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最終話です

「結局俺は五歳くらいのころにここには来なくなりましたけど、祖父は来ていたんですか?」

「ああ、何年かに一度、ぶらりと現れてはいたよ。小切手持って」

「一応は返しに来てたんですね」


 「借金巨額利子付き返済持って、諦めずにね」とつけ足して、久は「ハハハ」とわざとらしく小さく笑った。


「君が最後にきたのは、幼稚園の年中さんに上がる直前頃だったと思う。なんでも、受験が大変になってきたとか言っていてね」


 そういえば小さい頃の俺は集中力がなく、姉よりも覚えが悪くて母は苦労していたという話を、大きくなってから姉が俺への嫌がらせで教えてくれた。俺は姉よりも長時間、お受験塾に行かされていて、お金も余計にかかったとも。それでここに来られなくなったのか。でも祖父は?


「お祖父さんが作ったリースやアレンジメントは、家族に秘密にしていたみたいで、宅配で会社の方へ送ってもらっていたらしいがかなり不審な届け物だったし、お祖父さんが一人でここに頻繁に現れるのも浮気とか疑われるかもと、継続は無理だと思ったみたいだ」


 確かに、祖母はあの通り気が強い。どんな誤解をするか。


「それでお祖父さんは教室をやめたんだけど、お別れの時、君と佐知子は会えなくなると泣いて、それで二人を許婚にしようという話が出たんだ。よくわかっていない幼い君らは無邪気なもんで、大人になったらずっと一緒にいられると喜んでいた」


 俺はそれを全く覚えていない。はっきり覚えているのは祖父と電車に乗ったこと。なんて奴だ俺は。


「でも俺、それを覚えていなくて。佐知子さんは?」

「小学校入るころまでは、未来の王子様の話とかしていたけど、今はどうかな。覚えていたとしても、もう大人だしね」


 とにかく、小さい頃の出来事だとしても、俺は覚えていないことが多すぎる。物覚えも悪かったんだもんな。それも影響しているのかもしれない。中学生くらいになって以降はそんなに学校の成績も悪くはないし、今もしっかり社会人として責任を持って仕事はしているけど。


「しかし君のお祖父さんも佐知子に遺産を残すとは。この時期にお金かぁ、佐知子も悩んでいるだろうなぁ」

「すみません。きっと彼女、心配かけたくなくてお父さんに黙っていたんでしょうね」

「あいつらしいや、かわいそうに一人で抱えてたんだなぁ。実は……この店閉店しようかという話が出ているんだ」

「え? なんで」

「佐知子が一人で店回しているだろう」

「あ」

「朝は三時台に起きて市場に行って、戻ってきたら十時開店に向けて切り花の水揚げ。午後七時閉店まで働き詰めで、翌朝また三時台に起床。バイトを雇うほどの余裕もない。教室の方も季節ものの単発以外の新規の生徒を、うちが花を卸している時計が丘の山下フラワーアートに紹介したりとか、色々対策もしているんだが。佐知子の負担はあまり減らないし売り上げにも影響するし。実際店を閉めて店舗を人に貸せば、妹家族に遠慮し、肩身の狭い思いをしている母を引き取り介護することもできる。俺がもう少し動けるといいんだが思うようにリハビリが進まなくて……大学の農学部で学んでまで店のことを考えてくれた佐知子には、現状が本当に申し訳ないんだ」


 祖父は橘田家のこの状況を知っていたのだろうか。知っていたからあんな遺言を書いたのだろうか。花屋も続けて百合さんも引き取って……お金があれば解決方法を模索できる。


 その後、結局ビールと晩御飯をごちそうになって、俺は帰路に着いた。

 買い物から帰宅した佐知子は仏頂面で、『どうせお父さんに全て話したんでしょ』と言って、自分からも久に木村勝の遺産について説明していた。そして時鶏でお持ち帰り用の焼き鳥が出来上がるまで、佐知子は百合にも電話で祖父の遺言について相談したらしい。聞き終えた百合は佐知子の好きにしろと言っていたという。

