落書き、フロンティアの恋愛模様
あちらを更新したので、こちらにも投稿です。.....四巻の加筆修正、めちゃめちゃ増えてます。御値段、ちこっと上がるかもです。すいません;;;
「そう言えば.....」
ふとロメールはドルフェンを見た。
今日は王弟夫妻で街の視察。
当然のごとく千尋に寄り添う護衛騎士と、その妻は、かいがいしく小人さんの世話をやいている。
見慣れた長閑な風景だが、ロメールは彼女が二人の恋を後押ししていたことを疑問に思った。
そりゃあもう、どこの取り持ち婆ぁかと思うほどガンガン押しまくり、サーシャの母親であるマーリャを嵌め、ドルフェンの父親であるキグリス侯爵を黙らせ、二人の結婚に全力で突進していく凄まじさ。
そしてロメールは、よくよく考えてみると、千尋が多くの恋をせっせと繋いでいたのだとも思い出す。
千早とメグ。ウィルフェとミランダ。ザックの結婚も気になるようで、いそいそと様子窺いをかかさない小人さん。どうやらザックに心を寄せる誰かから相談をされてるらしい。
ちなみにアドリスはヒュリアと婚約した。巡礼で親しくなった二人は、誰も気づかぬうちに淡い恋模様を描いていたようだ。
そしてさらにはトルゼビソント王国のヴィンセント。メグに振られた公爵令息は、なんと王女を追ってフロンティアに留学してきたのだ。
立志の翌年。メグと千早の婚約が整ったのを知り、獰猛な鬣の幻覚が見えるような出で立ちで、他のトルゼビソント貴族らも引き連れて。
だが、まあ、相手は千早である。絡まれても抗議を受けても右から左。しつこく纏わりついた結果、ヴィンセントは完膚なきまでに叩きのめされた。
肉体的ではなく、精神的に。
見ていて気の毒なくらい悪し様に罵られ、反論を封じられ、如何に己が非人道的なことをやらかしていたのか、千早の毒舌によって自覚させられたのだ。
ほんと容赦ないからねぇ。ジョルジェ家の面々は。
ロメールは、今思い出しても背筋が凍る。
『メグを気に入らないのでしょう? 瞳や髪の色が地味だとか? 僕は綺麗だと思うけどなあ?』
『.....っ、トルゼビソント王家の色はもっと艶やかなのだよ。何も知らぬくせに』
虚勢を張るヴィンセント。それを見透かし、千早は、ふふっと無邪気に笑う。
『だからぁ? トルゼビソント王家なんて、どうでも良いですし? 僕はメグを好きになっただけですので。そこに居てくれるだけで幸せなのです』
『何を世迷い言を。そなたこそ王家の姫君だから応じた縁談であろうが』
『世迷い言は、そちらだ。メグだからこそ応じた縁談だよ。他の誰も要らない。身分も財産も興味ない』
実際、一度は断った縁談である。もし、身分や地位に食指を動かしたのなら、その時に千早は応じていたはずだ。
それを事細かに説明し、すうっと眼を細め、千早は唸るように口角を歪めた。
『身分がどうした? 財産がなんだ? そんなモノ、必要なら僕自身で築くよ。僕の父だって元々は平民だ。己の腕一本で伯爵にまで上った。確かに貴族同士の婚姻で何も要らないなんて綺麗事だろう。でも、それで良いと僕が言っているんだ。妻の持ち物に寄りかからねば生きていけないほど情けない教育は受けていないよ』
.....憮然と言葉もないヴィンセントに吐き捨てた千早の辛辣な言葉。
これらは裏を返せば、ヴィンセントは王家の威光欲しさにメグを求める御粗末な男なのだと..... 妻の身分や財産を必要とする痴れ者だと貶める言葉である。
元は平民と胸を張る千早がヴィンセントには信じられなかっただろう。得体の知れない化け物を見るような眼差しで、彼は千早を凝視していた。
『だいたいねぇ? 君の眼は節穴過ぎるよ? メグほど愛らしくて強い女性は家の家族くらいしかいない。賢いし、気が利くし、優しいし、非の打ち所のない婚約者だ。ヒーロと並んで遜色のない女性なんて、ヒュリアやサーシャ。後は次点でミルティシアやファティマかなぁ。ほんっっと、バカなことをしたよね、君♪』
