誰か彼女を止めてくれ!
お待たせしました。
結婚式での出来事です。
森口&的場視点です。
鮫島部長の結婚式に招待された、僕たち企画課のメンバー。
結婚式、披露宴の雰囲気は温かくて、自分もこんな式を挙げたいなと相手もいないのにそう思ってしまうほどいい式だった。
部長は普段では考えられないほど優しい顔で新婦を見つめている。このときはじめて顔を合わせた新婦のラナさんは予想以上に若くて意外だったけど、厳しくて仕事人間だった部長を変えた人なんだと納得できた。
そんな結婚式で驚きもあった。部長に昇進したからか、社内の重役がこぞって顔を揃えていたのもそうなのだが、新婦席を見て愕然とした。松前主任がそちらに視線を向けて小声で囁いた。
「おい。あれ、柏原一族だぞ」
新婦席の、しかも家族席にあの柏原グループの会長をはじめ、そうそうたる顔ぶれが揃っていた。
「部長の奥さん、柏原の血縁者だったんだ……」
「じゃあ部長って、もしかして逆タマ?」
「違うって。奥さんの家は一般家庭らしいし」
そんなことをボソボソと話しているうちに、あっという間に時間が過ぎた。
二次会会場のレストランへ移動する道中、課の女子社員は何やら騒いでいた。
「イイ男、いっぱいいたなぁ。二次会で声掛けます?」
「わたしは遠慮するわ」
「ですよねー。中野さん、彼氏持ちだし」
「岬さんはいなかったかしら」
「そうなんですよ。奥さんの同級生ってわたしより年下ですし、ちょっと頑張っちゃおっかなーって」
「健闘を祈るわ」
先輩の中野さんと同期の岬が話している中、僕が少し前まで教育係として面倒を見ていた渡辺さんはずっと俯き加減で黙り込んでいた。
「渡辺さんはどう?」
中野さんが話を振ると、彼女は少し顔を赤らめた。
「実は、見た目どストライクの人がいたんです」
「えー、どんな人?」
「……柏原の御曹司です」
「それってどっち? 上? 下?」
「上です」
「それは無理ね。彼、既婚者だし」
「他にいなかったの?」
「えっと、茶髪で細身でショップ店員みたいな人です」
「あー、あの人ね。でも競争率高そー。渡辺さんって面食いだったんだぁ」
「ですよね……。あたしなんてとても……」
「でも声を掛けるだけ掛けてみなきゃ。渡辺さんみたいな子がタイプかもしれないし」
「はい」
その様子を見て「今日の渡辺さん、何だか大人しいな」と意外に思う。
だけどその考えを撤回するのは、それからすぐのことだった。
「ちょっと、離しなさい。近寄らないで。私は女なんかに興味はないのよ――――!!」
渡辺さんのどストライクだったショップ店員みたいな彼は、二次会が始まった途端にたくさんの女性に周囲を囲まれていた。すごいモテ具合。羨ましい。
しかし彼は女性たちを罵倒し、遠ざけようと躍起になっていた。
「キィイイイイイッ! 脂肪の塊押し付けてくるんじゃないわよおぉおおおお!」
彼の悲鳴に似た雄叫びは、会場内に響き渡って注目を浴びていた。
「……あらら。あの人、女嫌いなのかしら」
「残念だったわね、渡辺さん」
僕たちはドリンク片手に、遠目でその光景を観察していた。渡辺さんはその人だかりの外で騒ぎを眺めている。
彼女には脈なしだと、少し残念そうな中野さんと岬。だけど僕はそうは思わなかった。
「いや、もしかしたらスイッチ入っちゃったかも」
「「スイッチ?」」
不思議そうに僕を見る二人。僕は渡辺さんを視線で追った。すると予感は的中した。
「あのっ、もっと罵ってください――っ」
周囲の女性が諦めて彼から去っていくと、すかさず彼に近づいた。彼女は彼に抱きつき、とんでもないことを口走る。
急に抱きつかれた彼は怯えたような目で彼女を見下ろす。
「ヒッ! なんなの、あんた。離しなさいよ!」
「嫌です。どストライクなんです。あたしと付き合ってください!」
「冗談じゃないわよ! 誰が女と付き合うもんですか」
「じゃあ付き合わなくてもいいんで、もっと罵倒してください」
「な……。あんた、変態なの!?」
そのやり取りを見て、横の二人は絶句しているようだった。
うん、気持ちは痛いほどよくわかる。