 佐知子は年内には弁護士に遺産放棄の連絡をすると言っていた。百合が断っていた以上のものを受け取ることはできないと。そして今の状況を、自力で乗り越えてみせると。炬燵の横に正座をし背筋を伸ばして自分の意志を話す佐知子は、店で見た第一印象と同じ凛とした佇まいをしていた。しっかり自分を持っていた。俺が今まで見てきたどの女性よりも力強く潔く美しいと思った。もしかして百合もこんな佇まいの女性なのだろうか。


 ところで焼き鳥美味かったな……時の沢、また来たいな。






 今年最後の土曜日。よく晴れた午後。俺は商店街を一人で歩いていた。朝晩の気温もぐっと下がり、厚手のコートなしでは昼間でも外を歩けない空気の冷たさに身を縮める。

 

「こんにちは」


 俺はフローリスト橘田の入り口をくぐった。店の中では生徒たちが正月飾りを作っている。

 材料は、注連縄(しめなわ)、稲穂、松の葉、珊瑚水木(さんごみずき)、松ぼっくり、赤い実は南天や山帰来(さんきらい)、金や赤の水引などなど。これでも少し覚えたんだ。クリスマスリース教室のメンバーも三人いた。


「あら、え~と。木村さん? よね?」


 あの六十代の女性。目ざとく真っ先に声をかけてきた。しかも俺の名前覚えているし。侮れない。


「教室の予約はされてないですよね」


 佐知子は態度を軟化させることなく、眉根を寄せる。何しに来た、と言いたいのだろう。


「佐知子先生にお願いがあって」


 佐知子は俺の腕を掴むとレジカウンターの内側へと引っ張り込んだ。


「遺産なら断ったわ。なんの用?」


 生徒たちに背中を向けて、小声で俺の耳元に向けて囁く。


「聞いた、知ってる。でも俺、自分の分は受け取ったよ」


 佐知子に示された額よりははるかに少ないが、祖父の遺言は俺にも遺産を相続させてくれていた。


「別にいいんじゃない? あなたは孫なんだし。それでなんの用?」


 俺はレジカウンターの外側に出ると、花の冷蔵庫を開けて赤いバラの花を一輪取り出す。


「ちょっと、勝手に開けて、何やってんのよ!」


 怒った顔の佐知子がレジカウンターから出て来た。俺に向かってくる佐知子の横を通り過ぎ、レジカウンターに千円札を一枚置く。


「このバラ、もらいますね」


 そして俺は佐知子に近づき片膝をつく。


「佐知子先生に惚れました。俺とつき合ってください」


 俺はバラの花を差し出した。

 キャーッと、作業を止めて俺たち二人に注目していた女性陣の悲鳴。事態を飲み込めないのか、佐知子は目が点になっている。


「な、何やってんのよ! 遺産なら」

「そんなのはどうでもいい。自力で乗り越えると言った凛とした美しさに惚れたんだ。俺は大事な約束を忘れてしまった馬鹿な許婚だけど、もう一度俺にやり直させて欲しい。佐知子先生のそばにいるチャンスをください! お願いします!」


 また女性陣からキャーッという声。

 ハイともイイエとも言わずにバラを見詰める佐知子。ボーっと突っ立ったまま、瞳の光が困ったように揺れている。


 お祖父ちゃん、こうなることわかってやったのかな。いや、いくらなんでもそこまでは予想できないよな。今日断られても俺はまた来るからね。こんなに魅力的な女性を、絶対諦めたくないから。俺が受け取った遺産は将来佐知子と一緒に使う。そのための相続だ。だからお祖父ちゃん、俺を見守ってくれ。


 








最後まで読んでくださってありがとうございましたm(__)m

また何か書けましたら、よろしくお願いいたしますm(__)m

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