2話-最悪の結末
壁も、床も、天井も、何もかもが真っ白に染められた部屋。
いや、真っ白というより殺風景で何もないと表現したほうが適切なのだろうか。見ているだけで精神に異常をきたしそうな、気味の悪い空間だ。
唯一あるのは、簡素な机とそこに載せられたカップが二個。それと、粗末な椅子が机の両側に一つずつ。『彼ら』は、そこに座っていた。
「――――――そんな話を、私に信じろと?」
生前の姿、処刑される時に着ていた薄汚れたボロ布を纏ったアルーシャは、目の前の人物に悪態をついた。
向かい側の席には、道化師の恰好をした幼い少年が足を組んで座っている。少年は鼻につく態度で、笑みを浮かべながらこう返す。
「信じる信じないは君の自由さ。僕はただ、君にチャンスをあげようと思っただけだよ」
「チャンス?」
「ああ、そうさ。アルーシャ、君はやり直してもいい。その結末を、否定したいと思うのならば」
アルーシャ・フォン・ロレーヌは処刑された。
濡れ衣を着せられ、何者でもなくなった少女の人生は幕を閉じた。
その結末を否定し、やり直しても良いと言う。そんな台詞を吐く少年は、まるで神様のようだ。
だが、別にアルーシャは結末を否定したいとは思っていなかった。民から必要のないものとして切り捨てられたことに諦めを感じていたからだ。
それを理解していた少年は、アルーシャにとある真実を突きつけた。
「君が処刑された後、ユシタニア王国の悪政は更に酷くなった。テオドール公という王の頭脳が居なくなってしまったためだ。そこで、クラウス王子は虐げられた民を救うべく、父である王に反旗を翻したんだ。君達を反逆罪で裁いておきながら、滑稽だよね。」
可笑しそうに話を続ける少年だが、アルーシャは大して驚くことはない。
ここまでは、アルーシャにも予想がつく程度の出来事であったからだ。全ては傍若無人な現王を引きずり下ろして言いなりになるクラウス王子を擁立するために、王を疎ましく思う貴族達で構成されている【貴族派】が描いたシナリオであることは明白だ。
しかし、ここからがアルーシャにとって予想外の出来事であり、許しがたいものであった。
「そして、その行いを肯定するかのように、【聖女】が現れたんだ。」
【聖女】とは、ユシタニア王国が国教としている【ケルレウス正教】で、広く語り継がれている存在だ。
多くの罪なき人々が虐げられるとき、神から【聖印】を賜った女性が現れる。彼女達は類稀なる魔法の才を有しており、その力で多くの伝説を遺している。
【魔王】を討ち倒した逸話などはおとぎ話として子供達に親しまれ、【ケルレウス正教】を信仰する国の民の間では知らない者は居ないといっても過言ではない。
「【聖女】は正教から【銀の聖女】の称号を賜り、クラウス王子と共に現王を倒した。だが……」
「違う……違うわ。あの子はそんなことしない。」
少年の流暢な語りをアルーシャが遮る。
アルーシャには、【銀の聖女】が何者なのか心当たりがあった。そうであると認めてはいないが、【聖女】としての資格がある人物は、彼女の記憶の中で一人しか存在していない。
ツェツィーリア・ビスマルク。ユシタニア国立正教学院で唯一、平民の出自で入学した女性だ。彼女は生まれながらにして右目に【聖印】を宿しており、それが公となる前に【ケルレウス正教】に保護された。その事実は王国内でも一握りしか知らない。
「ツェツィーリア。彼女は【秩序の神】から選ばれた乙女だ。そして、君の親友であり……この世界でたった一人の、愛してしまったヒト」
「……貴方に、私の何が分かると言うの。」
「僕はただ事実を語っているだけさ。君はツェツィーリアを愛して死に、ツェツィーリアは【銀の聖女】となった。君の仇を取るためにね。」
「それが違うと言っているの。あんなに優しい子が、戦いなんかに参加するはずがないもの。それに――――――」
「それに?」
「仮に私の仇を討つためであったとしても、クラウスに付くはずがないわ。クラウスこそがロレーヌ家を滅亡に追いやった首謀者ですもの。」
ロレーヌ家を断頭台に送ったのは【貴族派】、すなわち王子と彼を王に据えたい貴族達である。ならば、クラウス王子と共に現王を倒したというのはそもそもおかしな話だ。
アルーシャがそのことを指摘すると、少年は待っていたとばかりにニヤリと笑みを浮かべた。
「そう、そこだよ。お貴族様の学校に通っていたとはいえ、【銀の聖女】はただの平民に過ぎなかった。知らなかったのさ、君が王子によって殺されたなんてね。」
「――――――ッ!」
アルーシャは少年の言いたいことがようやく理解できた。
ツェツィーリアは騙されて、利用されたのだ。アルーシャが無実の罪で処刑されたのは愚かな王のせいである、と。
あの王子と貴族共に吹き込まれたのだろう。
「じゃあ、さっき言いかけてた話に戻るよ。【銀の聖女】の力で国民は団結し、王を倒した。だけどまあ、そうなれば彼女は用済みだ。制御しきれない力など、持っていたら危なくて仕方がないからね。」
「……黙りなさい。」
「だから秘密裏に殺されたんだ。もちろん、表向きは病死さ。国を救った偉大なる人物であり、【ケルレウス正教】の信仰を体現する【聖女】を殺したなんて知られたら、大問題になってしまうからね。」
「黙りなさいと、言っているでしょう!?」
アルーシャは立ち上がりながら声を荒げ、机を叩いて抗議する。その勢いでカップが床に落ち、高い音を立てて割れてしまう。
少年が語ったことは、アルーシャにとって決して認めてはならないことだった。
裏切られた。あの王子に、元婚約者に、約束を違えられたのだ。
「じゃあ、どうすれば信じてくれるんだい。僕の話を、君の大事な大事な……ツェツィーリアが殺されたことを。」
ここで、最初の話に戻る。
君が最期に願った愛する親友の幸せは、叶うことは無かった。愚かな人間に騙されて、殺されてしまった。
そんな話を、信じるのか?
