助っ人バイトの結末は甘いお仕置き
お仕置き決行です。
手を拘束されてソファーに横たわるわたし、そのそばで余裕な笑みを浮かべる彼。彼の言う“お仕置き”は精神的にも肉体的にも厳しいものだった。
リビングに充満する匂いに、わたしの理性が揺らぐ。
もう何も考えられない。ただ目の前のモノが欲しくて、欲しくて堪らない。でも彼はそれを、決してわたしに与えてはくれなかった。
はしたなくも口元から唾液が垂れる。それを舌で舐め取った後に軽くキスをしてきた彼は、クスッと小さな笑みを浮かべた。
「これが欲しい?」
その問いに、こくこくと頷く。
欲しい、欲しい。早くちょうだい。それでお腹イッパイになりたい……。
じっと彼を見つめて懇願すると、とても意地悪そうな表情を浮かべる彼。
「そんな物欲しそうな顔して、いけない子だ」
そう、わたしはいけない子。はしたなくよだれを垂らして、ただ自分の欲求を満たすことしか考えられない。目の前のそれを口いっぱいに頬張りたい、味わいたい……。
「これが欲しいなら、おねだりしてごらん」
普段ならそんなことすら恥ずかしい。でも今は羞恥心など、わたしの中には存在しない。
「……ください」
「駄目だよ。もっとかわいく言ってごらん」
「……ちょうだい?」
「……駄目」
「やぁ、意地悪しないでぇ……」
焦らされ過ぎて目に涙が浮かぶ。それをすくい取るように目尻に口づけた彼。優しい声でわたしに言い聞かせた。
「ちゃんと名前を呼んで、おねだりして?」
「……鮫島さんが手にしているそれを、わたしにください」
そう言うと彼は少し不機嫌そうな顔をする。
「『鮫島さん』じゃないよね。こういうときは何て言うんだった?」
「……慎也さん、ください」
普段は決して呼べない下の名前。でも今は呼んでみせる。だってわたしは目の前のそれに飢えているんだから。
名前を呼ばれたことで満足したのか、とびきりの笑顔が浮かんだ。
「いいよ。じゃあ口を開けて」
大きく口を開けると、ようやく待ちに待ったものが入って来た。わたしは歓喜に震えた。口いっぱいにそれを頬張り、じっくり味わう。
「っ……、おいしい?」
彼の問いかけにこくこくと頷く。頬に涙が流れた。
「まだいる?」
再び頷く。
「じゃあ口の中のものを飲みこみなさい」
言われるがままにゴクリと飲みこむ。喉元を通り、刺激を感じる。すぐさま口に入れられるそれ。でもまだ全然足りない。
「慎也さ……、もっと欲しい」
「欲張りだね。まだあるからじっくり味わいなさい。いい? これが俺の味だよ」
口の中に入れられたそれは熱くて、でもとてもおいしい。口いっぱいに味が広がる。嬉しくて、でも少し怖い。これ以外受け付けられなくなりそうで。
「も……、これ以外食べられな……」
苦しまぎれにそう言うと、彼は嬉しそうにわたしの髪を撫でた。
「嬉しいこと言ってくれるね……。さぁ、もうすぐ終わりだよ」
駄目! まだ足りないよ。もっと、もっと欲しいの。こんなんじゃ満足できない。
「ぃやぁ……。まだ終わりたくない」
泣きながら懇願すると、彼は困ったように呟いた。
「これ以上は駄目。身体に悪いよ」
いいの。もうどうなったっていい。壊してもいいよ。いや、いっそ壊れたいの!
そう告げたのに彼は頑なにそれを拒んだ。
「これで最後だよ。さ、召し上がれ」
最後なんて悲しすぎる。でもこの味、ちゃんと覚えておくの。彼の、誰にも真似できないそれ。とてもおいしくて、誰にもこの味を知られたくない。そう、彼のアツアツの……
スパイスたっぷりの、本格的なカレーライス!!!
ただでさえ口にしたものがお酒ばかりで、まともな食事ができてないわたしに、このカレーのいい匂いは敵だよ。我慢できるはずないでしょう! もうリビングに入ったときからカレーのことしか考えられなくなっちゃったもん。お腹がグーグーいって腹ペコ状態。
それなのに見せつけるかのようにこの人、わたしの前でおいしそうに食べるんだよ。よだれも垂れるっつーの。鬼だね。本当に性格悪い。
「なんでもっと作ってくれなかったんですか? こんなにおいしいカレーなら、いくらでも食べられるのに」
そう抗議するも、呆れた表情を返された。
「こんな夜中にたくさん食べたら胃にもたれるでしょ」
「このカレーのためなら体調悪くなっても平気です。上等です。むしろバッチ来いです」
「俺が嫌なの。まったく、ラナのせいで俺まで夜食取る羽目になったじゃないか」
そんなの知りませんよ。わたしに見せつけるために好きで食べたんじゃないですか。人のせいにしないでくださいよ。
しかしわたしがお風呂に入っているわずかの間に、このクオリティのカレーを完成させるとは……。やはりこの人の料理の腕前はプロ級。
お腹が満たされて、次にやって来たのはやはり睡魔。時刻は午前二時だもん。しょうがないよね。
うとうとしていると鮫島さんがわたしの耳に顔を近づけたと思いきや、思い切り耳に歯を立てた。せっかく睡眠モードに入っていたわたしの意識は、痛みによって引き戻されてしまった。
「痛っ。何するんですかっ」
「まさかあれでお仕置きが終わったなんて思っていないよね」
思ってますけど? え、違うの?
