14話-入学
グライスナー領での一件から、およそ五年の月日が流れた。
ツェツィーリアは母親であるイルマと共にロレーヌ家の屋敷で保護され、一年後にツェツィーリアは正式にロレーヌ家の養子となった。
そして、15歳となる今年の春、遂にユシタニア国立正教学院に入学することになったのだ。
「――――――ツェツィーリア・フォン・ロレーヌ君」
「……はい」
自分の番となって名前を呼ばれたツェツィーリアは席を立って、壇上にいる学院長の下まで歩いてやってくる。
他の生徒と比較しても小柄で、まるで人形のような均整のとれた美貌は、男性女性問わずその場に居た者は思わず息を呑むほどだ。
ミディアムヘアと幼く見られがちな顔も、それとは一見不釣り合いにも思える眼帯によって、彼女が持つ独特な雰囲気と併せてミステリアスさを醸し出している。
また、立ち振る舞いも優雅で、貴族として恥ずかしくない所作を五年掛けてきっちりと叩きこまれている。
「平民の出なのに、才能を見込まれてロレーヌ家に養子として迎え入れられたそうよ」
「うそ、平民出身なの!?まったくそうには見えなかったけど」
前世と比較すれば、周囲からの評判はこの時点で良い。
神殿で軟禁されていた彼女と、屋敷で英才教育を受けた彼女では、受け取り手の印象が天と地ほど違うのは当然のことだ。
(いっぱい練習してきたけど、やっぱり緊張する……)
もっとも、緊張しすぎて思わず無表情となってしまうほどに、こういう公衆の面前が苦手なのは相変わらずなのだが。
ツェツィーリアは学院長から入学許可証を受け取り、また席に戻っていく。その後も順番に生徒が呼ばれていき、遂に最後の一人となった。
「アルーシャ・フォン・ロレーヌ君」
「はい」
(アルーシャ姉さまだ)
蜂蜜色の髪をなびかせ、アルーシャは優雅に立ち上がった。ツェツィーリアは目線を彼女の方へ向けて、頬を綻ばせる。
王妃としてお淑やかに、かつ模範的な生徒を目指していた前世と違う。ドレスを着ているときの華やかさとはうってかわって、制服を完璧に着こなしているその姿は猛々しく堂々としていた。
女傑という言葉が、今の彼女には最も似合うだろうか。ツェツィーリアのときとは違い、周囲の人々は圧倒されて言葉すら出ない。
アルーシャも壇上の学院長から入学許可証を受け取ると、突然踵を返して新入生と在校生の方へと向き直った。
「新入生代表として、わたくしアルーシャ・フォン・ロレーヌがご挨拶いたします」
そうしてアルーシャが話を始めると、特に在校生から動揺が起こる。アルーシャが最後に呼ばれた時点で学院長や教師陣の協力があったことは明白だが、在校生としては前代未聞の事態だ。
しかし、そんな動揺する彼らの、更に度肝を抜く発言をアルーシャは続ける。
「現在、ユシタニア王国の情勢はあまり良いとは言えません。原因は、我が国と同盟国である神聖アルディオン帝国が聖戦と称して無理な侵略戦争を続けていることにあります」
この発言は、神聖アルディオン帝国に対する挑発として受け取られてもおかしくはなかった。ましてや、周囲に記者や王国の関係者がいる公の場となれば、国際問題になりかねない。
しかし、内容自体を否定する者は、この場に誰も居なかった。神聖アルディオン帝国が【ケルレウス正教】を盾に、【ケルレウス正教】を国教としていない周辺諸国に対して、手当たり次第に戦争を仕掛けているのは周知の事実であったからである。
それを侵略戦争と明確に非難したのは、ユシタニア王国内では彼女が初めてではあるのだが。
「戦争が起こった十年前は、戦争特需により一時的に経済が活性化しました。ですが、たった数年後にはアルディオンからの支払いが滞り、今もなお我が国の経済が圧迫され続けています。失業者は増加し続け、他国からの物資の輸入が戦争の影響で激減。平民や地方貴族が貧困に苦しむようになり、王都に住む貴族でさえ現在は影響を無視できないほどになっている状況です」
アルーシャは周囲を一瞥しながら、身振り手振りを交えながら話す。
これでは挨拶ではなく、演説となってしまっている。だが、そのせいか皆騒ぐのを止めて聞き入ってしまっていた。
「この場に居るのは地位と才能、その両方に恵まれた者達です。ユシタニアが抱える問題を正しく理解し、自らが負った責任を全うしなければなりません。ユシタニアの未来を担うのは我々にほかならないのですから」
神聖アルディオン帝国への非難から始まり、ユシタニア王国で起こっている問題の提起、そして浮かれた気分となっている新入生への叱咤。
短い挨拶の中にこれらの要素を交え、アルーシャはこう締めくくる。
