第9話
改稿版
――――始源編-2――――
今日で最後。この森を離れ、人の住む街へ行く。
セレンとエステルが住んでいた街はタレスというらしい。
そこで新たな生活を見つけ出そう。傭兵ギルドが多いらしいのでなんとか紛れ込みたいものだ。
セレンの指導のお陰で言葉については問題ない。
貸してもらったを穴があくほど読みこんだので、読む能力についてもほぼ問題ない。
あとは実体験あるのみだろう。
銃などの貴重な装備は出来る限り持っていく。
持って行けない大きなモノや不用品は少しの間お世話になったこの洞へ置いていくしかない。
タレスへの道のりにつても無事に目処が立った。
エステルは旅の経験が豊富なためか、非常に土地勘が優れていた。
彼女の話を基にタレスへの方角と距離を算出したところ、
太陽が沈む方角(西)へ2週間も進めば到着するようだった。
太陽の沈む方向へ進めという単純なことすら出来ないから、
世界樹の森は迷いの森なのであるがそこは自分の出番だ。
どういう理屈かは相変わらず不明だが、古来から血盟族は旅に迷ったことがないらしい。
未知な場所ならともかく、大体の場所がイメージできているなら全く迷わないとか。
しかも、結果的に最短コースを進むらしい。
セレンの言葉を引用するなら"世界が血盟族の意を是として導く"らしいが、
こちらとしては虫の知らせに従って適当に進んでいるだけである。
道に迷ったとしても、常に正しい方角に意識が誘導されるような感じなのだ。
それで臨んだ所に行けるのだから便利極まりない。
だから、準備さえ整えばこの森から抜け出すのは造作もない。
セレンのもつ"天空の雫"とかいうアミュレットが一応保険としてあるが、何故か封印されているという。
しかも解呪できる目処が立たないらしい。
毎日解呪に悪戦苦闘しているが、結果はいつも失敗に終わっている。
セレンに解呪できないなら、戦闘担当のエステルにも無理であるし、自分など尚更だ。
解呪より先に壊す可能性の方が高い。壊すくらいなら街に戻った時に売ってしまう方がいい。
結局のところ、頼りになるのは自分の純血種族の力のみというわけだ。
行き当たりばったりとも言えるが、これ以上有効な策がないのも確か。
ないモノねだりをしても仕方がないが、出来るならアミュレットには作動してもらいたい。
勘で選んでいる最短ルートの裏付けを客観的にしてくれれば負担が減るというものだ。
タレスへの街へ赴く旅の準備は順調に進んでいた。
必要な食料や装備の修理はほぼ終わっているし、自分はいつでも出発できる。
…だが、町へ行くと決めたはずなのに踏ん切りがつかない。
心にしこりが残っているかのようだ。
今さら行きたくないなど言えない。
だけど、焦燥じみた迷いは出発日が近付くにつれて大きくなるばかりだった。
その迷いとは言わずと知れたシェルターのこと。
いざ見捨てて旅立つとなると、どうしても気にかかる。
自分と地球との唯一の絆であり、大切な人の遺産だ。
そのそばを離れるのは未練があった。
――だから、
町へと旅立つ日の朝、そっとねぐらを抜け出す。
エステルとセレンを起こさないよう細心の注意を払う。
周囲に危険がないことを確認し、世話になった世界樹の大樹をひたすら登っていく。
その目的はただ一つ。
日課となっていたホワイトドラゴンの観察。…いや、シェルターの奪還だろうか。
叶うなら、もう一度あの場所へ触れてから旅立ちたいと思う。
徒労に終わるとしても、何か出来る手を打っておきたい。
ここに帰って来られるという確証が、欲しい。
(本当に人生ってわからないね…。
初めて見た時はただの厄介物でしかなかったのに。今となっては何より大切なモノになった)
大切なモノ。数あった自分のルーツの中で、今やただ一つ残されたモノ。自分を証明してくれるモノ。
それが誰かにいいようにされているのは耐えがたい。どうしても取り戻したくなる危機感にも似た切望。
旅立つと決めたのに、新しい暮らしをすると決めたのに、…忘れられない。どうしても。
――十分な高さへと登り切る。
最早探す必要もないほど慣れた手順を繰り返す。広がる光景はいつも通り。
ホワイトドラゴンが相も変わらず占拠する丘。
シェルターはその姿に覆われて窺い知ることさえできない。
…そのはずだった。
「―――なッ?! 丘の上にアイツがいない?」
そう。
あの丘から微動だにしなかった竜が消えていた。丘の上には何もなく。
いつの間にかその姿を消していた。
…あれほど自分を悩ませ、恐怖させていた存在が消え失せていた。
思わず見直すも、さらに恐ろしい事実も視覚を打った。
唖然を通り越し、血の気が引く音が聞こえるような気さえした。
現実を否定する言葉が口から飛び出す。ありえないことだと繰り返す。
「…どういうことだ! なぜ土地ごと消えている?! あそこにあったものはどこに行ったんだ?!」
――あの白竜がいないだけならば良い。
同時に、大地も大きく抉れていたのだ。
丁度、地球から転移してきた大地がそのまま全て収まるほどのクレーターが代りに存在していた。
つまり、シェルターはこの地から消え去ったということだった。
跡形もなく。
「――…一体なにが起きた。今まで異常は感じなかった。血盟の力も全く知らせてこなかった。
それなのに土地ごと消えた…?
