鈍感彼氏に愛の鞭を
お待たせしました。
元嫁事件の直後のお話。
何故だ。何故こんなことになってしまったのだろう。
「鮫島ぁ! 飲めっつってるだろーが!」
「いや、俺はもう……」
「ハァ? アタシの酒が飲めねぇっつーの?」
「そういうわけでは……」
「オラ、飲めよ!」
「……菊池君、どうにかしてくれ」
「無理。潰れるまで付き合って下さいね、鮫島さん」
※※※
歯車が狂い始めたのは、ラナが何かしらの理由をつけて俺の家に来なくなってからだと思う。せっかくあらためて結婚式の準備に取り掛かろうとした矢先だったので、そんな彼女の行動が理解できなかった。知らないうちに、俺は何かしでかしてしまったのだろうか。考えても心当たりがない。
はじめは「バイトが入った」と言われて「まぁそういうこともあるか」と納得したのだが、それ以外にも「姉妹で食事に行く」だの「同窓会があるから」だの、何かにつけて俺の誘いを断り続けた。
それだけじゃない。ラナと会えなくなってから一週間が経ち、とうとう携帯も繋がらなくなってしまった。式の打ち合わせがあるのに連絡が取れなくなるのに困り果て、自宅に連絡を入れてみれば、彼女の母親からとんでもない言葉を聞かされた。
「ごめんなさいね、鮫島さん。あの子、今まともじゃないから外出は無理だわ。申し訳ないんだけど、打ち合わせには一人で行ってもらえないかしら」
……まともじゃないって、どういう意味だ?
理由を聞いても言葉を濁され、納得できないまま引き下がった。
仕方なく一人で式場に向かえば、出迎えた三田さんは含みのある笑顔を浮かべていた。
「お待ちしてました、鮫島さん。今日はおひとりなんですね」
「はぁ、まぁ……」
その表情が意味深で何かあるのかと勘ぐりながら打ち合わせを進めるが、彼女の対応はごく普通だった。
首をかしげながら打ち合わせを終える。帰り際、三田さんに尋ねた。
「ラナと連絡が取れないんだが、何か知っているかい?」
「へぇ、そうなんですか。いいえ、知りませんけど」
本当かどうか疑わしい。怪訝な顔をしていると、彼女は唐突に訊いてきた。
「鮫島さん。明日の夜、お時間ありませんか?」
「大丈夫だけど、何か?」
「じゃあ駅に八時で」
そう言って、彼女は仕事に戻ってしまった。
彼女の行動が解せない。彼女に呼び出されるようなことをした覚えもない。非常に不安だが、もしかしたらラナが会ってくれない理由を知っているかもしれない。とにかくその理由が知りたかった。
次の日、約束の時間に三田さんは菊池君同伴で姿を見せた。二人に引きずられるように連れられたのは個室のある居酒屋。つまみを頼んでいると、三田さんは日本酒を一升瓶で注文していた。
……嫌な予感。
一時間もしないうちに、その予感は的中してしまう。俺はべろべろに酔っぱらった三田さんに絡まれていた。
「鮫島ぁ。アンタ、ラナが何で自分と会ってくれないかわからねぇっつったな? 何でわかんねーんだよ」
「わからないから訊いているんだが」
「かーっ、鈍感な野郎だな。アンタ、この前元嫁とその旦那とあの子の四人でメシ食ったらしーな」
「ああ」
ラナに聞いたのだろう。そのこととこの状況、どう関係があるのだろうか。
俺の返事に、彼女はすわった目で俺を睨み付けた。
「どーして? どーして一緒にメシ食うわけ? ラナの気持ち考えろっつーの。前に元嫁のことですれ違ってアレが暴走したの、もう忘れたのか。しかも別れた女と仲良く談笑? ラナ放置? 恋愛ナメてんのか」
「仲良くも談笑もしていな……」
「言い訳すんな、コラァ」
酷い絡み酒。絶対酒乱だな。
縮こまっている俺、手酌で日本酒をごくごく飲み干す三田さん、そしてそんな俺たちをニコニコしながら無言で眺めている菊池君。異様な光景だった。
「アンタさ、もしラナに元カレがいて一緒に食事とかされたらどうよ? 自分の前でニコニコ仲よさそーに笑い合われたらどうよ?」
「許せるはずがない」
ありえない。他の男と仲良く話すなんて、嫉妬でおかしくなりそうだ。それこそ危ないことに手を染めてしまうだろう。
彼女は酒が入ったグラスをドンとテーブルに叩きつけた。酒が零れて手が濡れるのもお構いなしだ。そして俺を刺すように睨み付け、声を荒げた。
「一緒だろーが!! ラナが許されないのに自分が許されるとでも思ってんのか? ちょっと顔がいいからってちょーし乗んなよ。顔面焼くぞっ」
怖っ。もしかして元ヤンか?
