2-6 秩序の剣と氷の魔法
「これがバグだよ。結界を蝕む厄介な存在。しぶといから、気を抜かないでね」
デバイスの画面にはバグの動きと周囲のデータの流れがリアルタイムで表示されている。
黒い靄が唸り声を上げ、データの粒子を巻き散らしながら姿を完全に現した。四本の足は不規則に揺れ、赤く輝く目がこちらを鋭く睨んでいる。
「確かに……ただの魔物ではなさそうですね」
ルシェが低く呟きながら剣を構えた。
ルシェの持つ剣は青白い光を放ち、その剣身には彼女の日々の鍛錬が凝縮されているかのようだった。
「私が正面を抑えます。リリア殿、後方からの援護をお願いします。カゴメイオリはどうする?」
「ワイちゃん? もちろん戦うよ。引きこもりとはいえ、結界を守るのが仕事だからね」
バグが低い咆哮を上げると同時に、ルシェが一歩前に踏み込む。
その動きには無駄がなく、洗練されている。剣を振り下ろす瞬間、青白い光の斬撃が空間を切り裂いた。
バグの前足に一閃が入り、黒いデータが弾け飛ぶ。しかし、その傷口はすぐに再結集を始めた。
「再生している……!」
ルシェが眉をひそめる。
「だから言ったでしょ? こいつらはしぶといんだよ」
ボクはそう言いながら手元のデバイスを操作した。
「まずは動きを封じるよ。リリア、左から氷の矢を放ってくれる?」
「はい、フロストアロー!」
リリアが杖を振ると、冷たい魔力が迸り、氷の矢がバグの左足を貫いた。データの粒子が凍りつき、一瞬動きが鈍る。
「ナイスだリリア! ルシェ、右側から突いて!」
ルシェはすぐに右側へ回り込み、剣を構え直す。その動きには素早く、力強く、そして正確な突きがバグの右足を切り裂く。
バグが再び咆哮を上げ、左足を振り上げて反撃してくる。データの刃が不規則に飛び出し、周囲の空間に亀裂を走らせた。
「危ない!」
ボクはデバイスを素早く操作し、防御フィールドを展開する。
「guard.execute();《防壁、展開》」
青い光の壁がバグの攻撃を受け止めるが、その勢いに押されて亀裂が走る。
「……やっぱり一筋縄ではいかないね。リリア、もう一度氷の壁を作れる?」
「はい、任せてください!」
リリアが再び魔力を放ち、氷の壁がバグの動きを封じる。だが、バグはすぐにその壁を砕いて動き出す。
「仕方ないな。そろそろワイちゃんも本気を出しますか」
ボクはデプロイソードを呼び出すためのコマンドを入力した。
「debug.deploySword();《デプロイソード、構築》
空間に青白い光が集まり、データの流れが剣の形を成す。無数の文字列が剣身に流れ込み、刃の先端が鋭い輝きを放つ。
「これで、データを修正するよ!」
ボクはバグの横へ回り込み、核心部を目がけて剣を振り下ろした。光の刃が黒いデータを切り裂き、その粒子を霧散させる。
「カゴメイオリ! どうやら口だけではないようだな!」
ルシェが感心したように言う。
「ルシェの方こそ。正確な動きで助かったよ」
ボクは軽く肩をすくめながら答えた。
その間にもバグが再生を始める。核心部に完全にダメージを与えない限り、終わりはない。
「リリア、最後の魔法を頼むよ! 全力で撃ち込んで」
「はい! 氷結魔法、グレイシャルバースト!」
リリアの魔力が全開になり、巨大な氷柱が地面から突き上がる。それがバグを捕らえ、動きを完全に封じた。
「ルシェ、最後を任せるよ!」
「……了解した!」
彼女は剣を構え直し、鋭い目でバグの核心部を見据える。そして、一気に踏み込んで渾身の一撃を放つ。
剣が核心部を貫いた瞬間、黒い靄が爆発するように霧散し、空間が静けさを取り戻した。
「……討ち取ったか」
ルシェが息を整えながら剣を鞘に収める。
「見事だよ、ルシェ。騎士としての技術はさすがだね」
「当然のこと。これも日々の鍛錬の成果だ」
ルシェは少し得意げに微笑む。その横でリリアが歓声を上げた。
「すごい! 本当に素晴らしかったです、ルシェさん!」
「さて、これで結界のバランスも少しは保てるかな」
ボクはデバイスの画面を見ながら呟いた。
ルシェには幻想世界の事が伝わったと思うがこれからどうしようか……。
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幻想世界でのバグ退治が終わり、ボクはログアウトの準備を始めていた。
