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【コミカライズ化】一人目の婚約者を姉に、二人目の婚約者を妹に取られたので、猫と余生を過ごすことに決めました

作者: ヨルノソラ
掲載日:2025/06/09

「ごめんなさい、お姉様! 私、エドワード様を好きになってしまいました」


 妹は申し訳なさそうに私を見る。

 彼女の揺れた瞳は後ろめたさの表れだろうか。


 エドワード・シヴァルリー侯爵。再来月には、私は彼と籍を入れる予定だった。

 しかしなぜかエドワードは妹の隣に立っていて、浮かない顔をしている。


「すまない、ミゼリア。俺は気づいてしまったんだ。君の隣ではなく、セリーナの隣で生きたいと」


 どうして私より妹なんだとか。まず不貞行為にあたるんじゃないかとか、言いたいことは湯水のように湧いてくる。なのに、うまく口が動いてくれない。

 

 目の前の現実が私の背中に重くのしかかる。



 私はまた”捨てられた”のか。



 そう、また、私は捨てられたのだ。


 初めての婚約者──ロラン・ルルセルージュ子爵も、私との婚約を破棄して姉と駆け落ちした。


 そして今度は、妹が私から婚約者を奪った。


 ──なんでいつも、こうなるんだろう


 私は感情の昂りを抑えきれず、逃げるようにその場を去った。






 それから数年が経ち二十七歳になった春。

 私は人里を離れて辺境の古い屋敷を買い取った。


 築五十年は経っているが、頑丈な石造りで一人で暮らすには十分なほどだ。


 荷物を運び入れている時、玄関先で小さな鳴き声が聞こえた。


 足元に、グレーの毛色をした猫がいた。

 毛玉だらけで、痩せ細っていて、左の前足を引きずっている。


「あなたも一人なのですか」


 そっと近づいて手を差し出す。

 猫は恐る恐る匂いを嗅いだ。そして、私の指先に頭を擦りつけてくる。


 瞬間、胸の奥で何かが温かくなった。凍りついていた心の一部が、溶けていく気がした。


「帰る場所がないなら、ここで私と一緒に住みませんか?」


 猫は首をかしげて私を見上げる。


「人間を連れてこないと約束できるのなら、ですけど」


 猫は短く「にゃあ」と鳴いた。私はそれを同意したものと捉えることにした。



 その夜、猫は暖炉の前で丸くなって眠った。私は長い間その寝顔を眺めていた。



 自分で言うのも変だけれど、私は決して醜くはない。でも特別美しくもない。

 茶色の髪、薄い茶色の瞳、やや丸い顔。「上品だが印象に残らない」と、気遣いを知らない婦人に言われたことがある。きっとそれが私の正当な評価なのだろう。


 でも、もういい。愛されなくても、この()がいればそれだけでいい。




 猫には「シエラル」と名付けた。

 最初の数日は、お互いに探り探りだった。シエラルは私が急な動きをすると身を縮めて逃げようとする。おかげで左足の怪我を手当するのも一苦労だった。


「痛いでしょうけど、我慢してくださいね」


 薬草を煎じて作った薬液で傷口を洗い、清潔な布で包帯を巻く。シエラルは最初こそ嫌がったものの、私に悪意がないと理解してくれてからは大人しく手当てを受けてくれるようになった。


 一週間も経つとシエラルの警戒心は薄れていった。

 私が読書をしていると、椅子の下に潜り込んで私の足元で小さくなっている。


「一緒にいてくれるんですね」


 私は微笑みながら、そう呟いた。


 二週間が過ぎた頃、シエラルの行動に変化が現れた。

 私音ベッドに潜り込むようになってきたのだ。


「おはようございます、シエラル」


 声をかけると小さく「にゃあ」と鳴いた。

 足の怪我も順調に回復し、シエラルは見違えるほど美しくなった。

 グレーの毛は銀色に近く、陽の光に当たるときらきらと輝く。


「実は美人さんだったんですね、シエラル」


 ブラシで毛を整えてあげると、シエラルは気持ちよさそうに目を細めた。




 一ヶ月が過ぎる頃には、シエラルは完全に私の生活の一部になっていた。

 シエラルはいつ何時も私のそばにいるようになった。


 例えば、私が暖炉の前で本を読んでいると、シエラルが膝の上に飛び乗ってくる。

 最初は遠慮がちだったが、今では当然の権利とばかりに堂々と膝を占領する始末だ。


「重たいですよ、シエラル」


 私が苦笑すると、シエラルはふりむいて「にゃあ」と短く鳴くだけ。退いてはくれない。


「あなたの毛は本当に綺麗ですね」


 シエラルは目を細めて、喉をゴロゴロと鳴らす。この音を聞いていると私の心も穏やかになっていく。過去の痛みが薄れていくのを感じた。



 