にっこり喜色満面な千早と対照的に、ヴィンセントの顔色がみるみる青ざめていく。
千早の惚気はとまらず、如何にメグが愛しいか、自分が至福か、赤裸々な描写まで入れながら懇切丁寧に説明した。
『あの柔らかな肢体や香しい匂いを放つ髪。それに指を搦めて抱き締められる幸運を心から神々に感謝したいね、僕は。あ、君にも感謝しておくよ。よくぞメグに嫌われてくれたね。ありがとう♪』
ヴィンセントの胸を無情にも抉る数々の事実。そういった言葉を彼はメグに投げつけていた。狭量な嫉妬心で。
『私は.....』
カラカラな喉を大きく鳴らし、ヴィンセントは回らぬ舌をしどろもどろに動かすが、上手い言葉は見つからない。
『メグのことを地味でみっともないだっけ? ああ、不器量とも言っていたらしいね。さすが公爵令息様だ。理想が高くていらっしゃる。僕には理解できないけど、さぞ眉目秀麗な御令嬢がお望みなのだろうね。いや、畏れ入るよ。うん♪』
愉しそうに捲し立てる千早。だが、その眼は笑っていない。人好きする笑みを湛えつつも炯眼の奥に燻る冷たい怒り。
唾棄するような光を宿す瞳で散々罵り、千早は最後通牒を叩きつけた。
『メグは、高貴な君のお眼鏡に叶わなかった御令嬢だ。僕は王家以上に高貴な家格を知らないけど、君にはあるんだろうね。たぶん? ふふ、僕はメグをトロトロに甘やかして愛されたいんだ。ああ、これを蜜月とでも言うのかなぁ。早く成人したいね。彼女が僕のモノだなんて、信じられないよ。こんな幸福を間接的とはいえ僕にくれた君にも幸せになって欲しいな♪』
うざいくらいつけられる千早の語尾の♪で滅多打ちされ、ヴィンセントの顔色は青から真っ白に変わっていた。
誉め殺しのように上げては落とし、過去のアレコレを論い、それがどれだけ愚かで有難いことだったか、こんこんと説明し、千早は辛辣にほくそ笑む。
『.....だからさぁ。メグに近寄らないでよね?』
ぶわりとした冷気が辺りにただよい、ぎょっと顔を上げたヴィンセントは、そこに有り得ないモノを見た。
たかが伯爵令息であるはずの千早が浮かべる、切れるように鋭利な侮蔑の眼差しを。
.....なんだ、その蔑むような目は! たかが伯爵令息のくせにっ!! 私は公爵令息だぞっ?
彼は知らない。フロンティアという国を。
フロンティアは実力主義の国だ。無論、身分に伴う序列は存在するが、それに見合う実績も要求される。見合わないとなれば、相応しい者に家格を譲ることを検討されるくらい厳しい上流階級。
そんななかで公爵令息という肩書きは紙切れも同然。
数々の実績を上げてきた千早は、ロメールの後見や小人さんとの繋がりもあり、伯爵という家格に見合わない準王族的待遇を受けている。
王家になくてはならない人材へと変貌しつつあった。
『メグはねぇ、もう僕の家族なの。僕は家族の敵にかける情けを持たないよ? かかってくるなら、公爵家を賭けるつもりでおいでね?』
にぃ~っと悪びれた顔で笑う千早。その、昏くおぞましい笑顔は、悪巧みする小人さんに酷く似ていた。
妹から聞いたメグの話。メグ本人にも確認し、千早は全身が粟立つのを止められない。腹の底から驚くほどの怒りが、ぶわりととぐろをまいていた。
沸々沸き上がる獰猛な激情が逆流しつつも、彼は努めて穏やかにヴィンセントに釘を刺す。
立ち上がれないくらい、バキバキに折り尽くしてやりたい。物理的に。しかし、それをすればフロンティアは勿論、メグにも波紋が及ぼう。
家族に迷惑はかけられない。
業腹ではあるが、眼に入らなければそれで良いか。と、千早は見下ろすようにヴィンセントを睨みつけた。
『僕はさぁ。面倒が嫌いなんだよ。正直、目障りなんだ。君の未練がましいメグへの視線がさぁ』
徐々に近づき、千早は温度の感じられない眼を見開く。
ヴィンセントは、その凍てついた眼光に射竦められ微動だに出来ない。身体が硬直し、カタカタと小さく震えていた。
