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6話-偽りの剣

「すいやせん、今日は店を開けてなくて……」

 ひょうきんな態度の若い男性が、首の後ろを掻きながら答える。

 レスデの街に二つしかない酒場のうちの一つ、暴れ仔牛亭。そこに、グライスナー伯の指示で【聖女】の捜索をしている兵士達がやってきたのだ。

 彼らは既に有力な情報を掴んでいるようで、男性に対して高圧的な態度を見せる。

「ここに客がいることは分かっている。下手な言い逃れはしないことだな」

「客って……いるわけないでしょう。ほら、今日はマスターが体調を崩しているもんですから、ずっと店を開けてないんですわ」

 男性は三人の兵士を酒場の中まで案内し、席には誰も座っておらず、見ての通り客など一人もいないのだと主張する。

 だが、兵士の一人が男性の胸倉を掴み、顔を近づけて声を張り上げた。

「牢屋にぶち込まれたいのか。早く匿っている客を出せ!」

「ヒ、ヒィ。だから、何のことかさっぱり分からないんですってば。俺はただ、ここの掃除をしていただけで……」

 怯えながらも必死に否定する男性に対して、兵士は苛立ちを隠せない。

 顔に傷が入った、見るからに粗暴で短気そうな男だ。吐かないのであれば、次は暴力で訴えかけてくるだろう。

 そうして、兵士が腰から提げた剣に手を掛けた、その瞬間のことだった。

 唐突に、背後から肉の裂ける音と、断末魔が聞こえた。

「いったい、なにが」

 胸倉を掴んだまま、兵士は後ろを振り返った。

 彼の目に飛び込んできたのは、驚愕の表情を浮かべたまま、酒場の床に血塗れで倒れている同僚の姿。

 そして、同僚たちを殺った、見るからに異様な存在だった。

 紺色のドレスを身に纏った、金髪の少女だ。返り血で頬を濡らし、赤い液体が滴る細身の剣を兵士に向けている。

 彼女の暗い瞳の奥を、兵士は思わず覗いてしまった。

「――――――()()()()()()()

 その言葉に、兵士は己の意思に沿わず、男性を掴んでいた手を放した。

 いや、もはや兵士に己の意思など存在していなかったことだろう。

 【魅了(チャーム)】を掛けられた者は、決して主に逆らうことはできない。

「よく、できました」

 アルーシャは細身の剣、ドレスソードを紫色に光らせると、兵士に向かって鋭い突きを放つ。

 普通ならば兵士が着ている鎧と鎖帷子に阻まれて、刃が身体に届くことはないのだが。

 まるで薄紙のように防具は貫かれ、刃は兵士の胸を貫通する。

 ドレスソードから手を放すと、串刺しとなって絶命した兵士は力なく床に倒れこんだ。

「……これで全員、かしら」

 三人の兵士が惨殺された、凄惨な光景となっている酒場の室内を見回して、アルーシャは至って冷静に呟いた。

 急に手を放されて尻餅をついていた男性は、ひょうきんな態度を崩さぬまま、彼女の呟きに返事をする。

「えぇ、そうです。いやぁ……やはりお強い。さすが、我らが主」

「そちらも名演技だったわ、オズワルド」

「この程度なら慣れたもんです。それで、今後も計画通りに?」

「そうね。わざと情報を流したとはいえ、追手がここに辿り着いたのが思ったよりも早かった。グライスナー伯は予想以上に焦っているようですわ」

 兵士達がアルーシャとツェツィーリアを追って、この酒場に来たのは計画通りだった。

 わざと有力な情報を流して、彼らをこの酒場に誘い込んだのだ。

 なぜ、わざわざそのようなことをしたのかというと、グライスナー伯を更なる罠に嵌めるためだ。

「グライスナー伯は、正教会によって【聖女】の情報が漏れたのではないかという疑念を抱いている。それを確信に変えてしまえば、双方の信頼関係と連携は一気に瓦解する」

 そう言って、アルーシャは兵士の胸に刺さったままのドレスソードを見やる。

 このドレスソードは、【ケルレウス正教】に所属している高位の神殿騎士に与えられる儀礼用の剣だ。儀礼用なので通常は戦闘に向いてはいないが、特殊な素材で出来ているために、神殿騎士のような卓越した魔法を扱える者ならば刀身に魔力を帯びさせることで必殺の魔剣になりうる。

 こんなものが兵士の死体から見つかれば、グライスナー伯はこう勘違いしてしまうだろう。

 アルーシャ・フォン・ロレーヌ嬢に神殿騎士の護衛が付いていたのだ、と。

「あとは【聖女】の父親さえ見つかれば……チェックメイトというところかしら」

「正教会は調べ終わったので、残りは伯爵の屋敷を調べるだけです。後は、我々にお任せくだせえ」

「そうさせていただくわ。任せるわよ、オズワルド」

 立ち去ろうとするアルーシャを、オズワルドは見送る。

 可憐な少女にしか見えない彼女の背に向かって、オズワルドはニヤリと笑みを浮かべた。

 その笑みは、先ほどまで少々おどけた態度を取っていた男のものとは思えないものだった。


「えぇ。我らが【魔王】のお手を、わずらわせることはいたしませんとも」

 