 

 一年が経つ頃には、私の心は婚約を破棄されたあの頃とは比べ物にならないほど穏やかになっていた。


 庭に新しい花を植えている時、シエラルが興味深そうに球根を見つめている。


「これはパンジーの球根。春になったら綺麗な花が咲くんです」


「にゃあ」


「シエラルも楽しみにしていてくださいね」


 シエラルは小さく鳴いて私の手に頭を擦りつけてくる。

 人を愛することの痛みを知った私にとって、シエラルとの関係は全く新しい愛の形だった。このまま誰にも邪魔されず、この幸せをずっと噛み締めて生きていきたい。


 と、そう願った矢先のことだった。


「ニャアッ」


 シエラルが突然、毛を逆立ててあさってを見つめた。

 こんな警戒した様子を見るのは初めてだ。侵入者を警戒するように低く身構えている。


「ど、どうしました? シエラル」


 私はただならぬ予感を覚え、恐る恐るシエラルの視線の先を見る。


 と、数十メートル先に人影が見えた。

 だんだんとこちらに近づき、輪郭がはっきりしてくる。


 年の頃は二十代半ばの男性。質素だが上質な服を着ている。でも、その顔は苦痛に歪んでいて、右足を庇うようにしていた。


「あ、よかった。人だ……」


 私はシエラルを咄嗟に抱きかかえ数歩後ずさる。

 彼は木の杖を地面に落とし、深々と頭を下げてきた。


「その、道に迷ってしまいまして、少し休ませていただけないでしょうか!」


 私の心臓が早鐘を打った。

 私の家に、他人を上げるつもりはない。特に男性なんて論外だ。


 けど、彼は右足を負傷していて、見ているだけでも辛そうだった。

 一番近い人里にいくには、馬を使って二時間。徒歩では一日じゃ足りないだろう。なによりこのまま見捨てるのもリスクだ。いくら手負いとはいえ、相手は男性。力では勝てない。


「どうぞ、中に入ってください」


 彼を空き部屋に案内する間、シエラルはずっと後をついてきた。でも、さっきとは打って変わって敵意を示さない。むしろ、興味深そうに彼の匂いを嗅いでいる。


 空き部屋に布団を敷く。その上に腰を落とした青年は深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。僕はセス・アレストリアと申します」


