新人教育3
私、エルナの一日はとても忙しい。
まず朝が早い。
朝二つの鐘が鳴る前に起床して身支度を整え、鐘が鳴ったら荷物を持って食堂へ降りる。
食堂で朝食の弁当をもらったら、それを持って仕事場の斜め向かいにある私の待機室へ移動する。
待機室で朝食を取ったら仕事開始までのんびりできるのだが、最近はあっという間に時間が過ぎていく。通信の企画案に追加したり修正を加えたりする資料を作成しているからだ。
気が付けばラミアノさんが待機室の私を呼びに来る時間になっているのが常であり、机の上を軽く片付けると私は仕事場へ移動する。
魔石の充填。
これがギルドにおける私の本来の仕事であったが、今やこの仕事をしているときが一番楽なくらいだ。
なぜ楽なのか。作業がきちんとルーティン化していて、ミスが出にくいのが大きな理由。他にもラミアノさんがちゃんと確認をしてくれるので二重チェックになっていて安心だし、何より仕事量が少ない。
楽だから仕事に対するストレスはほとんどない。だからといってつまらないということなく、魔道具に触れ、魔法を使えるのは楽しい。
そして、俗物的ではあるけれどお金がどんどん稼げる。いいことずくめだ。
仕事が終われば昼食だ。
待機室で独りで食べるのは相変わらずだが、これは仕方がない。
食後、ラミアノさんが呼びに来るまでは、椅子に座って少しだけお昼寝する。貴重な回復タイムだ。
そこからラミアノさんと一緒に訓練場に移動し、木剣を使って護身に重点を置いた体捌きと弓と魔法の訓練を行う。貴重な運動タイムだ。
ちなみにこの訓練はタダではない。私からラミアノさんに指導代が支払われている。ギルド報酬から天引きされているので一体いくらなのかよくわかっていないが、かなり格安なのではないか、と思っている。
金銭管理はほぼ全面的に大人達にお任せしているのだが、正直とてもありがたい。
昼二つの鐘が鳴ったら訓練を切り上げて水場で汗を流す。
以前までならこれで一日のノルマ終了。・・・だったのだが、先日からとある業務が追加された。
服を着替えて一階の水場から三階の作業室へ移動する。
ここで私は教育係となり、夜一つの鐘が鳴るまで新人教育を行うことになったのだ。
「ジュネ、次だ。『今日の天候は曇り』」
「えっと、『今日の天候は曇り』っと」
「正解だな。よし、この書類は全部終わったぞ」
「ではストラノス様・・・じゃなかった、ストラノスさんが書き取る番ですね。『ホラス領、領都オルカーテ』」
「『ホラス領、領都オルカーテ』。書けたぞ。次だ」
私は今、ストラノスさんとジュネさんの後ろに付いて文字の書き取りの指導中だ。
指導と言ってもやっているのは、ストラノスさんとジュネさんの片方がギルドの書類を読み上げてもう片方が書き取り、それをギルドの書類と照らし合わせて答え合わせをする、という遊びを後ろで見守っているだけだ。
ジュネさんは副長の実家の使用人だったから副長の息子を様付けで呼んでいたのだが、仕事場ではさん付けで呼ぶようにしているらしい。
ストラノスさんとジュネさんはギルドの仕事の合間にこうして互いに書き取りをしており、今日で七日目になるが、当初あった書き取りの未熟さは徐々に克服されて、ミスは明らかに減っている。私が直接指導できるのは鐘半分くらいの時間だから、きっと彼らは空いた時間にも練習していたに違いない。
腕を組んで眺めていた副長は私の隣に来て呟く。
「こんなに早く習得できるとは思わなかったな・・・。互いに競わせる、というのは本当に効果があるのだな」
「仕事の合間に遊び感覚でやるのもオススメですよ」
「ふぅむ・・・」
この世界での教育とは、貴族や平民の中でも特に裕福な商家の者が受けられるものであり、その他大勢の人間には縁のないものだ。
だが世間一般に教育が特権とは考えられておらず、むしろ上に立つ者に課せられた義務のようなものとして認識されている。
なぜなら教育を受けてこなかったとしても、腕っぷしや技術があればいいと考えられている冒険者や職人、農民などの職業が世の中には溢れているし、多くの者はそういった職業に就くことこそが平民のあるべき姿だと信じているからだ。
副長の家は平民だが、実家が貴族であるためそれなりに裕福だ。
それでも学び舎に通わせたのは跡取りの長男ビルナーレさんだけで、割と職人気質な次男ストラノスさんは学び舎には通わせずに奔放に育てたそうだ。
不公平なようだが、子供全員を通わせる、という考えがこの世界ではそもそも無い。学び舎に通わせるには金が掛かるので、子供が何人もいる場合、跡取りの子だけを通わせるというのは珍しくないのである。
「これだけ習得したのなら、そろそろ次の段階に進みましょう」
「いいのか?まだミスもあるが」
私の提案に副長はそう言ったが、恐らくこの確認は『念のため』だろう。
副長が人を使うのが上手なのは知っている。
「大丈夫ですよ。習得に完璧を求めるより、程々の段階で実務を一通りやってもらう方が効率的ですから。実務の中でついでに習得時の穴を埋めていくんです。それに・・・」
「・・・それに?」
「同じことの繰り返しは飽きてしまうので」
「・・・なるほどな」
私が笑ってそう言うと、副長もふっと笑いながら頷いた。
去年の秋。カロン、ダフ、リンに礼儀作法を学ばせた時のことを思い出す。
あの時は最低限の礼儀作法を覚えさせて隣村のガルナガンテ村長に面会させた。完璧な礼儀作法を身に着けてから、としていたら時間がいくらあっても足りなかったからだ。
