃ」
随分と年を重ね、真っ白な髭に覆われた口がそう告げた。
その言葉は、彼が思っていたものとはまるで真逆のものであり。
「……なぜでしょうか?」
思わず呆気に取られた彼とその仲間たちは、そう聞き返すのがやっとだった。
「私どもにあなた様の助力は必要ありません。ただ、それだけのことですじゃ」
髭同様、幾重にも年を重ねた事を容易に知らしめる皺に覆われた顔。
その顔を、彼はまじまじと見返した。
「ですが、この辺りには凶暴な魔獣が数多く棲息していると聞きました」
「然り」
皺を重ね、年老いた顔がゆっくりと頷いた。
「ですから、我々はその魔獣を駆逐するため──」
「それが結構だと申し上げておりますのじゃ」
その声には年を感じさせないはっきりとした意志が込められていた。
皺の奥から鋭い眼光を光らせて、彼──この村の長老──はじっと彼とその仲間たちを見返した。
「高名な『漆黒の勇者』様には折角このような辺境まで足を運んでいただいたが、我らはあなた様の力を必要とはしておりませんのじゃ」
きっぱりと断られ、彼──巷で『漆黒の勇者』と呼ばれている青年は思わず仲間たちと顔を見合わせた。
二十歳前後の長身で白銀の鎧を身に纏い、黄金の聖剣を腰に佩く黒髪黒目の極めて整った容貌の青年。その黒瞳が、どこか戸惑った光を浮かべている。
彼のこの世界では珍しい黒い髪と黒い瞳こそ神の祝福を受けた証と称され、彼は『漆黒の勇者』と呼ばれているのだ。
「理由をお聞かせいただけますか?」
「無論じゃとも」
再び頷く村の長老。
そんな長老を、『漆黒の勇者』とその仲間たちはじっと見詰める。
一人は長い真紅の髪を綺麗な三つ編みにした少女。年は十七か十八といったところだろうか。勇者の青年よりは若干年下に見える。
その少女は真っ白な神官服を身につけ、首にはこの国の主神の聖印がかけられている。
そう。彼女は聖職者なのだ。
その見事な真紅の髪に因み、世間では『真紅の聖者』とも呼ばれているとても美しい少女だった。
そして、その『真紅の聖者』の隣には、もう一人の勇者の仲間の姿。
それは『真紅の聖者』と同じ年頃のやはり美しい少女で、こちらは見事な金髪をサイドポニーにしており、その身を包むのは各部に細かな魔法文字が縫い込まれた蒼いローブだった。
その手には身長よりも長い杖。
彼女は見た目通りの魔術師であり、その輝くような金髪から『黄金の賢者』と呼ばれていた。
『真紅の聖者』、『黄金の賢者』、そして『漆黒の勇者』。彼らこそが辺境を旅し、そこに暮らす人々を守護する希望の光であり神が遣わしたとも称される勇者一行なのである。
「どう思う?」
「長老様のお言葉……ですわね?」
何を、などと問い返すこともなく、金髪の少女は真紅の髪の少女の問いに答えた。
「『この村にとって、魔獣は害悪であると同時に恵みでもある』────確かに長老様のお言葉通り、魔獣から得られる様々な素材は高額で取引されておりますが……」
魔獣とは人間などよりも遥かに強靭な生命体である。
その魔獣から得られる毛皮、骨、牙、爪、角、果ては肉や獣脂に至るまでその身体の各部は高額で取引されており、まさに宝の塊であると言っていいだろう。
しかし。
だからと言って、魔獣を狩るのは容易ではない。
先程も言ったが、魔獣は人間よりも遥かに強大だ。例え何百人と軍隊を送ったところで、それで打ち倒せるという保証もない。
確かに何百人という軍隊を送り込めば、魔獣を倒すことは可能だろう。だが、その際に生じる怪我人などの被害を考えれば、それは極めて非効率的な行為であるのは明確である。
よって、魔獣を倒す場合は少数精鋭を送り込むのが基本である。しかし、その少数精鋭こそが限られているのだ。
魔獣を狩ることのできるメンバーはごく限られている。
国の騎士隊の隊長格を集めるか、選りすぐりの傭兵を招集するか。もしくは、勇者一行を頼るかぐらいしか選択肢はない。
その数少ない限られた存在である勇者一行に属する少女たちから見ても、このような辺境に魔獣を狩れるような人材がいるとは到底思えないのだ。
「ともかく、まずは村の様子を見て回ろう。そしてその次は村の周囲の森の様子だ」
『漆黒の勇者』の言葉に、『真紅の聖者』と『黄金の賢者』はそれぞれ頷いた。
勇者一行はその光景をぽかんとした表情で見詰めていた。
彼らの前には、地に伏せる巨大な魔獣──一角竜の姿がある。
一角竜と言えば、その巨体は余裕で10メートルを超え、正確は凶暴そのもの。炎を吐くなどの特殊な能力こそないが、その巨体を活かした体当たりを真正面から食らえば、小さな城壁なら数回の体当たりで崩してしまうほどの攻撃力を誇る魔獣である。
その魔獣が今、勇者たちが見詰める中、息絶えて大地にその骸を横たえている。
だが、勇者たちが驚いているのは、一角竜が倒れていることではななかった。
彼らが驚いたそのわけとは。
それは、その一角竜を打ち倒したのが農具である鍬を携えた一人の農夫だったことである。
勇者一行が村外れの農地に差しかかった時のこと。