「ミゼリアです。ただのミゼリア」


 そう名乗ると、シエラルが彼の膝の上に飛び乗った。


「この子は?」


「シエラルです。あなたのことを気に入ったみたいですね」


「ほんとですか、えへへ、嬉しいな」


 セスは照れ臭そうに微笑んだ。


 その笑顔に不覚にもドキッとした。私はいまだに、人肌を求めているのだろうか。

 もう一人で──ううん、シエラルと二人で生きると決めたのに……。




 翌朝、セスは足の調子を確かめながら居間に現れた。


「泊めていただきありがとうございました」


「もう出発されるおつもりですか?」


「はい。お世話になりました」


 何日も居座られると思ったがあっさりと出ていってくれるらしい。

 この家は私とシエラルだけの空間。これ以上、他人がいていい場所ではない。


 なのに、私は自分の意思に反することを口にした。


「まだ腫れています。もう一日安静にしていてください」


 人付き合いを避けていたせいで、人恋しくなっているのかもしれない。由々しき事態だ。本当に。


「いえ、ですがこれ以上ご迷惑をおかけするわけには」


「迷惑ならば最初から泊めたりしません。余計な気遣いは無用です」


「じゃ、じゃあお言葉に甘えていいですか」


「いいと言っていますよね」


 私は少し棘がある物言いをした。セスは頬を指先で掻きながら、はにかむ。


 その日から明確に彼との共同生活が始まった。

 数日の予定が一週間になり、二週間になった。セスの足はもう完全に治っていたが、出発の話は出なかった。なぜか私も追い出そうという気持ちが湧かなかった。


 セスはできることを見つけては、積極的に家のことを手伝ってくれた。

 壊れていた屋根の瓦を直し、庭の雑草を取り、薪割りまでしてくれる。その手つきは器用で、明らかに上流階級の出身なのに労働を厭わない。



 ある日、村の市場に一緒に出かけることになった。

 私を見るなり野菜売りのおばさんが声をかけてきた。


「あら、ミゼリアじゃない。ずっと山奥に籠もってるから心配してたけど、素敵な旦那様ができたのね」


 私は頬に朱色を差し込み、矢継ぎ早に。


「ち、違います! 彼はただの居候です。変なこと言わないでください!」


「あらまあ、照れなくてもいいのよ。お似合いじゃない」


 おばさんは意味深に微笑んだ。

 パン屋でも、肉屋でも、同じようなことを言われた。村の人たちは私たちを夫婦だと思い込んでいるようだ。


 おかげで帰り道、妙な気まずさが流れた。


「すみません。僕がいることで変な誤解を与えてしまったようで」


「別に構いません。気にしていませんから」


 私は素っ気なく答えた。でも、心の中では動揺していた。


 村の人に誤解されたからではない。

 誤解されることが、それほど嫌ではなかったからだ。


「でも、僕のような素性の分からない男と一緒にいるなんてきっと良くない噂を立てられてしまいます」


「私はただ、あの山奥に一人で住んでいるだけの女性です。噂を立てられて困るような地位も名誉もありません」


「でも、僕は……」と、彼は言いかけて口をつぐんだ。

 私はそんな彼の様子を見て、自分と通ずるものを感じた。


「あなたも人が怖いんですね」


 セスははっとした表情で目を見開く。


「どうして……」


「わかりますよ。あなたは私と同じような目をしていますから。誰かに裏切られて傷ついた人の目です」


 風が私たちの間を通り過ぎていった。

 家に帰ると、シエラルが玄関で待っていた。嬉しそうに鳴いて、セスの足に体を擦りつける。


 その夜、夕食の後でセスが話してくれた。


「僕は、グレイウッド家の次男です。最初に名乗ったアレストリアの姓は母のもので、本当はセス・グレイウッドと申します」


 グレイウッド家といえば、この地方でも指折りの名門貴族だ。


 領地も広く王宮にも強い影響力を持つと聞いている。

 貴族階級の人間だろう、となんとなく推察していたけれど、想像よりずっと大物だった。


「そうだったのですね」


「はい。でも、それが僕にとって幸せなことではありませんでした」


 セスは苦しそうに続けた。


「僕は次男ですから、長男である兄が跡を継ぐことになっていました。でも、兄は跡継ぎとしてふさわしくない人でした。賭博に溺れて借金を作り領民からも嫌われていました。そんな兄との対比もあって、僕は領民に慕われていました。いつしか次期当主に僕を推す声が活発化するようになりました」


 セスの拳が小さく震えていた。


「その腹いせなのか、兄はまず僕の名前を騙って借金をしました。僕が作った借金だということにして、僕の評判を落とそうとしたんです。それから──」


「それから?」


「僕には婚約者がいました。隣国の令嬢でとても優しい人でした。でも兄は、その彼女を誘惑して僕から奪いました」


 胸が痛んだ。私も似たような経験があるからだ。


「それでもう全部が嫌になって逃げてきました。この辺りなら誰の目にも届かないだろうと思って」


 セスは疲れたような表情で私を見た。

 彼の目に嘘はなく、ただ深い疲労と諦めが滲んでいる。


「家族に裏切られるのは辛いですよね」


「ミゼリアさんも何か……いえ、なんでもないです」


 セスは私の過去について詮索しようとはしなかった。

 聞かれれば話してもいいかと思ったが、踏み込んでこないなら無理に話す必要もない。そのまましばらく沈黙が続いた。その夜、私は久しぶりに、心の奥底まで満たされた気持ちで眠りについた。