今回も同じ。書き取りはまだ完璧ではないが、まずは実務の流れを一通り体験してもらいたい。
私の意図を察した副長は、部屋の隅にある衣装箱のような保管用ボックスから箱の魔道具と属性一式が揃った魔石セットを取り出して長机の上に置いた。箱の魔道具は、この新人研修が始まって以降、素材工房の仕事場からこの部屋に移されている。
仕事場に置いていた時はラミアノさんが管理していたが、今は副長が管理をしているのだ。
「皆さーん、手を止めて集合して下さい」
私は皆の作業を中断させて、箱の魔道具が置かれた長机を囲んで座ってもらった。
メンバーは私の他には、副長、ビルナーレさん、ストラノスさん、ジュネさん、そしてマルティーナさんだ。ちなみに初日だけ付き添ってくれたラミアノさんは、以降ここには来ていない。
「今日から通信をやっていきましょう。ですがその前に、通信とは何か、というところから少し説明したいと思います」
さて・・・。
前世の記憶から電話やインターネットの話を引っ張り出すわけにはいかない。あくまで私の今までの人生経験を元に話を組み立てておかないとね。
「通信とは、距離の離れた相手に対して自分の意思を伝えること、あるいは逆に相手の意思を受け取る手法のことをいいます。それからこの通信している人のことを通信士と呼びまして、皆さんにはこれから通信士としての仕事をしてもらいます」
長机を囲む皆の表情が引き締まり、真剣な眼差しでこちらを見てくる。
「そして、ここが一番重要なことなのですが、通信は自分と相手との間で通信の手順や規格が定められています。その取り決めに従うことで意思疎通を行うことができるのです」
「・・・取り決め、ですか?」「うーん?」
今度は皆の表情が一様に曇る。
確かにこの言葉だけでは理解するのは難しいだろうと思い、例を出してみる。
「皆さんにも馴染みのある通信といえば、手紙、それからギルドのクエストボードに貼られている依頼票、などの文字を使うもの。一方で文字を使わないものとして、定時を知らせるために街に鳴り響く鐘や、私の住んでた村では狩りの時に獲物の位置を知らせる狼煙や手旗の合図などをしていましたが、そういったものがあります」
ジュネさんは特に表情が豊かで読みやすく、見ていると面白い。
学校の先生も、こんな生徒がクラスに一人いたら授業を進めやすいんじゃなかろうか。
ふんふんと頷くジュネさんを見ながら話を続ける。
「当たり前すぎて特に意識していないと思いますが、手紙や依頼票では文字を使う、という取り決めが存在しているのです。だから手紙や依頼票を書いた者、それを見た者が意思疎通ができるわけです」
日本人同士で会話するのにわざわざ「日本語で会話しましょう」とは言わない。言わずとも当り前だからだ。厳密に言うならば、日本国内で誰とでも会話が成り立つのは『日本語を使う』という暗黙の取り決めが存在しているからである。
「そして、文字を使わない場合は取り決めに従うことがより重要になります。ここオルカーテでは定時を知らせる鐘が一日に七度打ち鳴らされます。ずっとオルカーテに住んでいる人達にとってはそれは当り前のことで、もし明日から鳴らす回数が減ってしまったら、街に住む人達は混乱してしまうでしょう。ですがオルカーテ以外の村から来た者にとっては必ずしも当り前ではありません。例えば私が知っている第四ホラス村と第七ホラス村は、一日に三度だけしか鐘が鳴りません。でもその村ではそう決まっている。そういう取り決めが存在していて、そこに住む村人はその取り決めに従っているわけです。だから鐘を鳴らす村人も、それを聞く村人も、互いに意思疎通ができるのです」
ほぉー、と副長とビルナーレさんが感心したような声を漏らす。
「なるほど。自分と相手との間で共通認識があるからこそ通じるというわけか。それを取り決めと言っているのだな」
「そういや、王都だと鐘が真夜中にも鳴るから一日八度鳴るんだよね。オルカーテにはオルカーテの取り決めがあるように、開拓村には開拓村の、王都には王都の取り決めがあるものだ。言われてみれば納得だよ」
へぇ。王都は真夜中の0時も鐘が鳴るんだ。
それは初めて知ったなぁ。
さてと、前置きはこれくらいにして、と。
私は机の上に置かれた箱の魔道具に軽くポンと手を乗せた。
「これから皆さんに通信をしてもらうのですが、使うのはこの魔道具です。この魔道具は距離が離れていてもお互いの魔法陣を好きな色で簡易に光らせることができます。色の組み合わせに意味を持たせ、それをお互いに共通で認識して、意思疎通をしてもらいます」
始めに私が実際にやってみせよう。細かい説明はその後でいい。
ラミアノさんがよくやる教え方だ。
まず長机の一方の端に箱の魔道具一号を、反対側の端に二号を配置した。
皆には二号の側に移動してもらい、私だけ一号の側の移動する。
「エルナ。これも必要だろう」
副長が持ってきたのは私がギルド長に預けた企画書だ。箱の魔道具と併せてこれも今は副長が管理している。
蛇足だが、私がちょくちょく追加資料を持ち込むので、企画書は日を追うごとに厚さが増している。
「私は中身を覚えてますから大丈夫です。この後使うのでそのまま持っていてもらっていいですか」
「覚え・・・いや、わかった。持っておこう」
言わんとするところはわかる。あの企画書には通信の手順や規格が書いてある。特に色の組み合わせ一覧はすぐに丸暗記できるものではない。
でも本当に全部覚えているのだ。
よし、それじゃあ始めよう。




