エルナのお使い1
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私はエルナ。
ドナン父さん、トーナ母さん、私、妹の四人家族で、辺境の山村で暮らしている。
私の住む村はリズニア王国ホラス領第七開拓村。通称『第七ホラス村』と呼称されるその村はリズニア王国の北東の国境近くに位置する。
村の出口は東と南の二ヶ所あって、東へ進むと国境砦。南に進むと第四ホラス村だ。
さて・・・。
私には堀江 瑠奈という名の日本人だった記憶がある。
五歳のとき、まるで頭の奥に閉じ込められていたものが広がるように、別人だった記憶が混ざり込んできたのだ。
前世、日本人として生き、そして死んだ。その時それがはっきりと分かった。
なぜ死んだのか、ということだけは分からなかったが、それは最早どうでもよかった。
エルナとして今まで生きてきた記憶がちゃんとあり、私にとって大事なことはエルナとしてどう生きていくか、ということだったからだ。
同時に、この世界が堀江瑠奈の生きてきた世界ではないことも理解できた。
髪の色が茶色っぽい村人が多かったが、青や緑やピンクの髪の村人もいた。
村の狩人が狩ってきた獣も、背中が石で覆われたウサギや、角の生えたイノシシなどがいた。前世の感覚からすれば、とってもファンタジーだ。
始めはかなり混乱したが、今生きている世界とかつて生きていた世界とのずれを一つ一つ認識していくうちに、別の世界の記憶を持っているからと言って何も損することはないか、という結論に達した。
要は色々考えてもしょうがない、と思ったのだ。
社会人として生きてきた記憶を持った結果、私はすっかり落ち着いた女の子になってしまった。
それまでやんちゃでじっとしていられない性分だったのに、急に態度や仕草が変わってしまったため、家族からは何かの病気ではないかと疑われた。
ドナン父さんは村の村長さんのところへ相談しに行き、トーナ母さんは私を寝かせ看病しようとした。いつも村の中を走り回っているのを見ていた近所の人達も、一様に心配してくれた。まぁ二、三日で元に戻ったが。
逆に私に対する態度が一貫して変わらなかった者もいる。二つ下の妹リンだ。
当時三歳だったリンは、やんちゃなエルナにいつも悪戯されていたのだが、それを悪戯だと思ったか思わなかったのか、リンはエルナにべったり甘えていた。
記憶が目覚めてからのエルナはリンに悪戯することはなくなったのだが、リンは変わらず懐いていた。とても可愛い。
結局、家族含め周囲にそれ以上心配を掛けまいと、私はこの記憶のことを誰かに明かすことはなかった。
それから二年の月日が経ったある真冬の日の朝。
その日は四日間降り続いた雪が止み、久しぶりの晴天だった。しかも風も穏やか。
陽が射す前に朝食を食べた私と父さんは、朝の鐘が村に響くと村長のマーカスさんの家に向かった。
第四ホラス村に手紙を届ける仕事の依頼があるから雪が止んだら朝から来てくれ、と言われていたからだ。
久しぶりの家の外。久しぶりのお仕事で村の外。私の足取りは軽かった。
「村長。おはようございます」
「村長さん。おはようございます」
村長の家に着くなりすぐ中へ通された父さんと私は、右手を胸に当ててお辞儀をし挨拶をする。
「ああ、おはよう。ドナン、エルナ。楽にしていいよ」
「「はい」」
村人が村長に対して礼を取るのは当たり前である。楽にしていい、というのはここから先は村人同士の態度や口調で構わない、という合図である。
父さんと私は礼の姿勢を解いて頭を上げる。
マーカスさんは三十歳過ぎくらいの若い村長だけど、村人からは頼られている。私もここ一年くらいで時々お話をするようになったから分かる、優秀な村長さんなのだ。
彼は部屋の隅にあった棚から紙の束と木札を取り出して、父さんに見せた。
「国境砦から定期連絡の文書をお預かりしている。これを第四ホラス村まで届けてほしい。まぁいつもの依頼だな」
第四ホラス村まで届ける・・・つまりは第四ホラス村の村長さんに届けて、この木札、すなわち受領札に印を押してもらうということだ。前回も前々回も同じ仕事なので、詳細な説明は省かれてしまった。
