変化
「……なんていらなかった。貴方を失うくらいなら……なんて」
彼女は悲しげに呟いた。
地面に膝をつきながら嗚咽をあげていた。
見覚えのない女が、深々と雪が降る中泣いていた。
古びた着物をまとい、長い髪は乱れていた。
草履は履いておらず、足は傷で覆われ、痛々しいほど血塗れであった。
いつもと同じ光景。
そう。これは夢。
自分は空気と同化し、干渉するだけの夢であった。
しかし。
(………あれ)
体がいつもなら重く動かないはずだが、自分の意思と関係なく足が動く。
彼女から遠ざかろうとするが、ぱきっと乾いた木の音が鳴る。
地面に落ちていた枝を踏んでしまったらしい。
この音に彼女の泣く声が止んだ。
恐る恐る顔を上げると、彼女がこちらを振り返っていた。
「……かえ…て」
俺を見て彼女が呟き、ゆらゆらと体を揺らしてこちらに近づいてくる。
彼女が動く度、地面に降り積もった雪の上に血が垂れ落ちる。
「……かえ………ひと…」
か細い声で、何かを呟く。
血塗れの手を宙に彷徨わせ、俺を探している。
心の奥で警鐘が強く鳴り響いていて、今すぐ逃げなければいけないという焦りが湧いてくる。
しかし体が自分の意思では動かない。
そうして立ち尽くしている内に、目の前の女は近づいてくる。
(………っ)
一瞬吹雪が強くなり、目を閉じる。
冷たい雪が頬を打ち付け、しばらくして吹雪は止む。
そうしてようやく目を開けれるようになって、恐る恐る正面を見るとそこには血だらけの女が突っ立っていた。
長い前髪から怨めしく、血走った目がちらりと見え、女と目が合ってしまった。
その瞬間、身が凍えそうになった。
◎○
「………っ!!」
はっと飛び起きるように眠りから起きる。
息が荒く、ぐっしょりと汗がかいていた。
周りを見回すと自宅の寝室ではなく、吉野さんから寝泊まりするように借りた部屋であったことに思い出す。
「……今日の夢はなんだか違ったな」
そう呟いて、手で顔を覆う。
いつもの同じ登場人物が出てきて、自分はただ干渉するだけの夢であったはずが視点が自分に向いて、女が襲い掛かってきた。
女と目が合った時、身体が凍りつくような感覚に陥った。
女は血だらけで嗚咽をあげていた。
その声はとても悲しいものであった。
女に何があり、何をそんなに悲しんでいるのだろう。
知ろうとすれば、ますます夢に呑まれてしまいそうで、俺は一旦考えるのをやめた。
今は初瀬のことで調べなければいけないことがあるというのに、調子が狂ってしまう。
「とりあえず顔を洗うか……」
顔を洗えばすっきりするだろうと思い、俺は洗面所へ向かった。