ため息交じり、だけど幸せな日常
こちらではお久しぶりです。
彼の不憫で阿呆な、だけど幸せ(多分)なお話
「はぁ……」
携帯電話の画面を見つめて、ため息をつく。もう何度同じことを繰り返しているのだろう。
待ち受け画面は愛しの彼女。写真でも美しい彼女だが、本物の方が数百倍綺麗だ。
会いたい、でも会えない。もう二日顔も見ていなければ、声も聞いていない。どうしてこんなにも切ないのだろう。神は僕たちの仲の良さを妬んで、試練を与えているのだろうか?
隣の席で友人・高岡は呆れた視線を送ってくる。
「何回携帯見て、ため息ついてんだよ」
「どうして僕は、こんなところでつまらない講義を受けているのかなって思って」
できることなら、今すぐ彼女に会いたい。あの柔らかい身体を抱き締めて、フローラルの香りがする髪に顔を埋めたい。そのまま押し倒して、甘い艶やかな肌に赤い花をつけて、そして……。
ああ、ヤバい。もう我慢できない。
「……帰るわ」
もうここには用はないと、さっさと帰り支度を始める。高岡はそんな僕に冷たい口調で吐き捨てた。
「いいのか? 講義サボったこと、お前の彼女に告げ口するぞ? それに今帰ったところで、まだ仕事中だろ?」
片付けしていた手を止める。ある言葉が引っ掛かった。高岡を睨みつける。
「どうやって告げ口するんだ?」
「メールで」
「どうしてお前が彼女のメアドを知ってるんだ?」
「聞いたから。俺ら、メル友よ?」
「……シメる」
ふざけるな。僕にはなかなかメールをくれない彼女とメル友だと!? 許せない!
「今すぐメアド消せ。彼女が送ってきたメール、読ませろ。そして消せ。二度と彼女とメールするな」
普段より低い声で威嚇すれば、高岡は面白いものを見るように、ニヤリと笑った。
「その顔、お前のことを『Y大の白王子』って呼んでる女どもに見せてやりたいな」
外面の良さから、僕は大学内でそんなふうに呼ばれている(らしい)。
「別にどうでもいいし」
興味のない女がどう思おうが、知ったことじゃない。
「みちるちゃんも知らないんじゃないの? お前のその真っ黒なブ・ブ・ン」
「気安く名前で呼ぶな。しかも“ちゃん”付けって、そんなにしばかれたい?」
「おお、怖い、怖い。嫌だねぇ、醜い嫉妬。束縛の強すぎる男は嫌われるぜ」
僕は嫉妬深い。それは認める。でも自分に嫉妬心などが存在するのを自覚したのは彼女と付き合い始めてから。自分から好きになったのは彼女が初めてだった。
少し前の僕は“女って面倒”って思ってた。一番身近な異性である姉は我が儘で、口癖は『男は顔さえよければよし。金を持っていればさらによし』。いつも外見ばかりで男を選んでいた。その彼氏相手にヒステリックに怒る姿を見れば、女ってこんなものかと思わずにはいられない。
しかしあるとき、家に新しい彼氏を連れて来た。姉が両親に彼氏を紹介したのは初めてだった。さらにいえば、その人の顔はお世辞にもかっこいいとは言えない。悪くはないのだが、歴代の彼氏たちと比べたら、月とすっぽんだった。でも性格は温厚で真面目、僕にもとても優しかった。
どういう心境の変化だと訊けば『真実の愛に目覚めたの』などとほざく。長続きするのか疑わしいと思っていたら、あれよあれよのうちに結婚することになってしまった。
でもこの結婚は、今となっては僕の運命の出会いを作ってくれたもの。姉夫婦には感謝してもしきれない。二人のおかげで、僕は彼女と出会うことができたのだから。
彼女、三田みちるとの出会いは結婚式場だった。
姉に無理矢理引っ張られて、しぶしぶ同行した衣装選び。はしゃぐ姉と母を尻目に僕はうんざりしていた。どれでも一緒だろ、早く決めてくれ。退屈以上の何物でもなかった。そんなとき。
「退屈、ですか?」
姉の担当のプランナーであった彼女に、突然声をかけられて驚いた。
「ええ。まぁ……」
曖昧に答える。馬鹿正直に『退屈です』とはさすがに言えない。
すると彼女はニッコリと微笑んだ。
