Part2「突然の終わり」
「俺の記憶。なぜ俺が、このMMO始めたのかを忘れてしまったのは、もういい」
ガルム洞窟2層付近。
洞窟攻略をする冒険者が築いたような安全な場所があり、そこはモンスターも寄ってこない聖なる泉があり、男とアバドンはそこで一時休憩をしていた。
洞窟で戦闘を行って、少しは経験値を手に入れようと男は考え、元アシストくんであったアバドンを連れて洞窟に意気揚々と入ってみたものの、ことはすんなりいかなかったのである。
男は、じっと焚火の隣でしょげているアバドンを見据える。
見た目はうら若い女性で鋭い目じりと眼光で少し気圧されるが、悪魔を自称する割には見た目は性的な服装ではなくどちらかというと騎士団が着こなす制服という服飾。他、視覚的に魅入るのは背中の悪魔とわかるような黒い翼とか、悪魔ぽい蠍のような尻尾であろうか。
そんなことを男は考えながら、言葉を続ける。
「お前、悪魔の中でも最強格なんじゃなかったのか・・・?なぜ、あのイヌコロもどきにすら勝てないのか!?」
そうして聖なる泉の外でゴロゴロと寝そべる、ガルム洞窟に住むイヌもどきを男は指さしながら、アバドンを叱責するのであった。
「うるせぇ・・・!オレだって、なぜあんなのに苦戦するのかわかんねぇよ!」
そうして両足を抱えながら恨めしそうに涙が顔を浮かべながら、体育座りをしながら男に吠えるアバドンがいた。
「闇の力が一切つかえなくなってるしよぉ・・・」
よほどショックであったのか、その瞳には涙すら浮かべていた。
「その闇の力がでなくて、俺はこの木剣で戦う羽目になってるんですが?」
「しらねぇよぉ・・・」
いじけるアバドンを尻目に、男は洞窟内での戦いを思い出す。
あの衝撃的な登場をした自信満々悪魔と洞窟に入ったあたりで、まず最初につまづき。
当然、洞窟の中に明かりなど存在しないが、アバドン自身は光を照らすようなものをもっておらず、そんなちゃっちい魔法とか力は持ってないというものだから、つけ方もあまりよくわからない初心者入門用たいまつをリュックから取り出して、原始的な照らし方で洞窟に入る羽目になってしまった。
道中、アバドンに闇の力というものを男は聞かされていたが、この世界でいう魔法とは異なり、負のエネルギーとかそういった方面で形成されているもので、生き物に対して有効な力であって、便利な代物ではないのだとか。
右も左も知らない男にとって、この世界には魔法があるんだなぁとか。MMOの定番だよなぁとか、そういった感想しか出てこなかったのは言うまでもないが。
アバドンの使う闇の力は、いわゆる生命力を奪うとか、呪術で呪い殺すだとか、そっち方面が基礎となっているようで、もっぱら生命に対して強いのだとかを男に話してくれた。
そんなこんなで道中、進んでいたのが、当たり前だが洞窟にはモンスターがいて、初めてそのモンスターこと犬もどきに襲われたのであった。
見た目は小型犬のそれであり、クルクルの目を輝かせては、猪突猛進のごとく勢いよく男とアバドンに突進してくるのである。
人生で初めて他の生物に襲われることを体験する男にとっては、命からがら。なんとか転げまわりながらそれを避けるので精いっぱい。
対してアバドンは涼しげな顔でそれを避けては、体を翻し腕を伸ばしては、闇の力を放った。
―――ように見せかけて、実際は、なにもでてこなかったのだが。
「―――――。な、なにもでないではないかぁ――――!」
そんな壮絶な絶叫と共に、あとは脱兎のごとく二人は1階層から2階層まで逃げ進み、今の場所に至ったというわけだった。
「前途多難すぎるな。しかし・・・」
男にとって、ここはMMOゲームをプレイしている感覚であったのだが。
先ほどのモンスターに襲われて、男は自分が経験している状況に違和感を感じ始めている。
これがゲームであれば、こんなことは起きるだろうし、イベントとしても用意されているのだろうとも感じられるが、異様なまでの没入感でそこにはあった。
まず、この世界には『におい』があった。
男は最近のMMOを体験していないがゆえに、ここまで現実的な『におい』を体験できるとは思っていなかった。
洞窟前では、森や草木の『におい』。洞窟の中で感じる松明の焼ける『におい』。モンスターの獣臭まで『におい』がついていたのだ。
次に、男が感じていたのは『疲れ』だ。
必死に逃げたせいで息も上がり、体全体で全速力で長い距離を走った『疲れ』を感じていた。
さらに地面を蹴って走った『感触』。
走ることで足は棒にでもなったかのうような『痛み』。
これはまるで、ゲームというより現実なにが違うのかという気づき。
最近のゲームの没入感は恐ろしいと思うと共に、男の脳裏にこの世界で傷を負ったらどうなってしまうだという『恐怖』まで植え付けられてしまった。
男は、なぜこんなゲームを始めているのかという疑念を抱きつつ、アバドンが召喚されたことによって記憶がわけもわからずなくなっている。
そうして自分自身が誰であったのかさえわからなくなっている現実に、途方もない不安感から眩暈が襲い掛かるのであった。
「お、おい大丈夫かよ」
ひどく男が青ざめた表情をしたのが気になったのか、アバドンは男に声を掛ける。
「これが、大丈夫なわけ――――」
そんなアバドンの気まぐれに対して『あるか』と言葉を続けたかった男。
だが、その言葉を続けることは男にはできなかった。
誰も気づかず。誰にも悟られず。
アバドンが目の前の現実を認識できるようになったころには、男の胴の上にあるべき頭は消えてなくなっていたのだから。
ゴリっとなにかを潰す音と、アバドンがなにかを叫んだような声だけが、男の耳の最後に残っていた。
客観的な事実だけとらえれば、ガルム洞窟とは、その名の通り『魔犬ガルム』が冥界を守るための門そのものであった。
そこに救いがあったのだとすれば、男は痛みを感じるまでもなく自身の頭蓋が砕かれて視界真っ暗になっただけであろう。
もう一つの救いは、アバドンは悪魔であり生者ではないモノは、命までは取られないという事実だけであった。