「……貴方の話が、真実であるという証拠は。」
「そうだね。実際に視てもらったほうがいいかな。」
少年も椅子から立ち上がって指を鳴らすと、唐突に真っ白に染められた部屋に色が生じた。
黒色だ。暗闇が、周囲に形成されていく。暗闇が『彼ら』と部屋を覆った後、壁に一つの明かりが灯された。
どうやら、それは松明のようであった。明かりは暗闇を照らし、鉄格子と冷たい石畳の床、そして床に転がる女性の姿を示しだした。
艶やかな銀髪と、見る者全てを魅了する美貌。それでいて幼さが残っており、思わず庇護心をくすぐられてしまう。彼女こそがツェツィーリアであった。
【聖印】の力を封じるために目隠しをされているが、アルーシャが彼女の姿を見違うはずがない。
「……そんな、うそ」
ツェツィーリアの姿は、アルーシャが最後に見たものより少し成熟しているように見えた。だが、それよりも気になるのは病的にやせ細った身体と、血の通わない青白い肌だ。
染みがついた服、こびりついた悪臭。美貌を汚す様々なものが、この牢でどのような仕打ちを受けたのかを、事細かに想像させた。
アルーシャは思わず手を伸ばすが、ツェツィーリアには触れられない。あくまでこれはただの幻のようだった。
「こんなこと、こんなことってないわ。私は一体、何の為に」
あの断頭台で、死を受け入れたというのか。
アルーシャは、こんな最期を望んだわけがなかった。
『――――――アルーシャ、さま』
虫の息ながらも、ツェツィーリアは必死に言葉を紡ごうとする。
その姿に、アルーシャの頬からは涙が零れ落ちた。
「ごめん……なさい。ごめんなさい、ツェツィ……私はただ、貴女に……」
『ようやく……あなたのもとまで……いけ……ます……ね……』
「貴女に、生きてほしかっただけなの。」
『こんどは……ふたりで、いっしょに――――――』
「――――――」
ツェツィーリアの身体から、力が失われる。
愛おしさと、悔しさと、そして、憎悪がアルーシャの胸の中で渦巻いた。
それらを後押しするように、一部始終を見守っていた少年は言葉を掛ける。
「【銀の聖女】は犠牲となり、新王による治世の障害となるものは何も無くなった。十数年後、長らく敵対していた隣国をも吸収して大国となったユシタニア王国は、神聖ユシタニア帝国と名を変えて長くの繁栄の時代を築きあげるのだった。」
「――――――」
「さぁ、再び問おう。アルーシャ、君はこの結末を否定したいかい?」
民の為に尽くし、民のために己が身すらも捧げた。
しかし、その結末は悲惨なものだった。約束を反故にされた挙句に裏切られ、愛する人すらも手に掛けられた。
許せるはずがあるだろうか。
強まる憎悪の炎が心を焦がしていく。
こんなもののために、自分は努力をしていたのか。己を尽くしていたのか。
今までの人生はどれほど滑稽であったことだろう。
信じてきたもの全てが、灰燼に変わっていく。
ならば、答えは決まっているようなものだ。
「私は――――――」
少年はその言葉に、笑みを浮かべた。不気味に歪んだ口から、彼の本性が垣間見える。
だが、そんなことをもはやアルーシャは気にする必要はない。
「ならば、やり直すといい。王国を滅ぼして、愛しの【銀の聖女】を救うんだ。」
彼女もまた、笑みを浮かべる。
頬から涙を流しながら。
「たった今から君の名は――――――【魔王】だ。」
愛に狂った獣に、彼女はなってしまったのだ。