15話-革命の旗手
入学式から半月後。
ユシタニア王国と神聖アルディオン帝国の国境で、互いの国の兵士達が陣を敷いて睨み合っていた。
事の発端はユシタニア国立正教学院の入学式で行われた、神聖アルディオン帝国を批判する旨の挨拶だ。戦争の口実を探していた神聖アルディオン帝国の皇帝フィリップⅢ世は、ユシタニア王国にアルーシャを罪人として引き渡すことと賠償金を要求してきた。こうして国境に兵を配置するというおまけ付きで、だ。
もちろん、ユシタニア側も素直に要求に従ってアルーシャを差し出して、賠償金を払って和解する選択肢もあったことだろう。だが、入学式での挨拶の内容は、貴族のみならず平民の間でも広く知れ渡っており、国内で反アルディオンの気運が高まっている。
また、アルーシャはここ数年で平民に対する支援事業を精力的に行っており、平民から強く支持されている。王都の貧民窟を救済した人物として、周辺諸国でも【ユシタニアの聖女】という異名で広く知られていたりもする。
そんな状況ですんなりと要求を呑み、【ユシタニアの聖女】を罪人としてアルディオンに渡したとなれば、批判の矛先がアルディオンから王家に向くのは想像に難くない。諸外国からの評価も地に落ちるだろう。
「――――――ユシタニアがどう出るか、見物だな」
所定の位置に陣を形成し終わり、テントの中で足を組んで座る男性は、人の悪い笑みを浮かべながらそう零した。
彼は神聖アルディオン帝国の将軍、グレゴア・ハーゼンバイン。迅速かつ大胆な戦術と、それを可能にする武勇と采配でアルディオンを勝利に導いてきた名将で、他国からは【猟犬】と呼ばれて恐れられている。
フィリップⅢ世からの信頼も厚く、30歳という若さで帝国軍の総指揮を任せられており、【聖戦】と称して引き起こされた数々の戦争において、アルディオンが勝利を収めてきたのは彼のお陰といっても過言ではない。
「彼らは【ユシタニアの聖女】を素直に引き渡すでしょうか?」
「いや、それはないだろうな。ギリギリまで交渉を引き伸ばし、戦争の準備を整えるだろう」
副官からの問いに、グレゴアは即答する。
ユシタニアが要求を呑むことなどありえない。最初からその想定で、事を運んでいる。
そうでなければ、わざわざ将軍であるグレゴアがこんな国境の最前線まで赴いたりはしないからだ。
「だが、奴らのその場しのぎに付き合ってやる義理はない。国境にいるユシタニアの軍を蹴散らし、一気に王都まで攻め込む。すぐにでも出陣ができるよう、万全の準備をしておけ」
「はっ!了解いたしました」
副官はグレゴアに敬礼し、テントから出ていこうとする。
しかし、その前にテントの横幕が開き、慌てた様子の兵士が中に入って来た。
「グレゴア将軍、大変です!」
「落ち着いて状況を説明しろ。ユシタニアに何か新たな動きでもあったのか」
「い、いえ、それが……」
グレゴアの問いかけに、兵士は首を横に振る。兵士は緊張した面持ちで息を呑み、続きを伝えた。
「――――――謀反です。第三皇女がレジスタンスと手を組み、宮殿を占拠したとの報告が」
その報告を聞いて、グレゴアは思わず立ち上がる。
決して警戒をしていなかったわけではない。レジスタンスの動きが活発となっていることは、以前から耳にしていた。
だが、このタイミングで謀反が起こるなど、普通はありえなかった。
「バカな、いくらなんでも早すぎる。軍が出立してからまだ一週間だぞ!?」
「は、はい。この報告も数日かけてようやくこちらに届いたもので、既に占拠されてからかなりの時間が経過しているかと」
ここでようやく、グレゴアは理解する。
入学式での挨拶から現在に至るまでの出来事は、全て誰かが書いた筋書き通りである、と。
最初から、ユシタニアとの国境に軍を配備させ、グレゴア将軍ならびに主戦力を帝都から引き離すことが目的であったのだ。
でなければ、レジスタンスの動きがこれほどまでに早いわけがない。確実に示し合わせて行動しなければ出来ない速さだ。
「全軍に通達せよ。一部の兵を残し、主力部隊は速やかに帝都に帰還する。皇帝陛下を速やかに救出するのだ」
「はっ!」
兵士と副官は慌てた様子でテントを後にする。
後ろ姿を見送ったグレゴアは、怒りに震えながらも、無理やり気分を落ち着かせて状況を整理する。
「黒幕はユシタニアか?いや、あの腑抜けた王家に、我々の裏をかいてレジスタンスと秘密裏に繋がることなど、できるはずがない」
だが、そのできるはずがないという決め付けが、仇となったばかりだった。
冷静に考えて、事の発端がユシタニア側であるならば、彼らとレジスタンスに繋がりがあるのは間違いないだろう。
問題は誰がこの筋書きを描いて実行したか、だ。
「―――――【ユシタニアの聖女】、アルーシャ・フォン・ロレーヌ」
グレゴアは一度だけ社交界でアルーシャと顔を合わせたことがある。
数度会話しただけに過ぎないが、グレゴアは彼女に対して言葉では言い表せない底知れなさを感じていた。
ただの貴族の娘が纏っていいオーラではない、と。
「侮りすぎていたか」
悔しげに拳を握りしめ、二度と同じ過ちはしないとグレゴアは固く心に誓ったのだった。
***
一方その頃、神聖アルディオン帝国の首都、帝都テスティカ。
帝都の中心部にある建国記念広場には、多くの民衆が集まっていた。第三皇女がレジスタンスと手を組んで宮殿をたった一夜で攻め落としたと聞き、その真偽を確かめるためだ。
