人外さんは吹っ飛ばされたらしい
一度目の人外さん説得の数日後。
「もう。本当、お願い。昼の間だけでいいの。ねっ」
凪は前回と同じく、教室の中央の席の前の席の椅子に座り、貴本の机に、再び水とおむすびをお供えして説得を試みていた。
あれほど頼んだにも関わらず、全く改善が見られなかったからある。
人外さんにも事情やこだわりがあるのはわかる。
きっとこの席は生前の彼の席で、どうしてもここに座っていたい訳があるのだろう。
しかし、生きている人に影響が出ているのだ。少しは妥協して欲しい。
せめて席替えが行わられるまでの間だけでも。
「お願いします」
この数日で、凪が心配している彼、貴本は心なしやつれてきたように思える。
絶対人外さんとの接触で、エネルギーを過剰に消費しているからに違いない。
それはフィジカルでもそうだが、メンタルにも大いに影響している。
圧も若干弱まったように思えるのだ。
(強面で怖くても、彼はクラスメイト)
凪に放っておくという選択肢はなかった。
しかしこれだけ頼んでも、人外さんは席からどいてくれる気配はない。
(だめかあ。となると、最終手段に訴えるしかなくなるなあ)
できれば、その方法は避けたかった。
(うう。人外さんめぇ)
凪は恨めし気に、教室の中央にある席を見つめる。
貴本の席にぼんやりいる、黒い人外さんは全く動かない。
と、後方から突然名が呼ばれた。
「八代」
重低音。今回も全く気配がなかった。
(ふ。でも驚かないわよ)
びくりと身体が揺れたのは、気のせいである。
彼のためにここまでしているのだ。
凪がびくびくする必要も、まして逃げる必要もない、筈だ。
(平静、平静よ)
凪はゆっくりと後ろを振り向いた。
予想通り、貴本が凪を見下ろしている。
(うわあ。下から見上げると、半端なく怖い)
クラスメイトをビビらせてどうするつもりか。
「き、貴本くん」
思わず声が上ずる。
「何をしている」
数日前と同じ質問。
たとえ威されていても、素直に答えられない。
答えたら、きっと変人扱いされてしまうだろう。
人外さんの存在を信じていない人のほうが圧倒的に多いのだから。
(まあ。視えなくて、声も聞こえなければ当然だよね)
だから、凪は彼の質問を遙か彼方に放り投げて、やられたらイラッと来る方法をとる。
質問返しである。
「貴本くん、この学校に来て、体調悪くない?」
「‥‥‥ない」
僅かな躊躇。
それが、答えを物語っている。
意外に素直らしい。
ならば攻撃の手は緩めない。
「今の間は何かな。それに何で、目を逸らすの」
貴本は黙って横を向いたまま。少し圧も弱まった感じがする。
(もう少し、強気に出ても大丈夫ね)
「正直に!」
「身体がだるい‥‥‥かもしれない」
「正直でよろしい。で、できればそれ、解消したいよね?」
「方法があるのか?」
「うん」
興味をひかれたように貴本が凪を見下ろす。
やはり体調が悪いのだろう。顔色が悪い。
それも貴本にしてみれば原因不明だろうから、解決策があれば嬉しいに違いない。
凪はちらりと、彼の席に座っているだろう人外さんを視た。
(説得に応じないからいけないんだからね。申し訳ないけど、強硬手段を取らせてもらうよ)
人外さんと、生きているクラスメイト、どちらをとると言われたら、迷わずクラスメイトの健康をとる。
「貴本くん、席の交代を先生に頼もう」
「席の交代?」
「うん。貴本くんの席と、若宮くんの席の交代」
若宮は、凪の後ろの席。
窓際の一番後ろの席だ。
教室の中央と端の席。
これだけ離れれば、大丈夫だろう。
「それが解決策になるのか?」
「うん。訳が分からないだろうけど、絶対気分がよくなる筈だから。それにね、若宮くんも嬉しいって。貴本くんに無断で若宮くんと交渉したのは申し訳なかったけど、若宮くんは小柄で一番後ろの席だから、黒板が見えづらいらしいんだ。だからって一番前は少し抵抗はあるみたい。でも貴本くんのこの席だったら、ちょうどいいってさ」
まさかの為に、若宮には交渉済みである。
「貴本くん、身長高いから、一番後ろでも問題ないでしょ?」
貴本は無言である。
やはり納得できないのだろう。
しかしこれ以上の説明はできない。
(強気で押し切る!)
「信用できないならできないでいい。でもさ、席を交代しただけでも、いい気分転換になって、気分もよくなるかもしれないじゃない?」
「だが」
凪は立ち上がると、彼の右腕を掴んだ。
「ね! 今から先生のところに相談に行こう!」
凪はそう言い切ると、彼の腕を引っ張り、職員室に向かった。
凪の提案を受け入れたのか、それとも諦めただけか、貴本は大人しくついて来てくれた。
何よりである。
(これで解決するよね?)
ここのところの悩みが晴れそうで、凪も顔が綻んだ。
翌朝。若宮が教室に入って来たところを捕まえて、凪は席の交代の件を伝えた。
案の定、若宮は喜んだ。早速、元貴本席、教室の中央の席に向かう。
(ふふ。人外さん。穏便に頼んでいた時に、言う通りにしてくれなかったのが悪いんだからね)
凪は悪徳商人の気分で、口の端を吊り上げた。
凪が見守る中、若宮が元貴本の席に座り、人外さんと重なった瞬間。
ぼんっ。
と、薄い影が教室の端まで飛んだのが視えた。
ここまで吹っ飛ぶとは思わず、凪は目を見開いた。
(うわあ! 若宮くんすごい)
本人から聞いたところによると、若宮の家は神社を営んでいるらしい。
そのせいなのか、若宮は人外さんを寄せ付けない体質をしている。
最初彼に近づこうとしたちんまい人外さんが、弾き飛ばされたのを目撃した時には、本当びっくりした。
以来、たまーに同じように無意識に人外さんを跳ね飛ばしているのを見かける。
彼を注意深く見つめると、少し輝いている気がする。
(後光か。後光なのか)
彼も人外さんと呼んでいいかもしれない。
(まあ、それは置いておくにしても)
若宮が人外さんに脅かされない事がわかって一安心である。
そして。
(これで貴本くんの体調もよくなる筈)
凪の心も平穏になる。
(やっぱり具合悪くなっていくのを、見てるだけなんてできないものね)
そう思いつつ、後ろの席を振り返る。
と、席に着いていた貴本と目が合った。
(よかったねえ)
凪は目を細めて頷いた。
彼はそんな凪を見つめて、自分の机へと視線を落とした。
御礼を期待した訳ではないので、凪はそんな彼の態度を気にしない。
(まあ、体調がすぐよくなるでもないしね)
今回の凪の行為は、自己満足からの行動である。
なので、むしろこれで貴本との付き合いはフェードアウトしたい。
(だって)
やっぱり彼の圧はすごい。
彼の席替えを知らず、新たに貴本の隣人になった並木くんは明らかにビビッており、元貴本の席、今は若宮の席周辺の者は、安堵の雰囲気がダダ洩れていた。
若宮くん、結構これから出てくるかもしれないです。
書きやすいかもです。