17話-共犯者
「君は、未来と可能性についてきちんと考えたことはあるかい?」
道化師の格好をした少年に、ツェツィーリアはそう問いかけられた。
ロレーヌ家の屋敷に来てから、一年ほど経った頃だ。とある事情でロレーヌ家の庭園にいたツェツィーリアは、謎の少年に声を掛けられたのだ。
「え、ええっと。どういう意味でしょうか」
「難しく言い過ぎたかな。例えば、君が今日無性にケーキが食べたくなって、アルーシャ君にそれを伝えたとしよう。そうすれば、君はここで美味しいケーキと紅茶に舌鼓を打ちながら僕の話を聞いているだろうね」
ツェツィーリアがそう願えば、アルーシャならば必ず叶えてくれる。仮に実行していれば、未来がそうなる可能性は限りなく100パーセントに近い。
もっとも、ツェツィーリアが遠慮がちな性格をしているせいで、ケーキを食べたかったとしてもそれをアルーシャに伝えることはないのだが。
「つまり、僕がしたいのはもしもの話さ。今日食べるケーキでなく、もっとスケールの大きな話だけどね」
「あの、その話がわたしとどういう関係が……」
「関係ないわけがないだろう、ツェツィーリア君。君の【聖女】としての権能に関する話だよ?」
「――――――!」
ツェツィーリアはその言葉に驚愕して、思わず目を見開いた。
少年は可笑しそうに笑みを浮かべて、ツェツィーリアの眼帯を指差す。
「過去に遡って、もう一度やり直す。言わば、望む未来を取捨選択することのできる能力だ。幼い頃から君が持っていた異常な再生能力は、本来持っている権能の一端に過ぎない」
傷がものの数分もしないうちに完治する。その表現は、実は正しくはなかった。
足の状態が巻き戻され、怪我をする前に戻っている。これが異常な再生能力の仕組みだった。
だが、それが事実であると認めてしまうと、とある矛盾が生じてしまう。
「でも、君は嘘をついた。いいや、正確に言えば……未来の君がついた嘘に、君が気が付いたんだ。だから、愛しの姉君にさえも、未来予知の能力だと言わざるを得なかった」
「どうして、知っているの?」
「それは――――――僕が君の共犯者、だからさ」
***
ユシタニア王国、王都マリガン。
ここはとある有力貴族の屋敷。今宵は舞踏会が開かれており、会場では多くの貴族がダンスと酒を楽しんでいる。
その一方で、パーティの群衆に紛れるように、密会を行っている者達がいた。
裏で殆どの【貴族派】を呑み込み、【王党派】に迫る勢いを見せている【魔王教団】である。
「オズワルドからの報告は?」
「未だありません。ですが、別の場所から思わぬ報告がありまして」
会場の警備という名目で出向いているフェリクスと、招待客として舞踏会に参加しているアルーシャが会場の隅で顔を合わせる。
アルーシャは目立つ真っ赤なドレスを着ているが、警備をしている騎士と少し話しているだけならば、そこまで悪目立ちはしないだろう。
「想定より早く、彼らが動き始めました。第三皇女ソフィアが反正教会を掲げたことを口実に、王にアルディオンへの派兵を促すつもりかと」
「まったく、ついこの間まで国境まで攻められていたというのに、虫のいい話ね。ま、後から彼女にすべてを擦り付けるつもりなのでしょうけど」
第三皇女ソフィアと彼女が支援するレジスタンスが反正教会を掲げたことによって、ユシタニア王国内の正教会側の人間が動き始めた。
だが、未だソフィアとグレゴア将軍率いる帝国軍の対決がどうなるのかも分からない状況で動き始めたのは意外だった。そうなれば、誰かが彼らの背を押していてもおかしくはない。
「フェリクス、動きがあった貴族のリストはあるかしら。正教会に通じている者の尻尾を掴むチャンスよ」
「はい、既に用意してあります。どうなさるかはお任せいたしますので」
「さすがね。そちらは引き続き、オズワルドからの連絡を待ってちょうだい」
「承知いたしました」
周囲から分からないように、フェリクスは紙をアルーシャに渡す。受け取った紙を隠しつつ、アルーシャは会場内に居るツェツィーリアがいるテーブルまで戻った。