『君を五寸刻みにするのは簡単なんだよ。僕、これでも全属性持ちのうえ、優秀な魔術師だからさぁ。先生方どころが、王弟殿下のお墨付き。言っとくけど、自慢だよ、これ。普段は言わないけど、君って頭悪そうだから察するって出来ないでしょ? はっきり言っとかないと分からないでしょ? ねえ?』
じわりと広がる淀んだ魔力。それがまるで細い針金のようにヴィンセントの身体に絡み付いてくる。
鉄条網みたく刺々しい魔力を相手の身体に這い回し、千早は地の底から染みでるような低い声音で囁いた。
『.....メグ達に知られず君を獣の餌にする方法なんて腐るほどある。でもまあ、一応、国の客人だし? 行方不明で捜索されるのも面倒だし? .....させないでよね? 僕にさぁ?』
おぞましい狂気をはらんだ千早に胡乱な眼を剥かれたヴィンセントは心底怯え、恥も外聞もなく必死に頷いていた。
『じゃあ、これで話はおしまいね? 警告はしたから。二度はないよ。一度、五寸刻みをやってもみたかったし。人体って、どこまで細かく出来るのかなぁ? 君、興味ない?』
春風のように爽やかな微笑み。だが、その瞳に浮かぶ極寒の焔に、ヴィンセントは触れてはならない世界を垣間見る。
全力で首を横に振る公爵令息を置き去りにして、千早はクスクス笑いながらその場から去っていった。
不穏な空気を読み取り、千早に覚られぬようつけてきていたロメールは、相変わらずな双子兄の壊れっぷりに頭を抱える。
理知的な狂人に道理は通じない。あれは確信犯だ。世間の善悪など関係なく、己の感情の是非のみで動く生き物。
悪気も悪意もない。彼にとってそれらは全て正しい行為。感情で動いているのに理性的という矛盾の塊なケダモノに何が通じようか。
それでも、まあ。マーガレット王女を甘やかしたいとか、こちらが赤面するような感情も持っているのだし、あながち狂人ともいえないか。
唯一の救いは、千早の行動の基準が千尋であることだ。千尋に嫌われるか嫌われないか。それだけを慎重に探るので、今のところ大きな過ちを千早は犯していない。
まあ、あの子も大概ではあるんだけど。
千尋は千尋で、基準が好きかどうでもいいかの極端な二極。
どうでもいいに分類された者らには、とことん無関心だ。その分、好きに分類した者らにはデロ甘で、犯罪にでも関与しない限り全てを許す。
あああ、もうぅぅぅ、二人で足して二で割れば丁度良いのにっ!!
それぞれ大切な感情を、桜のお腹の中で交換してきてしまったのではないかと思うほどである。
げっそりと項垂れる王弟殿下。
そんなこんななフロンティア恋愛事情の渦中を飛び回る小人さん。
千尋本人にとっては地雷らしい事柄なのに、なぜか他人の縁結びには奔走する彼女が、ロメールは心底不思議だった。
.....だから聞いてしまったのだ。何故、恋の熱病を応援するのかと。
『.....幸せになって欲しいから?』
どうして疑問系なのか。自身でもよく分かっていないらしく、小首を傾げる小人さん。
『恋の熱病が幸せだと思うんだ? なのに.....』
自分のソレには辛辣だよね?
眼は口ほどにモノを言う。
視線に含まれる疑問を察し、千尋は少し驚いた顔をした。
以前千尋が口にした言葉を、未だにロメールは気にしていたのだろうか。と。
しばし思案し、千尋は、はあっと大きな溜め息をつく。
『.....悪かったにょ。あの頃はまだ引きずっていてさ』
そうして振り返った彼女の瞳に揺れる脆い光。
『よくある話なんだけどさ』
そう前置きして、小人さんは前世の出来事を語った。
それは、よくあってはならない話。
千尋は地球で生きていた頃、当時の世情から長年やっていたOLを畳み投資を始める。幸いネット経由でそこそこな稼ぎを出し、気楽な暮らしが出来た。
そして大学時代からの恋人もおり、半年後には結婚する予定だった。だけど.....
