おっさん 石に転生する
「石になれるゲームがマルチプレイを実装」という記事を読みびっくりしたので執筆しました。
小さな村を見下ろす丘の上、枝を大きく広げた一本の木の根元に、一つの石がどっしりと腰を下ろしていた。
いや、石に「腰」なんてものはない。だが、そんな気がしてしまうのは、俺がかつて人間だったからだろう。
前世――そう呼んでいいのかは分からないが、俺は日本で暮らすアラフォーのサラリーマンだった。
クリスマスの夜に彼女に振られ、職場でもミスをやらかし、やけ酒にストゼロを六本空けていた。
酔いながらネット掲示板をだらだら眺めていると、妙なスレが目に入った。
「石に転生して千年耐えたら百万円」
以前流行った「五億年ボタン」の亜種らしい。最近では「ショッピングモールで一年過ごしたら百万円」とか、そんなバリエーションが乱立している。
酔っていた俺は、「余裕だろ」と書き込んだ。
――その瞬間、モニタがまばゆく光り、気がつけば俺はこうして石になっていたのだった。
石になってから、およそ三年が経った。この世界にもどうやら四季というものがあるらしく、なんとなく季節の巡りで時間を測っている。
当初は絶望感でしかなかったが、最近は開き直り石としての人生を歩んでいる。
石という事もあり残念ながら、思考はできても喋ることはできない。
視界は不思議なことに三百六十度。全方位、どこでも見える。
身体と呼んでいいのか分からないが、感覚はある。ただし痛みは感じない。
もちろん腹も減らず、動くこともできなかった。
……だが、転生といえばやっぱりスキルだろう。そう、俺にもスキルがあったのだ。なんと苔を生やすことができるのだ!
地味? いやいや、意外とこれが悪くない。暇つぶしにはなるし、髪型を模して伸ばして遊ぶこともできる。
と、強がってはみるがやはり退屈には変わらないのだが。
季節は、寒い時期から新緑の芽吹く季節へと移り変わっていた。
隣の木には紫色の花が咲き、時おり花びらが風に乗って舞ってくる。
村のほうから、いつもの駆け足の音が近づいてきた。
ふたりの子どもが丘を駆け上がってくる。そして、いつもの「勇者と聖女」ごっこを始めるのだ。
勇者や聖女が出てくるってことは――やっぱりこの世界、そういうファンタジー寄りなんだろうな。
アデルという名前の男の子が、棒切れを振り回して叫ぶ。
「出たな! スライム!」
そう言って、俺をペチペチと叩きはじめた。
「リディア! 結界をたのむ!」
どうやら、勇者アデルはスライムに苦戦しているらしい。
……俺もこのくらいの年のころは、よく仮面ライダーごっこをやったっけ。
懐かしさに浸りながら、俺は視界を細めてふたりのやり取りを見つめていた。
季節は暑さを過ぎ、隣の木には小さな実がつきはじめていた。
夜の風に撫でられながら、俺はいつものように空を仰ぐ。
すると遠くの街道からはランタンの灯がゆらゆらと揺れながら近づいてくる。
やがて、ひとりの男が現れた。
足取りはおぼつかず、衣服は埃にまみれ、旅人にしてはあまりに軽装だった。
中年の男は木の根元に腰を下ろし、深い溜め息を吐く。
しばらく俯いていたが、ふと何かを思い立ったように立ち上がると、鞄から麻のロープを取り出した。
端に結び目を作り、枝に向かって何度も放り投げる。――やがてロープは枝に掛かり、輪を作り始めた。
あれは「クリンチノット」キャンプにはまっていた頃、よく使っていた結びだ。
――って、おいおい! まさか、そんな……!
おい、やめろ! おっさん、早まるな!
叫んでみたが、もちろん声など届くはずもない。
出来た輪っかに手をかけ男は俺に片足を乗せる、震える足で体を持ち上げようとしていた。
こんなとこで死なれても困る! 何か出来ることはないのか!? 何か……。
俺に出来る事――そうだ、苔を生やす事が出来るじゃないか。
必死に念を込め、集める。
男がもう片方の足を浮かせた、その瞬間――。
俺は全力で、足元に水気をたっぷり含んだ苔を生やした。
男の足がズルリと滑り、身体はそのまま地面に崩れ落ちる。
やがて、静寂の中で男の肩が震え、嗚咽が漏れた。
それはやがて子供のような泣き声へと変わた。
俺はただ、泣き続ける男を見つめていた。
風がまた枝を揺らし、月がそっと照らしていた。
――それから、数年が経った。
いつものように、「勇者と聖女」がやってくる。
最近の勇者様は、荒く削った木剣と、鍋の蓋を盾にして装備を整えている。そして俺は……スライムからドラゴンへと進化していた。
「くらえっ! グランドスラッシュ!」
(ぐわー!)