目を見開いて彼を見ると、いつぞやかに見た熱っぽい眼差しにぶつかった。
「こんな時間にあんなに食べて、このまま寝たら全部肉になる。運動しなきゃね」
いやいやいや、無理です。わたし、すごく眠たいんですけど。別に肉になってもいいですし。
「それにそんな格好で目の前にいられたら、我慢なんてできるはずがない」
脱衣所にバスローブしか置いてなかったじゃないですかっ! それに着替えを取る前に後ろ手で縛り上げたのはあなたでしょ!?
「夜はまだまだこれから。明日休みだからいいよね?」
いやいやいや、休みだからって駄目ですよ。どこ触ってるんですかっ!! それにいい加減、この腕取ってくださいよ!
「今日は後ろ手のままでする? いつもと違った経験、できるかもね」
そのニヤリ顔、すごく腹立ちます。そんな経験したくないです。
――――あっ、ちょっと待って……。
「駄目。待たない。これはお仕置きだからね。ラナに拒否権はないよ」
非難の言葉は唇に塞がれて、むちゃくちゃ甘いけどつらいお仕置きが始まってしまった。
昼過ぎ、わたしは大きなベッドの上で目覚めた。身体のだるさが半端なくて、自力で起き上がれない。でもお腹はグーグー鳴っている。ご飯一食、食べそこねちゃったじゃないか。
ドアが開いて、すっきりしたような爽やかさで鮫島さんが顔をのぞかせた。
「ようやく起きた? よく眠っていたね」
当り前じゃないですか。あなたがわたしを眠らせてくれたのは、空が明るくなってからですよ? まだ眠いぐらいなんですけど。
「あぁ、身体が動かない? え、声も出ない?」
どっちもあなたのせいですよ。睨みつけると澄まし顔。本当にイラッとする。
「自業自得でしょ。約束破ったラナが悪い。『他の男には指一本触れさせない』って言ったくせに」
触れさせてないですよ。そんな記憶は抹消しましたから。かすかに首を横に振る。
「嘘つかないの。脂ぎったオッサンに太もも撫でられていたって、設楽から聞いた」
くっそ―――っ、設楽さんめ。この裏切り者――――っ!! わたしを敵に回したこと、絶対に後悔させてやるからっ!!!
横たわるわたしのそばに腰かけ、壊れ物を扱うような優しさでわたしの頭を撫でる。ムカつくけど、この手は大好きだ。安心できて、睡魔がよみがえってきた。
目を閉じようとしたら首筋にチクッとした痛みが走る。彼がわたしの首筋に顔を埋めて唇を押し付けていた。これは確実に痕になっている。またやりやがったな! 非難する視線を向けても、彼には効かない。
「ラナは俺のものでしょ? ちゃんと周囲にもわからせなきゃ。――――ああ、それからもうあんな胸の開いたドレス、着られないね」
その言葉、どういう意味ですか?
眉間に皺を寄せて怪訝な表情をすると、ベッドサイドの引き出しから鏡を取り出した彼は、わたしにそれを向けた(だって自分で鏡持とうとしても、腕、上がらないし)。
わたしの胸元から首筋に、おびただしい数の赤、赤、赤……。
って、ちょっと! いくらなんでもやりすぎだろうがぁぁぁぁ!! 加減を考えろぉぉぉっ!!!
キッと睨むと、わたしの怒りをまるっと無視して、鏡を置いた彼は掛布団を引きはがし、全裸のわたしをお姫様抱っこして寝室から出た。羞恥で全身が赤く染まる。
うぎゃあ! 恥ずかしいんですけどっ。
連れられたのはバスルーム。浴槽にはお湯が張られていた。彼はわたしをバスマットの下に降ろした。
「お風呂、入りたいでしょう? 気持ち悪いだろうし」
それはそうかも。その気持ちはありがたいです。
――――って、どうしてあなたも服、脱ぐんですかっ。
「一人で入れないなら、俺が一緒に入るしかないでしょう? 恥ずかしがらなくていいよ。だってもう全部見ているからね、お互い」
そういう問題じゃな――――い。ううっ、眩しい……。
「全身綺麗に洗ってあげる。もちろんラナに拒否権はないよ。これもお仕置きだからね」
お仕置き続行中ですか!? 正直、洗うだけで済むとは思えない。あれだけして、まだ足りないとでも!?
そして次の言葉に、わたしの心は完全に折れてしまった。
「それから今日も俺の家に泊まりなさい。ちゃんと家には連絡しておいたから問題はないよ」
No―――――――!! もう無理です。ボロボロです。勘弁してください。
ちょっと、どこ触っているんですか。あっ……。
「かわいい、ラナ」
クスッと笑った彼の表情が、これから起こることを想像させる。もう、いっそ気絶できたらいのに。
すぐさま思考が停止して、脳みそがドロドロに蕩けました。理性って何? 状態。
彼はいつも以上にいじめっ子でした。ああ、もうこの人に歯向かっちゃいけない、ということを痛感したのでした。
後日、バイトへ行くと、サヤカちゃんからこう言われた。
「ラナさん、例のバイト先の店長が『ラナさん素質あるから、また働かないか?』って言ってたそうっすよ」
わたしは食い気味で返答した。
「もう絶対に嫌だ」
冗談じゃないよ。もうあんな目に遭うのはこりごりだよ。思い出すだけで悶絶、卒倒できます。やっぱり地道に働くのが一番! 馬鹿は馬鹿なりに学習しますからっ!!
冒頭部分は妄想を掻き立てる書き方に挑戦してみました。
「なんだ、カレーかよ!」というツッコミが出れば大成功です。
次回、原因を作ったあの人のお話。