1-1 ひきこもりのワイちゃんの家にやってきたのは美少女でした
ボクの観る夢はいつも転生前の最後の瞬間だ。
『炎と煙の中、逃げ遅れた自分。「もう一度……やり直せたら……」という強い願いと共に意識が遠のいていく――』
目を覚ますと、いつもの部屋の天井。薄暗い空間に朝日が差し込んでいる。
「また、あの夢か……」
ベッドの端に小さな気配を感じる。銀色の毛並みが朝日に輝いている。
「ご主人様、今日も悪い夢を見てたにゃ?」
ニャビィは心配そうな表情で、オッドアイの瞳を向けてきた。
「ああ、いつもの夢だよ。気にしなくていいさ」
「気になるにゃ! 目が覚めた時いつも辛そうな顔してるにゃ……」
そう言って、ニャビィはボクの胸の上に乗ってきた。左目の青と右目の金色が揺れる。
「わらわには分かるのです。ご主人様の心の揺らぎは、結界にも響くのですから」
右手で頭を掻きながら起き上がる。ニャビィは素早くボクの膝の上に移動した。
「そうだったな……結界の管理人様は、寝る間も惜しんで働かなきゃいけないんだっけ」
「ご主人様の皮肉が結界を歪ませているにゃ」
ニャビィの言葉に、思わず苦笑する。引きこもりの管理人様。なんとも皮肉な話だ。
「朝ごはんでも作るか」
「ニャッター! わらわはもう朝ごはんの魚のことしか考えてないのであります!」
ベッドから立ち上がり、窓際まで歩く。
薄手のカーテンを開けると、見慣れた異世界の朝日が差し込んでくる。その向こうには――巨大な水晶の尖塔が空へと伸びていた。
朝もやに包まれた街並みの向こう、白亜の建物が立ち並ぶ王都の中心部では、既に魔法の光が瞬いている。
遠くを飛ぶ配達用の飛行船。その近くでは、『星光竜』が数匹、楽しげに追いかけっこをしていた。
彼らの鱗には魔力の光が宿り、飛び回るたびに星屑を撒き散らすように輝く。
ボクの部屋がある高台からは、この幻想的な風景が一望できる。同時に、世界の歪みも――。
「ご主人様! 来客ですにゃ!」
突然のニャビィの声に振り返ると、扉の向こうから小さなノックの音が聞こえてきた。
「あ、あの……魔法ギルドから参りました……その、結界の定期検査で……」
扉越しに聞こえてきたのは、どこか懐かしい響きを持っていた。
ボクが前世で推していた天海ユーリの様な、柔らかくも澄んだ声だった。
……いや、まさかそんなことがあるわけがない。ここは異世界だ。それでも、ほんの一瞬、胸の奥に忘れていた感情がざわついた。
へいへい……朝からご苦労なことだ。ここは丁寧に対応を心がけようか。
「申し訳ありませんが、ワイちゃんは只今留守にしております」
「ええ~~!? で、でも今お話されてましたよね!? 話し声が聞こえてましたよ!?」
「それは多分、隣の家のワイちゃんだ」
「隣!? ちょっと待ってください! ここ一軒家ですよね!? 高台の上なのに隣の家って何ですか!?」
「いや、隣の家じゃなくて壁の裏に隠し部屋があるんだった」
「隠し部屋!? そんな忍者屋敷みたいな仕掛けある訳ないじゃないですか! それに住人は一名のはずです!」
「その隣部屋にもう一人のワイちゃんが住んでる」
「いい加減にしてくださいってば! そんな人いるわけないじゃないですか!」
「おや? じゃあ、夜な夜な聞こえるあの話し声……一体誰だって言うんだ? いやだなーこわいなぁー」
「それ絶対あなたの独り言です! もしかして、孤独すぎてイマジナリーフレンドでも見えてるんですか!?」
「独り言が二重奏になることってある?」
「あるわけないです!」
「飼い猫のニャビィも居るから三重奏か」
「わらわはボーカル担当にゃ」
「ひゃっ!? え、今、違う声が!? 猫の声!? ええっと、私、寝不足で幻聴が……」
「あ、ワイちゃんはギター担当。そして、扉の向こうのキミはドラムだ」
「なんで私までバンドに入れられるんですかああああああ!!! 初任務で何これ!? こんな仕事のはずじゃなかったんですけどぉーー!!!」
「ところで何かご用件は?」
「あ、そうでした! って、もう! 変な話に付き合わされてましたけど、私は魔法ギルドから結界の定期検査に来たんです!」
「なるほど、結界の定期検査ね」
「はい。ヘレン先生から事前にお話を伺っています。それで――」
「申し訳ありませんが、ワイちゃんは只今留守にしております」
「ええ~~!? またそれですか!? こんなにお話してるのに留守なわけないでしょーーっ!!」
「マニュアル通りの対応だよ」
「マニュアル!? 何のマニュアルですか!? というか、マニュアルで留守って言う決まりがあるんですか!?」
「もちろん。結界管理員の接客ガイドライン、第五条」
「そんなガイドライン聞いたことないんですけど!? 何ですかそれ!?」
「第五条にはこう書いてある。『来客があった際にはまず静かに留守を装うべし』」
「いやいや、どう考えても会話成立してますよね!? あれえええ、ループしてる~~!? 私、同じ話をまたしてる!?」
「ループじゃないよ。ほら、次はバンド名を考えよう」
「え!? バンドの話は進んでるんですか!? ……って、またその手に乗せられそうになりましたけど、私は仕事できたんですから!」
「仕事、ね。大変だね」
「そうですよ、だから結界の定期検査を――」
「申し訳ありませんが、ワイちゃんは只今留守にしております」
「また戻ったーーーっ!! だから留守じゃないでしょーーーっ!!!」
「いやいや、ここはちゃんとしたプロトコルに則ってね。ほら、聞いてよ、接客ガイドライン第六条」
「またガイドライン!? もういいです! どんな条文だろうと、開けてもらいますからね!!」
「第六条にはこうある。『来客が激昂した場合、ひとまず冷静になるまで待つべし』」
「げ、げ、激昂した来客!?!? それ私のことですよね!? 誰が激昂ですか!? 冷静ですけど!? 冷静にツッコんでますけど!? あなたがとんでもなく大問題ですよおお!!!」
「まったく朝から元気だな」
「はあ……もう、疲れました……お願いですから開けてください? 開けて頂けますよね!?」
「……仕方ないな。そこまで言うなら」
「だったら最初から開けてくださいよぉ!!!」
諦めて扉を開けると――そこには、銀色の長い髪を月光のように揺らす少女が立っていた。
深い藍色の瞳には、先ほどまでの掛け合いが嘘のような凛々しさが宿り、整った顔立ちは人形のように美しい。
白い肌に淡い薔薇色の頬、儚げな唇。魔法ギルドの制服は、彼女の華奢な体つきを一層引き立てている。
……って、おいおい。さっきまであんなにテンション高くツッコんでた子が、こんな美少女だったのかよ。
ボクは思わず目を見開いた。
「え、えっと……改めまして、魔法ギルド ー星輝の魔法院ー から来ました見習い魔法使いのリリアと申します……」
と、途端に声が小さくなった。華やかな見た目に反して人見知りなのか。
窓の外で『星光竜』が星屑のような光を振りまく。その光は、リリアの銀色の髪に優しく降り注ぎ、まるで彼女自身が魔法のように儚く、そして神秘的に輝いていた。