「……渡辺さんって、ああいうキャラだったわけ?」
「……森口くんは知っていたの?」
「……ええ」
普段の渡辺さんは真面目で大人しく、仕事熱心。これまで新しく課に配属されてきた、部長に色目を使う女たちと違い、部長にも興味を示すことはなかった。だけど今さら厳しく指導するスタンスを変えることができなくて、僕はこれまでと変わらず毒を吐きながら教育係として彼女と接していた。
そしてあるとき、気が付いた。僕が毒を吐けば吐くほど、何やら嬉しそうな顔をするのだ。うっとりした顔で僕を見つめ、「もっと、もっと」と期待に満ちた、その眼差し。
ゾッとした。今、自分は性的な目で見られている。僕が厳しく当たれば当たるほど、彼女は快感を覚えるのだ。彼女は真正のドMだ。僕はこのとき生まれて初めて、女性に対して恐怖心を持った。
それからの僕は、彼女に対して優しく接した。周囲は僕が毒を吐かないことを不思議そうに眺めていたが、とにかく必死だった。これ以上居たたまれない視線を向けられるのはご免だし、僕をそういう対象で見ないでほしい。毒舌だけど、あいにくそういう趣味はない。
彼女はかなり不満そうだったが、耐えているうちに教育期間は終了した。
しばし彼女を凝視していた中野さんが戸惑いながら僕を見上げた。
「森口くん、止めなくてもいいの?」
「いいんじゃないですか。渡辺さん、頑張っているし」
その性的嗜好を僕に向けないのであれば、無理に止めようとは思わない。傍観者でいる分には面白いし。
「うわ、あの彼、まるで生贄……」
気の毒そうな岬の呟きに、僕も中野さんも大きく頷いた。
※※※
二次会がお開きになり、僕は沙羅さんと会場のレストランを出ようとしているところだった。
二次会の最中は子供を義両親に見てもらっていたため、久しぶりに彼女と二人で過ごすことができた。もちろん三人もいいのだが、やはり二人の時間も大切だ。
「隼人くん、そろそろ行きましょう」
「そうだね。……あれ?」
レストランの出入り口のそばで、何やら騒がしい。
「いい加減にしなさいよ、あんた! いつまでくっついているのよ!」
「離れません――! あたしをあなたの下僕にしてください――!」
どうやら女性が嫌がる男性にしがみついて離れず、騒動になっているようだ。
騒ぎの当事者の一方は顔見知りだった。本来ならもっと早く挨拶をしなければならないところだが、彼はきっと僕のことを覚えていないだろう。視線が合っても反応がなかった。それ以前に、僕は彼とあまり関わりたくなかった。
会話の内容に、隣の沙羅さんは顔を顰めた。
「……何かしら。怖いわ」
安心させるように彼女の肩を抱き寄せる。
だが、そのときふと彼と視線が交差した。ハッとこちらに気付いた彼が、大声で捲し立てた。
「あっ、ちょっとそこのあんた! 千歳の後輩のヘタレくんよね!?」
あーあ、思い出してしまったか。沙羅さんの前でヘタレなんて言わないでほしいが、仕方なく挨拶をする。
「的場ですよ、千歳先輩のお兄さん。ご挨拶が遅れてすみません」
ぺこりと頭を下げる僕に、彼女が驚きの声を上げた。
「隼人くん、知り合い?」
「うん。高校の先輩のお兄さん」
とはいえ、彼とあまり交流はない。単なる顔見知り程度だ。
「たしかあの人、ラナの料理の先生だったわ」
「うん。料理研究家だって」
「知り合いなら、もっと早く声を掛ければよかったのに」
「う、ん……。あんまり関わりたくないっていうか、怖いっていうか……」
「怖い?」
不思議そうな彼女には曖昧に返事をするが、本当のことは言いづらい。
なぜなら彼、板倉ひろみはゲイだからに他ならない。
「何をボソボソ言ってんのよ! あんた刑事なら、この女をどうにかしてちょうだい!」
怒鳴るように声を張り上げる彼に、仕方なく近寄る。
「どうにか、とは?」
「この女、二次会が始まってからこれまで、ずーっと張り付いて離れないのよ。もうストーカーみたいなもんでしょ!」
「彼女は……」
「すみません。鮫島部長の部下です。ご迷惑をおかけしました」
近くで成り行きを見ていたらしい、男女数人が申し訳なさそうに頭を下げる。