まさか地球へドラゴンごと帰ったとでも…。だが、そんなことが有り得るのか??
でも、これは…、どこかへまた転移したとしか考えられない! 一体どこへ消えたんだ!?」
その疑問に答えてくれる人が居ろうはずもなく。
にわかには受け入れがたい現実だった。
見ただけではとてもじゃないが受け入れることなど出来ない。
ならば、
まだ白竜が居るかもしれない危険を承知してシェルターがあった地へ行かなければならない。
心を決めるまでは一瞬もかからなかっただろう。
もしかしてホワイトドラゴンが周囲を飛んでいるのではないかと、空、森をくまなく見渡す。
だが、最早あの化け物がいる気配はどこにも感じられない…。
自分が気付けていないだけで実は傍にいるのかもしれない。
今迄の経験で、油断がどれほど危険か嫌というほど思い知ってきた。
しかし、これ以上の好機はないのも事実だった。
――ならば、今しかない。
最後の最後、文字通り土壇場だ。やることは決まった。
迷うことなく、木を滑り降り、
「~~~んぅ。――え、ソウマ? ちょっと、まって。 どうしたの?! どこ行く気?!」
制止する言葉さえすべて無視する。気にかける暇などない。
全力でシェルターへと急ぐ。
自分の限界の速さで森を突破し、丘の上へと駆け上がる――!
―― 一刻も早くシェルターの無事を確認せんと身体に鞭を打つ。
身体が危険だと訴えるほど無謀に、愚直に進む。
引っ掻いた枝で傷ついた身体中が抗議してくる。
でも、気付かない。気付けない。
今まで丘に近づけばあれほど警鐘を鳴らしていた直感は相変わらず沈黙したまま。
これならばいけるか…!
そして、ついにその目に写る光景。
覚悟はしていたが、愕然としてと立ち尽くす。
「………ウソだろう…?」
丘の上には…、一切何もなくなっていた。一切だ。
小屋の名残、地球の土地、そして何よりも大切なシェルター。
全て幻想であったと言わんばかりに消失していた。
先に発した疑問を改めて確認出来たにすぎなかった。
「一体どんな力が働いたっていうんだ。何故この傾向を察知できなかったんだ…!」
血盟族の、純血種の力は一体何をしていたと言うのか。
どうして肝心なところで力を発揮しないのか。
どれだけ自問しても答が出ない。
計算外の事態の前にはただ無力だった。その事実は容赦なく気力を奪っていた。
ふらふらと浮浪者のように、半ば自失しながら驚くほど整った半球状の跡地へと歩を進める。
…と、何か固いモノに躓き無様に地へ転がる。
迫ってくる地面を見つめながらも、培ってきた癖で受け身を取るが失敗してしまう。
口に入った土をかみしめながら、どうしようもない虚無感が襲ってくるのを感じる。
この寂莫したした思いをどう表せばいいのか。
仰向けになった身体から、心が命じるままに言葉がこぼれだす。
「――何もかも…、今まで全部奪われたと思ってた。
でも…、それでも生きる目処は立ててきた! こんな調子で計算を狂わされるんじゃ生きていけるものか!」
物事が自分の思い描いたように進まない。
出来る限りの最善手を打っているはずなのに、意表を突く事態が暇なく起きる。
まるで努力や行動が無意味だと嘲笑われているかのようで、苛立ちを隠せない。
…両親の墓前での誓い。諦めることなど出来ようはずがない。だけど、何と遠いことか。
最初は"将来の可能性"を奪われた。 今度は"残された証"まで奪われた。どちらも容赦なく、根こそぎ奪っていったのだ…!
そして、奪われたモノを取り返そうにも、何処にあるのかわからない。全く為す術がない。
自分に残された証を奪われたこと。
事実が激しく苛め、ますます消失感と虚無の色を深める。
そして、目を逸らし続けていた己の奥底に気づく。
ずっと自分がシェルターに、"過去"に固執し、依存していたのだということに。
全ての起因が、シェルターへ集束していた。
補給は言い訳で、自分がシェルターを捨てることは不可能だったのだと、奪われて初めてわかった。
"過去"を捨ててこの森を去る。その重さは並大抵ではなかった。
事実、自分の中の計画では、街に出てもシェルターの間を行き来して生活基盤を作るつもりであった。
シェルターを参考にして地球の技術を様々な方面へ応用し、生計を立てる予定だった。
有用な資源の活用と言えば聞こえはいいだろうし、現状における最善手であることは明白だ。
とはいえ、これは結局のところシェルターを離れることが出来ないと同義だ。
最初はいいかもしれないが、後々には行動範囲の狭さがネックになってくるだろうことを、敢えて意識から外していた。
完全なフロンティアというものへの恐怖がそうさせたのかもしれない。
「俺は希望を探していたのとは違ったか。……残されたモノを守りたかっただけ、だったのか」
無意識のうちに歯が噛みしめられていく。
エステルやセレンを救ったことも単なる代償行為だったのか?