「でも衣装合わせに付き合っていらっしゃるなんて、仲がよろしいのですね」
そして軽く会釈して姉たちの方へ向かっていった。
僕はしばらく動けなかった。営業スマイルであろうその微笑に、魅入ってしまったのだ。一目惚れなんてないと思っていた。自分は絶対ない。ありえない。それなのにあっさり堕ちた。
これまで付き合ってきた女とは違い、彼女は美人系。ちなみに歴代彼女はかわいい系だった。美人系って苦手だと思っていた。でも実際は違ったみたいだ。
仕事に一生懸命に打ち込んでいると見てとれる彼女は、ストレートの黒髪をひとくくりにして、パンツスーツを着こなしていた。その姿に胸の鼓動が止まらない。
これまでの退屈さが嘘のように、僕は彼女をじっと見続けた。そのしぐさ、顔の表情、声、すべてが僕の心をわしづかみにした。現金なもので、さっきまで早く衣装を決めろと思っていたのに『もっと迷え、まだ決めるな』、そう念を送っていた。
家に戻ってからも、彼女の笑顔が頭に焼き付いて離れなかった。営業スマイルであんなにも僕を虜にしたのだから、心からの笑顔は一体どんなものなのだろう。その笑顔を向けて欲しい、僕だけに……。
でもそのすべがわからない。両親のおかげでそこそこ整った外見だった僕は、何もしなくても女の方から寄って来た。だから自分からどう動けばいいのかがわからない。
僕の様子があまりにおかしかったのか、姉が尋問するかのように詰め寄って来た。
「悠真、どうしたの?」
「何でもないから」
「嘘。もしかして……三田さんに惚れちゃった??」
図星を言い当てられてしまった。動揺すればクスクス笑う姉。
「悠真のくせにわたしに隠し事なんて百年早い。わかりやすいもんね、悠真って」
単純、と言われたみたいでカッとなった。こうなったら開き直って姉を味方につけよう。
「そうだよ、一目惚れだよ。悪い?」
「お、開き直ったわね。まぁ、いいわ。三田さんいい人だし、お姉さまが協力してあげないこともないわよ」
「そりゃ、どーも」
しかし味方は姉だけではなかった。両親、義兄、義兄の両親にもその情報は伝わっていたらしい。両親や義兄ならともかく、義兄の両親って……。会うたびに生暖かい視線を送られて気まずいんだけど。
とにかく力強い(?)味方を得た僕は、彼女へのアプローチを始めた。
はじめにしたことは、彼女との接触回数を増やすこと。だから用事もないのに式の打ち合わせに同行した。でも何かをすることなく、ただ彼女をじっと見つめていた。決して僕を見ない彼女。どうしたらその瞳に僕を映してくれるの?
何度も同行していると、味方はどんどん増えていった。式場で働くスタッフにも僕の気持ちは駄々漏れだったみたいだ。あるとき、こっそり耳打ちされた。
「三田さん、全然気づいてないわよ。だから頑張って。応援しているわ」
スタッフの間では、僕の恋の行方はいい見世物として定着しつつあるようだ。しかし周囲にも駄々漏れのこの想い、一番伝えたい本人には伝わらないって、神様は意地悪だ。
しばらく頑張ったけど、現状維持。でもタイムリミットは間近。姉の結婚式が終わってしまえば、彼女との接点は完全になくなってしまう。勝負は結婚式当日だ。
式当日。僕は姉が投げたウエディングブーケを群がる女どもを押しのけてゲットし、式終了後に彼女を待ち伏せした。待つ間、尋常じゃないほど緊張した。
程なくしてテラスにやって来た彼女を捕まえて、ブーケを手渡し告白した。断ろうとする彼女に口づけて黙らせる。聞きたいのはそんな言葉じゃない、僕をその澄んだ瞳に映して、この気持ちを受け入れて欲しい。
どれぐらい唇を重ねただろう。あっという間のようで、でもとても長い時間にも感じた。唇を離して解放すると、少しだけ頬を上気させた彼女は僕を睨んだ。
「……随分強引なのね。てっきり草食系かと思ったわ」
「男なんて、みんな羊の皮を被ったオオカミですよ?」
「わたし、年下って趣味じゃないの」