「アレは暴走が酷いんだから不安にさせるな!」
酔っ払いなのに間違っていることは一つも言ってない。そのことが不思議でしょうがないし、少し悔しい。どんどん自分が愚かだということを突き付けられて、俺は気落ちする。
彼女は身を乗り出し、正面に座る俺のネクタイを掴んで締め上げる。
「誓え、今ここで誓え。『金輪際元嫁とは会いません、話しません、話題にもあげません。見ざる言わざる聞かざる。他の女も同様』――はい、復唱!」
「……金輪際……」
「声が小せぇ!」
「『金輪際元嫁とは会いません、話しません、話題にもあげません。見ざる言わざる聞かざる。他の女も同様』です!」
やけくそのように大声で言えば、彼女はすわった目で俺を見ながら大きく頷いた。
「よし。じゃあ飲め。誓ったなら飲め」
「もう飲み過ぎだからやめなさ……」
「鮫島ぁ! 飲めっつってるだろーが!」
「いや、俺はもう……」
「ハァ? アタシの酒が飲めねぇっつーの?」
「そういうわけでは……」
「オラ、飲めよ!」
「……菊池君、どうにかしてくれ」
「無理。潰れるまで付き合って下さいね、鮫島さん」
ニコリと笑う菊池君が悪魔に見えた。
そして二時間後、三田さんが潰れて眠ってしまったことで、俺はようやく地獄から抜け出すことができた。
「三田さんっていつも酒が入るとこうなのか?」
菊池君に問えば、彼は自分の膝の上で眠る彼女の頭を愛しげに撫でながら、首を横に振った。
「まさか。みちるちゃんは普段日本酒なんて飲みませんよ。ストレスフルでどうにもならなくなったときぐらいかなぁ。今回はラナちゃんの話を聞いて怒っちゃったせいでしょうね」
俺は彼女の地雷を踏んだのか、そうなのか。
「僕もあり得ないって思いましたよ。ラナちゃんもどうかと思いますけど、鮫島さんが悪いですよ。みちるちゃんがそんなことをしたら、家に閉じ込めて誰にも会わせないぐらい許せないもんなぁ」
さらっと恐ろしいことを言わないでほしい。彼なら本当にやりそうだ。
ああ、飲み過ぎた。明日は二日酔いだろうな。休みだからいいけど。記憶をなくすタイプじゃないのが救いだな。
「悪かったね。俺の愚行のせいで」
謝れば、彼が彼女を抱き上げながら、なぜか恐ろしいほど笑みを浮かべた。
「いいえ、むしろお礼を言わなきゃ。みちるちゃんを潰してくれて、ありがとうございます。おかげで楽しい夜が過ごせそうです」
おいおい、一体何をする気だ。
怖くて確認することができないまま、タクシーに乗った二人を見送った。
一夜明け、案の定二日酔いで気分は最悪。割れるように頭が痛み、俺はベッドから出ずに横になっていた。
しばらくうとうとしていると、鍵が開く音がして玄関のドアが開いた。寝室に向かう足音がし、ラナが顔を出した。
「慎也さん。ずっと連絡できないで、すみませんでした」
すまなそうな顔をしていた彼女だったが、昼過ぎなのにベッドに横になっている俺を見て、心配そうな顔になった。
「どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」
「ああ、ちょっと二日酔いで……」
そばに寄って来て、床に座った彼女。よく顔を見れば、目の下にクマができていた。
「クマ、どうしたの?」
「実は連絡取れなかったのは、純樹兄ちゃんがらみの例の仕事があったからなんです」
そういえばソフトウェアの開発に関わるようなことを言っていたな。
「急に呼び出されて、仕事の話を聞いたんですけど、やっぱり二年その世界から遠ざかっていればいろいろ変わりますね。結構忘れていることも多くて、それを必死に勉強してました」
「じゃあお姉さんとの食事とか、同窓会は嘘?」
「嘘じゃないです。……とはいえ、意図的に慎也さんの誘いを断っていたのは事実ですけど」
その言葉に眉を顰めた。おかしいと思ったんだ。そうそう予定が埋まっているなんて。
「どうしてそんなことを?」
口ごもる彼女を促せば、言いづらそうに口を開いた。
