3-4 北部セクターの光
「system.transfer();《転送、開始》」
意識が深い闇の中へと沈んでいく。
目を開けると、そこは幻想世界だった。
「わぁ......これが幻想世界......」
ミレイが息を呑む。
青く発光するグリッド状の地面、頭上に広がる無数のデータの光、遠くまで続く虹色の結界。その全てが、彼女の目には新鮮な驚きとして映っているようだった。
「すごいなぁ......こんな世界があったなんて」
彼女は周囲を見回しながら、慎重に一歩を踏み出す。
「大丈夫ですよ。私も最初は驚きましたけど」
リリアが優しく声をかける。
「ミレイさんも、すぐに慣れると思います」
「そやなぁ。でもウチ、こんな不思議な世界、初めて見るぇ」
ミレイの声には、緊張と好奇心が混ざっていた。
「まずはデータストリームに乗って、北部セクターまで移動しよう」
ボクは青く光る大きな流れを指差す。
「あれは......」
「幻想世界の大動脈みたいなものだよ。魔力とデータが一緒に流れてる」
ミレイは首を傾げる。
「乗るって......あんなんに乗れるん?」
「ええ。私も最初は不安でしたけど、慣れれば大丈夫です」
リリアが先陣を切って、データストリームに飛び乗る。
青白い波が彼女を受け止め、優雅に運んでいく。
「ほんまに乗れるんやぁ......」
ミレイが恐る恐る近づく。
「大丈夫、転ばないように手を貸すよ」
ボクが手を差し出すと、ミレイは人懐っこい笑顔を見せた。
「ありがとぅ。でも、ウチにいい考えがあるぇ」
そう言って彼女は召喚陣を展開する。
「サモン《グロウアンカー》 ”らんたん”力を借りるぇ!」
呼び出されたのは、小型のチョウチンアンコウを模した召喚獣。それは空中を漂いながら、ゆっくりと浮遊している。
「”らんたん”を浮き輪みたいにつかまって進むんや!」
ミレイはそう言うと、グロウアンカーに両手で掴まった。召喚獣は彼女の体重を支えながら、データストリームの上をゆっくりと進んでいく。
「おぉ、こないするとうまく進めるぇ」
最初は不安定だった足取りも、徐々に安定感を増していく。
「ミレイさん、上手ですね」
先を行くリリアが振り返って声をかける。
「召喚獣の使い方が器用ですね」
「あははん、ウチなりの工夫ってやつやね」
「さぁ北部セクターまでもう少しだ」
ボクはデバイスの画面を確認する。データストリームに乗って、かなりの距離を進んできていた。
「でも、なんでこんな綺麗な光の海みたいなとこに、結界を修復する浄化魔道具を設置せなあかんの?」
ミレイがグロウアンカーに掴まりながら不思議そうに尋ねる。
「幻想世界は見た目は美しいけど、時々歪みが生じるんです。その歪みを正すために浄化魔道具が必要なんです」
リリアが説明する。
「ああ、そういや商人仲間から聞いた話やけど......最近、街の上空に変な影が見えるって噂があったなぁ」
「それも結界の歪みが原因かもしれないね。早めに対処しないと、現実世界にまで影響が出る可能性がある」
ボクの言葉にミレイは少し表情を引き締めた。
「ほな、急がな」
データストリームを抜けると、そこには広大な北部セクターが広がっていた。
データストリームを離れ、三人は北部セクターの空間に降り立つ。
グロウアンカーの召喚を解くと、ミレイは周囲を見回した。
「ここが設置場所......?」
北部セクターは他のエリアと比べて、比較的安定している空間だった。
データの流れも穏やかで、魔力の乱れも少ない。
「初めての設置作業だから、まずは安全な場所を選んだんだ」
ボクは浄化魔道具を取り出す。
手のひらサイズの装置には、星のような模様が刻まれている。
「リリア、準備はいい?」
「はい」
リリアが杖を構えて頷く。
「ミレイさんは私の魔力が安定するのを確認しながら、装置の様子を見ていてください」
「了解やぇ。ウチにできることあったら言うてね」
慎重に浄化魔道具を地面に設置する。
装置の星型の模様が、かすかに青白い光を放ち始めた。
「魔力の供給を始めます」
リリアの詠唱が始まる。
彼女の魔力が青白い光となって、浄化魔道具へと注がれていく。
「イオリン、これって上手くいってるん?」
「うん、数値は正常。リリアの魔力がうまく装置に同調してる」
ボクはデバイスの画面を確認しながら答える。
モニターには安定した数値が表示されていた。
その時、浄化魔道具が強く輝きを放つ。
星型の模様から放たれる光が、まるで星屑のように周囲に広がっていく。
「きれい......」
ミレイが思わず声を漏らす。
降り注ぐような光の粒子に、どこか懐かしい感覚を覚える。
(なんやろ、この感じ......)
彼女の心に、微かな違和感が生まれる。
まるで遠い記憶が呼び覚まされそうで、でも——。
「ミレイさん?」
リリアの声に、ミレイは我に返った。
「あ、ごめんなぁ。なんか、ぼーっとしてもうた」
彼女は笑顔を浮かべて取り繕う。しかし、その瞳の奥には何か別の感情が揺れているように見えた。
「浄化魔道具の起動、完了」
ボクの声が響く。
装置は穏やかな光を放ちながら、北部セクターの結界を浄化し始めていた。
「これで北部セクターの結界は安定するはずだ」
ボクはデバイスの画面で最終確認を行う。
数値は全て正常範囲内、浄化魔道具も予定通りの働きを示している。
「一つ目、無事成功やね!」
ミレイが明るく笑う。先ほどの違和感は、もう表情からは読み取れない。
「帰還の準備をしよう。これ以上長時間の接続は避けたほうがいい」
「system.logout();《帰還、開始》」
意識が光に包まれ、現実世界へと戻っていく。
「お帰りなさいでありますにゃ!」
目を開けば、そこは元の部屋。ニャビィが嬉しそうに出迎えてくれた。
「次回は東部セクターやね。 今日みたいに三人で行くん?」
「すみません、明日はギルドの方で予定があって……」
リリアが申し訳なさそうに頭を下げる。
「気にせんでええよ! 今度はウチとイオリンの二人で頑張るわ!」
「わらわの特製ブレンドティーで一息入れるでありますにゃ!」
ニャビィが差し出した紅茶の湯気が、部屋に優しく漂う。
(こんな平和な仕事ばかりなら、引きこもりライフも悪くないんだけどな......)
ボクはそんなことを考えながら、窓の外を見上げた。
夕暮れに染まる空の下、結界が穏やかに輝いていた。