それが一つ答えだということは理解していなかったわけではない。
しかし、自分の無力さを伴った形で突きつけられると、どうしようもなく重く感じた。
目を背けていた事実は依然として気力を蝕み、活力を奪う。
地に倒れたまま、朝日に身体が焼かれるに任せる。
だが、それで終わらないのがフォルカがフォルカ足る所以だった。
――朝日と共に思考に火が点く。…緋色の瞳が生気を取り戻していく。
違う。それだけじゃない。
先の思いは事実だろう。だが、全てじゃない。多面性の一部だ。
彼女達を救おうとした行為は嘘にならない。
自分にとってあのシェルターがいかに大切だからと言って、どうして立ち止まっていられようか。
今自分に出来ることは何なのか? 自分の目的を思い出せ。
与えられたモノで本懐を遂げられるとでも思っていたのか?
両親の遺志を昇華させる。
そのために全力を尽くすと決めた。転移させられたとはいえ、今も変わらない願いだ。
それを自分で得たモノではなく、貰ったモノだけに頼って実現できるとでも思っていたのか。
出来るわけがないだろう?!
ならば、今此処で。
今度こそ何もない地となった此処において。もう一つの道を探さなくてはならない。
何でもいい。希望を見つけ出して見せろ!
シェルターの喪失によってもたらされた失調は大きかった。
だが、立ち止まることはもっと許されなかった。
夢や責務を、過去の証を奪われたとしても、理想へ進むという意地がフォルカを支えた。
意識を切り替え、弛緩していた体に活を入れる。希望を探すべく身体を引き起こす。
(なんでもいい。思考を切り替えろ。絶対に新しい道があるはずだ――)
そうして、シェルターへの固執を初めて意識して解いたのだった。
フォルカにとって、今が初めてこの異世界で生きていく決意をした瞬間なのかもしれない。
だが、新しい希望を見つけるのは容易だった。
…まるで用意されていたかのように。
――希望を、新しい道を探すべく見渡す。
そして、一抱えほどある卵が足元にあるのに気づく。
何事かと見遣ると、自分が先に蹴躓いたものだった。
朝露に輝き、何か特別なオーラを漂わせる不思議な卵。
こんなに目立つのに気付けなかった自分の失調具合には落胆してしまうが、その卵は特別だった。
否応なく意識を奪われていく。
足蹴にした衝撃のためか、表面には罅が入っている。
一体何の卵だろうか。地球の物とは大きさも色も全く違う。地球では卵が燐光を放ったりなどしない。
ここにいた獣など1つだけだ。あの絶対者のみ。
まさか――!
『キゅいィ――――っ!!』
…次の瞬間、卵が孵る。いや、爆ぜた。その身に溢れ出る命の力を感じさせるかの如く。
「――――……」
殻を弾き飛ばし、姿を見せる純白のドラゴンの幼生。
…思わず言葉を失う。
生まれながらしてなんという気品だろうか。他の生き物とは次元の違う美しさを顕示する。
その姿から、シェルターを占拠していたホワイトドラゴンの一族であることは明白だった。
でも、何故だろうか。少しも恐怖を感じなかった。
不思議な感動が胸に込み上げ、逃げようとは全く思わない。
その幼生と目がふれ合う。…今まで考えていたことが忘却の淵へ消えていく。
世界へ生まれた命に無性に触れたくなる。身体が熱病に侵されたかの如くいうことを聞かない。
ソッと煌めく姿に手を伸ばす。艶やかな身体におずおずと触れる。
……抵抗せず、なすがまま、目さえ細め、クルクルと愛撫を受け入れる……。
―――魅了された。煌めく神秘に。
いつしか小さな身体を朝日へと掲げ、太陽の祝福をその身へ与えていた。
新しい命を太陽に掲げてきた古来の人々の気持ちが初めてわかった気がした。
新しい命ほど、この輝きが似合う者はいない。
そして、
太陽が、エステルやセレンと暮らす世界樹が、この目へ映る。
…瞬間、忘れていた一つの理解が心に渡った。
(そうか――。 …そうだったよな)
セレンやエステルを助けた行為は代償行為だったという事実を否定できはしない。
だが、それは今までのことだ。
これからは違う選択もできる。
心を通わせて彼女達と共に歩んでいく道も歩めるし、違う道も探せるだろう。
人の行いは一つの過去に縛り続けられるものではないし、物事は表裏一体だ。
物事は様々な意味を内包している。
逆にいえば、選ぶ勇気をもって真実に臨めば道は広がるのだ。
朝日に白竜を掲げつつ、大切なことを見つけ、思い出した。いや、思い出させてくれた。
