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3話-聖女

 かつて、ケルレウス地方は強大な帝国によって統治されていたという。

 だが、ある時。【魔王】を名乗る人物と魔物の軍勢によって帝国が崩壊してしまう。

 【魔王】の脅威に人々は恐怖したが、神から遣わされた【聖女】が民衆を率いて連合軍を結成し、大戦を起こして【魔王】を打ち破った。

 大戦後、【聖女】の子孫達は帝国が治めていた土地を分割して統治し始めた。やがて、それぞれが王を名乗り、国を築いていくこととなる。


 以上が、【ケルレウス正教】が広める伝説の簡単な概要である。その後も【魔王】と【聖女】はおとぎ話や伝承によく登場し、様々な創作が作られていった。二つの存在は、【ケルレウス正教】を信仰する者ならば知らない者は居ない。


「――――――はぁ。」


 ロレーヌ家の長女であり、王子の許嫁であるアルーシャ・フォン・ロレーヌは揺れる馬車の中で独り、絵本を手に溜息をついた。

 絵本は、この国の子供ならば誰かから一度は読み聞かされるような、広く一般的なものだ。

 そして、読み聞かされると同時に、大抵はこのようなことを聞かされる。ユシタニア王国、この国の王様も【聖女】の子孫達の一人なのだ、と。

 ユシタニア王国の国土が四つの国と接しながらも、【ケルレウス正教】という同じ宗教の繋がりを武器に、四つのうちの三つの国と長年同盟を築けているのは、この説が広まっているからだ。

 要はルーツを同じくする同士だから仲良くしましょうという建前で利害が一致し、それが上手く嵌っている状態である。


「新たなる【聖女】の出現は、これまでの歴史の中でも毎度大きな出来事の前触れとされていた……ツェツィの正体を知った者は、彼女の力を得ようとするか、排除しようとするかの二択を取るはず。」


 アルーシャ・フォン・ロレーヌとしての2回目の人生を歩む彼女の中で、ずっととある疑問が浮かんでいた。

 1回目の人生において、ツェツィーリアと初めて出会ったのは、アルーシャが14歳の時にユシタニア国立正教学院へ入学したときだ。

 異例中の異例として、平民の出自ながらも入学したツェツィーリアは悪い意味で目立っていた。貴族達の差別の対象となっていたのである。貴族と平民で身分差の激しいユシタニア王国では、それは仕方のないことだった。ツェツィーリアが【聖女】であることを考慮に入れなければ、だが。

 彼女が【聖女】であることが学院内で知られていれば、そのような差別は受けない。学院が信仰しているものを足蹴にするような行為だからだ。逆に扱いを悪くすれば、相当な批判を受けかねない。

 つまり、学院の生徒達はツェツィーリアが【聖女】であること皆知らなかったのだ。かく言うアルーシャも、ツェツィーリアと親しくなるまでその事実を知らなかった。

 そうなれば、明らかにおかしいことがある。異例として学院に入学させられたのは【聖女】であるからだろうが、この国の権力者がわざわざツェツィーリアを学院などに通わせるだろうか。

 彼女の力を得ようとするか、排除しようとするか。どちらにせよ、必死にその存在を秘匿しようとするはずである。


「これでその答えが、得られれば良いのだけど。」


 アルーシャが2回目の人生を始めてから、既に四年の月日の流れている。つい先日、十歳の誕生日を迎えたばかりだ。

 まだ学院の入学までに時間はあるが、先に手を打っておくに越したことはない。そこでアルーシャは、ツェツィーリアの生まれ故郷であるグライスナー領レスデの町へとやってきたのである。


