16話-難題
「あとは……あの第三皇女にどれほどの器があるか、ね」
アルーシャは屋敷の自室で報告書に目を通しつつ、そう零した。
ここまでは、アルーシャの予想通りに事が進んでいる。問題はアルディオンの第三皇女ソフィアがグレゴア将軍にどうやって立ち向かうのか、だ。
既に何通りか考えているが、実際にどの手段を取るかはその時になってみないと分からない。一応、ソフィアの腹違いの兄であるオズワルドの助言を得てはいるが、彼女の人となりを完全に理解しているわけではないからだ。
「姉さま、お茶とお菓子を持ってきました」
扉をノックする音とともに、聞き馴染みのある声が扉越しに聞こえる。アルーシャが返事をすると、ツェツィーリアが扉を開けてお盆を手に部屋に入ってきた。
彼女はいつものように屋敷の雑務を手伝っていたようで、サーシャと同じデザインのメイド服を着ている。
「ありがとう、ツェツィ。サーシャの手伝いはもう終わったの?」
「はい。終わったので、これを持ってアルーシャ姉さまのところへ行っていらっしゃいと言われまして。」
ツェツィーリアがお盆に載せられたカップとポットをテーブルに置き、慣れた所作でカップに紅茶を注いでいく。
5年前に屋敷に来た時は、殆どそういったことに縁がなかったせいでよく注ごうとして零したり、転びそうになってカップを割ったりしたものだが、彼女の努力の甲斐あって他のメイドからも仕事を任せられているほどになった。
もっとも、仮にそういったミスをしても、今ならば時間を遡って無かったことにできるのだが。
ツェツィーリアは自分の分を含めて紅茶を用意すると、椅子をアルーシャの隣まで動かしてそこに座った。
「姉さまが難しい顔をしているなんて、珍しいです。なにか悩み事ですか?」
「悩み事というほどでもないのだけど……アルディオンの情勢がどうなるかを予想していたのよ」
「えっと、姉さまの目論見通り、皇女さまの革命は成功したのですよね。その後にどうなるかということでしょうか」
「いいえ、完全に成功したと言い切るのはまだ早いわね。第一段階は達成したと言ってもいいけれど、問題は宮殿を制圧した後なのよ」
「制圧したのに、ですか?」
グレゴア将軍の不意をついて、帝都テスティカの宮殿にいる皇帝の身柄を拘束する。
そこまで出来ても、未だ勝利条件を満たせているわけではない。
「相手は百戦錬磨の将軍、グレゴア・ハーゼンバイン。それに、いくら民衆とレジスタンスが結託したところで、帝国軍の圧倒的な武力の前に圧し潰されるだけよ」
「すぐに取り返されてしまう、ということですか」
「ええ。帝国軍内部からの離反者が出たり、帝国全土で革命の気運が高まればさすがに状況は傾くでしょうけど、それを許す将軍ではないでしょうね。皇帝を人質にして時間稼ぎをしたところで、少数精鋭の部隊で宮殿に攻め入り、速やかに奪還されてしまう」
「では、皇女さまは一体どうすれば?」
アルーシャは一旦紅茶を飲み、一呼吸を入れる。
第三皇女ソフィアには、【魔王】として帝都を封鎖して捕らえている皇帝を人質に時間を稼ぐように指示を出した。
さすがにそれが真意ではないことは、普通は理解できるだろう。明らかに悪手であり、自らの命を削ることになりかねない。
「人質の皇帝とともに、帝都から脱出する。これが一つ目の解決方法ね。勝てない戦いは最初からするべきではないわ」
「で、ですが、それでは帝都にいる方々は……」
「見捨てていくことになるわね。でも、皇帝の身柄さえ押さえておけば、今後いくらでも勝ちの目はある。時間さえ稼げれば、皇帝が恐怖と暴力で支配してきた神聖アルディオン帝国は瓦解する。でも、ソフィア皇女が噂通りの人物ならば、この方法は取らないでしょうね」
ソフィアは皇帝の血族の中で唯一、皇帝に対して直に戦争をすることに異を唱えた人物だ。
そんな心優しいお姫様が、民衆を見捨てて自分だけ逃げるなどといったことはしないだろう。
「姉さま、二つ目は……」
「二つ目の話をする前に、なぜ神聖アルディオン帝国の皇帝が正教会から正式に国家の元首として認められているか、知っているかしら」
「あ、えっと……【智慧の聖杖】が、あるから?」