シェルターの喪失についても、この無意識の戒めを解放してくれたことだけは感謝してもいいのかもしれない。
そして、この理解の切欠をくれたのは紛れもないこの小さな白竜だった。
感慨を込め、手の内の白竜へ語りかける。
「お前はすごいな。こんなに小さくて綺麗で…。
それなのに、初めて会う俺のことがお見通しなのか」
――気づいた。さっきからこの小さな白竜が、伝えてくる。震えている。
…苦しい――。
「…………お前も、一人っきりなのか。
生まれたてなのに、親も仲間もいなくて寂しいのか…。哀しくてたまらないのか」
同じだった。この世界へ連れ去られた時の自分と。 軋む心、在り方が似ていた。
だが、この白竜はそれに止まらなかった。
その眼が問うてくる。奪われたままでいいのかと。抗わなくていいのかと。
「あぁ…。 ――寂しいよな。本当に祝福してもらいたい人が傍にいないなんて。
――悔しいよな。何もできずに奪われるばっかりで」
――是。その眼が応える。
…だが、諦めていなかった。取り戻すと決意していた。
"奪われたものを取り返す" "運命に抗う"
言葉はなくとも、身にまとうオーラがそう告げていた。
なんと強いのか。なんと貪欲なのか。そして、気高い。――流石は竜の子だ。
ならば…、自分もとことん貪欲になってやろうと思う。こいつを見習おう。
抱え込めるだけ抱え込む。流れるだけでなく、奪われたものは取り戻す。
両親の遺産を、見ず知らずの者に好き勝手させてたまるものか。
いつしか、心の中にこの白竜と共に歩んでいきたいという思いが芽生えていた。
仇敵ともいえる存在の子であるのに。共に歩んでいれば、いつかこの白竜に殺されるかもしれないという思いもある。
でも、そんな不安が掠れるほど小さな白竜の高貴さと秘めた力に魅了されていた。
この白竜を伴侶にできるなら、互いに成長できると思った。――だから、
「そうか――。 なら、俺がお前の行いに意味を作ろう。 …だから、俺にお前の力を貸してほしい。
お前は親を、家族を取り戻したい。誇り故に。 俺は、お前の力が欲しい。避けえない不条理に抗う為に。
俺たちの境遇は似ている。 きっと、共存できる。 わかりあえる」
白竜に拒絶する様子はなかった。語りかける主とならんとする男の眼を見据えている。
生まれた瞬間から、明確な意思があるかのようにフォルカが主となることを受け入れていた。
もはや彼らの心は一つだった。初めて会い、意識を交わしているというのに。
心に迷いはなく、清流の如く澄み切っている。
厳かに、命を名づけ、祝詞を紡ぐ。2つの太陽が見守る聖なる儀式を行う。
「お前の名は…、――――カノン――。
今は小さい。 だけど、最高の大いなる牙で、世界を奏でる旋律の聖典だ。
奪った相手が誰なのか、 何を目的をしているのかもわからない。 …だけど、2人の力を合わせれば出来ないことは何もない。
お前の望むものは取り戻せる。 たとえ誰が相手であろうとも。 俺はお前の為に全力を尽くす」
"2人"の絶対者の血が、魂が、どこまでも高まっていく。
『―――誓う。我らの朋友足る異なる者よ。 我らが志、 我らが命、 果たすまで共に在らんことを―――』
全ての始まりの地、原初の地にて。様々な経験を積んだ地で。
共に因果となる契りを交わした。
小さな幼き者に、未来を望み、過去を諦めないことを教わり。
未知に立ち向かう意思を、過去の頸木から解き放った。
…だが、フォルカはまだ気付けていなかった。
今この瞬間に、種族の定めという円環に絡めとられてしまったことを。
こうして、異境の舞台は整えられたのだった。
――気づけば、迷いは消え去っていた。
…もうタレスの町へ行くことに迷いはない。全くない。
本当の意味で新たな境地へ向かうのだ。
過去への拘束が解かれた今、見知らぬ未来へ歩み続ける力を得た。
新しくできた、この白い小さな伴侶がそれを教えてくれた。
もし、あの時シェルターに帰ることができていたならば、
何かもっともな言い訳をして、この森で暮らし続けることを選んでいたのではないかと思う。
一時的に森を出ることはあっても、ここへ帰ろうとしたはずだ。
そして、未知の恐怖に背を向け、安全な過去にすがる日々を選んでいただろう。
人はどうしても安寧を求めるものだから。
シェルターがなくなってしまったことは結果的に良かったのだ。
今はそう思えるようになった。
いずれ、あれはカノンの家族と共に取り戻せばいい。