『なんというか..... お決まりで、相手が浮気してたさ』
千尋の恋人だった男性は婚約者となり、結婚間際の火遊びで、相手の女性を妊娠させたという。
修羅場らしいモノもなく、責任を取らなくてはならないという婚約者に頷き、千尋は相応の慰謝料をもらって婚約を解消した。
長く付き合ってきた恋人だった。ショックもあったが、ジタバタしたところで結果は変わらない。
相手が妊娠しているなら、おろそうが産もうが問題が山積みになるだけだ。万一、産んだのなら養育費など諸々が婚約者を襲う。
それでも相手が千尋を望むなら苦労を共にする気もあったが、彼はそれを望まなかった。
全てを白紙にし、浮気相手を新たな婚約者として結婚するという。
確かに、それが一番面倒がない。
これも彼なりの優しさだろうと己を無理やり納得させ、千尋は婚約解消を受け入れたのだ。
『でも大学..... 学生時代からの付き合いだったからさ。アタシらの知人はかぶってるし、披露宴に呼ぶ人達も決まってた。.....そこで、相手は不実をやらかしたんだよね』
そう。元婚約者は、千尋が浮気をしたので婚約を破棄したと周囲に広めたのである。
こういうのは言ったモン勝ちな部分もあり、先に広められた噂を払拭するのは難しかった。
しかも千尋は当然、彼等の結婚式にも披露宴にも参加していない。噂を知ることもなく、長く放置する形になってしまう。
事が露見した時、彼女は相手に愛想を尽かした。そこまでして己を正当化したいかと。
なので少数の親しい友人のみに話を通して釈明しておき、あとはそのまま放置したのだ。
どうでもいい人達のために割く労力も惜しい。信じる人は信じたら良いし、信じない人達は千尋に確かめにきたので説明しておいた。
それで事は終わったと思っていたのだが、その後にも波紋が広がる。
なぜなら、浮気相手は妊娠していたのだから。
結婚式から半年もせずに産まれた子供。千尋が浮気して婚約破棄し、その後の付き合いで出来た子供なら産まれるのが早すぎる。
千尋達は、お互い、結婚式に大学の同期を招待していた。結婚式半年前に招待を取り消し、そのあと新たな恋人と婚約して結婚した形をとった浮気者二人である。
産み月が合わないと知人らが訝しむのも致し方なし。
千尋の知らぬところで小さな修羅場が多々起きたらしく、とうに忘れていた彼女の元に浮気相手達が駆け込んできた。
なんとかしてくれと。
千尋は話が分からず詳しく聞いてみたところ、件のような説明があり、このままでは会社でも居場所がない。子供を育てられる環境でもなくなってしまった。頼むから皆に取りなしてくれと。
必死に頭を下げる二人。
正直、千尋には意味が分からない。虚偽で塗りかためた張りぼてにヒビが入ったからといって、自分に何が出来ようか。
彼の会社には同じ大学出身の者もいる。それらを分かっていて浮気したのだろう? 千尋と婚約破棄して、浮気相手と結婚したのだろう?
そんな狼狽えるようなら、最初から嘘など吐かなければ良かったものを。
そう言う千尋を、浮気者の二人は激しく罵った。
人の心が無いのかと。新たな門出の二人を祝う気持ちはないのかと。子供のためにも気持ちよく過ごせる環境が必要なのに、彼等は実家の家族からすら白い眼で見られているのに、労る気持ちはないのかと。
.....あるわけない。
据えた眼差しで千尋は吠えた。
『浮気したのはアンタだよねっ? そこの売女が妊娠したから婚約を解消したいって言ったのもアンタだよねっ? アタシはそれを受け入れた。ソレ以上なにをしろとっ?!』
冷ややかな恫喝に怯え、乳呑み子を抱えて震える浮気相手。
その肩を抱き、元婚約者は千尋を睨み付けた。
『出来ちまったモンは仕方ないだろっ! お前だって納得してくれたじゃないかっ!』
開き直った元婚約者に大きく頷き、さらに千尋は叫ぶ。
『だから婚約解消も受け入れたし、その後も何も言ってないじゃないっ!』
『ちゃんと慰謝料だって払ったんだから当たり前だろうっ! なのに何で余計な事を言うんだよっ!』
『余計なこと?』
思わぬ言葉に首を傾げ、千尋は元婚約者を見つめる。
それにあからさまな苛立ちを見せ、元婚約者は千尋の親しい友人らが事の真相を広めたのだと怒鳴った。
ああ、とばかりに千尋は得心する。
『そういや何人かから電話があったね。もちろん本当の事を話したわよ? それが何か?』
嘘を広めても一向に構わないが、心配して確認にきてくれた友人らを無下には出来ない。
そう話す千尋を恨みがましく見上げ、浮気者の二人は口々に千尋を罵った。
構わないならなぜ放っておかないのか。どうして内輪の話を暴露するのか。