デバイスの操作により現実世界の空間がゆっくりと戻ってくる。
「さて、これで今日の巡回は終わり。一定量のガーベッジは除去できたし、今のところ緊急性はないな」
ボクは椅子に深く座り直し、軽く息をついた。
ルシェも現実世界に戻りながら、幻想世界での戦闘の余韻を引きずっている様子だった。少し硬い表情で、周囲を見渡しながら深呼吸をする。
「これで今日は一段落にゃ。ご主人様もリリアも、そしてルシェも、よく頑張ったにゃ!」
ニャビィが温かい紅茶を運んできた。その声は柔らかく、戦闘で張り詰めた空気を和らげる。
「特にルシェは初めての幻想世界とは思えない大活躍でしたにゃ!」
ニャビィの労いの言葉に、ルシェは胸を張って答えた。
「当然です。私はレッドクリフ家の騎士。この程度の戦いで自慢するわけにはいきません」
自負に満ちた言葉ではあったが、その直後にふと表情を緩めた。
「ただ……あの空間にはまだ慣れませんね。あれほどまでに現実とかけ離れた空間で戦うのは、やはり独特です」
「まあ、最初はそんなものだよ。慣れればこっちの世界も案外居心地が良くなるよ」
ボクが軽く肩をすくめて答えた。リリアもそのやり取りを聞きながら微笑む。
「そういうものなんですね。私も最初は驚きましたけど、今ではこの空間が少し好きになりました」
ニャビィが差し出した紅茶を受け取りながら、ルシェがふと真剣な表情を浮かべた。
「私が使う剣は”秩序の剣”と言います、レッドクリフ家に代々受け継がれてきたものです。そして騎士としての誇りが込められた剣術は、単なる技ではなく生き方そのものなんです」
リリアが興味深そうに顔を上げた。
「生き方そのもの……ですか?」
ルシェは小さく頷き、さらに続けた。
「ええ、私の父は王国騎士団の将軍で、幼い頃から剣術だけでなく、騎士としての心構えを叩き込まれてきました。例えば、剣を振るう時には必ず守るべきものを意識しなければならないと」
彼女の瞳には、どこか懐かしさと誇りが宿っていた。幼少期に父親と共に訓練場で過ごした日の記憶が蘇る。
「初めて剣を手にした時、父はこう言いました。『剣はただの武器ではない。これは命を守るための信念の象徴だ』と」
その言葉を口にするルシェの姿は、まるで彼女自身がその信念を体現しているかのようだった。
ボクはそんなルシェの話を聞きながら、少し茶化すように言った。
「いやー、本当に真面目だね。僕なんて小さい頃から怠けてばかりだったけどな」
ルシェが軽く睨みながら答える。
「あなたには責任感という言葉が欠けていますね」
そのやり取りを見ていたリリアが、ふと思いついたように口を開いた。
「剣術には型があるんですね、そしてそれが生き方となる。それがルシェさんの力の源なんですね」
「型に従うことで力を発揮する。それが私たち騎士の在り方です。型を守ることは、心を鍛えることと同じなのです」
その答えを聞いたリリアは少し戸惑った表情を浮かべた。
「私には、魔力が型に収まらないことが多くて……。だから、ルシェさんみたいに明確な型があるというのは、少し羨ましいです」
ルシェはその言葉に一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに真剣な眼差しに戻った。
「型に収まらない力……それは私にとって未知のものです。だが、型がないということは、可能性が無限に広がるということでもあるのでしょうね」
リリアは彼女の言葉に少し目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。
「そうかもしれません。でも、私はルシェさんのように強い信念を持っている人が羨ましいです」
ルシェはそんなリリアに優しく微笑んだ。
「守るべきものがあるからこそ、型に従うことが私たちの力になるのです。剣術はただの技ではなく、心の鍛錬でもあります」
その言葉には揺るぎない自信と、彼女自身の誇りが込められていた。
リリアもその言葉を聞いて少し嬉しそうに微笑む。
「私も……魔力を鍛える中で、そんな信念を持てたらいいなと思います」
「まあまあ、そんな堅苦しい話はここまでにして、まずは今日の戦いを祝おうよ」
ボクはその空気を軽くするように冗談めかして言った。