その時取り戻した"過去"は依存の対象ではなく、成長の糧として貢献してくれるだろう。
――すでに背を向けた丘は遠くなり…、仲間が待つ家が近づいていた。
「カノン、これから俺達はヴァルネスト王国の城塞都市タレスへ行く。
お互い右も左もわからないけど、助けてくれる人は居るから心配ない。
知ることから始めないと何も始まらない。そうだろう?」
『きゅぅ~』
肩の上に乗る白竜が、何となく賛同してくれてることが伝わってくる。
約束を交わした時のような一体感はもうない。
それでも自分とカノンの間には微かに意識のラインがあるようで、コミュニケーションできているようだった。
懐疑するような無粋なことはしない。自分もカノンもまだ力が足りないということなのだろう。
カノンに色んなことを話す。
地球という星から来た事。世界樹の森の事。苦労した事。セレンの事。エステルのこと。
目的地へ着くまでの短い間、延々と話して聞かせた。
わかっているのかいないのかよくわからない。でも、カノンはジッと聞いてくれていた…。
――そして、いつしか世界樹の洞へとついていた。
「あ~、多分これは大目玉だな。怒ってるだろうなぁ。
…叱られるだけで済むといいんだけど」
出立の当日に水先案内人であるキーパーソンが消えたのだ。彼女達の不安を大いに煽ってしまったことになる。
一発や二発くらい殴られても文句も言えないだろう。
そうなんだけれども。
ふとセレンの絶対零度の眼差しとエステルの烈火のような怒気を想像した。
……ゾッとする。じわりとイヤな汗が出てくる。
「どうか、穏便に済ませてくれるとありがたいな…」
あの2人組みの心身への攻撃は容赦がない。ダメージが相乗効果で天井知らずに高まる。
エステルに殴られ(全て急所狙い)て物理的に落ち込んだ後、セレンに精神的に追い打ちを掛けられると色々挫けそうになる。
罪悪感やら身体の痛みやらで、今のところ全敗記録更新中である。
正直逃げたい。でも逃げたらもっと地獄。
しかも比例じゃなくて乗数レベルで恐怖は成長していく。
つまり、もうすでに詰んだ状況ということで。
「――行くしかないかぁ…」
覚悟をきめて洞へと向かう。まぁ諦めたともいう。
さっきからカノンが一生懸命首を擦りつけて励ましてくれてるのが救いだ。
…嗚呼いい子だなぁ。可愛すぎるよ、カノン。
こっちが守られちゃってるよ。
――だが、事態はフォルカが思うほど甘くなかった。
「あぁ、ソウマ。やっと帰ってくれたんだ! って、その白いワイバーンの幼生なに?! どこで拾ったの?!
そうじゃなくて! エステルが、エステルが大変なんだよぉ!」
オロオロと動揺しているセレンに肝が冷える。顔がゆがんで今にも泣きそうだ。
尋常じゃない。そうなったらエステルがフォローするはずなのに傍に居ない。
まさか――、
「落ち着けセレン・クリスティ! こいつは新しい仲間だ、心配ない。それより深呼吸しろ。
―――そう。それでいい。俺はここにいるから。落ち着いてゆっくり話せばいい。安心して。
…一体どうしたんだ? エステルがどうしたんだ?」
「う、うん。いきなりエステルが森の中に飛び出して行ってから戻ってこないんだ。」
「――っ、なんて危険なことを。迷子になるのがわかりきってるだろうに」
「なんか酷く切羽詰まってたんだ! ソウマの様子がおかしくなってたから探しに行くって言ってた。
止めようとしたけど、止められなかった。…彼女、君が心配で我を忘れてた」
そうか。あの時、声をかけていたのはエステルだったのか…!
どうしてこんな考え無しなことをするのか。彼女はまだ全快していないのに。
「どこへ? どの方角にいったんだ?!」
「あっち! この世界樹の裏側へ走って行ったよ」
「了解。セレンはここで待ってるんだ。すぐ戻るから!
…あと、カノンを、ワイバーンを頼む!」
セレンのエステルを頼むという声を尻目に、探し出すために駆けだす。
世界と意識をリンクさせ、エステルの居場所を授かる。彼女の気配は記憶しているから見つけ出すのは容易だった。
……エステルはもう移動していないようだったが、最悪手遅れの可能性もある。
この力は、生き死にや衰弱度を測れるほど万能ではないのだ。
彼女は病み上がりであるし、武器は修理しきれずに壊れたままだ。獣に襲われれば一たまりもなかろう。
(なんて無謀なことを! 頼む、どうか無事でいてくれよ――)
心の中は焦燥で苦り切っていた。
ただ、無事でいて欲しい。そう願いつつ彼女のもとへ急ぐ――!
