一族郎党、お仕置きの時間
本編「捨てる決意」での小話の続きです。
本編、小話と続きで読まないと、話が続かない恐れがあります。
当然、菱川さん視点。
竹田専務の命により、松浦の社長、専務を弊社にお呼びしました。
お二方がいらっしゃるのを待つ間、これから繰り広げられるであろう恐怖の宴が楽しみで、わたしのワクワクが止まりません。
専務は微笑みながらも沈黙を貫き、松浦のご令嬢はいつ食べられるかと怯えている小動物のようです。実際はそんなかわいいものではな……、ゴホン。
――失礼しました。最近失言が多くて困りますね。気を引き締めなければいけません。
電話から三十分後、受付からお二方がお見えになったと内線で知らされ、わたしはお迎えに参りました。
ロビーに降りてみれば、令嬢の父親である社長はすでに涙目、姉の専務は血の気が引いた真っ青な顔をしていました。お二方を確認し、わたしは頭を下げました。
「突然のお呼びして申し訳ございません。わたくし、専務付き秘書の菱川と申します。応接室でお嬢様がお待ちです。ご案内いたします」
こうして先導し、エレベーターに乗り込みました。そこで社長さんが恐る恐る訊いてきました。
「菱川さんと言ったね。……その、うちの娘は一体何を……」
あら、ご存じではないようです。しかしわたしの口からご説明するわけにはまいりません。鍛えに鍛えたスマイルで、お答えしました。
「それは専務から申し上げますので」
何が悪かったのでしょうか? わたしの言葉に社長さんはハンカチを取り出して目元を覆い、専務さんが「パパ、しっかりしてよ!」と叱咤しておりました。
うーん、この営業スマイルは、まだまだ修行が足りないということでしょうか……。
応接室に到着しました。ノックをし、専務の許可を得て扉を開きました。
「お連れいたしました。どうぞお入りください」
二人が入室したのを確認し、扉を閉めました。ここでようやく金縛りが解けたようにご令嬢が声を上げました。
「パパ! お姉ちゃん!」
その言葉を無視したお二方は、専務に恭しく頭を下げました。
「竹田専務、ご無沙汰しております」
「ご足労いただき申し訳ありませんね。どうぞ、お掛け下さい」
そしてお二方はご令嬢の隣に座りました。それを確認し、お茶をお出ししました。
専務はわたしが元の立ち位置に戻るまで、口を開きませんでした。部屋の空気が重いです。それは松浦ご家族にとって、きっと恐怖以外の何物でもないでしょう。
専務、流石です。わたしは専務の意図を理解し、少し遅い動作で専務の隣に控えました。
「さて、今日お二方をお呼びしたのは他でもない。おたくのお嬢さんが何をしていたか、ご存知かどうかお聞かせいただきたい」
「あの……娘は一体何を……?」
お二方とも、やはり心当たりがないようです。専務は大きくため息をつき、わたしに視線を向けました。
「ご存じないようだよ、菱川君。どういうことだろうね?」
「おっしゃる通りでございます」
「何も知らないまま責めてはかわいそうだ。ご説明しましょう。菱川君、頼むよ」
「承知いたしました。では、説明させていただきます」
ということで、わたしは概要を話し始めました。
弊社と松浦で商談があったこと、社長の名を出して担当の座を奪い取ったこと、弊社の担当者を無視して鮫島課長一人と取引しようとしたこと。
しかも商談を盾に交際を迫ったり脅迫や圧力をかけたりと、業務から大幅に逸脱する行為で弊社の業務を妨害したこと。
「さらにお嬢さまは本日、契約締結の権限がないにもかかわらず、一人で弊社に来社されました。そして鮫島に彼の恋人と別れて自分と交際しなければ、契約は白紙にする、と。それはご存じでしょうか」
わたしの問いに社長さんは驚きで目を見開き、専務さんはご令嬢に鋭い視線を向けました。
「あんた、何でそんな勝手なことを!」
「ごめんなさい、でも……」
「でもじゃない! あんた自分が何したか、わかってんの!?」
専務さんの怒号に、とうとうご令嬢は泣き出してしまいました。社長さんが情けない声を上げます。
「泣きたいのはパパだよ、麗華ちゃん」
「竹田専務、弊社の社員が大変ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございません」
専務さんが立ち上がって頭を下げました。それにつられるように、社長さんとご令嬢も立ち上がって頭を下げました。
どうやら松浦は専務さんでもっているようです。社長さんは情けないですね、すぐ泣くなんて。でも専務さんはご令嬢のことを妹ではなく、一社員と仰っているところが少し好感が持てます。
専務は謝罪する三人を一瞥し、口を開きました。
「それだけではない。彼女は彼を後々御社の重役として迎えたい、などと言った。よく弊社内で社員を引き抜くような話ができたものだ。それはあまりにも非常識だ」
実はこの応接室での会話の内容は、隣の部屋には丸聞こえなのです。それを知っているのは社内でもごく一部。大きな契約を締結するときは、必ずこの応接室を使うことになっています。契約時に不正がないか、誤りがないかを第三者がチェックできるように。もちろん録音もできます。
それゆえ課長とご令嬢の会話は、初めからわたしたちに筒抜けでした。盗み聞き、とも言いますが。
専務は先程までの穏やかな顔が、今は冷酷な表情に変わっています。声も低く、怒気が伝わってきます。そろそろ来ましたね、恐怖の時間が。
「それにね、これを見ていただけるかな?」
専務が懐から取り出したのは、鮫島課長が提出した退職願でした。