そして、広場の中央で第三皇女ソフィア・ツヴァイク・マリー・アーデルハイト・アルディオンは、民衆の前に高らかに宣言する。
「父帝、フィリップⅢ世はレジスタンス【夜明け】の手に墜ちました。戦争に明け暮れる日々、圧政に悶え苦しむ日々は、今日この日を以って終わったのです」
ソフィアの宣言により、広場に集った民衆は大きな歓声を上げる。第三皇女を支持する貴族達も思わず涙し、戦争によって失った家族を悼んだ。
だが、ソフィアは周囲を一瞥すると、その鬼気迫る表情で民衆を静まらせた。
「ですが、皇帝陛下を討ったとて、全ての問題が解決するわけではありません。陛下を誑かし、聖戦と称して終わりのない暗路へと誘ったのは、腐敗した正教会にほかならないからです。尊き信仰を歪め、己の私腹を肥やすために民衆を苦しめる彼らを、決して許してはいけません」
「――――――民よ、真なる夜明けの為に、今こそ立ち上がるのです!」
ソフィアの号令と共に、レジスタンスの象徴である旗を掲げられる。
正教会への怒りは民衆の中で根強く残っている。ソフィアのこの一言だけでも火種となり、烈火のごとく燃え上がらせるのには十分だった。
民衆は更なる歓声をあげて、広場は熱狂に包まれた。反正教会という目的を前に民衆は一致団結する――――――
***
「……ふぅ。やっぱり、慣れませんね」
騒ぎがひと段落し、酷く疲れた様子でソフィアは宮殿の離れにある自室で腰を下ろした。
戦争に異を唱えた結果、彼女は数年ほどこの離れに軟禁されていた。第三皇女という立場には何の意味もなく、ただ皇帝と血が繋がっているために生かされていただけだと思い知ったソフィアは、長らくこの部屋で絶望に打ちひしがれていた。
だが、今は違う。レジスタンス【夜明け】と共に革命の旗手となり、神聖アルディオン帝国を根本から変えようとしている。
実態はただの看板で、良いように使われているだけであったとしても、何も出来ないよりかは随分とマシだろう。
「これでご満足いただけましたか、兄様」
ソフィアは椅子に腰掛けながら、扉の傍で立っているタキシードを着た若い男性に親しげに声を掛けた。
声を掛けられた彼は首の後ろを掻きながら、少々おどけた態度を取る。
「いやぁ、良いんじゃないかな。ぶっつけ本番の割に、結構サマになってましたよ。でも、兄様はやめてくれないかなぁ。俺はただのオズワルドで、ソフィア様のお兄様なんかじゃないんですから」
アルーシャの臣下で、【魔王】を信奉する教団の一員。オズワルドという名で呼ばれていた彼は、神聖アルディオン帝国で暗躍していた。
【夜明け】がユシタニア王国への派兵の留守をタイミングよく突くことができたのも、アルーシャの命を受けた彼の働きによるものだ。神聖アルディオン帝国にとっての真の敵は、帝国内部にあったのである。
「いいえ、兄様は兄様です。子供の頃の約束を、ちゃんと護ってくれましたから」
「ははっ、何のことやら」
オズワルドはわざとらしく悪態をついて、ソフィアに背を向ける。
そんな彼の背に、今度は真剣な声色でソフィアは言葉を投げかけた。
「では――――――オズワルドさん。【魔王】は、本当に正教会と戦うおつもりなのですか?」
「あぁ、我が主は最初からやる気ですよ。何を敵に回そうと、何を利用しようと、己の信念を全うする。そういう御方だ」
「そして今回は我々を……いえ、アルディオンすら利用したわけですね」
「ご明察。でもまぁ、利用したといっても、君達にも利がある取引みたいなもんです。ちょっとばかし、背中を押しただけですからね。これから国を建て直していけるかどうかは、君達次第」
「はい、それは理解しております。アルディオンの未来まで、【魔王】に面倒を診ていただくわけにはいきませんもの」
「はっはっは、随分と心強いお返事だ。手筈通り、【猟犬】はこちらにお任せを。君達は籠城さえしてくれればいいですから」
いずれ戻ってくる、グレゴア将軍率いる帝国軍への対策は籠城だ。
民衆と協力して帝都を封鎖し、さらに捕らえている皇帝を人質にすることで、一日でも多くの時間を稼ぐ。それが【魔王】から下された指令だった。
それをすればどうなるか。兵法に疎いソフィアであっても、予想はついた。
帝国軍の士気は元々それほど高くはない。他国から侵奪した領土に住む人々を徴兵してきており、故郷にいる家族の為に無理やり従わせられていると言ったほうが適切だ。
少しでも時間を稼ぎ、帝都以外の反乱の炎が勢いづけば、帝国軍は一変して民衆の敵として逆賊扱いされる。そうなれば自ずと帝国軍から離反する者も現れかねない。
だが、それが分からない【猟犬】ではない。こちらの時間稼ぎに応じることなく、事態を動かそうとするだろう。
「……承知いたしました」
「では、くれぐれもお気を付けて。自分の命は大切に」
それだけ言って、オズワルドは扉を開けて部屋から出ていった。
ソフィアは彼を見送ると、口をつぐんで顔を伏せた。
(きっと、この後の行動も【魔王】には予想がついているのでしょうね)
だからきっと、命を大切にしろとオズワルドは言ったのだ。
結局のところ、良いように使われているだけ。
(それでも私は……第三皇女。私がやらなければ、アルディオンに未来はない。兄様も、それを望んでいらっしゃるはずだから)
ソフィアは自分の頬を叩き、勢いよく席を立った。
こんな場所で立ち止まっている場合ではないのだ。




