ギルドの特別室1
春の朗らかな陽気に包まれ、頬を撫でる風に新緑の香りが混じる季節。やがて来る夏の訪れを予感させられる今日この頃。
副長に連れられ、長男のビルナーレさん、次男のストラノスさん、実家の使用人ジュネさんの三人が王都からオルカーテにやって来て一ヶ月が経とうとしていた。
そんなある日の早朝。
ギルド裏手の厩舎にて、出発間近の馬車の前に八人のギルド職員が集まっていた。
「それじゃ行ってくるよ。王都への道中、毎日昼に定時連絡入れるから応答よろしく頼むよ」
その中の一人である副長が、見送りの面々に向かってにこやかに挨拶した。
この一か月間、箱の魔道具を使った通信技術を運用可能なレベルまで到達させた副長達は、満を持して箱の魔道具の一方を王都の冒険者ギルドへ配備することにした。今日はその出立の日だ。
配備後に実施する最終テストを残してはいるが、このプロジェクトは本番に向けてあと一歩の段階まで進行していた。
箱の魔道具と共に王都へ向かうのは三人。副長、ビルナーレさん、ジュネさんだ。
ストラノスさんはこのままオルカーテに残ることが決まっている。
なので、この場で見送る側は五人。ギルド長、ラミアノさん、私、マルティーナさん、ストラノスさんということになる。
ビルナーレさんは王都のギルドに所属する職員。出向という形でこちらに来ていた、というよりも連れて来られた、というのが正しいか。最初から出向期間が一ヶ月間と決まっていて、戻るのは確定事項だった。
一方、立場的に新人のストラノスさんとジュネさんは、王都ではなくオルカーテのギルド職員として登用された。今回ジュネさんは建前上オルカーテから出向という形を取るが、王都に着き次第、王都の職員に転籍する手筈となっている。
ストラノスさんはこのままオルカーテの職員だ。
そもそも一ヶ月前。
副長は会合のため王都に行ったのだが、その際自ら魔道具の調査を行うことでその有用性を感じ取り、急いで人員を登用するべきだという考えに至ることになる。結果、身内のストラノスさんとジュネさんも実家から半ば無理やりオルカーテに連れてくることにしたのだ。そんな二人を王都のギルドで登用手続きする暇などは無く、オルカーテで登用するよりほかなかった。
もしもオルカーテのギルド内にギルド長派とか副長派とかいう派閥みたいなものがあれば、こういった露骨な縁故採用の手続きにはもう少し時間が掛かったかもしれない。だが幸いなことにそんな派閥争いみたいなものはなく、ギルド長も積極的に手続きを推し進めて、やって来たその日の内にストラノスさんとジュネさんを職員採用した。
ギルドではこの機会にもともと職員が人手不足気味だった体制を改善すべく、彼らを採用した後も、他に数人の新人職員を採用して増員したのだそうだ。
採用されたストラノスさんとジュネさんがこの一ヶ月やってきたことは、ギルドの雑務と通信士としての訓練だ。
雑務は主に書類仕事で、仕事を始めた当初は文字を書くことに難があった二人だったが、すぐに習得して手伝いを任されるようになった。
通信士の訓練は、新人の彼らにとって楽しかった。何しろまったく新しい事業なのだ。
本来なら上司または先輩の立場にいる副長、ビルナーレさん、マルティーナさんも、この事業では新人同然ということになる。スタートラインが一緒の彼らと協力しながら覚えていく。そのようなチーム体制に事業自体の面白さも加味され、さらに楽しめるものとなった。
そうして副長を中心に意欲的に取り組んだギルド職員達は、様々な試行錯誤やテストを繰り返していき、綿が水を吸うように技術を習得していったのだ。
「皆さん。短い間でしたがお世話になりました」
「お見送りありがとうございます。行ってまいります」
その声で回想していた私の頭は現実に引き戻される。
ビルナーレさんは遮光布を被せた箱の魔道具を脇に抱えたまま、礼儀正しく挨拶した。
続けて控えめに挨拶したジュネさんの手を取りながら、一緒に馬車に乗り込んでいく。
二人は、一ヶ月間、一緒にお仕事をした仲間だ。
別れは寂しいものだが、彼らとは今後魔道具で意思疎通する未来が視えている。だからだろうか。悲壮感はあまり無かった。
ちなみに副長は新事業の立ち上げに伴い、色々な手続きとか仕事場の確保とか取りまとめ役の引継ぎとか、王都での仕事が山積みではあるのだが、それらを終えたらこちらへ戻ってくる。
ピシッ!
鞭が入って、副長、ビルナーレさん、ジュネさんを乗せた馬車がゆっくりと動き出した。出発だ。
ギルド長とラミアノさんはそれほど感傷に浸っていないが、私とストラノスさんとマルティーナさんはここ一ヶ月、苦楽を共にした仲間、という意識が強い。厩舎の前の通りまで馬車と並んで駆けていき、馬車が通りの角を曲がって見えなくなるまで私達三人は手を振って見送った。
「行っちゃいましたね・・・」
「ああ。最近は王都までの道のりも安全になったし、護衛の冒険者パーティーも同行してるから心配ねぇよ」
私が呟くと、ストラノスさんが私の頭に手を乗せながらそう言った。
私の頭の位置がちょうど乗せやすい高さなのか、ストラノスさんは時々私の頭に手を置きたがる。まぁ別に払い除けたりはしないんだけど。
さり気なく一歩横に移動し、彼の手から逃れる。そして、ふと視線をマルティーナさんに移すと、何やら考え事をしているように見えた。
「・・・マルティーナさん?」
「・・・え?あ、うん。そうね」
この返事。考え事をしていた、というより上の空だったような感じだ。
さっきまでは普通だったのに。どうしたんだろう。
「大丈夫ですか?」
「ええ。少しぼーっとしていたわ。何でもないの」
やや無理気味に笑顔を作って返してきたので、それ以上詮索はしなかったけど・・・本当に大丈夫かな?