 セスが私の家に来てから半年が過ぎた。

 セスは村の大工の親方に気に入られ、今では職人として稼ぎを得ている。

 ここから村までは馬を使って二時間かかるというのに、わざわざこの家から通っているあたり彼は変わり者だと思う。村で家を借りるくらいの稼ぎはあると思うのだけれど……。


「ただいま帰りました」


 日が沈んだ頃、セスが仕事から帰ってくる。

 シエラルも玄関まで迎えに出てセスの足に体を擦りつける。


「…………?」


 私は怪訝に彼を見つめた。


 いつもならシエラルを撫でながら「今日はなにしてました?」とか聞いてくるのに、今日はさっさと洗面台に向かっていった。私と目を合わせてもこない。


 夕食の時も何となく様子がおかしかった。


「今日は親方に褒められたんです。継ぎの技術が上達したって」


「それは良かったですね」


「はい……」


 今日は声に弾みがなければ、所々で視線が泳いでいる。料理にも箸があまり進んでいない。


「体調悪いんですか?」


「いえ、そんなことないですよ! 少し疲れているだけで」


 明らかにいつもと違う。空元気というか、何かを隠しているような、そんな表情をしていた。


「何かあったのでしたら、話してくださって構いませんよ」


「はい。ありがとうございます。何かあったら話しますね」


 セスはそう答えるだけで、結局何も話してくれなかった。


 その夜、私は妙な胸騒ぎを覚えながら眠りについた。シエラルも落ち着かない様子で、何度も私の枕元をうろうろしていた。


 翌朝、目を覚ますとシエラルが枕元にいた。


「おはよう、シエラル」


 シエラルは小さく「にゃあ」と鳴いたが、どこか寂しそうに聞こえた。


 嫌な予感がして急いでセスの部屋に向かった。

 扉を開けると、部屋はきれいに片付けられていて、セスの荷物は跡形もなく消えていた。


 テーブルの上に、一通の手紙と金貨が五枚置かれている。


『ミゼリアさんへ


 挨拶もなしに出ていくことをお許しください。

 昨日、兄の手下らしき男たちを見かけました。僕を見つけるのも時間の問題だと思います。なので、僕は別の町に行くことにしました。


 短い間でしたが、本当にありがとうございました。ミゼリアさんは僕の命の恩人です。

 ミゼリアさんとシエラルと過ごした日々は、僕にとってかけがえのない時間でした。


 少ないですが、これまでの滞在費としてこちらのお金は受け取ってください。


 いつかまた、お会いできる日が来ることを願っています。


 セス』



 私は手紙を握りしめたまま、その場に立ち尽くした。


 また。


 また、だ。

 また、私の元から人が去っていく。


 シエラルが足元で小さく鳴いた。私の足に体を擦りつけてくる。


「シエラル……」


 私はシエラルを抱き上げた。


 エドワードも、ロランも、みんな私を置いて行った。そして今度は、セスが。


 なぜ、私はいつも取り残されてしまうのだろう。


『少ないですが、これまでの滞在費としてこちらのお金は受け取ってください』


 金貨五枚。これはセスが半年間働いて得た賃金のほとんどではないだろうか。


「ばか……」


 私は小さく呟いた。


 滞在費なんて、そんなものは必要ない。

 セスは家の修繕もしてくれたし、薪割りも、庭の手入れも、すべて彼がやってくれていた。助けられていたのは私の方だ……。


「なんで相談もなしに勝手に行くんですか……」


 シエラルが「にゃあ」と鳴いて私を見上げる。


「そうですよね、シエラル。あの人、勝手すぎます」


 手紙をもう一度読み返す。


『ミゼリアさんは僕の命の恩人です』


 セスは私を裏切ったわけではない。ロランやエドワードとは違う。