「たとえ趣味じゃなくても、もう逃がしませんよ。それにその顔、嫌がってないみたいですし」
「……チッ」
舌打ちするんだ……。でもそんな舌打ちですら僕には堪らない。まるで小鳥のさえずりのようだ。彼女の瞳に僕が映っている。それだけで満たされる気がした。
しかしようやくスタートラインに立てただけの話。とりあえず交際は了承してくれたけど、僕の好きって気持ちは彼女よりもかなり大きいと思う。今度は僕だけを見ていて欲しい。自分が彼女へ向けるのと同じぐらいの愛情を、僕にも向けて欲しい。欲望はどんどん大きくなっていく。
講義をサボることを告げ口されるわけにはいかない。諦めて、片付けたテキストを再び机に広げた。
それでも我慢できなくて、携帯を取り出して彼女にメールを打つ。彼女はなかなか返事をしてくれない。付き合い始めのころはちゃんと返信してくれた。でも調子に乗って三十分おきにメールしたせいで無茶苦茶怒られて、それからはあまり返事をくれなくなってしまった。最近ではどんな内容でも、彼女がメールをくれたという事実だけで気分が上がるようになってしまった。
『 大好きなみちるちゃんへ
お仕事お疲れさま。
僕は今すぐにでもみちるちゃんに会いに行きたい衝動を抑えて、真面目に講義を受けています。
僕がみちるちゃんのことを考えているほんの一握りでいいから、みちるちゃんに僕のことを考えて欲しいな。
ところで明日お仕事休みだよね? 家に行ってもいい?
愛情たっぷりの晩ご飯を用意して待ってるね。
だから早く帰って来てね。ラブ 』
メールを送信。返事は……多分来ないかな、悲しいけど。
何作ろうかな? みちるちゃんは和食が好きだから、筑前煮でも作ろうかな。かばんから取り出した本、『初心者でも簡単! 和風おかずレシピ』をペラペラとめくる。しばらく作り方を読んでいると振動音が耳に入ってきた。携帯を見ればメールだった。
『火の用心』
たった一言の、そっけない彼女からのメール。それでも一瞬で僕は幸福感に包まれる。
「高岡、見ろよ。みちるちゃんから返事が来た!」
はしゃぐ僕を見て、高岡はかわいそうなものを見る視線を向けた。
「そっけなっ。……お前、幸せだなぁ。返事が来ただけでそこまで喜べるって」
高岡が何と言おうと、どうでもいい。講義が終わったら速攻でスーパーへ寄って彼女の家へ行こう。そして愛情いっぱいの手料理で疲れて帰宅する彼女を出迎えるのだ。
時間、早く過ぎないかな……。
会えない時間が愛を育てる、そう必死に思い込んで、僕は講義が終わるのをひたすら待ったのだった。
おまけ
みちるの勤務する結婚式場。仕事がひと段落した彼女は、振動する携帯電話をポケットから取り出した。画面を見た彼女の表情が、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。
その様子を見ていた彼女の同僚たちがひそひそと会話を始めた。
「見て、三田さんのあの表情。さては“通い妻”クンからのメールかしら?」
「そりゃそうでしょう。だって三田さんが笑みを浮かべて携帯見るなんて、レアだもの」
「しかし、あの二人が付き合い始めるなんてね。てっきり相手にされないと思ったわ、“通い妻”クン」
「頑張ってたものね、彼。今でも頑張ってるみたいだけど」
「そうそう、この前、雨が土砂降りだったときに迎えに来てたの、見たわ。でも傘を一本しかもっていなかったみたいで『迎えの意味がないじゃない。あっという間にずぶ濡れよ』って怒られてたわ」
「彼、三田さんのお弁当を作っていることもあるらしいわ。どうやらウサギのお弁当箱のときは彼の手作りみたい。でも不憫よ。『しょっぱっ。味付け、へたくそか』ってぼやかれてた」
「愛よねぇ~」
「ええ、羨ましいわ」
「でも男女が反対に見えるのは、わたしだけかしら?」
「「……わたしも見えるわ」」
みちるはこんな風に話のネタにされていることや、悠真に“通い妻”クンなどというあだ名がつけられていることも、もちろん知らない。