「鮫島がそちらのお嬢さんの脅迫紛いの告白を断りつつ、この契約を締結させるために提出したものだ。彼はね、私が目を掛けるほど優秀な男だ。将来的に弊社になくてはならない存在になると見越して、そのように教育してきた。彼が抜けたら、損失は計り知れない。この責任はどうしていただけるのかな?」
専務はきっと、この退職願は受理しないでしょう。でもそれをこの一家を追い詰めるためにうまく利用しています。
「それにね、お嬢さんがうちの鮫島に交際を迫ったのは、柏原のご子息・直樹君の命令らしいんだ」
「え……?」
驚く松浦家のお二方。
そうそう。このご令嬢、課長に本気ではなかったんですよね。なんて迷惑な。
「まだ彼に本気なら恋する乙女の暴走で片づけてもよかったのだが、こんな陰謀めいたことがあったらね。そんなものに振り回されたこっちはどうすればいいのだ。本来なら彼女の直属の上司を呼びつけるところだが、こんな理由で振り回されたら上司もかわいそうだ。そちらも内輪で処理したいだろうからね。この判断に感謝してもらいたいぐらいだ」
「本当に申し訳ございません」
専務さんは平謝りするしかない。専務は更に追い詰めます。
「それにね、鮫島の恋人は柏原会長の孫娘――つまり直樹君の従妹だ」
その言葉に、ご令嬢が目を丸くして驚いています。課長の恋人の素性、知らなかったんですか……。杜撰すぎますね、いろいろと。
しかし以前少しだけ見たあの女性、柏原の血縁者ですか。それならあの権力に弱い人事部長が土下座しますね。納得です。むしろ土下座で許してもらえただけ奇跡でしょう。いっそ首になればいいのに……。おっと、また失言でした。どうかお忘れください。
「それこそ内輪の話だが、生憎直樹君の勝手な暴走らしい。純樹君が憤慨していたからね。柏原に何とかしてもらおうとしても無駄だよ。お嬢さん、君もそれ相応の処罰は覚悟しておいた方がいいだろう」
専務のお供で面識のある、柏原の後継者であるその人をぼんやり思い浮かべます。すべてが整い過ぎて、少し怖い方です。サイボークみたいだと思ってしまいました。
彼の名前が出た途端、専務さんの表情が強張りました。不快だと顔に書いてあるかのようです。仲、悪いんですかね? それを押し隠し、彼女はこうべを垂れました。
「重ね重ね、申し訳ありません」
専務は三人に鋭い視線を向け、きっぱり言いました。
「言葉での謝罪はもう結構。それを行動で示していただけるかな」
考え込むように黙り込んだ社長さんが頭を下げて言いました。
「わかりました。本件の契約は、御社の条件を全面的に呑みます」
その返答に、専務は満足そうに頷きました。この契約は両社に利点はあるものの、若干弊社が不利でした。それをひっくり返せるとなると、利益は格段に上がります。専務はこれが狙いだったのです。
もう素敵過ぎます。痺れます。もう他の男性などアリンコみたく、ちっぽけに見えます。
「いいでしょう。それでこの件は終わりにしましょう」
それから専務はご令嬢に視線を向けました。
「お嬢さん。自社で好き勝手するのは構いませんが、他社が関わる事案でこのような振る舞いをすることは金輪際おやめなさい。あなたもいい大人なのだから、少しは考えて行動したまえ」
笑顔なのに、ものすごく怖いです。ご令嬢は泣きながらガタガタ震えています。
「返事がないが?」
「……は、はい!」
慌てて返事をしている様子は、先ほどまでの気位の高さが微塵も感じませんでした。
それから本来の担当者である森口さんを呼びました。契約を交わし、無事商談はまとまりました。
松浦の皆さんは、ぐったりと疲れ切った様子でお帰りになりました。
ようやく一息ついたところで、専務にお茶をお出ししました。
「専務、伺ってもよろしいですか?」
「ああ、何だね?」
「鮫島課長もパーティーの招待状をお持ちのようでした。それなのに専務の招待状を使うようにおっしゃったのはなぜですか?」
専務は納得したように答えてくださいました。
「理由は二つ。一つ目は本当に私の代理が必要だったから。もともと出席する予定だったのが、この件で行けなくなってしまったからね。二つ目は鮫島君が自身の招待状で行くと、受付で追い返される可能性があったから」
「招待状を持っているのに、そんなことがあるのですか?」
わたしの問いに、専務は疲れたように眉間を揉み解しています。
「ありうるのだよ。直樹君は、仕事はまぁまぁできるのだがその……少し考えなしのところがあるからね。彼が鮫島君に招待状を渡した時点でそれはないとは思ったが、まぁ念のため」
なるほど。柏原の次男は少々おつむが弱いようです。それはそうでしょう。課長個人への攻撃ならいざ知らず、会社まで巻き込むなんて愚かとしか言いようがありません。長男がしっかりしているからいいようなものですね。
一度お会いして、どれほど愚かで能無しなのか、確かめてみた……。どうしましょう、失言が止まりません。
納得していると、専務から労いのお言葉をかけていただきました。
「菱川君、すまなかったね。少し遅くなってしまった」
「いえ、大変興味深いものを拝見させていただきました」
その返答に、専務は笑ってくださいました。
「さすが私の秘書だね、菱川君。君のそういうところが、私は気に入っているよ」
――――まずいです。衝撃を受けました。今日はハッピーデイなのでしょうか。もう一生分の幸福が、今日という日に凝縮されたのかもしれません。
飛び上がって踊りだしたくなるような歓喜を押し隠しながら、平静を装って頭を下げました。
「恐れ入ります」
やはり専務、あなたは素敵です! ずっとあなたのおそばにいさせてくださいね!
副題「菱川さんのハッピーデイ」(笑)