 私は涙を拭って立ち上がった。シエラルが嬉しそうに鳴く。


「あの人に文句を言わなきゃいけませんね」


 そう、それが理由。別にセスが心配だから探すわけじゃない。


 勝手に金貨を置いて出ていったことに文句を言いに行くだけ。


「シエラル、一緒に来てくれますか?」


 シエラルは元気よく「にゃあ」と鳴いた。


 早速、私は村に向かった。まずは大工の親方さんに話を聞こう。


「セスくんなら今朝に突然辞めていったよ」


 親方さんは困った顔をしていた。


「真面目で腕もよかったのに、急に『遠くに行かなければならなくなった』って。引き止めたんだが、頑として聞かなかった」


「どちらの方角に向かったか、ご存知ですか?」


「南の街道を使っていったな」


「ありがとうございます」


「セスにあったら言ってくれ。ウチはいきなり辞められるほど労働者に優しくねえってな」


「わかりました。必ず連れて帰りますね」


「おう、気をつけて行けよ」


 そう言って、親方さんは優しい笑みを浮かべた。



 親方さんの情報を頼りに、南の街道を一週間探し回った。

 けど、セスの手がかりは途中で途絶えた。個人の力ではやはり限界がある。背に腹はかえられない、か。


 シエラルが心配そうに私を見つめる。


「大丈夫ですよ、シエラル。少し嫌な思いをするかもしれませんがセスを見つけるためです」


 私は、セスを探すためだけに故郷に戻ることにした。

 実家の屋敷は相変わらず立派だ。使用人が私を見ると、目を丸くして驚いている。


「お帰りなさいませ。ミゼリア様」


「姉と妹はいますか?」


「カロリーナ様とセリーナ様でしたら、サロンにいらっしゃいます」


 私はシエラルを抱えて懐かしいサロンへ向かった。


 扉を開けると、二人がティーカップを手に談笑していた。私の姿を見るなり、カップを指から落としそうになる。


「まあ、ミゼリア!」カロリーナが声を上げた。


「お姉様、どうしてこんな急に……」セリーナは困惑している。


 私は近くの椅子に座りシエラルを膝の上に乗せた。

 再会に浸る気はない。単刀直入に切り出す。


「セス・グレイウッドという人をご存知ですか?」


 二人の表情が一変した。

 グレイウッド家は指折りの名門。知らないはずがない。


「確か、行方不明になったとかって聞いたけど……どうして?」


 カロリーナが慎重に答える。


「彼を探しています。あなたたちの人脈と情報網を使って彼の居場所を突き止めてほしいんです」


「探して欲しいって言われてもね」


 カロリーナが眉をひそめる。


 私は懐から小さな宝石箱を取り出した。中には、母から受け継いだサファイアのネックレスが入っている。このネックレスは代々我が家に伝わる家宝で、二人とも昔から欲しがっていたものだ。


「探してくれたら、これをお渡しします」


「それはお母様の……」


 セリーナが息を呑む。


「わかったわ、探してみる」


 最終的にカロリーナが頷いた。


「でも、時間がかかるかもしれないわよ」


「できるだけ早くお願いします」


「いやだから時間がかかる可能性が」


「早くお願いします」


 カロリーナは困ったように眉を寄せ、頬を指で掻いた。



 ──二日後

 カロリーナが私の部屋を訪れた。


「情報が手に入ったわ」


 彼女は疲れた様子で言った。


「ミゼリアの言う通り、セス・グレイウッドは兄のギルバートに追われているみたいね。どうして追われているかは知ってる?」


「いえ。どうしてですか?」


「グレイウッド家は財政的に破綻寸前なの。ギルバートが賭博と浪費で家の財産を食い潰してしまった。そして今は、セスが受け継いだ遺産が家を救う唯一の希望なの。要は遺産目当てってことよ」