「ですが、僕たちでは止められないもので……」
「そうですか」
さて、どうしようか。無理矢理引きはがすことはもちろんできるが、こんなめでたい場所で警察手帳振りかざすのもなぁ。
それにあのお兄さんがこんなに困っている姿、ちょっと滑稽だなと思ったりもする。僕も結構悪人かも。
「もう、止めてくれないわけ!? なら、あの女を呼んでちょうだい!!」
「あの女?」
「馬鹿ミコに決まっているでしょう!」
「……わかりました」
何で先輩? と不思議に思いつつ、僕は少し離れて、彼の要望に応えるべく電話を掛けた。
『もしもし』
「もしもし先輩? 的場です」
『何か用? 今日ってラナちゃんの結婚式でしょ?』
「ええ。今から出て来られませんか?」
『今から? えー、何よ面倒な』
「面白いものが見られますよ」
『面白いもの?』
「千歳先輩のお兄さんが女性と揉めています」
『すぐ行くわ』
急にノリノリになった先輩に場所を告げ、電話を切る。
「すぐに来るそうですよ」
「あっそう。あー、もう嫌。何で私がこんな目に!」
「お願いですから、『このメス豚!』と罵って、鞭でぶっ叩いてください」
「私にそんな趣味はないのよ! ぶっ叩かれたきゃ、そういう店に行きなさいよ!」
ブーブー文句を言いながら必死に女性を引き離しにかかる。相当嫌そう。
その後、割と早く呼び出した人物が姿を見せた。彼の姿を見てニヤリと笑う。
「わー、本当に修羅場。ひろみ、モテモテでよかったわね」
「ふざけんじゃないわよ! この女をどうにかしてちょうだい!」
「いくら出す?」
ニヤニヤする先輩。彼は苦々しい表情に変わる。一触即発な雰囲気に息を呑んで見守っていると、離れたところで見ていた沙羅さんが横にやって来た。
「ねぇ、早坂さんよね。あの男の人と知り合い?」
「うん。彼の弟と先輩は友達だから」
そう答え、再び視線を戻す。彼は苦々しい顔で先輩を睨み付けていた。
「……金取るわけ?」
「お金じゃなくてもいいんだけど」
「ラーメン」
「…………」
「ハンバーグ」
「…………」
「……すき焼き」
「松阪牛。うどんもつけてね」
「……わかったわ」
交渉成立したのか、先輩がツカツカ近づき、しがみついていた女性を剥ぎ取った。それから女性の耳元で何やら囁くと、女性は顔を真っ赤にしてその場にへたり込んでしまった。
「わ、すごいわね、早坂さん」
「本当だ。あんな簡単に……」
一体何を言ったんだろうか。きっとろくでもないことを言ったんだろうけど。
「約束、守ってね」
「わかっているわよ」
ニッコリ笑う先輩に、少し悔しそうな彼。何とか丸く収まったと安堵した、そのとき。
「おねーさまーっ、あたしをお姉さまの犬にしてください――っ!」
「……はい?」
へたり込んだ彼女が潤んだ目をして、今度は先輩の腰にしがみついた。面食らった先輩は、らしくなく動揺する。
「……どうしよう、ひろみ。全然引いてくれないわ」
「とんだド変態ね、この女」
「おねーさまー! あたしを快楽の底に突き落としてください――!」
どうやら騒動は更に大きくなりそうだ。僕は思わず声を掛ける。
「先輩。レストランにも迷惑がかかるので、何とか収拾してください」
「ちょ、わたしにやらせるわけ? ……しょうがないなぁ」
先輩は文句を言いながら女性を腰から引きはがし、しゃがみ込んで視線を合わせた。
「あなたの願いは叶えてあげたいわ。でも女の子に酷いことできないから無理だわ。ごめんね」
優しく微笑みながら女性の頭を撫でる先輩に、女性は潤み目のまま「はい」と力なく呟いた。
女性はそのまま会社の同僚に連れられて帰って行った。
「まったく、自分で何とかしなさいよね。このオカマ!」
「私はおネエだって言ってるでしょうが! 何度言えば分るのよ、馬鹿女!」
今度は先輩とお兄さんがギャーギャー喧嘩を始めてしまう。
そんな二人を呆れながら見ていた僕に、沙羅さんの呟きが聞こえた。
「早坂さん、一体何を言ったのかしら……?」
……うん、絶対聞かない方がいいと思う。
渡辺さん、ある意味最強。
彼女はS気質の人が好みです(笑)




