冒険者ギルドと小人さん ~みっつめ~
あちゅい.... パタリと横たうワニがいます。
「どうして、こうなったぁぁぁっ」
猛る猪と逃げる双子。
目的の洞窟付近に何かの足跡を見つけ、何の気なしに追いかけた小人さんは、洞窟左側奥に猪を見つけた。
蹲る猪の傍に依頼の花がある。
どうしようかと思案する二人の視界で、猪はおもむろにその花を食べだした。
「あっ」
毒なはずの花。
思わず発された小さな声に反応して、猪は警戒心も顕に双子を睨めつける。
その眼に輝く赤く獰猛な光。
不味い。
思うが早いか、脱兎のごとく逃げ出した二人を追い、文字通り猪突猛進に雄叫びを上げた猪と双子の洞窟チェイスが始まったのであった。
背後から迫る唸り声。避ける端から脇を掠めていく鋭利な牙。
狭い空間で紙一重で避けているため、二人のポンチョに細かい切れ目が入っていく。
うはっ、これ、お母ちゃんから雷落ちるな。
そんな益体もない事を考えつつ、小人さんは掠める牙を軽く押さえて上に飛び上がった。
タンタンタンっと後方へトンボを切りつつ、相手の勢いを殺し、あまりに自然な動作で牙に触れた柔らかな仕草。
猪も、何をされたのか分からず、立ち止まる。
そんな一幕を見せながら、天井の岩壁にしがみついた千尋は、のほほんとした声音で呟いた。
「どうしよう? 倒す?」
同じように洞窟壁面上部のでっぱりに張り付いていた千早は、妹の言葉にフルフルと顔を横へ揺らす。
「逃げる。傷つけたらダメだよ、ヒーロ」
え?
真剣な顔の千早を不思議そうに眺め、二人は洞窟を駆け抜けていく。
周囲が岩壁な事も幸いし、壁面を足場に飛び回る双子は、器用に猪の突進をかわしていた。
だが、ますます猛る猪の勢いは衰えない。
猪が突進して切り返す瞬間を狙い、千早が短弓をつがえ、パスパスと矢を放つ。蹄ギリギリを狙い、放たれた矢が地面に刺さる度、猪が警戒を膨らませ、動きが鈍っていった。
洞窟の天井に張り付き、成り行きを見ていた千尋は、疲れと警戒で千早を藪睨みする猪から、徐々に戦意が失せていくのを感じる。
くるくると洞窟内を跳ね回り、猪の牙が届かない天井や壁面上部から攻撃してくる双子に、猪は翻弄された。
ゼヒゼヒと荒い呼吸をつき、こちらを警戒しつつも、体力が尽きたのか、猪は元の洞窟奥へ戻っていく。
双子の粘り勝ち。
「諦めたかな? 良かった」
倒さずに済むなら、それにこした事はない。もし倒しても運ぶのに苦労するだけだ。
しかし、何故に倒さなかったのか。
今の二人ならば野生の猪程度、大した相手ではない。
だが、千早は攻撃も全て外していた。
際どい位置を狙ってはいたが、足止めだけが目的なのは明らかである。
その疑問を問うと、彼は猪の消えた洞窟奥へすいっと視線を流し、小さく呟いた。
「子供がいたの。三匹」
思わず小人さんは瞠目する。
千尋は全く気づいていなかったが、どうやら蹲っていた猪の背後に子供がいたらしい。
岩壁下の狭い隙間で寄り添うように引っ付き合う小さな毛玉が見えたのだとか。
どう見ても、まだ乳飲み子だったと言う。
ああ、だから余計に気が荒くなっていたのか。
子供から母親を奪うまいと、千早は猪が諦めるまで、威嚇の足止めのみで粘ったのだ。
にぃにらしいな。
ふくりと眼に弧を描き、小人さんは気を取り直して依頼の花を探した。
彼女はそこで気づくべきだった。
初めての洞窟、初めての獣との攻防の昂りが、小人さんの鋭敏な感覚を曇らせた。
今は冬。森には食べ物が少ない。
子連れの猪が洞窟に居座り、毒草を食べていた事実。
本来なら、秋の始めに出産し秋の終わりには子育てを終えているはずの猪。
この猪は、通常よりかなり遅れて子育てを始め、冬の始めに出産、冬半ばに乳飲み子を抱えるという異例な事態に陥った。
ほとんど動かないはずの冬にも授乳のために餌を探し求め、この洞窟で毒草を食べる状況になったのだ。
森にも多少の食べ物はあるが、生まれたばかりの子供らを残して外に出る訳にはいかない。
冬の森は木々が落葉し、見通しが良く、子供を連れ歩けば、他の獣に狙われる。
成長済みならともかく、授乳を必要とする幼い子供らは良い獲物になってしまう。
ゆえに猪は、比較的安全な洞窟にこもり、白い花や、自生するキノコや虫を糧として子育てをしていた。
しかし、この白い花の効用は強心作用。その花粉にすら含まれる成分は、花の香りを嗅いだだけでも酷い動悸を引き起こす。
巨体な猪は、その作用の効き目が薄くはあるが、全く無い訳ではない。
猪が、そんな花を常食しているのを目の当たりにしたのに、それの意味する事を、小人さんはうっかり見過ごしていた。
獰猛な目付きでヨダレをたらし、ゼヒゼヒと息を切らした猪。そして洞窟。
これに小人さんが気づいたのは、さらに奥に進んで、しばらくしてからだった。
「ヤバい花だよね、これ」
厚手の皮手袋をはめて、目の詰まった袋を広げ、双子は慎重に白い花を根っ子ごと採取する。
濡らした紙で根っ子を包み、丁寧に全体を大きな紙でクルリと囲んで、そのまま袋に入れた。
そして袋の口をキッチリと細い紐で結ぶ。