――彼女は、大型車ほどもある岩の陰で小さくうずくまっていた。
外傷はなく、ただ休んでいるのであろうことが伝わってくる。
その様子を視界にとらえ、例えようもなく張りつめていた気持ちが和らぐのを感じる。
「―――…エステル、無事だったか。良かった…」
「っ?! ソウマ、来てくれたんだ。もう大丈夫なの?! 今まで探してたんだよ?!」
エステルが駆け寄って身体中をペタペタと触って労ってくれる。
目立った外傷はなく、争った様子もない。
思わず深く安堵のため息をつく。手遅れにならなくてよかった。
お互い、安堵の余韻に浸りながらしばらく過ごす――。
だが、
ふと疑問を覚える。彼女の行動は尋常じゃない。
なぜ、狩・戦いのエキスパートである彼女が、癒えきっていない身体を推してまでこんな無茶をしたのか。
普通ならば洞で様子を見るはず。
なぜ、出会って間もない自分をここまで思ってくれているのか。
――こちらとは違い、人生の一期一会の中の一人だろうに。
「エステル、なんでこんな無茶をしたんだ。この迷いの森へ飛び出すことがどんなに危険か知っていただろう?」
「……それは…、あなたが心配だったから――」
「それでもこんな無茶をする理由にはならないだろう? 血盟の力がある以上、俺は先ず死なない。
でも、君達は簡単に迷うし、下手をすれば死んでしまう。いつも君が言ってたことじゃないか」
「そ、それでも…、ソウマの様子がおかしくて、怖くて、置いて行かれるのかと思った…。もう二度と会えない気がしたの。
そしたら何も考えられなくなって、身体いうこときかなくなって…、ただ飛び出しちゃったっていうか…」
滔々と語る。心から心配してくれていたことが伝わる。
「何が何だか自分でもわからなかった…。でも引き留めたかった」
話を聞けば聞くほど、ある意味彼女らしいと思った。
直情的だけど、誰よりも仲間思いなパートナーだというセレンの評価は的を得ていた。
彼女との距離感は難しかったけれど、共に歩む仲間として認めてくれていたのだ。
これだけのことをしてくれたのだ。疑うことなど出来ようはずもない。
ならば、それに感謝と謝罪を。仲間として当然の行いを。
「そっか…、心配掛けちゃったんだな、ごめん。
――でも、本当にありがとう。心配してくれてうれしいよ」
「……それだけ?」
感謝の気持ちを込めて、渾身の笑顔で礼をいったのに何故か不満げな顔になるエステル。
頬が膨れている。
「?? これ以上何を言えと言うんだ?」
「それくらい察しなさいよ!」
ついにはそっぽまで向いてしまう。
いったいどうした。古今東西、女性の心理はミステリーだ。
察しろというのかもよくわからない。
無意識のうちに、特大の地雷でも踏んでいたのかもしれない…。
…そうこうハプニングもあったわけだが、
なんとかエステルを説得してセレンが待つ木の洞へと向かう。
彼女はとうとうへそを曲げてしまったようで、話しかけてもツンと無視される。
でも何故か、引っ付きそうになるほど身体を寄せて歩くのが理解に苦しむ。
洞までの行程は終始無言だったが、チラチラと顔を覗きこまれていた。
そんなに信頼がないのだろうか? もうどこにも行く気はないっていうのに。
無事に帰還した俺達にセレンが駆け寄ってきて、ブワッと泣き出したのには手を焼いた。
また仲間が死んだかもしれないという恐怖が彼女を襲っていたようだった。
必死に謝って慰め、それでも何とか出立の最終準備に取り掛かったが、どうもやり辛かった。
エステルは微妙に不機嫌であるし、セレンの目元は真っ赤だ。
強引に仲間に入れたカノンなど、彼女達にすれば意味不明だろう。
カノンについては途中で拾ったペットにしておいたが、竜を拾ってきたというのもぶっ飛んだ言い訳だった。
しかし、詳しい事情はとても話せない。将来は何十メートルにもなるような生き物を手なずけるなんて狂気の沙汰である。
もしかして竜人族ではと疑われるかと思ったが、新種のワイバーンということで納得された。
純血種族の姿は全て人の形をしているからとのことだが、お陰でカノンの素性がますます怪しくなってしまった。
とはいえ、手を動かしていれば作業は終わるもので。
荷造りを終えて戻ってきたのを見た途端、セレンの手の内からこちらの肩へふわりと飛び移ってきた。
どうやら自分の定位置を決めたらしい。
セレンはどことなく名残惜しそうだったが。
まぁ、無理もない。なんかコイツには魅了されてしまう。魅了された第一号が言うのだから間違いない。
しかし、後々大きくなってから乗られると踏みつぶされそうなので、いずれ教育が必要かもしれない。
ゾウ使いの末路は圧死だと聞くが、自分の場合は丸齧りだろう。
考えただけでも恐ろしい。
(……今のうちにヒエラルキーを叩きこまないと。本気で命が危なそうだ)
こうしてカノンへの教育方針が立ったわけだが、綱渡りになることは請け合いだった。
そうこうしているうちに出立の時となったわけだが、今まで時間をかけて用意してきたので準備は万全だった。
実際やらなければならないのは荷物確認ぐらいだったのだし。
各々の旅用具一式。各々の武器。森で拾った換金できるアイテム。そして…、仲間の遺品。
余談だが、依頼品である世界樹の果実は残念ながら発見できなかった。
どうやら地脈の流れが不調らしい。
違約金を払うしかないと、2人はぼやいていた。
それはさて置き、
出立前日までに準備したそれらに不備がないか確認し、
ようやく出陣の時を迎えた。
……短い間とはいえ世話になった家である世界樹の前に立つ。
色々なことがあった。色んな出来事、色んな感情に振り回された。ハードな忘れられない日々。
様々な謎に襲われ、解決したと思えば更なる謎が立ちはだかる。
本当に息つく暇もなかった。その上、散々自分の内面と対話させらた。
でも大切な仲間を得ることは出来た。
ならば、ここで過ごした日々は、いい結果に終えることができたと言えるのだろう――。
――感慨深く世界樹の前で立ち尽くすフォルカへ近寄る影が独り。
「ねぇ、ソウマ。今まで本当にありがとう。あなたは命を救うだけじゃなくて、あたし達のことをいつも支えてくれた」
「…あぁ。でも、街で借りを返して貰うから気にすることはないさ」
――そんなの当然だ。俺は、彼女たちに、恋とは違う意味だが、一目惚れしていたのだから。
なんとなく恥ずかしくて形式区以上に言葉が続けられない此方に構うことなく、エステルは言葉を紡ぐ。
そのわきで、なぜかさっきから"頑張れエステル"と小声で励ましているセレンが横目に入る。
「あたし達も色々考えてたけどね…。なかなか踏ん切りがつかなかった。
見ず知らずの相手だったっていうことも大きかったし、あなたは純血種族だから」
なんだか、いまいち内容がつかめない。黙って続く彼女の言葉を聞く。
「だけど、今朝…、さっきわかったの。あなたの事が…、その―――、本当に大切なんだって今朝やっと分かった!
