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まず俺は橘田佐知子の働く花屋を調べた。花屋のホームページがすぐに見つかり、そこには店の紹介文と共に、花束やアレンジメントの写真が沢山掲載されていた。店は、プレゼント、冠婚葬祭、各種行事やイベントの相談・注文を随時承っていて、オンラインでの相談注文も可。そして橘田佐知子による店内でのフラワーアレンジメント教室も開催されていた。今は十一月。季節柄、その教室の課題の一つにクリスマスリースがあった。季節ものだからか日頃通ってない人の参加も可。俺はその教室の予約ボタンをクリックした。授業料もさっさと前金で振り込む。これで俺はクリスマスリース教室の生徒だ。そして俺は教室開催日の今日、フローリスト橘田に向かっている。教室開催時間の一時間前に。
フローリスト橘田の店舗は、時の沢商店街を駅側から十五メートルほど入った、商店街らしく店が密集しているエリアにあった。商店街には通りに沿って駅からズラリと、三階建て以上の建物が並ぶ。商店街だけあって、一階は店舗、二階三階は住居やアパートというような造りの建物が多い。フローリスト橘田の建物も似たような造りであるが二階三階への別階段もないし、店の北側に路地がありそこに橘田の表札のついたドアとドアの横にインターホンとポストがあるので、上階は家族の住居のような気がした。
ドアの両側には煉瓦を積んで作った奥行五十センチ・横幅一・五メートルくらいの小さい花壇があった。植えられた植物たちは花屋の路地に相応しく、綺麗に手入れをされている。俺も子ども時代は隣に住む祖母のガーデニングを手伝いで、花を植える穴を掘らされたな、こんな風な煉瓦積みの花壇があったな、でも庭の広い俺んちのはもっとデカかったよな、と失礼な考えと共に昔を懐かしく思い出しつつ、俺は店の正面へと向かった。
正面に立って目測すると、店の間口は五メートルほどか。店の前面がガラス張りなので奥をガラス越しに窺い見ると、レジの向こうにも事務所のような隠れた空間があるようだから、奥行きもそれなりにあるかなり立派な店構えである。生花・鉢植え・種・ドライフラワーだけでなく、植木鉢やプランター、腐葉土・肥料・殺虫剤なども店の隅の積まれているのが見えた。ガーデニングなどの設計依頼も引き受けてくれるようなことも、ホームページにあった気がした。前面にはガラスの引き戸らしき入口があり、その引き戸は開けっ放しになっていて、引き戸から入るとすぐのところに長机を三つ並べて作った作業台と椅子が置かれている。そこが今日の教室のエリアではないかと思われた。
俺は入り口から一歩中へ入った。ざっと見渡す、どうやら客はいない。そして店員も一人もいなかった。店内には見たところ俺一人だ。
「すみません」
声をかけたが返事はない。おいおい泥棒に入られるぞ、と思いながら俺はレジカウンターの前までゆっくりと歩いて行った。
「すみません」
カウンターの向こうに隠れるようにある部屋、事務所らしき空間に向かって再び声をかける。返事はない。そして感覚的に人の気配がない。
「マジかよ。不用心すぎるだろう」
俺の目の前にはレジスター。レジドロアは閉まっているが機械自体は手に届くところにある。
「俺が泥棒だったらどうするんだよ」
ハーっと大きなため息をついてから、俺は右側頭部を右手でガリガリと掻いた。音楽が流れるでもなく静かな店内。植物に囲まれてはいるが店内という閉鎖環境のせいか、植物たちに浄化されたような清涼な空気なんてものは感じられない。でも、たまに外を走る車の音が邪魔をするけれど、ここは俺と植物たちだけの空間。そう思うとなんだか植物たちに見張られているような気がして、俺は動かず何も触らずで、大人しくその場に立っていた。
感覚的に二、三分が経過したころだろうか、店前のガラスの前を動く人の薄い影がレジ横の白い壁に映った。俺はハッとして入口の方へ振り向く。
「お待たせしてすみません、お客さんだったんですね」
両腕一杯に、紙に包んだ大きな針葉樹の枝を抱えた若い女性が、困ったような笑顔を浮かべて店内に入って来た。
「今日はクリスマスリース教室があるので上から花材を運んでたんです、すみません、今日は何をお求めですか?」
彼女は長机の上に枝を置くと俺に向かって歩いて来た。二十代前半、フローリスト橘田と書かれたエプロン。彼女が橘田佐知子だと思った。
「あの、木村勝の孫の、あなたの許婚の木村憲一です。話がしたくて来ました」
彼女の顔から一瞬で笑顔が消えた。この反応、やっぱり彼女が橘田佐知子だと思った。
「プロポーズにでも来たんですか? それとも罵倒しにでも?」
軽蔑が感じられる平坦な声で言いながら、彼女は俺の横を通り過ぎてレジカウンターの中へ入った。そしてレジカウンター向こうにある洗面台で手をごしごし洗ってから振り向く。
「ち、違うよ、お金のことはともかく、俺も戸惑っているんだよ。だって俺たち全く面識がないだろう? なんで許婚なんだか。それで話がしてみたかったんだ。もしかしたら話しているうちに何かわかるかと」
佐知子は無表情に俺を睨んでいる。百七十センチ近くありそうな高身長。胸元まである真っすぐな黒髪を後頭部のミドルポジションで一つに束ね、それをペールグレーのシュシュでまとめていた。前髪は眉毛の上できっちりと揃えられ、若い女性には珍しいくらいメイクは薄い。黒のフリースのトップス、キャメルカラーの花屋のエプロン。インディゴのジーンズ。全体的に地味な色合いだが、色白の頬と小さくはないが切れ長の目と数字の一を描いたような真っすぐな眉が印象的で、彼女の顔はキリリとした美しさがあった。背筋を伸ばし挑むように俺を見上げるその姿は凛としていて、武道の道着が似合いそうだ。袴系の奴。剣道弓道、武具を持たせポーズをとらせたらきっとサマになる。
俺の脳はそうやって、彼女の視線を感じたくなくて現実から逃げた。俺は自分の身長が百七十八センチあり、彼女と対等な位置に視線がないことにホッとしていた。だってあの意志の強そうな瞳と真正面からぶつかったら、絶対俺の方が先に目を逸らすだろうとわかっていたから。
読んでくださってありがとうございましたm(_ _)m