「わかった、村長。エルナ、お前の背負い袋に入れておけ」
「はい、父さん」
私は三つの手紙を紐でまとめた束一つと受領札を受け取る。受領札の目録に目を通すと、食料備蓄報告書、定例報告書、礼状と書いてある。
「おや・・・礼状ですか。これは初めて見ました」
「・・・もうさほど驚かないが、エルナは七歳だというのに字が読めるのだな」
マーカスさんは目を少し見開いて受領札を読むエルナを見る。この世界では村人は学校に通ったりしない。なので、字を読めるようになるためには、字を読める人から教わる必要がある。私が字を読めるのは、この世界で教わったからであり、彼もそれは知っていた。教わり始めて一年も経っていない、ということも。
「我々の仕事は受領札に書かれた物をちゃんと届けることだ。中身について無闇に詮索してはいけないよ、エルナ」
「はい、もちろんです」
マーカスさんは私の頭を優しくなでると、満足そうにうなずく。
「では頼んだ。万が一天候が崩れた場合は向こうの村に泊まってやり過ごしてくれ」
「今日は大丈夫だと思いますがね。じゃあ行ってきますよ」
「行ってきます」
山村の朝は早い。
山の合間から陽が射し始めたばかりだというのに、村の男の子たちは外を駆け、大人達は家の前の雪かきをしている。
父さんと私はまだ雪かきがされていない道を進み南門へ向かった。
門はもう開いている。
父さんと私が門を通ろうとするとちょうど門の前で雪かきしている若い男が見えた。
「よう、ミッテン。朝早くからご苦労だな」
「おはようごさいます。ミッテンさん」
「あー、早いっすねドナンさん、エルナ。・・・狩りの格好じゃないっすね」
若い男ミッテンはこの村の門番だ。いつもは槍を片手に門の前に立つのが仕事だが、今日は木の板のスコップを持って雪かきしていた。
「ああ違う。第四ホラス村まで手紙の配達だ。護身用の小弓は入っているがな」
そう言って父さんは背中の袋を指差す。
父さんは狩人だ。今は冬だから狩りは行わないけど、狩りの季節にはもっと大きい弓を持って、川の向こう側へ狩りに出る。私も小弓は練習している。春になったら小型の獣がいる川の手前側で狩りデビューする予定なのだ。ふふ、楽しみ。
「村長のいつもの依頼っすね。了解、気ぃつけてー」
「ああ、行ってくる」
「ミッテンさん、行ってきます」
ミッテンさんに手を振って、父さんと私は、まだ誰も踏んでいない雪の道を進んでいくのだった。
父さんが足で作った道を私は付いていく。周りの木々を見たり、雪が降る前の道の風景を思い出したりしてみたものの、もし自分一人だったら迷子になる可能性あるなーって思う。
この七歳の身体はとにかく視点が低い。大人の視点なら容易にわかるであろうことも、大人の腰程度の子供の視点では奥行に死角が生じ、方向感覚を失いやすい。
早く背伸びないかな。
三時間ほど歩いただろうか。
時計など持っていないから正確な時間は分からないが、昼の一時間前といったところか。目的地の第四ホラス村に到着した。
門を通ってこの村の村長さんの屋敷に向かう。すぐに会える、とのことで足元に付いた雪を手早く払い、屋敷の中に通してもらった。
トイレを借りた後、待合室で木のコップに注がれたお湯をゆっくり飲み干したところで、村長さんのいる部屋に招かれる。さぁ、お仕事だ。
部屋に入った父さんと私は、右手を胸に当ててお辞儀をする。
「ガルナガンテ村長、第七ホラス村の村長マーカスから預かりました書状をお持ちしました」
父さんが、ゆっくりと挨拶をする。家で私と何度も練習した挨拶だ。
「よく来た。ドナン、それとエルナ」
「ガルナガンテ村長、こんにちは」
「うむ、楽にしてよい」
第四ホラス村の村長であるガルナガンテさんは、大きな体躯で私を見下ろすように見ていたが、挨拶を交わすと二コリと頬を緩め、席を勧めた。
「「ありがとうございます」」
ガルナガンテさんが座ったのを見て、父さんと私も木の椅子に腰掛ける。