 カロリーナは一度言葉を切って苦い笑みを浮かべた。


「実はロランも似たようなものなのよね。ギャンブルにのめり込んで子爵家の財産に手をつけ始めている。男ってのはどうして非合理的なものにハマるのかしら……」


「そんな話はどうでもいいです。それよりセスの居場所はわかりましたか?」


「まだよ。でも、セリーナが侯爵夫人としてのコネクションを使って調べているわ。もう少し待って」



 ──さらに三日後

 今度はセリーナがやってきた。


「見つけました、お姉様! セス様は、ミルフレイクという町に目撃情報がありました」


 セリーナの言葉に、私の心臓が早鐘を打った。


「ありがとうございます。そこまでわかれば十分です」


 私が椅子を引いて立ち上がると、セリーナが躊躇うように口を開いた。


「あ、あのお姉様! 出発する前にひとついいですか」


「なんですか?」


 私は眉をひそめた。何か悪い知らせなのだろうか。


「エドワードが、その、えっと……他の女性と関係を持っているみたいなんです。しかも、その相手は私の友人だった人で……」


 セリーナが涙を浮かべる。


「私、愚かでした。お姉様からエドワード様を奪っておきながら、今度は自分が同じ目に遭うなんて!」


 私はセリーナにハンカチを手渡し、冷静に答えた。


「少しは私の気持ちが理解できましたか」


「は、はいっ。ごめんなさい、お姉様っ!」


 私の胸元に飛び込んでくるセリーナ。

 どう対応したものか困っていると、カロリーナも部屋の中に入ってきた。ちょうどいい。


「セリーナ、泣くならカロリーナ姉様のところで泣いてください」


「はいぃ」


「ちょ、ちょっと私に押し付けないでよっ!」


 セリーナがカロリーナにひっつく。カロリーナは当惑をあらわにしていた。


 私は机からサファイアのネックレスを取り出し、彼女らに差し出す。


「約束通り、これは置いていきます」


「それは受け取れません! 私たちはお姉様にひどいことをしました」


 セリーナは涙ながらに首を横に振った。


 カロリーナも頷いた。


「私、因果応報というものを身をもって知ったわ。ロランは私を裏切り、エドワードはセリーナを裏切った。私たちがあなたにしたことが、そのまま返ってきた。本当に悪いことをしたと思っているわ。贖罪になるとは思わないけれど、せめてそのネックレスはあなたが持っていて」


「全部、過去のことです」


 私は淡々と答えた。


「それに、あなたたちが不幸になったからといって私の傷が癒えるわけではありません。でも、そうですね。いらないというならこれは私が持っておきます」


 私は内心で少しだけ、長年の胸のつかえが下りたような気がしていた。


「私たちは、本当に愚かな女だったわね」


 カロリーナが自嘲気味に笑った。






 ミルフレイクまでは馬車で五日の道のりだった。

 国境に近いこの町は石造りの古い建物が立ち並んでいる。


「セス・アレストリアという方をご存知ですか?」


 宿屋の主人に尋ねると彼は首をかしげた。


「セス? 聞いたことがないですねぇ」


 私の心が一気に沈む。

 もしかして、情報が間違っていたのだろうか。それとももう、別の場所に行ってしまったのか。


「茶色の髪で、大工仕事をしているかもしれないんですけど……」


「ああ、その特徴に似た人物なら知ってますねぇ。少し前にやってきて、今は町外れの古い教会の修繕をしているはずです」


「本当ですか? その人、名前は!」


「リオンと言ってましたけど」


 リオン、か。

 考えてみれば、セスが偽名を使っているのは当然だ。兄から身を隠すためには、本名を名乗るわけにはいかない。


 私の心臓が跳ね上がった。


「ありがとうございます」


 私はシエラルを抱えて、教会に向かった。


 町外れの小さな教会は修繕工事の真っ最中だった。

 屋根の瓦を直している男性の後ろ姿が見える。そのシルエットは明らかに──。


「セス」


「み、ミゼリアさん……?」


 セスは梯子の上で目を見開いている。

 あまりの驚きに、手に持っていた瓦を落としそうになっていた。


 梯子から降りて丸くなった目で私をみる。


「どうしてここに?」


「あなたに文句を言いにきました」


 私はシエラルを地面に下ろす。

 シエラルは嬉しそうに鳴いて、セスの足に体を擦りつける。


「黙って家を出ていくとは、どういう了見ですか」


 セスは困ったような表情で頭を掻いた。


「ごめんなさい。でも、あのまま僕が近くにいたら危険だったんです。ミゼリアさんにもしものことがあったら、僕は一生後悔します……」


 セスは下唇を噛み、拳を強く握りしめる。


「僕はミゼリアさんを巻き込みたくなかったんです。なのに、どうしてこんなとこまで来ちゃうんですか……」


「巻き込むも何も、私はとっくに巻き込まれています。今更ですよ」


 私は彼を見つめた。


「半年も一緒に住んでいたのに、最後に手紙一枚で去られると思いませんでした。私とシエラルのことを、その程度にしか思っていなかったのかと傷つきました」


「そんなことはありません!」


 セスが声を上げた。


「あの家で過ごした時間は、僕にとって一番幸せな日々でした。ずっと、あの場所にいたかったです。本当に」


「なら、どうして相談してくれなかったんですか」


「それは……」


 私の問いに、セスは深く息を吸った。


「正直言うと、怖かったんです。相談して、『出ていけ』ってミゼリアさんに言われたらどうしようって。ミゼリアさんに拒絶されるのが怖くて、黙って出ていったんです。どうしようもないやつですね、僕は」