こうすれば花粉も外には漏れない。
「よし、終わりかな」
鞄の中には、白い花、白いキノコ、緑のミノムシと、依頼の品が揃っている。
膨らんだ鞄をポンポンと叩き、満面の笑みな双子の耳に、微かな唸りが聞こえた。
反射的に振り返った二人は、思わず眼を凍らせる。
そこに居並ぶ複数の魔物。
獰猛にまくり上げた口角からのぞく鋭い牙。赤い瞳が爛々と輝き、双子に狙いを定めた魔物らは、低い唸りを咆哮に切り替え、一斉に襲いかかってきた。
「なんでっ?」
狼のような魔物や、コウモリのような魔物。
中には角の生えたネズミなども混じり、息をつく暇もなく繰り出される攻撃。
受け流すので精一杯な双子らの隙をつき、数匹の狼が別の狼の影から高く跳躍する。
その一匹が的確に千尋の肩を狙い、今にも噛みつかんとした、その時。
ザンっと狼の首がはねられた。転がる狼から噴き出す青黒い血。
茫然とする双子の前に立ちはだかったのは、青い瞳を陰惨に輝かせるドルフェンだった。
「ドルフェンっ」
「手出しは無用との事でしたが、これは異常です。私にお任せを」
剣を構えて魔物を睨めつけるドルフェンを見上げ、小人さんは、聞くとやるとでは大違いな事を実感する。
騎士団の演習では、多くの騎士らを相手にしても難なくさばけていたが、あれは人間が相手だったからだ。
本気の殺意をこめたドルフェンは、演習や冒険者ギルドで見た彼の比ではない。
騎士団の演習で、騎士らの殺気に慣れている双子ですら、その凄まじい厭悪、憎悪を感じとり背筋を震わせる。
ぶわりと怒気を漲らせ、その剣から立ち上る魔力が陽炎のように揺らめいた。
魔物達との力の差は明らか。飛び掛かる獣らをドルフェンは、まるでバターのように容易く切り裂いていく。
だがおかしい。
小人さんは、目の前で展開される戦いに違和感を覚えた。
明らかな力の差を見せつけられているのに、魔物らは怯むどころが、さらに怒り狂いドルフェンへ攻撃を仕掛けている。
その眼は赤く、糸を引くようなヨダレや、口角に泡をこびりつかせ、一種異様な雰囲気だ。
いや、どこかで見たような?
そこでようやく小人さんは、最初に見た猪を思い出した。
魔物の眼が赤くなるのは、怒り状態の時。家庭教師からは、そう習った。
だが、あの猪は魔物ではない。なのに赤い眼をしており、今目の前にいる魔物達のようにヨダレをたらしていた。
何かが引っ掛かる。
多くの生き物。洞窟。それと.....毒草。
毒?
はっと小人さんは顔を上げ、周囲を見渡した。
外界から隔離され、多くの魔物や獣が蔓延る毒素に満ちた空間。
蟲毒?
前世の地球で呪いなどに使われた古い呪法だ。
毒虫や毒蛇などを一つの入れ物に沢山詰め込み、殺し合わせ、生き残った物を最強の毒として媒介に使う、おぞましい呪い。
今のこの状況は、その呪法と酷似していた。
それに倣うならば、この凶悪な殺し合いは最後の一匹が決まるまで続く事になる。
ヨダレをたらしつつ、爛々と赤い瞳を輝かせる魔物達。どう見ても正気ではない。
「ドルフェン、逃げるよっ!」
「は?」
何が起きているのか分からないが、我々はまだ正気だ。しかし、このままでは、蟲毒の狂気に巻き込まれてしまうやもしれない。
ドルフェンに水魔法で防護を張ってもらいながら、三人は洞窟入り口を目指して走り出した。
駆け抜ける途中、千早がチラリと分かれ道の洞窟に視線を振る。
そこに居るはずの猪と子供達。
あれも期せずして蟲毒に巻き込まれた獣なのだろう。
チクンと小さな痛みを胸に抱き、三人は洞窟から飛び出した。
魔物らは、ある場所あたりで三人から興味を失い、再び暗い深淵に戻っていく。
あの奥では、陰惨極まりない血みどろの争いが繰り広げられているのだろう。
洞窟から離れ、森の端に辿り着いた三人は、疲れ果てて立ち止まる。
「いったい何が?」
荒く息をつき、ドルフェンは小人さんへ視線を振った。
千早も疑問顔でそれに倣う。
でも、どう説明したものか。本当に蟲毒の儀式に巻き込まれたのかは分からない。
状況は非常に酷似していたが、真偽は定かではない。
異世界の呪法だ。こちらに関係がある訳......
そこまで考えて、千尋は憮然とする。
本当に関係がないのか?
こちらでもリンゴはリンゴ、剣は剣、緑は緑。
言葉や物を準えただけでも地球世界と変わらない。ならば、他もそうなのでは?
「ドルフェン。この世界はアルカディアっていうよね? 意味は?」
すっとんきょうな顔で軽く息をつき、ドルフェンは微かに笑みをはいた。
「理想郷。そういう意味があるときいております」
「じゃあ、フロンティアは?」
「新天地ですね」
あー.......
まんま、地球と同じじゃないかっ!
いったい何時から? どこから?
少なくともフロンティア建国前からなのは間違いないはずだ。
新たな疑問の種を胸中に芽吹かせ、取り敢えず三人は街へと向かう。
あれは異常事態だ。ドルフェンも、それに頷き、騎士団に報告すると言い、双子も冒険者ギルドに報告せねばなるまいと頷きあった。
後に悪辣極まりない奸計が明るみになるのだが、今の三人には知る由もない。




