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「お父さん」


 そう呼ぶ佐知子の声がした。俺は目の前に現れた、声の主の男性を凝視する。それは杖に体を支えられた、半分以上白髪の初老の男性だった。男性は杖をつきながらゆっくりと店内に入ってくる。


「いつもは店のシャッターを閉めて家に戻って来る時間なのに、どうしたのかと思って。お客さんだったのか。急かすみたいになってしまってすみません。せっかく綺麗に咲いたお花ですから、時間を気にせずゆっくり選んでください」


 彼は大事でかわいいのだろうなと思わせる、優しそうな笑顔で花々を見渡す。背の高い佐知子とは対照的な小柄で小太りな男性。佐知子は母親似なのだろうか。しかしともかく彼が佐知子の父親なのだ。確か橘田久(きつたひさし)と言ったはずだ。俺はこの機会を逃すまいと思った。


「あの、おれ、木村憲一(きむらけんいち)です。小さいころここに来ていたみたいなんですけど、覚えていますか?」


 俺が名乗ると久は大きく目を見開いて俺を見て、それと連動するように口を開けて、優しそうな笑顔が満開の笑顔に変わった。


「ええ? 憲一君? 懐かしいなあ。驚いた大きくなって、これじゃあわからないよ」


 もしかしたらこの人が、俺の聞きたいことを知っているかもしれない。俺は期待を大にした。




「憲一君はこの辺に用事でも?」

「いえ、これ作っていたんです」


 俺は下げている袋の中身を久に見せる。


「君も作りにきたのか、ハハハ、血は争えないな」


 そうだった、祖父もリースを作っていたのだ。久もそれを知っているのだろう。


「佐知子は憲一君が来たんなら、俺に声かけてくれればいいのに。それよりも、木村さんは、お祖父さんは、お元気か?」

「いえ、先日亡くなって」

「ええ? そうだったのか。聞いて悪かったね」

「いえ、もう年ですし」


 厄介な遺言も残してくれましたがとは言わないが。しかしこの様子では、久は俺の祖父が亡くなったことを知らない。ということは久は自分の娘に降りかかっている問題も知らない? 佐知子は話していないのか?


「もう夜も遅いから店閉めて、今日は帰ってもらいましょう」

「何を言っているんだ。せっかく久しぶりに会ったんだから、食事でもしよう。憲一君、時間は大丈夫か?」


 俺を追い返そうとする佐知子を久は窘めた。俺としてはもっと話が聞きたい。


「はい!」


 俺は元気よく返事をした。チラリと佐知子を見ると、射殺しそうな目で俺を睨んでいる。余計なことしやがって、という佐知子の心の声が聞こえた気がした。








「それで、本当は、今日はどうしてここへ?」


 店の二階の住居部分に通された。久は佐知子に、酒のつまみになりそうな物を買いに行けと頼んだ。佐知子は俺と久を二人きりにしたくないのか躊躇っていたが、結局追い出されるように買い物に出かけた。今日の暑さのせいか布団を剝がされた炬燵の上には、佐知子が久の命令で用意した、ビールとコップ二つと白菜の塩漬けが置かれている。俺は久に勧められてビールを一口だけ飲んで、白菜をひとかけ口に入れた。


 久は俺が店へ来た目的が、リース作りではないとわかっているようだ。俺は俺が知っていることをできるだけ正確に細かく話した。もちろん佐知子が隠しているらしい、遺産相続についても。久は軽く相槌を打ちながら聞いていたが、俺が話し終えると「そうか~」と、少し気が抜けた言葉を発した。


「君に君のお祖父さんと俺の母について、ちゃんと話さないとな」


 久は語り始めた。やっと知りたかった話が聞けると、俺は偶然久に会えた運の良さを神に感謝した。


「事の始まりは君のお祖父さんが若い頃だ。今の君くらいの年齢かな。当時の給料は今のような振り込みではなく、封筒に入ったお金を会社が社員に手渡ししていた。それを君のお祖父さんはどこかで落としてしまったらしいんだ。お金なんて当然拾得物として警察に届けられもせず、お祖父さんはほぼ無一文になってしまった。実家に頼ろうと考えたらしいんだが、実家は兄弟が多く生活費もギリギリで、逆に仕送りをしていたほどだから、お金を貸して欲しいとは言いにくい。そんな困っていたところにお金を渡してくれたのが、お祖父さんと同じ会社で働いていた俺の母だった」

「百合さん」

「そうだ。大卒の初任給が二万円台だった時代に、母はお祖父さんにポンと二万円が入った封筒を渡してくれたそうだ。『私は実家暮らしだから、一か月くらい親に頼れるから大丈夫よ』と言って。お祖父さんは少しずつ返すと言ったらしいんだが、『いつか大物になったら、それを一億円にして出世払いして』と冗談のように言って、以後返済を受け取らなかったんだそうだ。それからすぐに母は結婚のために退職した。当時、結婚した女性は退職する人、多かったからね。寿退社ってやつだ。母は返してもらうつもりなく貸したと言っていたし、それっきり、君のお祖父さんには会わなかった」


 久はビールを呷った。俺もそれに釣られるかのように一口だけビールをいただいた。喉の渇きが潤う。


「それから何十年もしてから、お祖父さんから連絡がきたんだよ。二万円が一億円になったから返したいって。母はあの言葉は冗談だし、そんな大金持ってたらろくなことにならないと取り合わなかったら、小切手持ってじかに訪ねてくるようになった。最後には生徒にもなって、頻度も増えて君まで連れて、なんとかお金を受け取ってくれと」

「じゃあ俺の記憶はその時の」

「ああ。お祖父さんの作ったリースを、君と佐知子でぐちゃぐちゃに装飾をつけていたね。皆で笑ったもんだ。当時、君と佐知子は仲がよくて、『ケン』『サチ』と呼び合って遊んでいたね」

「え? あの、ヤンっていいうのは?」

「ああ、母が佐知子がお転婆をすると、『私のかわいいやんちゃ姫』と呼んでいて、略してヤンと呼んでいたから。憲一君にはそっちが印象に残ったのかな」


 すみません。サチって名前、全く記憶にないです。


「そうだ、母に手伝ってもらって二人の花壇を作って花を植えていたな」

「花壇?」

「ほら、うちの玄関ドア横の」


 昼間見た花壇だ。俺は何かが引っかかった。あの花壇……そうか、俺がガーデニングをした記憶があるのは祖母の手伝いではなく、ここの家の、百合や佐知子の手伝いだったのだ。花壇がもっと大きかったなどと偉そうにマウントしていた俺は馬鹿だ。俺が小さかったから、花壇が今よりも大きく見えていたのだ。考えてみればあのオシャレな祖母がガーデニングなんてするはずがない。虫も泥も大嫌いだ。俺は何を勘違いしていたのだろう、あれはここでの記憶だったのだ。砂遊びの道具の記憶ももしかしてこれか? 砂遊びではなくて、花植えてたのか?







ここまで読んでくださってありがとうございました(o_ _)o))

次話で完結です。

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