「今だ、リディア! 殲滅魔法だ!」
……いや、聖女なのに殲滅魔法って。
リディアのほうに目をやると、聖女様は戦闘そっちのけで草花を編み、花の冠を作っていた。
――飽きたか。まあ、そうだよな。
さらに数年後。
リディアは髪を伸ばし、すっかり大人びた姿になっていた。
木の根元で静かに本を読み、その隣では、背が伸びたものの相変わらず寝ぐせのままのアデルが、俺の上に腰を掛け、木片をナイフで削っている。……できれば女の子に座ってもらいたいものだ。
ふたりはおそろいの制服を着ていた。どうやら学校に通っているらしい。
言葉は交わさずとも、互いの空気が伝わってくる。
俺はふと昔を思い出し、アオハルな気持ちに心がくすぐったくなった。
――そしてさらに三年後。
アデルはリディアの前で跪き、その手を取って愛の告白をした。
リディアは微笑みながらそれを受け入れる。
アデルは照れくさそうに寝ぐせ頭をかき、リディアを抱きしめてキスをした。
風が吹き、紫の花びらが空へ舞い上がっていく。
……おいおい、見せつけてくれるじゃないか。
酒持ってこい! リア充爆ぜろ! 祝ってやる!
次の日、ふたりは村の入り口に立っていた。
アデルは革のベストに身を包み、木剣や鍋の蓋ではなく、真新しい鋼の剣と盾を携えていた。リディアは赤い宝石のついた杖を手にしている。
しばらくすると、弓を持った男と軽装の女がふたりに合流した。
四人は軽く言葉を交わし、村を後にしていった。
それから十数年の時が過ぎた。
その間、アデルとリディアの姿を見ることはなかったが、俺の周りではさまざまな出来事が起こっていった。
精霊と話せるという盲目のシスターが現れ、俺を石の精霊と勘違いしたことから始まったドタバタ劇。
またある年、村が賊に襲われた。
だが幸いにも、隣町の自警団が駆けつけ、村は壊滅を免れた。
そして時が経つにつれ、この丘の周りも少しずつ変わっていった。「この地に城を建てるらしい」と、旅人たちの噂が聞こえてくる。
森が削られ、整地が始まっていた。
そして、ある日。
アデルの姿があった。
村を出たときの少年の面影はもうなく、白銀の鎧に身を包み、透き通るように美しい鞘に納められた大剣を携えていた。
その体には、数え切れぬ古傷と生傷が刻まれており、全身から疲労が滲み出ていた。
――だが、その隣に、リディアの姿はなかった。
アデルは唇をかみしめ、俺を見下ろしていた。
その瞳には、悲しみ、苦しみ、そしてどこか安堵のような光が混ざっていた。
やがて、大粒の涙がぽたぽたと俺の上に落ちる。
静かに大剣を抜くと、アデルは両手で剣を下向きに構え――そして、俺に向かって振り下ろした。
刃が触れた瞬間、俺の全身に電流のような衝撃が走る。
アデルの記憶、戦いの数々、喪失の痛み、そして――リディアの笑顔。
そのすべてが、俺の中に流れ込んできた。
アデルは剣から手を離し、俺に突き刺したまま背を向け、ゆっくりと村へと歩き去っていった。
……それが、アデルを見た最後だった。
後に魔王討伐の噂を聞いた。
時は流れ、村はやがて街へと姿を変えた。丘の奥の森は切り開かれ、高い城壁が築かれ、その中心に大きな城が建てられた。
老木の根元には、今も一本の剣が突き刺さったままの石。
紫色の花びらは昔よりも少なくなったが、風に乗って空へ舞い上がる。
石は空を見上げる。
変わらぬ空の下、二羽の鳥が円を描きながら飛んでいた――
後に剣の刺さった石は剣聖の王女に振り回されることになるがそれはまた別の話である。
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