販促用SS. ザックの独り言
☆ザックの独り言☆
「はいよ、上がったぜ」
厨房庭に増築された大きな石窯オーブン。
一定の温度を維持出来るよう魔術具で調整されたオーブンは、用途によって使い分けされていた。
これも男爵令嬢の用意してくれたモノである。
製菓は分量と火加減が命だと彼女は言っていた。正確な計量と知識があれば、まず失敗はしないと。
貧乏孤児院に不似合いの立派なオーブン。
温度差が、出来上がった菓子に悪影響を出す場合もあるのだという説明に、火力に任せた厨房は茹だるような暑さだった。
実際、シュー皮を焼いていた時に、うっかり隙間を開けてしまったザックは、膨らんでいたシュー皮が、一瞬で萎んでしまったのを目の当たりした。
あの時の絶望感は筆舌に尽くしがたい。
二度とあんな失敗はしないよう、ザックは真摯に製菓に取り組んでいた。
「新作ね? 楽しみだわ」
「ありがとうございます」
満面の笑みで商品を受け取る御婦人。
「今日のお勧めはある?」
「こちらの季節のフルーツとジャムのクレープですね。足が早いので、本日中にお召し上がりください」
居並ぶ笑顔の人々。これら全てが、小人さん印の御菓子を求めてやってきたという事実に眼が眩む。
誰にも見向きされていなかった孤児院が、男爵令嬢の采配によって一躍脚光を浴びた。
自分達の腕で生きていける。
これは画期的な変革だった。
何もない、人々の善意によって生かされていた過去の子供達。
それを施しだと斜めに捉えて、世の中全てを呪っていた愚かな自分。
貧しいとは。餓えるとは、簡単に人としての矜持を奪う。
お腹が空くと寒い。悲しくなって寂しくなって、必死に仲間と肩を寄せあっていた。
眠りも浅くなり、容易く病を得て死に直結する。
餓えるのは怖い。生き物としての本能が、それを怖れる。
そんな恐怖に始終晒されていた数年間は、ザックの心を荒ませるのに十分過ぎた。
一人、二人と弱って動けなくなる子供達。院長先生も飲まず食わずで奔走して、身体を壊しかけていた。
何も出来ない幼い自分が怨めしかった。
いっそのこと盗みでも働こうかと街を散策していた、その時。
ザックにぶつかり、転げた幼女。
慌てて助け起こせば、なんと彼女は孤児院を探しているという。
犯罪に手を染めようと緊張していたザックは、その無邪気な瞳に毒気を抜かれ、仕方無く幼女を孤児院まで案内する。
そして、事は大きく変わっていった。
幼女から頂いた寄進の金貨で、孤児院の子供らは数年ぶりにお腹一杯ご飯を食べる。
僅かながら肉の入ったスープ。ゴロゴロ野菜たっぷりのそれは、最近流行りのホワイトソースとかいうソースで煮込まれ、もったりとした温かいスープだ。
涙が出るほど美味しいスープに、ザックは無言で匙を動かす。
他の子供らも同じで、黙々と食べる子供達を、院長先生は潤んだ眼差しで見つめている。
「食べなよ。美味いよ、これ」
勧めるザックに、院長先生は首を振った。
「君たちが幸せそうに食べてるのを見ただけで胸が一杯でね。少し待ってくれ」
言われてザックも何かが込み上げてくる。
彼は、胸が一杯の意味を、その場で理解した。
そして子供らは、久しぶりにお腹一杯で、暖かい夜を深く堪能した。
たとえ一時の幸せでも良い。
なるべく長くこの幸せが続くよう、ザックと院長は、寄進された金貨で畑の充実を図ろうと考えていた。
幼女から打診された小人さん印の御菓子販売とやらが成功する保証はない。
出来るだけ堅実に。少しでも長くこの幸せが壊れぬよう、真剣にザックは孤児院の事を考えていた。
だが、それも杞憂に終わる。
蓋を開けてみれば、御菓子販売は大成功。
作っても作っても足りないという嬉しい悲鳴のオンパレードだった。
自由にしても良いと言いながら譲られた大量の蜂蜜。
蜂蜜を狙う悪い輩がいるかもと置かれた数匹の護衛蜜蜂達。
全てがトントン拍子に運び、気づけば古びた孤児院は建て直され、子供らの手仕事に刺繍やレース編みが増え、潤沢な利益から、小人さん印の御菓子店舗まで建てる事が出来た。
お伽噺のような奇跡の光景。
ザックは誓う。いずれ必ず恩は返すと。
幼いころの誓いを思い出して、大きくなったザックは自嘲する。
子供だった己を唾棄するかのように脳裏に描いて、ぐしゃりと踏み潰した。
「永遠なんてものは無いんだよ。いずれなんて無かったんだ」
小人さんは失われた。
後悔の残滓にまみれて、ゆらりと立ち去る彼は、まだ知らない。
近い将来、その奇跡が再び起きる事を。
再び荒んだザックの凍結をブチ破りに、にかっと笑って小人さんはやってくる。
~了~