「みちるに彩さんたちと食事したことを言ったら怒られて、『しばらく会うな』って。よくよく考えたら、もっと怒ってもよかったかなぁと自分でも思ったのもあったんです。でもそんなことをしているうちに例の仕事が来てしまって、本当に会えなくなっちゃったんです。我儘ばかりで、自分勝手でごめんなさい」
そう言って、ぺこりと頭を下げる。やはり三田さんの差し金か。
妙に納得していると、俺を窺うように視線を送ってきた。
「慎也さん、怒ってます?」
「怒ってはいないけど……」
「いないけど?」
「……寂しかったな」
本心を告げた。週の半分以上は彼女と一緒だったので、一人でいる部屋はなぜか広く、そして寒く感じた。ずっと一人で暮らしてきた部屋なのに、彼女と一緒にいる場所とは思えないほどだった。
「……わたしも寂しかったです」
そう言って、ラナは横になる俺の額に自分のそれを重ねてきた。その隙に抱き寄せて、ベッドの中に引きずり込む。
「ごめん。ラナの気持ち考えずに彩たちと食事なんかして、ごめん」
ギュッと抱きしめながら小声で謝る。すると俺の腕の中で、彼女は顔を上げた。
「もういいですよ。今後はしませんよね?」
「もちろん。三田さんに誓ったから」
すると何やら不満そう。
「みちるじゃなくて、わたしに誓ってください。みちるとお酒飲むとか……ちょっと嫉妬します」
「いや、菊池君も一緒だから。でもラナにも誓うよ。これからは彩のことも他の女のことも、見ざる、言わざる、聞かざるだ」
その言葉に表情を綻ばせて、嬉しそうに俺の胸にすり寄って来た。
「慎也さん」
「何?」
「好き」
「俺も」
答えると嬉しそうな顔をして、俺の頬に口づけた。そして二人笑いあった。
いい雰囲気だなと思っていると、突然空気を読まない彼女が「そうだ!」と大声で叫んで、飛び起きた。
ううっ、頭に響くから、もっと声を抑えて欲しい。
彼女はかばんを引き寄せ、その中から箱を取り出した。
「忘れてました。慎也さんにプレゼントがあるんです。はい、どうぞ」
差し出されたそれから、甘い香りがした。
「これ、チョコレート?」
「はい。バレンタインは終わっちゃったけど。今年は手作りですよ」
「ありがとう。食べてもいい?」
「食べても平気なんですか?」
「多分……」
箱を開けてチョコレートを一つ掴み、口に入れた。
※※※
「馬鹿だとは思っていたけど、骨の髄まで大馬鹿者だったのね、あんた」
「ほ~んと。僕なら絶対許せないけどねぇ~、そんなことされたら」
みちるとおまけの菊池くんと一緒にご飯を食べに来ました。ついこの間、元嫁とその旦那さんと会って一緒に食事したことを話したら、こんな冷たいお言葉をいただきました。
「でも慎也さん、ちゃんと謝ってくれたよ?」
「やっぱり馬鹿だわ。そもそも同じテーブルで食事していることがおかしいの。適当に挨拶だけ交わして、別れるのが正解」
「いやいや、むしろ無視するのがマナーじゃない? 相手も相手だよ。今の旦那といるのに元旦那に話しかけに行く? 知らん振りするのが普通でしょう。そんなの子供でも分かることだよ」
当人のいないところで、ものすごく非難されている慎也さん。ごもっともだけど、ちょっとかわいそうだなぁ。
「元嫁が話しかけてきたのは、旦那さんに焼きもち妬かせたかったからだって」
そう言った途端、
「「ありえない!!」」
二人が声をそろえて叫んだ。
うわ、タイミングぴったり。やっぱり仲いい。
「どれだけ身勝手で自分本位な女なのよ。そんな理由で無関係のあんたに不快な思いをさせて、『ごめんなさい』で済むと思ってるの?」
「鮫島さんって女の趣味悪いんだね」
「ちょっと菊池くん。その言葉は聞き捨てならないよ」
「あ、ごめん。『悪かった』に訂正しとく」
「鮫島さんにお灸据えた方がいいんじゃないの? 結婚前にガツンと」
えーっ。お灸って言われてもなぁ……。
「どうすればいいのさ」
そう訊けば、みちるがニヤリと笑う。不気味な笑顔……。
「わたしにいいアイディアがあるわ。少しの間、会わずに放置しておきなさい。その間にガツンとかましてやるわ」