 私はセスの言葉を聞いて胸の奥が熱くなった。


「ほんと、ばかです。あなたは大馬鹿ものです!」


 私はセスの胸元を掴んだ。


「そんなことで私があなたを追い出すわけないでしょう。追い出すなら足が治った時点でとっとと追い出してます。大体、私はあなたを探すために、嫌いな故郷にまで戻ったんですからね! 見くびらないでください!」


 シエラルがセスを見上げながら、小さく鳴く。


「シエラルも、あなたがいなくなってから元気がありませんでした」


「ごめんなさい、本当にごめんなさい。僕、間違っていました」


「わかればいいです。でも次また勝手なことをしたら、本当に怒りますからね」


「はい、もうしません」


 セスは苦笑いを浮かべた。


 それから私たちは、教会の境内にある古いベンチに座った。


 シエラルはセスの膝の上で気持ちよさそうに丸くなっている。


「でも、どうして僕を探してくれたんですか?」


 セスが尋ねた。


「文句を言うためだと言ったでしょう」


「いや、それだけじゃなかったりするのかなぁって」


「その顔やめてください、むかつきます」


 私は緩んだセスの頬を、右手でグイッと引っ張る。


 私は肩をすくめると空を見上げポツリと続けた。


「……心配だったんです」


「え?」


「一人で大丈夫か、ちゃんとご飯を食べているか、怪我をしていないか。そういうことが気になって」


 セスはぱあっと目に光を宿して、声色を高くした。


「僕も、ミゼリアさんとシエラルのことを毎日考えていました」


 風が吹いて教会の鐘が小さく鳴った。


「これからどうするんですか?」


「この町で大工として働こうと思っています。兄もここまでは追ってこないでしょうし、静かに暮らせそうです」


「本気でそう思っているんですか?」


 セスはパチパチとまばたきする。


「私があなたを突き止められたように、遅かれ早かれここを突き止めるでしょう。いくら逃げ回っても、根本的な解決にはなりません」


「それは確かにそうですね」


「兄が行ったことを周知し、領民への理解を求めたらどうですか」


 私は提案した。


「グレイウッド家の財産を浪費し、あなたを不当に追い回していることを公にするんです。あなたの受け継いだ遺産を求めていることも」


「え、どうしてそれを知って」


「私はこれでも生まれはそこそこいいんです。血筋を使ってあなたのことを調査してもらいました」


「ミゼリアさん、あなたは一体……」


 セスは目を見開いた。


「私はミゼリア・セルケンベルク。セルケンベルク家の名を使えば、領民に対しても相応の信頼は勝ち取れるでしょう」


 セルケンベルク家は、この地方でも古い名門の一つだ。政治的な影響力はそれほど大きくないが、信頼と名誉においては確固たる地位を築いている。


「ミゼリアさん、セルケンベルク家の方だったんですね。で、でもセルケンベルクの名を使うってどうやってですか」


「鈍感なんですか、わざと言っているんですか」


 私はイライラして、語気を強めた。


 セスはきょとんとした顔をしている。


「私が、あなたの婚約者になると言っているんです!」


「え、え、えぇっ!?」


 セスの顔が真っ赤になった。


「セルケンベルク家の令嬢が婚約者であれば、あなたの立場は格段に向上します。兄の不正を告発する際の信憑性も増しますし、政治的な保護も受けられるでしょう」


 私は冷静に説明した。


「でも、それはミゼリアさんにとって何の得もないじゃないですか」


「おかしなことを言いますね」


 私は首をかしげた。


「あなたと一緒にいられることが、私にとって得なんですけど」


「み、ミゼリアさん……」


「もちろん、最初は形だけの婚約です。お互いの状況が整理できたらその時に改めて考えればいいんじゃないでしょうか」


 私はそっぽを向きながら、なんでもないように言う。


「でも、本当にいいんですか? 僕みたいな男で」


「あなたみたいな男って?」


「家族に裏切られて、逃げ回っている情けない男です」


 セスは自嘲気味に笑った。


