18話-悪だくみ
舞踏会の会場に美しい旋律が響き渡る。
王国一と謳われる演奏団の演奏に合わせて、会場の中央で優雅に社交ダンスを踊る男女がいた。一方は真っ赤なイブニングドレスに身を包んだアルーシャ。もう一方は名門タクシス家の長男ヴィリバルトだ。
長身で美形、しかも名門貴族であるヴィリバルトはアルーシャの一つ上の学年の女子生徒からの人気が高い。よって、アルーシャは嫉妬と羨望の眼差しを少なからず向けられているのだが、逆にアルーシャは今彼女達に対して同情していた。
(いくらなんでも、下手すぎますわね)
社交ダンスはお互いのリズムを合わせることと、美しく見える姿勢を創りあげていくことが重要だ。無駄な力を抜いて、相手のことを気遣いながら二人でダンスという芸術を構築していく。
だが、アルーシャの相手をしているヴィリバルトにはパートナーに対する気遣いや思いやりといったものが致命的に欠如していた。強引に腕を引っ張り、自分の踊りたいように踊る。言わば自己顕示欲の塊のようなダンスだ。
名門である以上はダンスの練習もさせられていたのだろうが、彼の傍若無人さには講師も頭を悩ませていたに違いない。
しかしながら、貴族にはそういった者達も少なからず存在する。前世で王妃になるために厳しい英才教育を受けていたアルーシャは、当然のことのように彼らのような輩にどう対処するかという対策を身に着けていた。
リードされているように見せかけながら、相手に悟られないように姿勢やステップの修正を行うのだ。もちろん至難の業だが、それを可能にする技術が彼女にはある。
見事に最後まで踊りきり、その様子を見物していた者達から拍手喝采を浴びた。
「俺のダンスについてこれるとは、やるではないか。さすがロレーヌ家の令嬢といったところか」
満足げな表情でヴィリバルトはアルーシャに声を掛ける。
自分が逆にリードされていることに彼は気が付いていないどころか、ダンスが下手だということにも気が付いていない。
自分を肯定してくれる者しか彼の周りには居なかったのだろう、とアルーシャは呆れながら社交辞令を述べる。
「いえ、ヴィリバルト様についていくのが精一杯でしたわ。突然のお誘いに応えていただき、ありがとうございました」
「構わぬ。こちらとしても大変有意義な時間であった。なんなら、舞踏会が終わったら我が屋敷に招待しても良いのだぞ?」
「謹んで遠慮しておきますわ。これ以上ヴィリバルト様のお時間を使わせてしまっては、貴方のお気に入りの皆様に目を付けられかねませんから」
アルーシャは一礼して会場の中央から隅へと下がっていく。
テーブルの近くで一息をつくと、ツェツィーリアが胸に向かって飛び込んできた。
「アルーシャ姉さま、大丈夫でしたか?」
「ええ、大丈夫よ。さすがにツェツィの目は誤魔化せなかったかしら」
「当たり前です!姉さまのダンスはもっと可憐で美しかったですから」
上目遣いで心配そうに見つめてくるツェツィーリアを落ち着けるように、彼女の頭を優しく撫でる。
「まあ、それはさておき。これで此処での仕込みは完了よ。あとは無事に餌に引っ掛かるのを待つだけね」
「はい、姉さま」
アルーシャは周囲を一瞥した後、ツェツィーリアの手を引いて舞踏会の会場を他の参加者より一足早くあとにする。
既に屋敷の前の通りには馬車が待機しており、メイドのサーシャが二人の帰りを待っていた。
「お待ちしておりました。すぐ帰宅されますか?」
「そうしてちょうだい。急ぎでやらないといけないことが出来たから」
「かしこまりました。ツェツィーリア様もどうぞこちらへ。また転びそうにならないように気を付けてくださいね」
「き、気を付けます」
三人は馬車に乗り込み、御者に馬車を走らせるように指示をした。
馬車はゆっくりと動き出し、未だ賑やかな夜の王都を駆ける。
「ところで、お嬢様。急ぎのご用事とは一体?」
「ちょっとした悪だくみの仕上げよ」
そう言って、アルーシャは人差し指を口元に当て、悪戯っぽく微笑むのだった。
***
翌朝、アルーシャの下に知らせが舞い込んでくる。
舞踏会に出席していたサージェス・ヴァルデックとヴィリバルト・アロイス・フォン・タクシスの両名が、家督である父親を【魔王教団】と繋がって国家転覆を目論んでいると、王国騎士団に通報したというものだ。
そして、その真偽を確かめるために、国王の名の下に王国騎士団がヴァルデック家とタクシス家の私有地ならびに屋敷を調査することになった。
すべて、アルーシャが昨晩行った悪だくみの通りに事が進んでいる。舞踏会の会場でサージェスとヴィリバルトに呪いを掛けて洗脳したのだ。後は王国騎士団に裏から根回しをすれば、ヴァルデック家とタクシス家への強制的な調査が敢行される。
この調査の狙いは両家が正教会と繋がっていることを明らかにし、あの晩に何を企んでいたのかを暴くことにある。【魔王教団】との繋がりを否定するためには、まず正教会への信仰心を明らかにしなければならない。そうなれば、己ずとボロが出てくる。
「お相手も、まさか王国騎士団に敵がいるとは思わないでしょうから」
アルーシャは足を組んで椅子に座り、報告を述べていたフェリクスに声を掛ける。
彼こそが、まさにその正教会の敵となっている王国騎士団の副団長だ。
「見事な手際です。雲隠れを続けていた正教会の鼠達の尻尾も、これでようやく掴めるでしょう。調査の件はこちらにおまかせください」
「ええ、任せるわ。それで、報告はそれだけではないのでしょう?」
「はい。オズワルド氏から状況を知らせる封書が届きまして。どうぞ、こちらを」
フェリクスが既に封が解かれた手紙をアルーシャに手渡す。
広げて内容を確認したアルーシャは、突然手を額に当てながら笑い始めた。
「ふ、ふふ……まさか、あのお姫様にそんなことをしでかす度胸があったとはね。命は大切にしろと伝えておいたはずなのに」
「同感です。グレゴア将軍ならば、この機を逃さず打って出てくるでしょう。どうされますか、我が主」
「無論、期待に応えなければね。念入りに対策を練ってきたけれど、結局無駄になってしまったわ。」
アルーシャは手を叩いて、大声でサーシャの名前を呼ぶ。
サーシャが扉を開けて出てくると、彼女に向かって真剣な眼差しで命令を下した。
「すぐに例の装備を用意しなさい。ツェツィにも、その旨を伝えるように」
「かしこまりました、お嬢様」
サーシャが慌てた様子で廊下を走っていき、フェリクスはその背を見送りながらアルーシャに声を掛ける。
「遂に、【魔王】が表舞台に立つのですね」
「いいえ、【魔王】だけじゃないわ。【聖女】と【魔王】が共に並び立つ――――――私達の神話を始めるのよ」




