1話-処刑
「―――まさか、テオドール公が貴様のような悪魔を飼っていたとはな!」
小太りの男が恐怖と憎悪に顔を引きつらせながら、声を張り上げる。
彼の名はベルトルト・フォン・グライスナー。このユシタニア王国で、伯爵の地位についている貴族である。しかし、彼の身辺を警護していた護衛達は既に斬り捨てられ、物言わぬ肉塊となって床に赤い液体を垂れ流し続けている。
ユシタニアという大国の貴族として相応しい豪華絢爛な衣装を身に纏った彼は今、どうしようもなく追い詰められていた。
年端もいかぬ、たった一人の少女に。
「失礼な物言いですわね、グライスナー伯。人のことを、悪魔だなんて」
「貴様のことを悪魔と呼ばず、誰を悪魔と呼ぶのか。ああ、そうだとも。人の皮を被った悪魔だ」
ベルトルトは酷く錯乱した様子で、悪魔という単語を連呼する。
彼がそこまで言うのも、目の前で起こっている惨状を鑑みれば理解出来なくもない。十歳の少女が、いとも簡単に、赤子の手を捻るように、一人で三人の手練れの護衛を剣で刺殺したのだから。
それだけではない。ベルトルトが秘密裏に進めていた計画も、全てこの少女のせいで台無しとなってしまったのだ。
「一体、何が望みだ。地位か、それとも名誉か。こんなことをして、一体何になるというのだ」
企みを完膚なきまでに粉砕され、さらには命さえも奪われようとしている現状に、ベルトルトは少女に恨み節をぶつける。
ぶつけるしかなかった。こうなった以上、彼に何も残されてはいない。
「地位も名誉も、必要ありませんわ」
少女は剣についた血を払い、ゆっくりと一歩ずつベルトルトへと近づいていく。
落雷による閃光が窓から部屋の中を照らし、返り血に塗れた少女の姿が露わとなる。
「愛するヒトが、幸せとなれる世界の為に。」
「私は――――――我は、我が名は、【魔王】」
そして、【魔王】は愚者の首を斬り捨てた。
***
彼女の名は、アルーシャ・フォン・ロレーヌ。
ユシタニア王国でも名家であるロレーヌ家の長女として生まれ、アルーシャの父であるテオドール・フォン・ロレーヌは公爵でありながらも、事実上のユシタニア軍部の最高責任者となっている王国騎士団長を兼任している。
そんな高貴な身分の彼女が、王子の許嫁として育てられるのは当然の流れであった。幼い頃から次期王妃となるための英才教育を施され、他者から受けた多くの期待を背負っていた。彼女はその期待に応えるべく、努力に努力を重ねた。
全ては民から望まれたことであり、民の為に己を尽くすことが彼女の生きる意味だった。
――――――だが。
アルーシャ・フォン・ロレーヌは今から処刑される。
「これより、この者の罪状を言い渡す」
断頭台の傍らに立つ書記官が、群衆に向かって声をあげる。
「ロレーヌ家が敵国と内通して国家転覆を企んだのは、先ほどの逆賊テオドールの処刑でも明らかとなったことだろう。この者も同じく、罪状は国家反逆罪である。逆賊テオドールの指示の下、清廉潔白なクラウス王子をも篭絡しようとしたこの者の罪は許し難い。」
書記官の言葉に、群衆からの冷ややかな目線がアルーシャに向けられた。
だが、テオドール公が敵国と組んで国家転覆を企んだというのは完全な濡れ衣だ。
そもそも、そんなことをする理由が無い。王国騎士団長としての権力を持っていた彼は【王党派】と呼ばれる派閥のトップであり、王にわざわざ刃を向ける必要がないのだ。
クラウス王子に対する行いも事実無根である。民には公にはなっていないが、アルーシャが彼の許嫁であるというのは貴族の間では周知の事実であった。
王国の内情を少しでも知る者ならば、謀られたのだとすぐに理解できる。しかし、民にはそのような事情は知る由もない。
「よって、王国法に則り、この者を斬首刑とする」
処刑人が断頭台に立つアルーシャに向かって、斧を振り上げる。
今から殺されようとしている彼女の顔に恐怖はない。あるのは、諦めと達観だ。
王妃という地位は民から望まれたこと。だから、彼女は努力してきた。
文字通り、血の滲むような努力だ。民の為に己を尽くすことこそが、貴人として在るべき姿であると教えられてきたからだ。
なればこそ、民からそう、望まれるのであれば。否、必要のないものとされるのであれば。
座して死を受け入れる。それが、彼女の答えであった。
「――――――ツェツィ、どうか」
貴女は生きて。どうか、幸せに。
死を受け入れた少女が、最期に願ったことは。
自分ではなく、愛する親友の幸せだった。
そして、悪役でも何でもない、ただの少女の首は斬り捨てられた。