一行はそこで、巨大な一角竜の姿を見つけた。
勇者はすぐさま腰の聖剣を引き抜き、賢者は杖を構えて呪を唱え始め、聖者は祈りを捧げて加護を願う。
だが、彼らの行動はそこでぴたりと止まってしまった。
なぜなら。
それぞれの行動を起こそうとした彼らの視線の先で、巨大な一角竜がどうと大地に臥したのだ。
そして、その一角竜の影から現れたのが、他ならぬその農夫だった。
その農夫は勇者一行に気づき、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。
「あんれぇ。もしかして、あんた様方が村に来なすったという勇者様だべか? うわぁ、噂通り男前だべなぁ。お仲間の女子たちもほんにめんこいのぉ」
どこからどう見ても、その農夫はただの農夫だった。
野良着に麦わら帽子、首には手拭。そして、その手に握られているのは剣でも槍でもなければただの鍬。
日に良く焼けた凡庸な顔に笑顔を浮かべてはいるが、その鍬は確かに魔獣の血に塗れていた。
「…………その一角竜は……君が倒したのか?」
「そうですだ。こん一角竜はいつもオラの畑を荒しよるからのぉ。今日も作物ば狙って現れたんでオラが仕留めただ」
にかり、と笑みを浮かべる農夫。
まるで畑を荒らす鼠でも退治したかのような軽い調子に、勇者一行は二の句が継げない。
「……い、いつもこうして魔獣を倒すの?」
「さすがにここまででけぇ一角竜ば、滅多に出てこんけど、こん半分ぐらいの魔獣ならいつも作物を荒らしよるけぇ、現れたら退治しとるがよ」
真紅の髪の聖者の問いかけに、農夫は何事でもないかのようにそう答えた。
「こ、恐くはありませんの? 相手は魔獣でしてよ?」
「いくら魔獣たぁ言え、作物ば荒らされたら黙っておられんで。現れたら退治するんは当然じゃに。それに、退治した魔獣は美味いモンが多いけん、オラたちのちょっとした楽しみでもあるんじゃよ。なんせこん田舎にゃあ、食いモンぐらいしか娯楽がねぇけん」
金髪の賢者の質問に答えた農夫は、腰から大振りの剣鉈を引き抜くと、その場で魔獣の解体を始める。
その慣れた手つきが、この農夫の言っている事が嘘ではない事を無言で証明していた。
勇者たち一行は、次々と解体される魔獣の様子を、ただ黙って呆然と見詰めるしかできなかった。
それはその農夫だけが特別というわけではない。
この村では、彼以外にも易々と魔獣を狩る存在が他にもいたのだ。
森に入れば木こりが斧で剣熊の首を簡単に跳ね飛ばし、猟師は大空を舞う火吐き烏を弓で難なく撃ち落とす。
「……なぜ、君たちはそんなに簡単に魔獣を狩ることができるんだ?」
勇者が村人たちに問えば、村人たちは困ったような顔をしてこう答えた。
「んなもん、生まれた時からじゃけ、特に考えたこともないわな。それに、魔獣を倒さんとこっちが生きていかれんしの」
いとも簡単にそう答えた村人たち。
それどころか、魔獣を狩り尽さないようにしているとまで言われて、改めて勇者一行はぽかんとした表情を村人たちに晒すことになった。
夜明けと共に起き出し、大地や大自然を相手に毎日格闘する辺境の村の農夫や木こり、そして猟師たち。
彼らは規則正しい生活と、魔獣から得られる滋養溢れる食事で、日頃から十二分に鍛えられているのだ。
そんな村人たちにとって、魔獣とは驚異ではあるものの、決して抗えない存在ではなかった。
特に厳しい訓練を受けたわけでもなければ、特別な才能を有しているわけでもない。
規則正しい生活と滋養のある食事、そして大自然を相手にする厳しい労働。
そんな基本的なことを繰り返すだけで人間とはここまで強くなれるのだと、勇者一行は改めて思い知らされながら、その村を後にするのだった。
後に、王都に立ち寄った勇者一行は、とある酒場でどうしたらそのように強くなれるのか、と住民たちに問われたことがある。
その際、勇者はこう答えたという。
「本当に強いのは僕たちではない。真の強者とは、毎日大自然を相手に格闘する農夫と木こりと猟師だ」
この時、彼の言葉を聞いた人々はそれをこう解釈した。
「自分などより国の基礎を支える農夫や木こり、そして猟師こそが大切であり、そんな彼らの存在がなくては、いくら神に祝福された勇者といえど生きてはいけない」
と。
魔獣を打ち倒すだけの実力を秘めながら、それでいて奢ることなく弱者を称える勇者の言葉。
住民たちは、彼らのその謙虚な姿勢に激しく胸を打たれたという。
その事実は彼らの名声を更に広め、『漆黒の勇者』一行の人気は不動のものとなった。
だが。
だが、住民たちは知らない。
勇者の言葉が謙虚さからでも弱者を称えたわけでもなく、ただ単に事実を伝えていただけだということを。
勇者たちを称える者たちは、誰一人としてその事実を知ることはなかった。
以上、投稿一周年記念用の短編でした。
とはいえ、投稿開始一周年からは一月以上経ってしまいましたが(笑)。
さて、今後は連載中の三作品に傾注しますです。
とりあえず、明日は『辺境令嬢』を予約投稿します。
ではー。