19話-帝国の崩壊
「ソフィア、お前は自分が何をしようとしているのか……本当に分かっているのか!?」
帝都テスティカ、宮殿にある儀式の間で、元皇帝フィリップ三世は怒りに満ちた表情で叫んだ。
だが、彼は手足を拘束されており、叫んだ先にいる彼の娘を凶行を止められずにいた。
「無論、意味は分かっています。祖が築いたこの国を、崩壊させることになりかねないことを」
ソフィアは唇を噛みしめて、強い覚悟を秘めた双眸で儀式の間に安置されている【智慧の聖杖】を見つめている。
彼女はもはや第三皇女ではない。【聖女】の遺産を継承したアルディオン帝国第四代皇帝であった。
「それでも、やらなければなりません。正教会の支配から逃れ、本当の意味での自由を勝ち取るためには」
「やめろ、ソフィア!離れに幽閉したことは詫びる、だからやめてくれ。お前の望みは全て叶えてやるから……」
ひどく、哀れだ。
今はそう思うソフィアも幼い頃は父を尊敬していた。アルディオンの皇帝として、様々な功績を挙げている話を方々から聞いていたからだ。
第三皇女として、娘として、子供として。父親の背中は偉大に見えた。
だが、大人になるにつれて、その虚飾はいともたやすく剥がれ落ちた。自分を肯定する者しか周りに置かなかった皇帝は、己の過ちを省みずに傲慢に振舞っていたからだ。
民衆は圧政に苦しみ続け、表面化していないながらも不満は溜まっていた。よほど愚かでない限り、自分達がどう思われているかは察することができるだろう。
そして、挙句の果てに始まったのが、他国への侵略戦争である。ソフィア以外にも異を唱えた者は居たが、皇帝によって処刑され、ソフィアだけが生かされて離れに閉じ込められた。
それで思い知ったのだ。帝国の人々にとって、自分は悪しき存在の血を引いているだけの、何者でもないことを。
「我が一族に伝わりし、【智慧の聖杖】よ――――――」
「やめろ、やめてくれ!」
ソフィアは父の悲痛な叫びに耳を傾けることはなく、淡々と口上を述べる。
口上に応えるように、【智慧の聖杖】は眩い光を放った。
「――――――契約を、破棄します」
次の瞬間、何かが砕けるような高い音が周囲に響くと、【智慧の聖杖】から放たれていた光は掻き消された。
契約を破棄することは、即ち【聖女】の末裔としての地位を退くことであり、神聖アルディオン帝国はその正当性を失ってしまう。
これでこの部屋にいる二人の人物は、どちらも皇帝ではなくなったのだ。
「な、なんてことを……」
「これで終わりです、お父様。この国に住まう民にとって、我々は悪でしかなかった。消えて然るべき存在だったのです」
「違う。我々が愚かな民を導いていたのだ、なぜそれが理解できん!?」
「それが傲慢だというのです。民を誤った方へ導き、数え切れないほどの血を流した。聖戦などという世迷言で、罪は消せません」
狼狽えるフィリップ三世を叱りつけるように、自らの信念を主張するソフィア。
私がやらなければならない。アルディオンの民衆も、それを望んでいるはずだから。
今日この日を迎えた彼女の決意は、非常に堅いものだった。
だが、それを嘲笑うかのように、儀式の間に拍手が鳴り響いた。
「随分と聡明になられたものだ、ソフィア様」
「グレゴア・ハーゼンバイン――――――!」
神聖アルディオン帝国の将軍、グレゴア・ハーゼンバイン。彼が数人の配下とともに儀式の間に乗り込んできたのだ。
本来であれば魔力によって皇帝の一族以外は入れない場所だが、現在は契約の破棄によってそれは失われてしまっている。
「おお、グレゴアではないか。なぜここに……いや、そんなことは今はどうでもよい。早くこの拘束を解いてくれ」
「それは出来ません、元皇帝陛下」
「なんだと?」
「今から貴方には、消えてもらわないといけないからです」
グレゴアの号令によって、彼の配下はフィリップ三世に剣を振り下ろす。
肩から胴体にかけて深く切り裂かれ、苦悶の表情を浮かべながら床に倒れ伏した。
「グアッ……な、ぜ……」
「お父様!」
「【智慧の聖杖】が皇帝の手から離れたのであれば、皇帝に従う必要はなくなった。【猟犬】も今日で終わりだ」
「グレゴア、やはり正教会側の人間でしたか。貴方が神聖アルディオン帝国を裏で操り、聖戦を引き起こした黒幕ですね?」
「ああ、そうだ。戦場で遊戯を愉しむのも悪くはなかったが、教主の命令であれば仕方があるまい。」
グレゴアは下卑た笑みを浮かべながら、真っ赤な血を流して倒れるフィリップ三世の死体を踏みつける。
その行動に配下の兵士も動じていないことから、彼らも正教会の息の掛かった兵士なのだろう。
「貴様もすぐに父の下に送ってやろう。自らの愚かさを悔やむ必要はない。我が教団の役に立てたのだからな」
剣を構えた兵士が一歩ずつソフィアに迫る。
逃げ場はない。唯一の出入り口はグレゴアによって塞がれてしまっている。
