呪い
吉野家の一室。
夕食後、今夜はここで休むようにと促された。
旅の荷物の整理をし終え、今は一人休んでいた。
机の上に吉野さんから借りてきた書物が置いて、表紙と睨めっこをしていた。
「………」
吉野家の蔵から見つかった古びた書物。
初瀬がこの書物を見たら顔色を変え、昼夜問わず読みふけていたという。
そして心配した婚約者の吉野さんが声を掛けると彼は彼女に襲い掛かった。
最近では初瀬は朝早くからどこかに出掛けてしまうようで、何日かしてやっと帰ってくるという。
吉野さんは今日もきっと帰ってこないと話していた。
二人は来月式を挙げる予定であったが、初瀬の人の変わりように吉野さんは不安を覚え、友人である俺に手紙を出したとのこと。
「先生。失礼しますよ」
部屋の外で、蛍の声がした。
「あぁ」と返事をすると、蛍が障子を開け、中へ入ってくる。
蛍は机の向かい側に静かに座り、俺のことをじっと見つめる。
何か話があるという真剣な顔つきでいる。
「先生……吉野さんからお借りしたそれ、もう読まれたんですか?」
蛍は机の上にある書物に目線を落とした。
俺は「これから読もうとしていたところさ」と返事をすると、「そうですか」と蛍は息をついた。
なにやら思い詰めている顔を一瞬見せた。
「吉野さんはその本に呪いがかかっていると言われていましたが、先生は呪いを信じますか?」
蛍はこういうところに敏感だ。
彼は幼い頃から見えていけないモノが見えてしまう気質なのだと聞いた。
俺からしたら仕事柄羨ましいところなのだが、彼はそれで辛い思いをしてきたようだ。
過去のことは詳しくは知らないが、彼も話したがらないため俺はそれでも良いと思っている。
「何だか嫌な感じがするんです。これを読んでしまったら先生も呪いにかかってしまうのでは」
「その可能性もあるかもな。呪いは他人を不幸にするといったイメージだが、呪いの原点には悲しい過去があるものだと俺は思う」
「呪いの原点………」
「そう。呪いをかけた人物は今もなお苦しみながら彷徨い続けているのかもしれない。だから誰かがその苦しみを理解し、手を差し伸べてやることで、苦しみも和らぐかもしれない」
目の前を見ると蛍の顔はまだ不安が滲んでいた。
「大丈夫さ。初瀬のことも気になるから、ひとまず調べてみる」
「そうですよね…。すみません。夜遅くに」
蛍はこくりと謝ると、静かに立ち上がった。
部屋の戸を開け、出ていこうとする前に蛍は「おやすみなさい」と声を掛けてきた。
「あぁ。おやすみ」
蛍が部屋から出ていくと部屋は静かになり、俺は机の上にある書物を読み始めた。