「そんなことありません」


 私は彼を見つめた。


「あなたは優しくて、誠実で、シエラルにも私にも親切にしてくれました。それに、逃げるのだって立派な選択です。無謀に戦って傷つくより、賢明だと思います」


 シエラルが私の言葉に同意するように「にゃあ」と鳴いた。


「シエラルもそう言っていますよ」


 セスは苦笑いを浮かべた。

 それから私たちは、もう一度ゆっくりと話をした。婚約についての詳細、兄への対処法、これからの計画。


 セスは最初こそ戸惑っていたが、私の提案の合理性を理解し、最終的に受け入れた。





 数ヶ月後。


 セルケンベルク家の名のもとに、セスの兄──ギルバートの不正が公になった。

 正式な調査が行われ、ギルバートは家督相続権を剥奪された。セスが新たなグレイウッド家当主として認められることになった。


「これで、もう逃げ回る必要はありませんね」


 私たちは再びあの山奥の屋敷にいた。

 セスは書類整理のため一時的にここに滞在している。


「はい。すべてミゼリアさんのおかげです」


「そうですね。もっと感謝してくれて構いませんよ」


 セスは苦笑したあとで、少し複雑な表情を浮かべた。


「あの、ミゼリアさん」


「はい」


「僕たちの婚約はもう役目を果たしました。もし、解消したいということでしたら、その」


 私は彼の言葉を遮った。


「解消したいのですか?」


「僕は──」


 セスは頬を染めた。


「続けたいです! ミゼリアさんと一緒にいたい! でも、ミゼリアさんに気持ちを押し付けるようなことはしたくはないんです。ミゼリアさんの気持ちが一番大切ですし」


「ならいいんじゃないでしょうか。婚約はこのまま続けて」


「あ、あの聞いてました? 僕はミゼリアさんの気持ちを尊重したいんですけど」


「本当になんなんですか。わざとやっているんですか」


「え?」


「私も、あなたと一緒にいたいから婚約を続けようって言っているんです」


 セスの顔が明るくなった。


「本当ですか?」


「本当ですよ、もう」


 シエラルが私たちの間で「にゃあ」と鳴いた。


 私たちの物語は、新しい章を迎えた。

 今度は逃げることも、一人で悩むこともない。お互いを支え合いながら、ゆっくりと愛を育んでいけばいい。


「さてと、今日の夜ご飯はどうしましょうか?」


「ミゼリアさんの作る料理なら、なんでもいいです」


「なんでもが一番困るんですけど」


「じゃあグラタンで」


「グラタンですね。わかりました」


 私は立ち上がって台所に向かった。セスも後に続く。


「僕も手伝います」


「ここ最近忙しかったですし、今日はゆっくりしていてください」


「それはミゼリアさんだって。それに、一緒に作る方が楽しいじゃないですか」


 そう言ってセスは、慣れた手つきで野菜を切り始めた。

 シエラルは椅子の上から、私たちの料理する様子を見守っている。


「ミゼリアさん」


「なんですか?」


「僕、幸せです」


 セスは照れながら言った。

 シエラルが満足そうに喉を鳴らした。


「私も…………」


 ぼそっと呟くと、セスが頬をだらしなく緩めながら私の顔を覗き込んでくる。


「なんですか?」


「……っ。なんでもありません。料理中に危ないですよ」


「えー、ちゃんと聞きたいのに」


「ほんと、なんなんですか。もう……」


 私は熱くなった顔を隠すように、あさってに視線を向ける。


 外では風が木々を揺らし、暖炉の火が静かに燃えている。

 私たちの新しい生活は、ここから始まっていく──。


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― 新着の感想 ―
ギルバートとロランとエドワードは、領民とか借金取りとか愛人に刺されてドブ川に浮かぶいいな。
身を張ってキングボンビーたちを引き取ってくれた姉妹に敬礼
数カ月後、兄の不正が明らかになった。 って所からネコが居ないんですが……
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