万事休すかと思われたその時、儀式の間の柱の陰に隠れていた人物が姿を現した。
「罠に掛かったのはお前の方だ、グレゴア・ハーゼンバイン」
不意にオズワルドから放たれた火球が兵士を襲った。火球は爆発して鎧を熱で溶かしながら兵士の身体を大きく吹き飛ばし、壁に激突した兵士は床に倒れる。
グレゴアは感心した様子で柱の陰から出てくるオズワルドの姿を見た。
「貴様は……第二皇子か?まさか生きていたとはな」
「人違いでは?第二皇子は既に処刑されて死んでいる」
「そういうことにしておいてやろう。それで、たった一人でどうするつもりだ?」
儀式の間には、先ほど倒れた者を除くと八人の兵士がいる。
出入り口が塞がれている状況は変わらず、ましてやソフィアを助けながら生き延びるのは難しいだろう。
しかし、それはオズワルドだけであれば、の話だ。
グレゴアの背後から肉が裂ける音と断末魔の声が聞こえ始める。
「何事だ!」
グレゴアが背後を振り返れば、黒い全身鎧を身に着けた謎の人物がそこにいた。
卓越した剣さばきで血に染まった剣を振るって、更に兵士を斬り伏せる。
「お初にお目にかかる、グレゴア将軍。いや、正教会の飼い犬と呼んだほうが良いか?」
「何者だ、貴様は」
「――――――【魔王】、と言ったらどうする?」
グレゴアは咄嗟に鞘から剣を抜いて、鎧の人物に斬りかかった。
幾度も剣がぶつかり合い、火花を散らす。鎧の人物は防戦を行う一方ではあったが全く動じてはおらず、逆に剣を弾いてグレゴアを大きく後ろにのけぞらせる。
グレゴアは体勢を立て直し、杖のようにして剣を床に刺して膝をついた。
「クッ……大した腕だ。だが、【魔王】だと?笑わせてくれる。とんだ世迷言を話す輩がいたものだ」
「世迷言、か。何をすれば信じる?」
「少なくとも、まずはこれを受けてからだろう、な!」
グレゴアが何かを呟くと、手を床につける。すると、いくつもの光の球体が彼の周囲を漂い始める。
眩い光を放つ球体は槍の形に変化して、鎧の人物に雨のように降り注いだ。
だが、それでも窮地には陥らない。剣に魔力を帯びさせて、全ての槍をいとも容易く切り払った。
「高位の神聖魔法を斬っただと?」
「何を驚くことがある。そのような程度の低い魔法で、【魔王】を殺せるとでも?」
グレゴアが放ったのは、【ケルレウス正教】の信仰者のみが扱える神聖魔法と呼ばれる魔法だ。
その中でも高位の【裁きの槍】という名の神聖魔法で、高密度の魔力を槍に変形させて相手に飛ばすというシンプルながらも殺傷力の高い実用性に特化した魔法である。
彼は決して目の前の相手を侮ってはいなかった。魔法がたった剣の一振りだけで落されること自体が、尋常ならざることだからだ。
「程度の低い、か。面白い。ならば、これはどうだ?」
グレゴアは詠唱を行い、周囲から先ほどより更に高密度の魔力が放たれる。残った数名の兵士も察して彼から離れていく。
対して、鎧の人物の方はそれを止めようともせず、ただじっとグレゴアのほうを見据えている。
「これで終わりだ。【魔王】を騙る愚か者よ」
グレゴアから眩く輝く極太の光線が放たれる。
その魔法の名は【天罰】。彼の魔力の大半を凝縮し、光線として放つ質量攻撃だ。威力は掠めただけで周囲を削り取るほどのものであり、仮に生身の人間が喰らえば跡形もなく消滅するほどだ。
目の前の人物が危険な存在であると認識したが故の、彼がこの状況で切れる最強の手札。
しかし、鎧の人物に命中する前に、光線は弾き飛ばされた。突如として出現した透明な壁に防がれたのだ。
弾かれた光線は宮殿の天井に命中して大きな穴を開ける。
「よくやった、我が【聖女】よ」
鎧の人物の背後から、真っ白な修道服を着て顔に仮面を付けた小柄な女性が現れる。
「はい。私の【魔王】さま」
仮面の女性は鎧の人物にもたれかかり、愛おしそうに腕を抱きしめた。その所作はまるで初々しい恋人のようだ。
「【聖女】?バカな、そんなはずはない」
「そろそろ現実を受け止めたらどうだ、グレゴア・ハーゼンバイン」
鎧の人物の放った言葉を後押しするように、儀式の間に変化が生じる。
尋常ならざる光景を固唾をのんで見守っていたソフィアの傍にあった【智慧の聖杖】に、再び光が灯ったのだ。
「こ、これは……【智慧の聖杖】が再び活性化した?」
「そうだ。アルディオン皇帝は契約によって【智慧の聖杖】を扱っていたが、先ほどその契約は破棄された。ならば、本来の持ち主に返すのが道理であろう」
そして、【智慧の聖杖】は光とともに一瞬だけ姿を消し、仮面の女性の前に宙に浮く形で現れた。
ただ金属製の杖にしか見えなかった見た目も大きく様変わりし、杖の先端に蒼色の大きな宝石がはめられる。
「ソフィアがこの決断を行った時点で、我々の勝ちだったのだ」
仮面の女性は【智慧の聖杖】を手に取って、祈りを捧げる所作をとる。
「――――――【天罰】」
その刹那、グレゴアの身体が無数の光線によって貫かれた。




