竹田専務という人
意外に人気のあの竹田のおじちゃんの話。
しかし出てくるのはまさかの新キャラ…
みなさん、初めまして。わたしは秘書課の菱川と申します。“鬼の竹田”と呼ばれる、竹田専務付の秘書をしております。
社内では皆口々に『社内で最も怒らせてはならない人物』『実は社長より権力を持っている』『逆らったが最後この業界では生きていけない』など言いたい放題言っております。
しかしそばで専務を見ているわたしからしたら、それは大きな間違いです。確かに仕事の上では厳しく、容赦はないかもしれません。
入社してすぐに専務の秘書として配属され、右も左もわからないわたしはいつも怒られてばかりでした。その様子に秘書課の先輩方は『専務付になってしまったのが運命だと思って諦めなさい』と言うだけでした。
専務付になって三年、あまりの厳しさに何度辞めたいと思ったことでしょう。
しかしその厳しさは、決してわたしだけに向けられているものではありませんでした。誰に対してもそうで、贔屓など一切ありません。
それに気づいたのは、現在企画部の課長である鮫島さんと仕事でご一緒になったときでした。そのとき伺った専務の課長に対する厳しさは、わたしの比ではありませんでした。
『専務がより厳しくするのは期待の現れだ』と聞かされたとき、わたしは専務に目をかけていただいていることを嬉しく思いました。
そしてあるとき、専務がわたしに仰いました。
「菱川君。君も成長したね。初めはどうなることかと思ったが、いい秘書になったよ。君なしでは私の仕事が立ち行かないほどだ。これからも私を支えて欲しい」
……何ということでしょうか。あの専務にお褒めの言葉を頂いてしまいました。わたしは感動のあまり不覚にも泣きそうになりましたが、仕事中です。気を引き締めて専務に頭を下げます。
「ありがとうございます。わたくしがこうして仕事ができるのも、専務のご指導があってこそです。まだ至らない点があるとは思いますが、変わらずご指導のほどをお願いいたします」
このときわたしは専務に一生ついていこうと決めました。誰が何と言おうとです。専務のおかげでわたしは一人前になれました。これまでの厳しさも、わたしのためを思ってのことです。
さらにいえば専務の飴と鞭にやられてしまいました。もちろん尊敬する上司には変わりありません。それ以外にも、わたしの中で専務への憧れが芽生えてしまいました。でもこれは不毛な想いです。決して報われることはありません。
専務の容姿は端麗で、昔はさぞもてたでしょう。今でも熟年の渋みが出て、とてもダンディーです。わたしは特に年上が好みというわけではありませんが、専務は別です。俗にいう“枯れ専”というものでしょうか。
見ているだけで、そばにいられるだけで満足です。多くは望みません。専務は愛妻家で有名ですし、お子さんは恐らくわたしと同じくらいの年齢だと思われます。でも思うだけなら自由です。
ある日、会社の前でちょっとした騒ぎがありました。元秘書課で現在は企画課に所属している山本沙織が若い女性に喧嘩を仕掛けていました。
わたしは専務がお帰りになるのを見送るために外に出ていました。そして騒動に気がつきました。偶然ですが鮫島課長もその場にいました。
専務と課長はその女性と知り合いのようでした。課長が女性を助けるために駆け出そうとするのを、専務はお止めになりました。
この騒ぎを聞きつけて、会社前には多くの社員が野次馬のように群がっていました。
話を聞いていると、女性は鮫島課長の恋人らしいです。あの課長に恋人ができたのは意外でした。何せどれだけの美人が近寄ろうとも見向きもしない人です。それでも憧れている女子社員はたくさんいます。
山本沙織は元同僚です。人事部長を父に持ち、それを鼻にかける嫌な人です。女子社員の多くが彼女にいじめられていました。わたしもその中の一人です。部署が別になってからは被害に遭うことは少なくなりましたが、彼女の行いは今でも耳に入ってきます。
彼女が女子社員に嫌われるのは、いじめだけが原因ではありません。
彼女は自分の気に入った男性社員には態度が一変します。女の武器をフル活用して取り入るのです。普通はそんな見え見えの態度に騙されはしないのですが、中には騙されてしまう男性もいます。山本沙織に毒された男性社員は彼女をかばい、それが他の女子社員の反感を買うのです。
現在の山本沙織のターゲットは鮫島課長です。しかし課長は全く相手にしません。だからその腹立たしさを恋人にぶつけようとしているのでしょう。何て自分勝手なのでしょうか。
でもその恋人は全く負けていませんでした。外部の人間とはいえその度胸には感服します。社内の人間は言いたくても言えないのです。人事部長である父親は娘を溺愛しており、人事権を私的に行使しているとの噂もあります。誰が逆らえるというのでしょうか。今も娘のために手切れ金を出そうとしています。どういう神経をしているのでしょうか。
公衆の面前で鮫島課長への想いを告げる恋人の女性を、わたしは羨ましいと思いました。わたしの恋心は決して知られてはならないものですから。
しばらく傍観していた専務がようやく間に割って入りました。専務は久々に見る厳しい顔をしていました。“鬼の竹田”と言っていいでしょう。人事部長を追い詰めていく様は恐ろしさを通り越して圧巻です。
こんなことを思ってはいけませんが、かっこいいです。痺れます。人を追い詰めていく様子は恐怖以外の何物でもないのに、その姿に胸の鼓動が速くなります。どうしましょう。こんな専務を見てしまったら、もうその辺の男性じゃ満足できなくなってしまいます。今のわたしは完全に専務の虜です。
山本親子が完全降伏した後、専務は課長の恋人に微笑みかけました。羨ましいです。その笑顔、わたしにも向けて欲しいです……。もう専務の前で普通にしていられる自信がありません。
その後、群がっていた社員たちを追い払い、専務は颯爽と帰っていきました。専務を見送り、わたしもその場を離れます。
もう、やることなすこと素敵です。こんなことを思うわたしはほとんど病気です。
後日、専務からとある話を持ちかけられました。専務の息子さんとのお見合い話でした。
「鮫島君の見合いがうまくいったから、今度は息子の見合いでも設けようかと思ってね。うちの息子も仕事人間でね、いつまでたっても結婚しなくて困っているんだ。ぜひ菱川君みたいな素敵な女性に嫁に来てもらいたいのだ。もし恋人がいるなら断ってもらっても構わないよ」
「そんな、恋人なんて……いません」
専務の息子さんですか……。専務と似ているのでしょうか?
わたしが好きなのは専務です。でも、この想いは実らないのです。もし息子さんと結婚したら……、義父と義娘として仕事以外にも一生付き合えるかもしれません。でも……。
「少し、考えさせていただけませんか?」
そう返答すると、専務はずっと欲しかった笑みをわたしに向けました。
「いい返事を期待しているよ」
胸が痛いです。専務への想いを抱えたまま、他の誰かと付き合うなんて考えたこともありません。好きな人に他の人とのお見合いを勧められるなんて……。わたしは何とも言えない気持ちのまま、仕事に戻りました。
果たして菱川さんの今後は一体どうなるのでしょうか??
全く考えていません。
次回で番外編更新は一時打ち止めです。その後は本編に戻ります。
ちなみに次回はラナと鮫島のとある日のデートです。