2-4 ルシェと共に幻想世界へ
「にゃ~、ご主人様、そろそろ本当のことを話した方がよろしいのではありませんにゃ?」
ニャビィが小さな溜め息と共に進言する。
「ご主人様が引きこもっているのには、それなりの理由があるのでありますにゃ」
「まったく…… 面倒な事になりそうだから黙ってたけど、こうなったら説明するしかないか」
ボクは諦めたように立ち上がる。
確かにこのまま放っておけば、面倒な報告書の山と無駄な調査が増えるだけだろう。
「説明は難しいかもしれない。実際に見てもらった方が早いかもしれないね」
「見る……、ですか?」
ルシェが眉を寄せる。
「リリア、例外種を倒した場所に異常がないか確かめに行こうか」
「はい! わかりました」
「例外種……?」
ルシェの声には明らかな困惑が混じっていた。結界の異常も、引きこもりの理由も、そして今の"例外種"という言葉も、全てが謎に包まれている。
ボクは小さく暗黒微笑を浮かべながら、机の引き出しから、半透明のヘッドセットを取り出した。
「これを装着してもらえば、この世界の真実にたどり着く。ルシェ、キミにはその覚悟があるのかい?」
「真実、ですか……」
ルシェは半透明のヘッドセットを怪訝そうに見つめる。
「騎士としての務めなら、真実を追究するのは当然。例え、それが思いもよらないものであったとしても」
凛とした声でそう言い切るルシェだが、その瞳には僅かな戸惑いが浮かんでいた。
「では説明するね。まず、目を閉じて───」
ボクがヘッドセットの装着を手伝おうとした時、ルシェは一歩後ずさった。
「……失礼。自分でできます」
背筋を正し、慎重にヘッドセットを装着するルシェ。その仕草には、レッドクリフ家の誇り高き騎士としての矜持が垣間見える。
「リリア、準備はいい?」
「はい!」
「system.transfer();《転送、開始》」
意識が深い闇の中へと沈んでいく。上も下もない空間で、ただ意識だけが浮遊している感覚。そして──。
目を開くと、そこは歪みの広がる幻想空間だった。
「これは……!? 一体……」
ルシェの声が震える。目の前に広がる光景は、騎士としての常識では理解できないものばかり。
青く発光するグリッド状の地面。頭上には無数のデータが光の帯となって流れ、その合間を半透明の立方体が静かに漂っている。
遠くには現実世界の風景が霞んで見えるが、その手前では魔力の流れが虹色の帯となって空間を彩っていた。
「ウェルカムトゥ幻想世界へ。ここは結界の外側──プログラムと魔法が交差する特別な空間さ」
ボクはそう囁いた。
「さて、目的地までデータストリームに乗って行こうか」
巨大な青い光の波が、幻想世界の大動脈として遠くまで続いていた。その波は、無数のデータ文字列と光の粒子を抱えながら、うねりとともに優雅に流れている。
「では私も──っ!」
リリアは慣れた様子でストリームに飛び乗る。
彼女の足元に青白い波が触れると、それは滑らかに受け止められ、リリアは軽やかに滑り出した。魔力のきらめきを散らしながら、まるで雪の結晶が舞うような優雅さだ。
「すごい、リリア! もう完全に慣れたみたいだね」
ボクが声をかけると、彼女は振り返りながら恥ずかしそうに微笑んだ。
一方──。
「レッドクリフ家の騎士、この程度の試練にひるむわけには……!」
ルシェは強く宣言すると同時にデータストリームに飛び込んだ。
──が。
「うわっ!」
波の表面に足を乗せた瞬間、彼女は弾かれるように飛び退いた。勢い余って尻もちをつき、慌てて立ち上がる。青い光の粒子が彼女の周りで舞い、どこか申し訳なさそうに消えていく。
「……もう一度!」
彼女は表情を引き締め、再び挑戦する。足を揃え、重心を低くして跳び乗った。しかし──。
「きゃっ!」
再びストリームから弾き出され、今度は見事な背面着地を決めてしまった。
ルシェは歯を食いしばりながら立ち上がる。手を握りしめ、深く息を吸い込むと、剣を構える時のように構えた。
「三度目の正直、これで決める!」
勢いよく波へ飛び込む。しかし──。
「またか!?」
今度はデータストリームがまるで拒むように波を揺らし、ルシェをあっけなく弾き飛ばした。彼女はなんとか着地を決めたものの、額にはうっすら汗が滲んでいる。
「波に乗るには体の力を抜いてリラックスしなきゃいけないのに……こりゃ仕方ないな」
ボクはため息をつきながら手を差し伸べた。
「な、何を……」
「ワイちゃんがお姫様だっこで運びますよ、騎士様」
「そ、そんな無礼な! 騎士としての誇りが……」
言葉とは裏腹に、ルシェの頬がほんのり薔薇色に染まる。ちらりとデータストリームに目を向けるも、波が揺れるたびに彼女の表情が曇る。
「誇りより真実を知る方が大事だよね? このままじゃ永遠にここで跳ね続けることになるよ」
「む、むぅ……。ほ、他に方法はないのですか?」
「残念ながらないよん。」
「……こ、この件は永遠の口外無用ですからね!」
強がりを言いながらも、観念したようにボクの腕の中に収まるルシェ。剣を振るうために鍛えられた体だが、その重さは意外と軽かった。
「準備はいい? じゃあ、行くよ」
データの波に飛び乗ると、ルシェは思わず小さな悲鳴を上げた。
「きゃっ!? 速い! 高い! 危なっ……!」
騎士の威厳も忘れ、反射的にボクの服を掴む。その手の力は尋常ではなく、彼女が必死でしがみついているのが伝わる。
「ふふっ」
前方を滑走するリリアが、くすくすと笑う声が聞こえた。
「な、何か言いましたか!?」
「いいえ、何も!」
ルシェが声を上げるたび、彼女の髪が青白い光に照らされ、柔らかな輝きを放つ。周囲では星々のようにきらめく光の粒子が舞い、データストリームは三人を目的地へと運んでいく。