「アルーシャお嬢様、間もなくレスデに到着いたします。」

「ええ。分かりましたわ。」


 馬車の外から御者の声が聞こえてくる。アルーシャは返事をして、身支度を整え始めた。

 鏡を見ながら櫛で蜂蜜色の髪を整え、薄い口紅を付ける。紺色のスカートドレスの裾の皺を伸ばすと、胸に手を当てて深呼吸をした。


「……ふぅ。ようやく、あの子に会えるのね。」


 四年だ。彼女に再び会う機会が巡ってくるまで、それほどの時間が掛かった。本当はすぐにでも会いたくて仕方がなかったが、我慢に我慢を重ねていたのだ。

 やがて、馬車の窓からレスデの町の街並みが見えてくる。

 こうしてアルーシャは、【銀の聖女】の生まれ故郷に足を踏み入れたのだった。



***



 物心ついたときから、彼女に父親は居なかった。

 その原因は複数あるが、やはり決め手となったのは彼女の容姿だったのだろう。

 父親にも、ましてや母親にも似ない、銀色の髪。

 全てを見透かすような金色の双眸。

 その浮世離れした容姿によって、母親に疑いが掛けられた。

 ――――――()()()()()()()()()()()()()()、と。

 母親は必死に否定するが、身の潔白を証明するものはない。あるのはただ、全く父親に似ない娘という事実だけだ。

 結果的に、周囲の人々から好奇の目で見られ、要らぬ同情を浴びせられた彼女の父親は、妻と娘を捨てて出ていったのである。


 さて、そんな境遇を持つ彼女が真っ当に生きられるはずもなく。

 彼女は今、路地裏で悪童達にに絡まれていた。


「……返して……ください。」

「別にちょっとぐらい恵んでくれてもいいだろ。後で本当のパパに何でも買ってもらえるんだからさぁ?」 


 少年の一人が下卑た笑みを浮かべて、彼女が抱えていた袋を奪い取った。中には市場で買った果物と、薬屋で貰った粉薬が容れられた瓶が入っている。病気がちな母の代わりに、お使いに出ていたのだ。


「おい、何かいいの入ってたか。」

「食い物が入ってたぜ。あとは……何だ、これ。ああ、薬か。これは返してやる、よ!」


 少年が瓶を思い切り地面に叩きつけると、派手に割れて中の粉薬がぶちまけられる。


「あ……ああ……お母さん、の」


 狼狽える彼女の姿を、悪童達は滑稽な喜劇でも見ているかのように笑い飛ばす。

 少年達が果物を口にして後ろに下がると、今度は少女が彼女を嘲笑しながら近づいてきた。


「あーあ、泣いちゃった。早くおうちに帰って、なぐさめてもらえば?」

「うっ……」 

「……何か言えよ、愚図が。お前の顔を見てると、イライラすんだよ。」


 泣いてばかりで俯いたままの彼女の髪を掴んで、無理やり引っ張って前を向かせた。


「いた……い……」

「それしか言えねえのかよ。ほら、離してとか言ったら?」

「……離して……ください……」


 その返事に、少女は不機嫌そうに髪を引っ張る腕の力を強める。

 周囲で様子を伺っている野次馬も、見てみぬふりをするか、嘲笑している者しかいない。

 彼女の周りには味方が居ない。加害者達の興味が薄れるまで、ただ無抵抗に、理不尽な暴力に耐え続けるしかない。

 これが、彼女の日常だった。

 だが、彼女は自身の境遇を呪ったことはない。

 彼女にとって、無知であることは何よりも幸福で、何よりも不幸であった。

 大好きな母から父を奪ったのは、自分に他ならない。

 理不尽な暴力と、虐げられ続ける自分。それは、受けて然るべき罰なのだ、と。

 十歳にして彼女は、そういった自罰的な思考に至っていた。


「その薄汚れた手を、放しなさい。」


 不意に聞こえた、今まで聞いたことのない鈴のような澄み通った声に、彼女は視線を泳がせた。

 見れば、この場に似つかわしくないドレスを着た美しい金髪の少女が、悪童達の前に立っていた。


「……誰だ、お前は。」

「貴方のような下賤な民に、名乗る必要がありまして?」


 異様な雰囲気に困惑した少年が名を問いかけるが、笑顔で一蹴される。

 その態度に腹を立てた少年の一人が、少女に掴みかかろうとするが。

 刹那、手が少女に届く前に少年の身体が宙を舞った。


「なっ―――」


 驚愕の声を上げながら、少女の足元を通り越すように頭から叩きつけられる。少年は衝撃で意識を失い、そのまま地面に倒れ伏した。

 何が起こったのか。近くで見ていた者だけは、微かに一部始終を捉えることができただろう。

 少年は手を伸ばした瞬間に逆に少女に腕ごと捕まれ、凄まじい力で投げ飛ばされたのだ。

 唖然とする一同に向かって、少女はスカートの裾をつまんでお辞儀をした。


「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまいまして。もし宜しければ、今度はこちらでお相手いたしますわ。」


 少女は腰から提げたドレスソードを鞘から抜くと、悪童達にその切っ先を向ける。

 悪童達や野次馬は思わず悲鳴をあげ、慌ててその場から立ち去っていった。


「……」


 突然離された衝撃で尻もちをついたまま、呆然と少女を見上げる彼女。

 目の前で何が起こっているのか、全く理解できなかった。夢と断じてしまったほうが、まだ現実的だ。

 二人だけが残された路地裏で、先に口を開いたのは少女の方だった。

 いや、口を開いただけではない。

 ドレスソードをその場に取り落とし、少女は彼女を強く抱きしめた。


「――――――迎えに来ましたわ。私の愛しいヒト(マイ・レディ)

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