悪戯のあまりにも大きすぎた代償
助っ人バイト編、これにて完結です。
「や~ん、設楽さんいらっしゃいませ~! モモ、待ってたんだよぉ~」
甘えた声で俺に駆け寄るキャバ嬢、モモ。馬鹿っぽいが、かわいさが全てをチャラにする。通い慣れたこのキャバクラに月に一度は必ず足を向けている。
麻理、すまん。お前を一番愛しているが、ちょっとだけ他の女に気持ちを向けることを許してくれ。
しかしこの日はいつもと違った。モモの後ろから顔を出したのはまさかの人物。
「いらっしゃ……。設楽さんっ!」
「えっ、ラナちゃん!? どうしてこんなところに」
「設楽さんこそどうして」
「いや、ココ行きつけのキャバクラだし……。」
会社の同僚で友人、鮫島の恋人であるラナちゃんが働いていたのだ。前に会ったときとは明らかに違う風貌。濃い化粧、キツイ香水、露出の多いドレス。そのどれもが彼女に全く合っていなかった。
「ラナちゃん、ここで働いているの?」
まさかと思いながら問いかけた。
「三日間だけです。今日で終わりなんです」
短期のバイトね。金に困ってんのか?
そんなことより一番重要なことを訊かなければ。あの独占欲の塊は、このことを知っているのだろうか?
「鮫島はこのこと……」
「知るわけないじゃないですか」
だろうね。あいつがそんなことを許すはずもないし、知らされたとしてもあらゆる手段を使って話自体を潰す。もしくはこの子、軟禁でもされるんじゃねぇのか?
ぼんやり考える俺に、彼女は恐る恐る口を開いた。
「あのぅ、設楽さん。このことを鮫島さんには……」
俺はニヤリと笑った。
「黙っていればいいの?」
コクコクと頷く彼女。表情は安心しきっている。
でもね、人をそんなに簡単に信じちゃいけないよ?
その件はひとまず置いといて、俺はモモとの楽しい時間を過ごすことに専念する。こいつは本当にかわいいなぁ。馬鹿っぽいけど。
ふと気づいたときにはラナちゃんは俺の席から他の席に移っていた。その姿を探せば、ナンバーワンのメグミの席にいた。
彼女の隣にはいかにもエロおやじっぽい脂ぎったオッサンがいて、彼女の太ももを撫でまわしていた。うわぁ~、悲惨。表情に『殴りたいけど我慢』って書いてあるかのようだ。
モモに別れを告げて、普段より早く店を後にした。店を出てすぐに携帯を取り出して電話をする。数回コール音がした後、電話が繋がった。
『もしもし』
「鮫島? 今、一人? それともラナちゃんと一緒?」
わかっていて聞いている。これから俺が言おうとしていることをこの男が知ったとき、果たしてどんな反応をするのだろう。表情が見えないことが残念でならない。
『一人だが、何だ?』
「かわいそぉ~。せっかくの花金に一人って」
『仕方ないだろう。バイトだ、って言われれば』
「俺はさっきまでキャバクラにいたぜ。いいぞぉ、かわいい女に囲まれて。お前も来ればよかったのに」
『誰が行くか。用がないなら切るぞ』
「ちょっと待てって。自慢するために電話したわけじゃない」
『自慢になっていないがな』
くっそー。ふてぶてしい奴。目にもの見せてやる!
「そのキャバクラで、誰に会ったと思う?」
『突然何だ?』
「来てビックリ。居たのはお前の彼女だよ」
『……は?』
ククッ、まさに呆然か? 頬が緩む、緩む。
「だから、ラナちゃんが似合ってない化粧と香水振りまいて、胸の大きく開いたセクシードレス着て、脂ぎったエロオヤジに太もも撫で回されていたんだよ。頑張ってるよなぁ、バイト」
しばし無言が続いた。不穏な空気が電話の向こうから漂う。
おお、怖い、怖い。
『……設楽』
ようやく口を開いた鮫島。その声は恐ろしく低かった。
「何だ?」
『その店、どこにある』
俺は店の場所を説明した。そして最後に一応釘を刺す。
「鮫島、ほどほどにな」
『ああ』と短い返事ののち、電話は切れた。
俺はキャバクラのあるビルを見て、胸の前で十字をきった。
「ラナちゃん、アーメン」
ま、俺はキリスト教徒じゃないけどな。頑張れ、ラナちゃん。
週末が終わり、月曜。鮫島の様子が気になって仕方がなかった俺は、昼飯に誘った。
「で、どうだった? 楽しい週末だったみたいだがな」
その清々しいほどすっきりした鮫島の顔を見れば、何があったかは一目瞭然。
「まぁ、なんだかんだ言っていい週末だった」
ラナちゃんにとってはとんでもない週末だっただろうがな。
「結局何したんだ?」
「お仕置き」
「うわっ、厭らしい響き」
「そんなどストレートなお仕置きより、ラナにはもっと適したものがある」
「何それ」
「食欲に訴えかけた」
話を聞けば、腹ペコ状態の彼女の前で手作りカレーをおいしそうに食べたらしい。いわゆる”待て”状態。
ああ、キャバクラではまともな飯なんて食わないもんな。そりゃ賢いわ。
「じゃあそれでお仕置き終了?」
あっけないなぁ、と残念がっていると鮫島が小さく呟いた。
「最終的には丸一日抱き潰したけど」
結局かい! しかも丸一日って元気な奴だなぁ。
「……絶倫?」
「うるさい」
少々不機嫌になった目の前の男は、やはり面白い。特に一回りの年下の彼女が絡むと、これまで見たことのない表情を見せるので、観察するに値する。そしてこの男をここまで変えた彼女との出会いを嬉しく思うのだった。