ちょうど男性の貴族に声を掛けられて困っていたようで、ツェツィーリアの後ろから口を挟む。
「あ、アルーシャ姉さま」
「私の妹に何か御用かしら、サージェス様?」
男性の名前はサージェス・ヴァルデック。彼はユシタニア国立正教学院の三年生で、名家であるヴァルデック家の次男だ。
だが、わざわざ舞踏会に参加してまで女性に声を掛けるような人物であっただろうか、とアルーシャは疑問に感じた。長男ならともかく、次男がこの舞踏会に参加しているなんて聞いたことはなかったからだ。
さり気なくツェツィーリアの腕を掴んで引き寄せ、サージェスとの間に割って入るような形を取る。
前に出たアルーシャは他所行きの顔をしながら、スカートの裾を摘まんで会釈をした。サージェスもそれに応えるも、彼の額からは冷や汗が出ている。
「お、お初にお目にかかります、アルーシャ嬢。あの【ユシタニアの聖女】と名高き御方に名前を憶えていただいているとは光栄です。私はそちらのツェツィーリア嬢に少しご挨拶を、と思っただけですよ」
「同じ学び舎の先輩ですから、覚えていて当然ですわ。ですが、妹は人見知りが激しくて……ダンスのお誘いであれば、私が代わりにお請けいたしますが」
「いやいや、とんでもない。お言葉は有り難いのですが、【ユシタニアの聖女】と踊ったとあれば、学友から罵声を浴びせられかねません。私はこれで失礼いたしますよ」
サージェスは一礼をすると、グラスを片手に足早に別のテーブルへと去っていった。
サージェスを見送り、アルーシャはツェツィーリアの手を握って話しかける。
「一人にしてごめんなさいね。何か言われなかった?」
「い、いえ。本当に自己紹介だけで」
「それならよかったわ。なんだか怖がっているみたいだったし」
「それはその……なんだか距離が近くて。目もちょっと怖かったです」
「あらあら。ちゃんと気を付けなきゃ駄目よ?男はみな狼だって言うのだから」
そんな会話をしつつ、アルーシャは周囲を見回しながらツェツィーリアの手を引いて会場の外に出る。
廊下をしばらく歩いて化粧室までやってくると、部屋に誰も居ない事を確認して扉に鍵を掛けた。
「アルーシャ姉さま、何かあったのですか?」
「ええ。ツェツィ、これを見てくれるかしら」
アルーシャは声のトーンを抑えて、先ほどフェリクスから貰った紙を見せる。
そこには【王党派】の貴族の名前が書かれている。どうやら彼らが王に派兵をすることを促した者達のようだ。
ツェツィーリアにフェリクスから聞いたあらかたの情報を説明すると、最後にこう付け加える。
「この中に正教会から直接指示を受けた者がいるはず。【聖女】の力で誰か分からない?」
派兵の話が事実であれば、あまり時間の猶予は残されていない。
ツェツィーリアの手を借りるのは不本意ではあるが、背に腹は代えられない状態だった。
ツェツィーリアは右目の眼帯を外して、深呼吸をする。眼帯を外してから彼女が答えを出すのに、さほど時間は掛からなかった。
「先ほどお会いしたヴァルデック家と、タクシス家が主犯です。舞踏会を欠席して、司祭と秘密裏に連絡を取り合っているみたいです」
「なるほど、その二つなら有り得ない話ではないわね」
ヴァルデック家の次男であるサージェスが舞踏会に出席していたのは、急に出られなくなった長男の代理であったのだろう。
十中八九、暇つぶしに片っ端から女性に声を掛けていたら、有名人であるアルーシャが来て慌てて逃げたといったところか。
「となれば、あの男は役に立ちそう。ツェツィーリアは先に帰って……と言いたいところだけど」
「わたしは姉さまとずっと一緒に居ます」
「そうなるわよね。あまり離れちゃ駄目よ、ツェツィ」
「はい!」
嬉しそうな声をあげるツェツィに声が大きいと注意しながら、二人は今後の段取りを相談する。
もし、王がアルディオンへの派兵を承諾してしまっているならば、もはや一週間の猶予もない。少しでも情報を集めるために、舞踏会という絶好のチャンスを活かすしかないだろう。
化粧室の扉を開けて、二人は再び貴族達の思惑が交差する会場へ戻っていくのだった。