あなたとなら一緒に居てもいい。いえ、ずっと一緒にいたいって思ってることがわかった」
何か告白された?!
…でも妙に腑に落ちない。好きな人に告白っていうレベルじゃない感じがする。
当方の大前提として、
彼女とは色々あったが色恋沙汰に発展するようなことまでしていないし、するつもりもない。
恋愛感情とは不思議なもので、一旦陥れば理性的ではいられない。
何も知らないこの世界で感情に走るのはあまりに危険すぎる。
自分は両親の墓前で誓った時から"個"として生きることを捨てた。
地球に帰れないと明確にわかるまで諦めないつもりだ。
故に、場合によっては冷徹に動かなければならない。
今は人情的に動くことを許しているが、そもそも優先順位が皆とは異なるのだ。
色恋沙汰は強みにも弱みにもなるが、今時点で状況を限定するのはリスクが大きすぎる。
この世界のことを一通り知るまで、自分の核へ不純分子を迎えるなど自殺行為に等しい。
…しかし、当然こんな話の中で口をはさむことができるわけがなく。
逃げるなんて外道な選択もできないので聞き届けることにする。
一旦言葉を区切った彼女が呆けるこちらの前へ回り、目を合わせて宣言する。
その表情はどこまでも真剣だった。
「フォルカ・ソウマ・メンハード。 ギルド・トワネスティーはあなたを団員として迎えたい。
かけがえのない絆をあなたと結びたい。…あたし達と一緒に生きてくれませんか?」
――空気が凛と静まる。
とても一生懸命なエステルは綺麗だった。
握りしめた手が震えていて、とても緊張しているのだろうと思う。
彼女達の気持ちは嬉しかったのは偽らざる本音。
手助けするだけなく、本当の仲間として共に歩もうと言ってくれた。
ここは映画のように恰好よく了承すれば締りがいいのだろうが。
だけど、今の俺ではとても応えきれない。
それが結論だった。
「ありがとう、エステル、セレン。本当にうれしいよ」
「ほんと?!なら―――」
セレンが期待に満ちた声をあげるが、それよりも前に遮る。
端的に言うべきことを一度に言う。
「――でも、申し訳ないけれど、その誘いには応えられない。
俺を完全に団員にして共にいれば、行き着くところは破滅だ。
せっかく助けた人たちをそんな憂き目に合わせるなんて耐えられないよ」
…この切り返しは2人とも予想していたのだろうか。
軽く眉を動かしはしたが、引き下がる様子は全くなかった。
説得せんと引き結んだ口を開く。
「破滅って…。 どうしてはっきり言い切れるわけ?
