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 目の前に置かれたコーヒーを見ながら、俺は花屋で思い出したことを考えていた。


『百合先生〜』

『やだ、揶揄うのはやめてよ』


 俺の薄ぼんやりした、多分幼い頃の記憶。これは絶対に過去の体験で間違いないだろう。百合先生はきっと佐知子の祖母の百合のことだと思う。俺は過去に佐知子の祖母にどこかで会っていた。記憶にはないがリース作りを見せてもらった。そして百合先生と話しかけている男性は誰だ? 今までの情報から推察するに、俺の祖父か? 祖父はなんのために百合のそばにいたんだ? まさか生徒?


『俺はここと、ここにがいい』

『憲はだっさ、私はこことここ』

『二人とも装飾は決まった? あらあら、小さい子でも個性が出ているわね。憲一君は手堅く飾るのね。ヤンは自由。でもどちらも素敵よ』 

 

 ヤンとはきっと佐知子のことだろう。なぜヤンと呼ばれているのかはわからないが、その辺も佐知子自身から聞かせてもらうしかない。装飾に対する評価を話しているのはきっと百合。祖父と俺と百合と佐知子は顔見知り。佐知子って俺の祖父を知っているのか? 会ったことあるってことか? じゃあ、知らないと言うのは嘘か?


 俺はコーヒーに口をつける。よい香りが鼻に抜けたが、俺が考え事でぼんやりと放置していたせいで、少しぬるかった。美味しく仕上げたマスターに申し訳ない。申し訳ないついでに、とにかく一時間半近くをここで粘る。俺は暇つぶしにスマホの動画サイトのアプリのアイコンをタッチした。




 

 フローリスト橘田の閉店五分前。予約した花束を取りにきたらしき中年の女性客が店を出るのを見送ったあと、俺は入れちがうように入り口から店へ入った。


「こんばんは」


 レジカウンターの向こうにいる佐知子が入り口方向を見る。そして当然眉根を寄せた。


「なんの用?」


 先ほどのリースの作り方を教えてくれていた時の態度とがらりと変わり、不機嫌な声で俺を睨みつける。仕方がない。先程は生徒たちの手前、普通に接してくれていたのだろう。


「ちゃんと、話がしたいんだ」

「許婚の意味も、木村勝も、全く知らない話よ! 遺産は断ると言っているでしょう? これ以上私になんの用事があるの?」


 俺はレジカウンターに向かって歩を進める。


「ヤンって、君だよね。小さい頃、会ったよね」

「違う、知らない!」


 佐知子はまっすぐに俺を睨んだまま否定する。


「嘘だ。だって俺、ヤンっていう子のことも、百合先生のことも覚えているもの」

「いい加減なこと言わないで! 出てって!」

「オーバーオールの、ショートカットの女の子」

「近づかないで! 警察呼ぶわよ!」


 佐知子は左手でエプロンのポケットからスマホを取り出すと、画面に右手の人差し指を乗せる。


「一を押したわ。それ以上来ないで」

「どうしてヤンって呼ばれていたの?」

「もう一つ一を押したわ。次はゼロを押すわよ! 通報するわよ!」

「ねえ、ヤン」


 俺はレジ台まで辿り着くと足を止めた。スマホを握る佐知子の目と佐知子を見る俺の目が、レジカウンター越しにぶつかった。佐知子の目はもう俺を睨んではいなかった。目を見張ってから一旦視線を逸らし、次に戸惑うように俺を見詰めた。


「祖父は君に遺産を渡したいという。俺たちは許婚だという。そしてヤンという俺の記憶の中の少女、木村家の誰も祖父がこんな遺言を書いた理由を知らない。俺は祖父の気持ちが知りたいんだ。頼む、協力してくれ、ヤン」


 俺は頭を下げた。もう、そうするしかない。全てを知っているのはきっと佐知子だけだと思ったから。


「ヤン、ヤンって私を呼ばないで! 私をヤンと呼んでいいのはお祖母ちゃんだけよ!」

「はい?」


 俺に対してどこかずれた言葉を発した佐知子に、俺は思わず真摯に下げていた頭を上げた。




「でも俺の記憶の中のヤンは、やっぱり君だったんだ」


 顔を上げた目の前には、ぶすくれた顔をして俺から目を背けている佐知子。思わず怒りの勢いで認めてしまったということか。


「私だって知っていることはほとんどないわ」


 佐知子は目を合わせず面倒臭そうに呟いた。でも話してくれる気になったみたいだ。これで全てが明らかにならなくても、祖父が佐知子に遺産を渡したい理由や、俺と許婚になった過程のヒントが得られるかもしれない。


「私だって小さかったの。はっきり覚えていることは少ないわ。私の感覚では物心ついたころから四、五歳ごろまでだと思う。たまに見知らぬおじいさんが私と同世代の男の子を連れて、この花屋にお祖母ちゃんを訪ねて来ていたの。お祖母ちゃんは木村さんって呼んでたから、きっとそれがあなたとあなたのお祖父さんではないかと思う」


 そう言ってから佐知子はやっと俺と視線を合わせてくれた。相変わらず目つきはが悪く、鋭く俺を睨んでいるが。


「俺がお祖父ちゃんとここへ来ていたってこと?」


 俺は記憶を探るが何も出てこない。というか三歳から五歳くらいまでの記憶って、誰でもそうだと思うがどことなく曖昧だ。

 幼稚園の園庭で遊んだり、お歌を歌ったり、先生に絵本を読んでもらったり、。日常生活の中でポツポツと思い浮かぶ記憶はあるが、ここを訪れた記憶は先程思い出したあの二シーンだけだ。

 そういえば祖父はよく休日に、俺を電車に乗せてくれた。俺は窓の外の景色や、ボタンやレバーのある運転席を除くのが楽しくて。それで俺と祖父はどこかへ行ったか? だめだ、思い出せない。


「木村さんは祖母と一頻り話をしたあと、アレンジメントフラワーを作ったり、リース作ったりしていた。私やあなたにリースの飾りつけさせたりして」


 ああ、あの記憶だなと思う。


「それくらいしか知らないわ」


 祖父は帰りに何か持っていただろうか。花とかリースとか。思い出せない。当時の俺は電車に夢中で、乗れるのが嬉しくて、他には何も意識が向いていなかったのだろう。


「もう閉店時間はとっくに過ぎてるの。店閉めたいんだけど。邪魔なの」


 黙って考え込む俺に、佐知子は容赦なく退店を要求する。もうちょっと粘りたい。俺が動かないと、佐知子は盛大に溜息をついた。


「ちょっと! 聞いてる?」


 大き目の低い声。これは怒っているなと思ったが、俺はまだ帰りたくない。


「佐知子、まだお客さんがいるのか?」


 店の入り口方向から男性の声がした。その声に俺は振り向いた。


 

読んでくださってありがとうございましたm(_ _)m

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