仕事を終え、帰宅する。愛しい家族はいつも俺を笑顔で出迎えてくれる。そんな温かい家庭が築けて、俺は本当に幸せ者である。
いつものようにチャイムを鳴らす。しかし今日は誰も出ない。不思議に思いながら自ら鍵を開けて部屋に入る。家の中は真っ暗で、人の気配が全くない。
「麻理? 由理? いないのか?」
呼びかけながらリビングに入るも、静まり返った室内。電気をつけると目に留まったのはダイニングテーブルに置かれた紙切れ。それを手に取る。
『 悟志さんへ
由理を連れて、しばらく実家へ帰ります。
“モモちゃん”のところへ行くなり、どうぞご自由に。
麻理』
なぜだ。なぜ麻理がモモのことを知っている。
とにかく連れ戻さねば。俺は電話を手にして麻理の実家へダイヤルする。電話口に出た、戸惑い気味の義母に頼み込み、彼女を出してもらう。
『何の用ですか』
「麻理か。早く帰ってこい」
『手紙読んだでしょう? しばらく戻らないから』
「どうしてだ。モモのことはただの客とキャバ嬢の関係だ。浮気しているわけでもないのに実家に戻るか?」
しばしの無言の後、彼女は低い声で訊いてきた。
『先週の金曜日、何の日かわからない?』
「先週の金曜?」
特別な日だったっけ? うーん……。
なかなか答えられない。電話口では恐ろしく静かな声が返ってきた。
『結婚記念日よ』
あっ……。しまったぁ!! すっかり忘れていた。
『残業せずに早く帰って来てくれると思って、腕によりをかけてご飯作ったのになかなか帰って来ない。残業ならまだ仕方がないと思ったけど、まさかキャバクラに行っていたとはね。帰ってきたら何か一言あるかと待っていたのに結局何もないし、ご飯も食べてくれないし、お風呂に入ってすぐに寝ちゃうし。キャバクラに行くなとは言わないけど、何も結婚記念日に行くことないじゃない!』
堰を切ったかのようにまくし立てる口調に、この怒りは根強いと悟る。
「す、すまん。ついうっかりしてたんだ。悪かった。そもそも、どうしてモモのことを知ってるんだ?」
『今日、由理を連れてラナちゃんとランチに行ったの。そのときに金曜のことを愚痴ったら、悟志さんがキャバクラにいたって聞いたの。写真も見せてもらったわ。鼻の下伸ばして、デレデレしちゃって。情けない。わたし、キャバ嬢に負けたのね』
くっそ――――!! そっち方面からバレたのか!! しかも写真まで……。ぼんやりしてそうなのに、意外にしたたかだな、あの子。
「悪かった。確かに結婚記念日を忘れてキャバクラに行った俺が全部悪い。謝るから戻って来てくれ!」
必死に謝るも、麻理は無言。すると天使の声が聞こえてきた。
『ママ、だぁれ?』
「由理か? パパだよ」
『パパ?』
頼む、由理。頑固なママを説得してくれ!
「ママと一緒におうちに帰っておいで。パパはママと由理がいなくて寂しいよ」
『ママ、パパがママとゆりがいなくてさみしいって』
そうそう。いいぞ、由理。しかし電話口では非情な一言。
『パパはママが必要じゃないの。だから由理はおじいちゃんとおばあちゃんの家で暮らすのよ』
「おい、麻理! そんなこと一言も言ってないだろうが!!」
『パパ……、ママいらないの?』
「そんなわけないだろう。パパはママも由理も大好きだぞ」
『パパがママとゆりのこと、だいすきだって』
その言葉に『悟志さん……』と麻理が呟く。態度がだんだん軟化している気がする。もう少しだ。
ところが予想外の一言。
『……パパ、やっぱりゆり、おじいちゃんとおばあちゃんのおうちにおとまりする!』
なんだと!?
「どうしてだ、由理」
優しく訊けば、返ってきたのはありえない一言。
『だっておうちにはくろべぇがいないもん。ゆり、くろべぇといっしょがいい』
“黒兵衛”とは、麻里の実家で飼っている黒猫のことだ。
俺は猫に負けたのか……?
由理の一言で軟化していた麻理が再び勢いづく。
『ということです。では、おやすみなさい。モモちゃんのとこへ行くなり、どうぞご勝手に』
「まっ、待て、麻理! おい!」
非情にもガチャンと通話は途切れた。
次の日、残業することなく麻理の実家へ向かい、ひたすら謝り倒して何とか許してもらった。そして心配をかけた義両親を連れて、ご機嫌取りのために食事をしたのだった。
後日、どうしても一言言っておかなければならないと、俺はとあるカフェに向かった。
「いらっしゃいませ~」
出迎えた彼女は俺の顔を見て驚き、しかしすぐにニッコリ笑いかけてきた。
「設楽さん、先日はどうも」
「……やってくれたよね」
「それはこっちのセリフですよ」
「彼氏に黙ってキャバクラでバイトなんて自業自得じゃないか」
「それを言うなら結婚記念日を忘れてた挙句にキャバ嬢に鼻の下伸ばしてる設楽さんだって自業自得ですよ」
お互い言いたいことを言い合って、しばし沈黙……。
「……もうやめようか。どっちもどっちだな」
「……ですね」
お互い後ろめたいことがあったことに気づき、無事和解したのだった。
ちなみにモモちゃんはビジネス馬鹿です。実際は堅実で真面目です。
いかがでしたか?
本編に入れてもよかったんですけど、三桁になるのを阻止したかったので番外編に投入してみました。
またこういう話を投稿していこうと思っています。