20話-服従
「お初にお目にかかります。【魔王】様、それに【聖女】様」
つい先ほどまで神聖アルディオン帝国の皇帝であった、ソフィア・ツヴァイク・マリー・アーデルハイト・アルディオン。彼女は黒い鎧を着た人物と仮面の女性に対して、畏怖の心を持って跪いた。
彼女にとって、目の前にいる二人は命を救ってくれた恩人だ。だが、同時にたった二人でグレゴア及びグレゴアの配下をいとも容易く蹴散らした人物でもあった。
今もなお、死体は焼け焦げた醜悪な臭いを漂わせている。
「危ない所を助けてくださり、ありがとうございました」
「礼を言う必要はない。貴女の覚悟に応えたまでのことだ。お陰で本当の敵を、正教会の飼い犬を誘き出すことができたのだからな」
そう言うと、鎧の人物は死体の方へと向いて声を掛ける。
「――――――話せ。本物のグレゴアは今何処にいる」
生死を問わず、呪いを掛けた対象を自在に操る【服従】の呪いだ。
きちんと喋れるように頭や喉を光線で焼いてはおらず、死体は首を捻じ曲げながら答えた。
「すぐに帝都を制圧できるよう、帝都の外に陣を構えておいでです」
「ちょっと待ってください。本物のグレゴアとはいったい?」
その会話に驚愕するソフィアを、柱にもたれかかって様子を見ていたオズワルドがたしなめる。
「影武者ってヤツだよ。あの用心深い【猟犬】が直接ここに出向くとは思えなかったからね」
「お兄様は最初からこうなることが分かっていたのですか」
「いや、そこまでは予想していないさ。【猟犬】が何か仕掛けてくるとは思ったけどね。それで万が一、何かが起こることを想定してここで見守っていたんだ。我が主が間に合ってよかったよ」
オズワルドはわざとらしく安堵した素振りを見せながら、ソフィアに微笑みかける。
「こちらもレジスタンスに密偵が紛れ込んでいるという前提で用意はしていた。問題はソフィア、貴女がグレゴアという脅威に対してどういった対応を取るかということだった。合理的な判断をするならば、宮殿から【智慧の聖杖】を持って逃げるのが最善手だろうからな」
「確かに逃げるという選択肢もありました。ですが、それでは何の解決にもならない。そう、思ったからです」
「そう思っても、己の命を賭けて自らの地位を放棄するなど、並大抵の人間に出来ることではあるまい。であれば、あとは【魔王】がその覚悟に応えて、帝国を滅ぼすだけだ」
鎧の人物は【服従】の呪いを解除して、仮面の女性をお姫様抱っこの体勢で抱きかかえる。
そして、オズワルドと共に踵を返して儀式の間から出ようとした。それに対して、ソフィアが後ろから声を掛ける。
「帝国を滅ぼす、とは?」
「支配から解き放たれ、自由になるためには一度、既存体制を壊す必要がある。だから、貴女も契約を破棄して皇帝自体を無くそうとしたのだろう、ソフィア・ツヴァイク・マリー・アーデルハイト・アルディオン」
「………」
「ならば、生きてこれから起こることを見届けるのだ。更地になったアルディオンをもう一度立ち上がらせるためには、貴女のような指導者が必要だ」
鎧の人物は振り返ることなく、それだけを口にしてその場を去った。
ソフィアはその言葉を受け止め、跪いたままで彼らの後ろ姿を眺めていることしかできなかった。
(――――――だからお兄様は、この方に付いて行ったのですね)
子供の頃に兄と交わした約束を思い出しながら、ソフィアは崩れた天井から覗かせる空を仰ぎ見るのだった。
***
帝都テスティカの郊外にて、帝国軍は陣を敷いていた。
第三皇女ソフィアが戴冠式を執り行い、【智慧の聖杖】との契約を破棄すると聞いたグレゴアは、密偵の手引きの下で精鋭部隊を宮殿に突入させて【智慧の聖杖】を奪還し、その後速やかに武力で帝都を制圧する手筈だったのだが。
「そんなバカなことが、あるはずがない……!」
帝国軍のテントの中で影武者を通して一部始終を目撃したグレゴアは、拳を感情のままに急ごしらえの机に叩きつけた。
【魔王】を自称する謎の人物はともかくとして、【聖女】が本物の力を持っているのは明らかだった。
契約が破棄された【智慧の聖杖】を起動するのは、正真正銘の【聖女】でしか成しえないことだからだ。
「グレゴア将軍、これからどうすれば……」
「あの力を手にした【聖女】は危険すぎる。一国など簡単に消し飛ばすことのできる災害のようなものだ。仮にこちらが一万の兵を率いていようが、相手にならないだろう」
「そ、それほどのものなのですか」
「そうだ。油断をせず、影武者を送っていたのは不幸中の幸いであったと言える。夜に乗じて一度ユシタニア方面に軍を退かせ、正教会の判断を仰ぐしかない」
グレゴアは副官に撤退の指示を出し、自らも剣を提げて椅子から立ち上がった。
その瞬間の出来事だった。
副官の胸が剣に貫かれ、飛び散った血がグレゴアの顔を濡らしたのだ。
「お……お逃げ、くださ……」
副官は最期にグレゴアに逃げるように声をあげるが、剣が勢いよく引き抜かれてその声も虚しく途絶える。
「なぜだ。なぜ、貴様が」
「儀式の間での出来事は観ていたのだろう。我々から逃げられると、本当に思っていたのか?」
副官の陰から黒い鎧を着た人物が姿を現す。
血濡れた鎧姿はグレゴアをも恐怖させ、彼を一歩後ろに下がらせた。
「他の兵には眠ってもらっている。我々の目的はお前だけだ、グレゴア・ハーゼンバイン。正教会について、洗いざらい吐いてもらおうか」
「ハッ、この俺が情報を吐くと思っているのか?【魔王】を騙る愚か者めが」
「……そうか」
精一杯の反抗心を見せるグレゴアに対して、鎧の人物は剣を地面に刺して、兜に手を掛けた。
兜を外すと、禍々しい黒い鎧とはうってかわって、蜂蜜色の髪をした美しい女性の顔が露わとなった。
「ま、まさか……本当に貴様だったとはな」
「――――――我に従え、グレゴア・ハーゼンバイン」
「――――――【ユシタニアの聖女】、アルーシャ・フォン・ロレーヌ」
グレゴアは最期にそう言い放つと、全身から力が抜けてその場に倒れ伏した。