「さ、エルナ。あたしらは仕事場行くよー」
「はーい。今行きます、ラミアノさーん」
やや離れた厩舎の位置からラミアノさんの呼び声が掛かったので、ラミアノさんの元へ駆け寄る。
よし、気持ちを切り替えてお仕事だ。
お昼の定時連絡には私も立ち会える。それを楽しみにしよう。
別れのテンションに区切りを付け、私はラミアノさんと共に素材工房に入った。
「・・・そんな感じで、マルティーナさんが何だか少し元気無くしちゃったみたいに見えて。心配です」
「ふーん。それ、もーちょい詳しく話してみ?」
素材工房の仕事場にて、雑談を挟みながら仕事前の準備をしていたのだが、つい先程のことを話題に出すと、ラミアノさんは詳細を話すよう促してきた。
えーと、あの時は確か、私とストラノスさんとマルティーナさんで前の通りまで馬車を追い掛けて、ストラノスさんに頭に手を乗せられながら会話して・・・。
一つ一つ思い出しながら話していくと、最後まで聞いたラミアノさんは手をぽんと打つ。
「ははーん。たぶんわかったよ。まぁどうってこたぁないね。昼に特別室に行くときに解決しとくよ」
え?こんな話で原因わかったの?
私は目を丸くして固まってしまう。
ちなみに特別室というのは、私がここ一ヶ月、夕方に通っていた本館三階の第二作業室のことだ。
副長、ビルナーレさん、ストラノスさん、ジュネさん、マルティーナさんの五人が、箱の魔道具を使って通信技術を習得するために、あの部屋をずっと使っていた。
ギルド内でも秘密裡に動いている事業で、部屋の名称を『通信室』としてしまうわけにもいかず、当面は『特別室』と呼称しよう、ということになっている。
「ほら、エルナ。仕事仕事」
「あ、はい」
そう言われては仕方がない。深堀りしたいのを抑えて仕事の段取りを確認する。
とはいえ一旦仕事に取り掛かれば、あとはいつも通りだ。
魔力充填のお仕事も二ヶ月やっていれば、我ながら流石に慣れたものである。
気付けば今日の仕事は終わり、ラミアノさんから声が掛かった。
「それじゃ早目のお昼にしよう。食べたら特別室に集合だ」
早目に昼食を取るのは、予定の内である。昼食を取ってからでも昼の定時連絡の立ち合いに間に合うよう、予め仕事量を調整していたのだから。
ラミアノさんと一緒に食堂まで行けば、ギルド長が既に座っていた。
ラミアノさんはそのまま食堂でギルド長と、私は弁当をもらって待機室へ移動し、それぞれで昼食を取る。
定時連絡の立ち合いが気になっていた私は、やや急いで弁当を腹に収めると、すぐに特別室へ移動した。
「失礼します。立ち合いに来ました」
以前は表面と裏面に『使用中』『空き』と書かれた木札が扉に掛けられていたその作業部屋。今は『特別室』の木札が掛けられている。
その特別室の扉をノックして、中から鍵を開けてもらい部屋に招き入れてもらう。部屋の中は、マルティーナさんとストラノスさんによって、既に定時連絡の準備が万端の状態であった。
「待ってたわ、エルナちゃん。こっちに座っててね」
マルティーナさんは、ちゃんとお仕事モードだ。今朝見られた陰りのある表情は伺い知れない。
そのマルティーナさんに誘導されて用意された席に腰を下ろすと、すぐに廊下側から部屋の扉がノックされた。
ラミアノさんとギルド長の二人が入ってくる。これで立会人も揃ったわけだ。
ギルド長は私の隣に座ったが、ラミアノさんは立ったままちょいちょいと手招きした。
「マルティーナ」
「はい?」
呼ばれたマルティーナさんがラミアノさんに近寄ると、ラミアノさんはマルティーナさんの頭にぽんと手を乗せ優しい声で言った。
「大丈夫だよ」
・・・あ。そういえばさっき解決しとくって言ってたっけ。
果たしてラミアノさんはどんな言葉を掛けるのか。そう私は思ったのだが・・・。
「・・・ありがとうございます。ラミアノ様。元気が出ました」
笑顔で応えるマルティーナさん。
???
なんで?
それだけで?
私だけじゃなく、ギルド長もストラノスさんも、「なんだったんだ今の?」という様な不可解な表情をしている。
・・・まぁ、マルティーナさんが元気が出たならいいのか。
「さ、定時連絡、見させてもらうよ」
そう言いながらギルド長の隣の席に座ったラミアノさんは、私と目が合うと軽くウィンクするのだった。