「そう。アルディオンの皇帝は三代にわたって、【聖女】の遺産である【智慧の聖杖】の所有権を持っている。【智慧の聖杖】こそが、皇帝を皇帝たらしめていると言っても過言ではないわ」
神から遣わされた【聖女】が民衆を率いて【魔王】を打ち破り、【聖女】の子孫達が大戦後の土地を分割して統治して王を名乗った。
その伝説を証明するものが、【聖女】が子孫たちに遺した遺産である。
神聖アルディオン帝国は【智慧の聖杖】という名の遺産を持っており、【聖女】の末裔である当代の皇帝のみがその所有権を持つ。ただのお飾りではなく、【智慧の聖杖】を持つ者は大いなる力を行使することができるとされ、所有権は戴冠式でしか譲渡されることはないという非常に重要なものだ。
「ソフィア皇女が戴冠式を行い、【智慧の聖杖】を受け継いで正式に皇帝となれば話は違ってくるわ。前皇帝が人質としての価値を失う代わりに、帝国軍は彼女に逆らうことができなくなる」
「そうなれば万事解決……にはならなさそうですね。姉さまの反応を見る限りでは」
「そうね。一時はそれで乗り切れるかもしれないけれど、早い段階で正教会が正式に認可していない戴冠式が無効だと抗議するでしょう。【智慧の聖杖】は受け継ぐことができても、帝国軍はいくらでも大義名分を作れる」
「所詮は一時しのぎにしかならないということですね」
はっきり言って、あまり良い状況ではない。
時間さえ稼げれば勝機はあると言えども、それに対する対応策はいくらでもある上に、相手は帝国軍が誇る【猟犬】だ。並大抵の策で出し抜ける相手ではない。
「他に、方法はないのでしょうか」
「あることはあるけど、現実的ではないわね。まあ、どう転んでも私がやることは変わらないわ。神聖アルディオン帝国を裏で操っている正教会の悪事を、白日の下に晒すこと。これが当初からの私の目的よ」
ユシタニア王国を滅ぼしても、ツェツィーリアの身に安寧が訪れるわけではない。
腐敗しきった【ケルレウス正教】がある限り、【聖女】の存在を悪用しようとする者が現れる。
愛する人の幸せの為ならば、国の一つや二つ滅ぼしてみせる。アルーシャが何年も掛けて準備を進めてきたのは、すべて正教会を滅ぼすためだった。
「――――――アルーシャ姉さま」
不意にツェツィーリアは椅子から立って、アルーシャの膝の上に腰掛けた。
五年前と比べて見違えるほど背が伸びたアルーシャと違い、ツェツィーリアの身長は150センチに辛うじて届く程度だ。膝に座っても、ツェツィーリアは上目遣いでアルーシャのことを見つめる。
「ツェツィ?」
「姉さまが、また難しい顔で固まってしまったので」
ツェツィーリアはアルーシャの頬に口づけをすると、少し恥ずかしそうに顔を背ける。
「姉さまと一緒ならきっとなんだって出来ます。わたし、姉さまを信じてますから」
そう言って元気づけてくれるツェツィーリアを、アルーシャは優しく抱きしめる。
さっきから頭をフル回転させて今後のことを考えていた彼女だが、急に気が緩んで瞼が落ちてきてしまう。
「ツェツィ……ありがとう。今日は働きづめで、ちょっと疲れちゃってたみたいだわ」
「サーシャさんも心配していました。やることが多いのは分かりますが、働きすぎだって」
「はぁ、気を付けるわ。でも、絶対に失敗できない山場だもの。心配症になるのも、分かってほしいわね」
アルーシャの計画が今まで上手くいっていた理由は、その病的なまでの用心深さにあった。
実はアルディオンでのレジスタンスの挙兵も、数年がかりで準備を行ってきたことだった。それでもなお、ソフィアがどういった決断をするかによって、今後に大きな影響がある。
「姉さまならきっと大丈夫です。ほら、ケーキも食べてください」
「あーん」
アルーシャは食べさせてと言わんばかりに口を開け、ツェツィーリアはフォークでショートケーキの一欠片を彼女の口に運んだ。
「気が抜けると甘えん坊さんになる姉さまも好きですよ」
「ツェツィの前だから。それと、二人きりのときぐらいは姉さまじゃないほうが嬉しいわ」
「ちょっと我儘なところも好きです」
ツェツィーリアは満面の笑みを見せ、アルーシャもそれにつられて笑う。
他人に見せることはない、二人だけの時間。難題に直面するアルーシャは、そんなひと時の平和を過ごすのだった。




