木霊
「……いらなかった………を失うくらいなら……なんて」
彼女は悲しげに呟いた。
地面に膝をつきながら嗚咽をあげていた。
その背を遠くで見る自分にはどうしようもできなかった。
彼女の切ない声が頭の中で木霊して目が離せない。
見覚えはない。
だけど彼女の声をきき、姿を見ると心が落ち着かない。
古びた着物をまとい、長い髪は乱れていた。
草履は履いておらず、足は傷で覆われ、痛々しいほど血塗れであった。
深々と雪が降りしきる中、彼女は泣いていた。
彼女は一体何者なのだろうか。
◎○
「…せい。せんせい。起きてください、先生」
ため息交じりの掛け声と共に肩を揺らされ、夢から意識が浮上する。
目の前を見やると向い席に座る助手の朝霧蛍が呆れ顔でいた。
「呑気に寝てないで次で着きますよ」
「あぁ、悪いな。いつの間にか寝てたよ」
俺は頭を掻きながら蛍に侘びた。
そして車窓から外の流れる景色を眺める。
遠くには青くしげる山々、目の前には一面水田が広がりのどかな田舎風景であった。
電車に揺られ三時間半といったところか、疲れがたまり、ついつい寝入ってしまった。
そんな中、いつもの夢を見た。
いつから見はじめたのかは忘れたが、その夢には古びた着物を着た女と自分が登場している。
女はいつものように、悲しげに何かを呟き、むせび泣いていた。
自分は遠くで立ち尽くし、それを干渉するだけの夢である。
「先生?どうしたんですか」
夢のことを考え、車窓の外を頬杖をついて眺めていると蛍に声をかけられる。
蛍には同じ夢を何度も見るということを話していない。
実に奇妙な夢で、何か起きるのではないかと変に勘ぐってしまう。
だが今のところ何も起きていないため、大丈夫だろう。
蛍に話すと、余計に心配されるため話さないでおこうと決める。
「いいや。何でもないさ」
すると目の前の蛍はつまんなそうに、「ふーん?」という反応を見せた。
彼は表情をさっと変え、「そうだ」と何やら思いついた仕草で横においてあった鞄から手紙を取り出した。
「この依頼人の吉野さんとは面識はあるんですか?」
「いや、それなんだが………」
俺は蛍に聞かれ、少し言葉を濁らした。
「吉野さんは、大学の頃つるんでた初瀬っていう奴の婚約者なんだ。実際会ったことはないんだが」
「なるほど。初瀬さんからの手紙じゃなくて、婚約者から手紙がくるなんてなんか不思議ですね」
蛍は依頼人からの手紙を手に、手紙の内容を再度確認していた。
吉野静季。大学時代につるんでいた友人の婚約者。そして今回の仕事の依頼人でもある。
【花籠集落に伝わるとても興味深い文献を見つけたため、ぜひ足を運んでほしい。】とのことであった。
神蔵奏汰33歳
地方にまつわる伝承や事件を取材し、それらを元に物語を構成する作家。
不器用で家事や細かい仕事は苦手なため、それらのことは助手の蛍に任せている。