それにしても・・・狩人である父さんも大きい方だが、ガルナガンテさんは父さんよりもさらに背が高く、何より肩回りの筋肉がスゴイ。きっと強いんだろうなぁ。
「すまないがこの後予定があるのでな。手短に頼む」
「エルナ」
「はい」
父さんに促され、私は背負い袋から書状の束と受領札を取り出して机に置き、ガルナガンテさんに視線を合わせる。
「食料備蓄報告書、定例報告書、礼状になります。ご確認下さい」
「うむ、確かに確認した」
「では受領札に印をお願いします」
「うむ」
ガルナガンテさんは机の上にある印章を受領札にゆっくり押し付ける。焼き印のように板に焦げたような痕が付いたが、煙は一切出ない。わーお。いつ見ても不思議。インクでもなく、焼き印とも違う。父さんもよく分からないって言ってたしなぁ。
・・・おっと、お仕事、お仕事。
「印を確認しました」
「ふふ、前もそうだったがエルナはこの印章が気になるようだな」
「あ、いえ・・・その・・・」
あーん。営業顔が崩れたぁー。
「これは魔道具だ」
「・・・ま、魔道具・・・ですか」
「うむ、これに魔力を通し板に当てると、当てたところに魔力が付着し色が変化するのだ」
「熱で焦がしているわけではないのですか・・・では紙や布にも使えるのでは」
「そうだ。理解が速いな」
魔道具!?魔力を通す!?何それファンタジー!滅茶苦茶テンション上がるんですけど!
聞きたい、色々聞きたい。でもいくつも質問する時間は恐らく、ない。一つか二つ・・・何を聞こう。
「魔力とは何ですか?初めて聞きました」
「簡単に言うなら・・・魔力は身体の内より発する力だ。身体に魔力を蓄えられる者を魔力持ちというが、魔力持ちの人間は少ないからな。第七ホラス村にはおらんかもしれん」
「ではもう一つだけ。魔力持ちが魔力を通せるようになるためには何か練習が必要なのでしょうか」
「魔道具に魔力を通すのが一般的だな。私は実家に魔道具があったからな」
魔道具なんてどこに売ってるのー!?
「あとは・・・使えるようになるまでひたすら初級魔法を使おうとする、って奴もいるな。私は魔法までは使えんが、魔法士の冒険者なんかはこのパターンが多いと聞いている」
「魔法士が・・・初級魔法で練習ですか」
「うむ、いずれにしても素養と年単位の鍛錬が必要になるがな」
「・・・貴重なお話をありがとうございました」
「配達ご苦労だった。マーカスにもよろしくと伝えてくれ」
父さんは、私が受領札を背負い袋にしまったことを確認してから、自分と私の背負い袋を両方持ってくれた。
そして父さんと私は、部屋に入ったときと同じ様に右手を胸に当ててお辞儀をしてから部屋を出た。仕事が一段落して少しホッとする。
「さぁ干し肉を売ってこよう」
ガルナガンテさんの屋敷を出た父さんはそう言って、少し足取り軽く村の雑貨屋へ歩き出した。父さんの背負い袋の中には村で作った干し肉が入っている。
私も後を追う。
歩きながら私はガルナガンテさんの話を思い返す。
魔道具、魔力、魔力持ち、そして魔法、魔法士、冒険者・・・と。
自分の村の中では、男の子達が冒険者ごっこをやってたから、冒険者のことはよく耳にしていたが、それ以外の言葉は聞いたことがなかった。
魔法・・・堀江瑠奈の記憶にある漫画やアニメ、そして社会人になってからハマってた乙女ゲームでも登場してたのに、現実にはなかったもの。
それが!この世界には!あるかもしれない!!
魔法、見てみたいなー。
・・・それにしても、七歳の記憶力素晴らしい。話を聞いて覚える。覚えたことを思い出す。シンプルにこの作業が楽なのだ。
この記憶力、吸収力・・・社会人時代にあったら、お仕事できるお姉さんになれてたかもしれないなぁ。
雑貨屋で父さんが店の人と交渉している。
一部を薬草と物々交換し、残りを硬貨でもらったようだ。
「買い物は終わった。さぁ帰ろう」
「うん」
村に昼の鐘が鳴ったが、昼食を取ることもなく第四ホラス村を出発する。
なぜならこの世界の村人は朝と夕方の二食が普通で、昼食を取る習慣はないからだ。
父さんと私は、来た道の足跡を辿るように歩き出した。