おかげで自分達は実家からも門前払いされている。浮気の果てに出来婚なんて恥ずかしいと。聞いていた話と違うと。
しかも千尋に慰謝料を支払ったため、質素な式しか挙げられなかった。今の生活だって楽ではない。なのに、なんで庇ってくれなかったのかと。
千尋からすれば意味不明な文句をつらつらと並べられ、思わず口角が痙攣を起こしかける。
『庇うも何も、全部本当のことじゃない。親御さんは真っ当なのに、なんでアンタらは碌でなしなの? 嘘ばかり吐いたツケが回ってきただけでしょう? アタシの友人ら以外の嘘を黙認してあげただけでも御の字でしょうがっ!!』
『黙認するなら、全部に黙認しろよっ! 半端に話すから、こんなことになっているんだろっ!』
『ふっざけんなっ! アタシに嘘つきになれとっ? 別の女に腰振って胤まきしていたアンタのためにっ?! どうしたらそういう考えに至るのか、その頭カチ割って覗いてみたいわっ!! むしろ、ここまで来たなら、洗いざらいブチまけてやろうかっ? アンタの会社関係にもさっ!!』
会社関係という言葉が効いたのか、二人はアワアワと狼狽え、挨拶もなくそのまま千尋のマンションから逃げ出していった。
千尋は頭が沸騰し、手荒に扉を閉めてチェーンをかける。そしてそのまま下駄箱上でスタンバイさせておいたスマホを持ち上げ、部屋に飛び込むと別の端末を使って友人らに電話をかけた。
もちろん、今の一部始終を録音したスマホの内容を友人達に回すためだ。
『もう愛想が尽きたわ。見逃してあげようかと思っていたけど、誰かに聞かれたら、これを聞かせていいよ』
聞かれなくとも拡散してくれるだろう。千尋の友達は類友だ。好意は二倍、悪意は百倍返しの御仁らである。
にやっとほくそ笑む千尋の想像を裏切らず、友人らは派手に暗躍したようで、季節が変わるころ浮気者の二人は消えていた。
どこに引っ越したのかも分からない。仕事も辞めて、誰にも何も告げぬまま、彼等はいなくなった。
「まあ、若気の至りっつーか。あの頃はアタシも若かったんだよね」
今では黒歴史の一頁。
気まずげに笑う小人さんに、ロメールは絶句したまま何も言葉をかけられない。
何をどうしたらそんな事になるのか。浮気をして子供が出来る。珍しくはあれど、無いことではない。
だが、その後が胸糞過ぎるだろう。盗人猛々しいというか、厚顔無恥というか、恥知らずにも程がある。
それがチィヒーロの心の傷なのだと思うと、ロメールはなんとも言えない複雑な心境になった。
世の中そんな男ばかりではない。大多数は、そのような不義理を善しとしない。
言葉にするのは簡単だが、千尋に必要なのはそういう事ではないのだろう。
結果、彼女は色恋を信じられなくなったのだ。長く付き合ってきた恋人が。婚約者となった男がしでかした愚かな末路。
これが二度はないと信じられない。信じろという方が無理である。
そしてロメールはある事にも気がついた。
彼女からプロポーズを受けた自分は、そういう男ではないと認識されたことに。
かつて彼女は言った。信じるとは全てを受け入れること。何をしても許せること。
もし万一、ロメールが浮気をして子供が出来たとしても、きっと千尋は困ったような顔をするだけ。いや、ひょっとしたら意気揚々と子育てに参加してくるかもしれない。
あ..... 駄目だ、簡単に想像出来るわ、それ。
無論ロメールは、そんなことはしないし、する気もないが。
だが、そういった全幅の信頼をおかれていると確信出来るのが面映ゆい。
「チィヒーロ」
小さな妻を背中から抱き締めて、深い感慨に耽る王弟殿下。
「なん?」
三十センチ以上身長差のある旦那様にすっぽりと抱き込まれ、小人さんはロメールの腕を掴み、不思議そうに見上げた。
「幸せにするから。あと、自分から聞いたのに何だけどさ。.....もう前の男の話はしないで? 妬ける。うん」
耳まで真っ赤なロメールに眼を見張り、千尋は悪戯げに微笑んだ。
「なーに背負ってんだか。アタシが幸せにしてあげるさぁ♪」
「.....うん」
背中越しにペタペタとロメールの頬を撫でて、小人さんは至福を感じる。
テレテレと眼を泳がせる旦那様が微笑ましい。
そんな蕩けた一幕を、こっそり見守る周囲の人々が、砂糖を噛むように生温い笑みを浮かべているとも知らずに。
全ては自己責任。
苦労するのも幸せに浸るのも人生には付き物だ。それを楽しめる人生を人は良い人生と呼ぶのだろう。
優しい人の幸せが約束されたフロンティアで、二人は末長く穏やかな暮らしを続けられたら良いのだが。
そうは問屋が卸さないアルカディアで、波乱万丈も楽しんで生きる二人である♪