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俺は木村憲一二十三歳。
そもそも俺はラッキーなことに、生まれ落ちたその日からお金持ちの御子息であった。しかもこの国の上位何パーセントかに確実に入るクラスの。祖父は複数の会社社長。父はその会社の役員。会社は俺が子どもの頃から経営状態が悪かったことはなく、俺は社長一族の一人として何不自由なく裕福に暮らしていた。祖母と母は優雅な専業主婦。二世帯住宅の広い庭には俺のために、ブランコや滑り台の遊具まで揃えられていた。常に祖母か母が俺のそばにいて、さらに家政婦やベビーシッターも雇われ、俺の幼児時代の環境は至れり尽くせりだった。
当然、有名幼稚園からお受験して私立小学校へ。そのまま大学までエスカレーター。同級生は会社経営者、医者、弁護士、議員などなどの孫や子どもたち。
就職も祖父の知り合いの会社で、将来は祖父の会社へ戻ること前提の武者修行だった。俺は挫折とか壁とか、そんなものは全く体験せずにのほほんと社会人になっていた。
若い頃、賀来千香子に似ていると誉めそやされたという母親に似ている俺の顔は、文句なく並以上のはず。総じて男性としてのスペックだって高いはず。サークルの後輩女子たちの評判だって合コンだって、それなりに俺の評価は高かった。なのに……ただでさえきつい顔した女から睨まれるなんて、軽蔑の目で見られるなんて、人生初の体験だった。
「なぁ、本当に俺のお祖父ちゃん、木村勝に心当たりはないのか?」
「ないわ」
即答された。
「あなたのスポンサーだった、大事な大事なお祖父様でしょう? 私なんかよりもあなたの方が、ずーっとずーっと詳しいのではなくて?」
いちいち言い方が失礼できつい。
「今日はこれから忙しいの。客じゃないなら帰って」
佐知子はカウンターから出てくると俺の背中を両手で押して、彼女の迫力に引き気味で力の抜けた俺の体をクルリと一回転させた。そしてグイグイと背中を押す。
「帰って!」
佐知子の声はさらに大きくなった。
「え、でも」
俺は頭だけ後ろを向けて佐知子の顔を見た。
「金金金金金! 木村家の人間も弁護士も大嫌い! 金なんて要らないわ! それでいいんでしょう? もううんざり、出てって!」
「いや、でも、お祖父さんの気持ちが」
俺は問答無用で店の外に押し出される。
「二度と来んな!」
先ほどまで開け放たれていた店の扉がビターンと大きな音を立てて閉められた。引き戸の立てつけが悪くなっているのか閉められた扉が少しだけ開く方向に傾く。
「はぁ」
塩でも蒔かれそうな剣幕だった。俺は呆然と店の前に佇む。
「怒らせたか」
そりゃそうだよな、と思う。しかし俺はこれで引っ込む気はない。二十分後にもう一度ここへ来る気満々だ。彼女の教室でクリスマスリースを作りに。
「こんにちは。木村憲一です。変換間違えて古村憲一で申し込んでしまいました。すみません。でも問題ないですよね?」
教室の始まる五分前、俺は人がよさそうな笑顔を作って、そう言って花屋の中に入った。お金は振り込んだし材料もあるはず。そして五分前ともなれば他の生徒たちもいる。生徒たちを前に佐知子が先程のように怒りを露わにはできないだろうと読んで、俺はこのギリの時間にヘラヘラとやって来た。
「まぁ、男の方? 珍しいわね」
六十代かな、と思われる小太りの女性が、俺を見てにっこりと笑った。かくいう佐知子は俺の言葉を聞いた瞬間、今まで生徒たちと話しながら浮かべていた笑顔が、すぐさま凍りついた。
「あなた……」
佐知子は先程と同じ、怒りを含んだ声で何かを言いかけたが。
「これからは気をつけてくださいね。空いている席に着いてください」
ああ、これは無理しているのだろうなと思う。佐知子は営業スマイルに失敗したような引きつった笑顔を浮かべ、淡々とした口調で声でそう告げた。
とにもかくにも居座ることに成功。椅子の一つに座った。今日の教室のメンバーは五人。俺以外は全員女性、当たり前か。
「男の方がお教室にいるのって初めてだわ」
先程の六十代女性が言った。俺の席は丁度彼女の右隣りである。
「あら、私もよ」
「私も」
全員男性が参加しているのを見たのは初めてらしい。俺以外の四人は日頃からこの花屋のフラワーアレンジメント教室に通っているらしいのだが、男性は見たことなかったと言う。
「うふふ、私も男性の生徒さん初めてなんです」
佐知子が生徒たちを笑顔で見ながら言ったが、俺の方に顔を向けた時、一瞬だけ目つきを険しくした。うわ、怖い。俺のことを店から放り出したいのだろうなと思う。誰もいなければそうしていただろう。
「木村さんはどうしてクリスマスリースを?」
さすがおばさんというか、なかなかに図々しく六十代女性は俺に踏み込んでくる。それに釣られるように他の生徒たちも、興味津々というか何かを期待する目つきで俺をじっと見た。若い男がこんな場所に一人でなんて気味悪がられ、遠巻きにされるよりはいいかもしれない。
一方、俺の正面に立っている佐知子は、余計なことを言うなよと言わんばかりに、上から俺に圧をかけるように睨む。生徒たちは俺を見ているからか、誰も佐知子の生徒に対してとは程遠い表情には気づいていないみたいだ。皆さん、先生はやたらと怖い顔をしてますよ~と俺は言ってやりたかったが、あとが怖そうなのでやめた。
「姉がクリスマスリースを作りたかったようなんですが、妊娠してつわりで今年は諦めたらしくて。それで俺が代わりにと」
はい、嘘と本当が混じっています。ネタ元はなん年か前のSNSで、そのパクリです。そいつは母が妊娠でとか言っていた気がするが、まぁ、そこはどうでもいい。俺に妊婦の姉はいるが、クリスマスリースを手作りするようなマメな性格ではない。今、姉はすでにお受験に燃えている。勝負は胎児のうちから始まっているらしい。俺もお受験とやらをしたし、色々と塾で勉強をさせられた記憶はうっすらとはあるのだが、俺の母親はあんなに過激だっただろうか。
「サプライズで」
と小声で控えめにつけ加えると、他の生徒たちは『姉思い』と俺を褒めてくれた。その間も佐知子は相変わらず俺を睨む。その時、俺のスマホの通知音が鳴った。クリスマスリース教室の時間のお知らせだ。
「では、まだ一人来てませんけど、時間なのでモミを配りますね。モミをばらし終わったらヒムロスギとヒノキをばらしてください。今年はモミが入荷が少なかったので、申込時のお知らせの通り三種類使います。木村さんは初めてなので、ばらし方を説明しますね」
佐知子がそう言ってモミの枝を配り始めた。
俺の頭はプチパニック状態。お知らせってなんだ? メールに何か書いてあったっけ、ちゃんと読まなかったな。ヤバい、知ったかぶりしよう。
一人来ていないということを、彼女も生徒たちも気にする様子はない。遅刻魔か多忙な人か。
作業に慣れているのか俺以外の女性たちはテキパキと作業を始める。佐知子は俺の横に来ると、極々普通に、モミのどこを切っていけばいいか説明を始めた。
読んでくださってありがとうございましたm(_ _)m
※クリスマスリースの作り方は、シリーズの最初の小説『クリスマスリース』にて詳しく書いてしまったので、この小説では大分省略して書きますm(_ _)m