***



 物々しい雰囲気が漂う、とある屋敷の応接間。

 レスデからは少し離れた、グライスナー領のトゥワイスにある伯爵の屋敷だ。

 そこで互いに何人もの従者に囲まれ、ベルトルト・フォン・グライスナー伯爵と王国騎士団の副団長であるフェリクス・クライネルトが相対していた。

「それで、王国騎士団の副団長殿が、なぜ王都から離れた辺境の地にいらしたのですか。お忙しい方だ、物見遊山というわけではないのでしょう?」

 皮肉を交えるベルトルトに対して、副団長フェリクスは仏頂面を崩さずにベルトルトを鋭く睨みつける。

 まだ三十歳にも満たない彼だが、幾多の修羅場を潜ってきた副団長としての貫禄は、ベルトルトを怯ませるには十分の迫力だった。

「グライスナー伯。貴殿には、嫌疑がかけられている」

「嫌疑、ですと?」

「魔王と結託して、王に反逆しようとしているというものだ」

 冷や汗をかいていたベルトルトだったが、【魔王】というあまりにも突拍子もない話に、思わず立ち上がって怒りを露わにする。

「【魔王】?冗談を言っている場合ではないのですぞ、クライネルト殿。王に反逆しようなどと、あまりにも無礼な疑いをかけるばかりか、そんなおとぎ話まで持ってきて私を貶めようなどとは」

「おとぎ話ではない。王都では【魔王】を名乗る者の勢力が台頭し始めている。王は既に、危機感を持っておいでだ」

 フェリクスは傍に控えていた部下の騎士に合図をして、テーブルに薄い紙束を用意させる。

 紙にはいつ何処で誰が何を取引したのかが、事細かに記されているようだった。

「グライスナー伯、これは貴様の手の者が商品を取引した際に記した帳簿の一部だ。最近になって、隣国から大量の武具や兵器を購入しているようだが?」

「こ、これは……その、もしもの為の軍備の増強ですな。いつ周辺諸国と戦になるか、分からないですから。」

「貴族達の中には、相手が【魔王】であると知らずに協力した者もいる。そのような者には、反省を見せれば()()を与えるというのが王のご意向だ。貴様はそうではないのか。」

「クッ……」

 ベルトルトはその問いかけに、思わず下唇を噛んだ。

 これは脅しだ。この帳簿を出してきた時点で、これが本物であろうがなかろうが、伯爵側の立場が悪くなるのは避けられない。

 だが、【魔王】と知らずに彼にそそのかされていたと自供すれば、哀れな被害者という立場で軽い罰を受けるだけで済む。

 買い込んだ物資は証拠として押収されてしまうだろうが、伯爵という立場までは剥奪されない。首の皮一枚で繋がるだろう。

 対して、ここで嫌疑を認めなければ、王国騎士団が直々に領内の調査に踏み切ることになる。罪を着せられて【魔王】の一派だと言われてしまえば、死罪程度では済ませられない。

 やましいことが無ければ否定してもいいかもしれないが、ベルトルトは【貴族派】として陰で行動を起こそうとしている。領内の調査などされてしまえば、ボロの一つや二つは出てくるだろう。

 脅しに屈せざるを得ない。ベルトルトはそう決断せざるを得なかった。

「……戦争が近いと警告した者が、【魔王】の一派であった可能性はありますな。ご忠告に感謝いたしますぞ、クライネルト殿」

「では、グライスナー伯。調査に協力していただきたい」

「是非とも。何なりとお申し付けください」

 淡々と話すフェリクスに対して、ベルトルトは腸が煮えくり返るような様子だった。

 辛うじて笑顔を作りながらも歯を食いしばり、爪が食い込んで血が出るほどに拳を強く握りしめている。

(クソッ、嵌められた。こいつを此処に送り込んだのは、一体誰の差し金だ。【聖女】の誘拐といい、あまりにもタイミングが悪すぎる。)

 憤慨するベルトルトだったが、彼の傍まで従者が近寄ってきて、耳打ちをする。

「ベルトルト様、レスデにいた兵士から、報告がありまして」

「なんだ、【聖女】は無事に確保できたのか」

「それが……昨夜、捜索していた兵士三名が遺体で発見されまして。儀礼剣で殺害されていたことから、犯人は正教会の神殿騎士とみられています」

「なっ、神殿騎士だと?バカな、アルーシャ嬢に神殿騎士の護衛など……」

 神殿騎士と聞いて、ベルトルトの脳裏で否定していたある考えが再び浮かび上がる。

 自分達を裏切り、【聖女】の情報を流したのは正教会ではないかという疑念だ。

 裏切ることが正教会側に何のメリットはないと思っていたが、ロレーヌ家の娘に神殿騎士の護衛をわざわざつけるほどに蜜月の関係であるのならば、話はまた違ってくる。

 【王党派】と結託し、【貴族派】の勢いを削ぎたいならば、【聖女】の誕生はまたとない好機となる。

 それに、このタイミングで【魔王】の話が出てきたというのも、ベルトルトの疑心暗鬼を更に加速させた。

 【魔王】とは、【ケルレウス正教】の教義において最大の敵役であり、【聖女】の対となる存在だ。

 【魔王】を名乗る輩を【聖女】と共に討伐したとなれば、その権威に箔がつく。信仰という武器を味方につけ、王と正教会は大きな力を得るだろう。

 【貴族派】であるベルトルトにとっては、最悪のシナリオだ。


(正教会、そして王国騎士団め……このままでは、このままでは終わらせぬぞ。)


 ベルトルトは従者を下がらせて、怨みのこもった目でフェリクスを睨みつける。

 今もなお、掌の上で踊らされ続けていることを、未だ彼は知らない。

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