「私、アルーシャ・フォン・ロレーヌは次回の生徒会長選に立候補いたします。悪しき慣習を打ち払い、より良い未来を作っていくことこそが、ロレーヌ家の長女として自らに課せられた責務だと考えているからです。皆様、応援のほどよろしくお願いいたします。以上で、私の挨拶とさせていただきます」
挨拶を終えたアルーシャは壇上で一礼をすると、自らの席に戻っていく。周囲からは拍手が鳴り響き、畏怖と羨望の眼差しを全身に受けながら彼女は堂々と歩みを進めた。
(姉さま、格好良かった)
ツェツィーリアも目を輝かせながら、小さく拍手をする。アルーシャと目が合うと、周囲に気付かれないように微笑みかけた。
さて、その後に挨拶を行った在校生代表である生徒会長は、さぞかし居心地が悪かったことだろう。冷や汗をかいて当たり障りのない言葉を並べた。そして、学院長からの挨拶なども終えて、入学式が無事に終了する。
自由行動となったツェツィーリアは人混みを懸命に掻き分けて、アルーシャの姿を探した。しかし、学館の何処を探しても見つからず、途方に暮れてしまう。
(どこ行っちゃったんだろう……)
少なくとも、新入生が最初に案内された一号館には彼女の姿がなかった。つまり、最初から新入生と彼女は行動を共にしていなかったということだ。
一号館の前にある中庭で、ツェツィーリアはおもむろに眼帯を外して、空を見上げる。
(――――――ちょっとだけ、時間を遡ろう)
そう心の中で念じた瞬間、空に浮かんでいた雲が後ろに進み始めた。
それだけではない。ツェツィーリアの周囲の光景も凄まじい勢いで巻き戻されていく。
そして、最終的に時間は入学式が終わった直後まで巻き戻ってしまった。
これがツェツィーリアが持つ【聖女】の力の正体であり、彼女はその力を五年掛けて十全に扱えるようになっていた。
(よし、今度は別の場所を探してみよう)
ツェツィーリアは人混みと逆方向に駆けていき、今度は三号館の方へと向かった。
そこでも見つかることはなかったのだが、同じことをあと二度繰り返して、旧館と呼ばれる他の学館と離れた場所に建てられた二号館の前で、遂にアルーシャを見つけるのだった。
「アルーシャ姉さま!」
「ツェツィ?どうしてこんなところに」
ツェツィーリアはアルーシャに勢いよく抱きつき、アルーシャは驚きながらも咄嗟に背中に手を回して支える。
アルーシャはちょうどとある人物と会話している最中だった。ツェツィーリアは顔をそちらの方に向けると、少しふくれっ面で声を掛ける。
「殿下、狡いですよ。姉さまを独り占めするなんて」
とある人物とは、ユシタニア王国の第一王子であるクラウス・レオナルド・フランツ・フォン・ヴォルテール=ユシタニアだった。
アルーシャの婚約者であもあるクラウスは、その発言に対して首の背を掻きながら苦笑いする。王子というより、この二人の前では昔馴染みと話す気弱な少年のようだった。
「ツェツィーリア、僕は別にそういう意図でアルーシャを呼び出したわけじゃない。さっきの入学式の挨拶、君だって聞いていただろう」
「アルーシャ姉さまが恰好よかったですね」
「そうじゃなくて!あんなの、言い換えればアルディオンと縁を切るべきだって、そう主張しているようなものじゃないか。下手をすれば国際問題だし、戦争だって……」
不安を口にするクラウスに対して、アルーシャは溜息をつく。
「クラウス、常日頃からもっと物事を多角的な視点で考えなさいと言っているでしょう。神聖アルディオン帝国は元よりユシタニアに狙いを定めていましたわ。戦争をしないと、もう自国の経済がどうにもならない事態まで陥っているから。私はあくまで、その背中を押しただけに過ぎない。」
「ど、どうしてだい!?そんなことをすれば、戦争で多くの民が……」
「いいえ、戦争は不戦勝で終わる。仮に戦っても、初戦で終わるでしょうね」
「その根拠は、一体何なんだい?」
「神聖アルディオン帝国の本当の敵はユシタニアではない。もう少し自分で考えてみなさいな、クラウス」
本当の敵という言葉に、クラウスは難しい顔をして悩む。そんな様子を傍目に、アルーシャはツェツィーリアの手を取って歩き出した。
「さて、ツェツィ。行きましょうか。また私の許可なしに力を使ったことを、説明してもらわないとね」
「ご、ごめんなさい……姉さまに、どうしても会いたくて」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!それ以外にも生徒会長の件とか、他にもいろいろ――――――」
こうして、ユシタニア国立正教学院での彼らの学生生活は始まった。
初日から波乱の様相を呈してはいたが、これもまたアルーシャの計画の一部に過ぎなかったのだと、後に知ることになる。