それから数回、慎也さんの誘いを断り続けた。みちると菊池くんの言葉を聞き、今さらだけどもっと怒ってもよかったなぁなんて思う自分がいることに気付いたし。
でもそうこうしているうちに純樹兄ちゃんからの仕事のお手伝いが来てしまい、やるからには完璧にこなしたいからプログラミングにかかりきりになってしまった。
家に閉じこもり、携帯の電源が切れてしまったことにも気づかず、式の打ち合わせのことも頭になかった。睡眠時間を削り、ようやく一段落ついた頃、母から慎也さんから連絡が来たことを聞いた。
携帯を充電してみれば、着信、メールがかなりの件数あって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。お詫びの気持ちも含め、過ぎてしまったバレンタインの手作りチョコで慎也さんのご機嫌を取ろうと思う。
母に手作りチョコの方法を聞けば、「市販のチョコを溶かして固めるだけ」と言われ、「何だ、簡単じゃーん」と挑戦したら、なぜか固まらない。どうしていいかパニックに陥り、固まりそうな食材を片っ端から入れてみた。型に流し込み、不安だったけど何とか固まった。ラッピングした後に「そういえば味見しなかったなぁ」と思ったけど、料理の腕も上がって来たし、大丈夫だよね。
ちょうどみちるから「ガツンと言ってやったから」という知らせを聞いたので、チョコレートを片手に彼の家へ向かった。
彼はらしくなく、昼過ぎだというのにパジャマのままベッドに横になっていた。少し顔色も悪い。
すぐにみちるのガツンと結びついた。ああ、絡まれたんだ。嫌というほど飲まされたんだ。みちるは飲み過ぎると人格変わるからなぁ。で、一旦眠って起きると超デレるんだよなぁ。彼女のデレは貴重だ。
でも慎也さんにデレるみちるは嫌だなぁ。いくら親友でも、それは駄目。
きっと菊池くん同伴だろう。彼がそんなチャンスを見逃すはずがない。間違いないっ、と思ったらやっぱりそうだった。一安心!
それからみちるに誓ったらしいことをわたしにも誓ってくれた。そりゃ仕事関係で他の女性と接する機会なんてたくさんあるだろうから、そんなこと無理なんだけど、気持ちだけで嬉しいな。
で、久々にちょっといちゃついてから、思い出したようにチョコレートを手渡した。二日酔いって言ってたから食べられるか心配だったけど、彼は一つつまんで口に入れた。もぐもぐと口を動かしているうちに、どんどん顔色が悪くなっていった。ベッドから飛び起きて、走ってどこかへ行ってしまった。
慌てて追いかけると、どうやらトイレへ駆け込んだみたい。ああ、やっぱり二日酔いが酷いんだな。みちるめ、飲ませ過ぎだぞ。慎也さんは結構お酒強いのに。どれだけ飲ませたんだか。
真っ青な顔をした彼が出てきたので、薬箱から薬をだし、水と共に手渡した。
「慎也さん、大丈夫ですか? はい、二日酔いの薬です。飲んでください」
彼は目を見開いてわたしを一瞥した後、戸惑いながらそれを受け取った。その反応はもしや、わたしがそんな気を利かせるとは思いもしなかったってことですか? 失礼な!
飲み終えたところで、彼の背中を押して寝室に戻る。で、ベッドに寝かせた。
「今日はゆっくり休んでくださいね。みちるにはやり過ぎだって文句言っておきますから」
なんか不服そうですね。休まなきゃ駄目でしょうが。
「あ、チョコどうでした? 手作りは溶かして固めるだけって言ってたのに、なかなか固まらなくて大変でした」
彼が斜め上を見ながら何か納得したみたい。うーん、何考えているのか、さっぱりわからん。
すると弱々しい声で彼が言った。
「あのさ、ちょっと甘すぎるから……来年からはまた甘さ控えめの市販のチョコレートがいいな……」
「そうですか? そういえば、普通のチョコレート使っちゃいました。ごめんなさい。気づかなかったです」
そっか。今年は忙しかったから、甘さ控えめとか全く頭になかったな。失敗!
じゃあ来年はちゃんと甘さ控えめのチョコレートで作ろうっと。
慎也さん、期待していてくださいね。
とどめは自分で刺したラナさん。
料理は上達しても、お菓子作りはまだ駄目らしいです。