確かにソウマの力は王族から狙われてもおかしくない。それでも隠し通す作戦も、覚悟もあたし達にはある」
「隠そうとしても無理だよ、エステル」
「なんでよ?」
「この世界は弱肉強食だって君が教えてくれたじゃないか。誰がいつ死んでもおかしくない世界。
なら…、目の前で君達が危険になれば俺は血盟の力を必ず使う。そうなれば絶対に隠し通せない。
それが目に見えているからギルドには入れないと言った」
「それでも、あたし達にはソウマに返せないほどの恩があるのに――」
「そこまで恩に感じる必要はないさ。袖振りあうも多生の縁だよ」
恩義を感じてくれているのはありがたいと言うべきだろうか。
こちらも無茶をした甲斐があるというものだ。
しかし、踏み込み過ぎた関係を結べば生きるも死ぬも一蓮托生。
しかも死ぬ可能性の方が圧倒的に高いという有様だ。それを思って無理だと言っているのに何故わかってくれないのか。
そんな此方の拒絶の言葉にエステルが焦れたように返してくる。
「なら、その多生の縁で仲間になってくれてもいいじゃない! どんな結果になってもあたし達は後悔しない!」
「エステル達を危険にさらすのは本意じゃないんだよ…。
君達は、俺に力を抑えて周りに感じなくさせる方法を教えてくれると言った。恩義ならそれだけでもお釣りがくる」
この言葉にセレンが遂に動いた。
否定の言葉を並びたてるフォルカへ意思を伝える。静かに。はっきりと。
「……それでも君に仲間になってほしいんだ」
「セレンまで…。これくらいのことはわかってるはずだ。
君達はトワネスティー唯一の生き残り。それなのにギルドを完全に崩壊へ追い込んでもいいのかい?」
「そんなことないよ!」
「なら俺をギルドに入れることに固執しなくても――」
「――ソウマは、僕たち以外に頼れる人が居るのかい?
タレスは武闘派が集う城塞都市なんだ。流れ者は命をかけてお金を稼ぐしかない。
君が生きていくには必ずどこかのギルドに身をよせないと仕事がもらえない。
でも、そのギルドは純血種の秘密を知れば必ずソウマを利用しようとするはず」
「…そうだろうな。だけど、いざとなったらすぐ逃げるつもりさ」
セレンへの説明はやはり一筋縄ではいかないようだった。うまく話題を切り替えられる。
自分がどんな行動を選ぶか予想しており、それは見事に的中していた。
追いこまれるのを避けるべく軽い返事を返したが――、それも拙かった。
続いた言葉に返すことが出来なかった。
「ソウマはそうやってどこまで逃げるつもり?」
「――ッ」
「色々考えてることはあるんだろうけど、一生誰にも心を打ち明けず、最後には野垂死したいの?
逃げて逃げて逃げ続けて、最後には救われないような酷い終わり方をする。
そんなことくらいわかってるはずだろう?」
「逃げ続けるつもりはないさ。だけど今は混血族に近付かないと何も分からないんだ。
君達と一緒に行くのはその"ついで"でしかない。いずれ居場所も見つけて見せるさ」
「でも、ソウマに"同胞"は一人もいない」
「…痛いところを突いてくるな」
突き放すような言葉を使ってもセレンに怯む様子は全くない。
冷静に紡がれる言葉は、自分に打つ手がないという状況を改めて伝えてくる。
彼女達とは仲が良い友達くらいの関係でいたかったのだが、肝心の彼女達はそれで収まる気はないようで。。
一息ついてセレンは更に駄目だしをする。
「…他の純血種族のところに行く気だったのかもしれないけど、それこそ狂気の沙汰だよ。
彼らは本当に容赦がないんだ。戦う前まではおとなしいけど、いざ闘いが始まるとどちらかが全滅するまで闘い続ける。
そして村や人、地形まで、壊せるものは全部壊し尽くすんだ。そんな連中と共存できるはずがないよ?」
「だけど…、打算なしに俺を迎え入れてくれる可能性があるのは純血種族だけだ。
追々は、それに賭けてみるしかないだろうな」
「じゃあ僕達が他の人たちの打算から君を守る。
君は分の悪い賭けをしなくて済むし、気心の知れた仲間が増えて僕等も幸せ。
それでいいじゃないか」
"それでいいじゃないか"とは軽く言ってくれる。それが無理だというのに。
此方の事情を踏まえた上で抱え込むなどリスクが大きすぎる。
「それがダメだって言ってるんだよ! 無謀だってことがなんでわからないんだ」
あまりの解からず屋ぶりに頭が痛くなる。
…だが、そんな言葉にエステルが怖いくらいに淡々と返してきた。
「無謀なことくらいあたし達にもわかってるの。これでも冒険者歴は長いのよ」
「エステル――」
なんで――、と問おうとした声は続く言葉に遮られた。
「でもね、ソウマ。あたし達はもう1回死んでる…。生きているのあなたが居たおかげ。
確かにギルドも大事だけど、そう思えるのもあなたが居たからよ」
「だから僕達は話し合ったんだ。どうやったらソウマに恩を返せるだろうかって。
それで出た結果は一つ。君の"本当の意味で味方"になることだった」
エステルの言葉にセレンが続けた。3人の間に沈黙が下りる。
その言葉になんと返せばいいのだろうか。受け止めるしか出来ない。
その沈黙を破り、エステルが口を開く。
「――正直に言うわ。
あなたの言う通り、一緒に居ればあたし達に未来はないかもしれない。
…でも、それが何だっていうの?」
「なッ……」
一瞬、エステルは正気かと疑う。
彼女達には打算がない。それがわかる以上、素直に受け入れることが出来ない。
自分と共に過ごすリスクが命の危険に直結するのに、理解したうえで構わないという。
そして、追うように続けられたセレンの言葉は決定的だった。
「"最高の仲間として、己が命さえ懸けられる人物を"それが団長だったバニッシュさんの信念だった。
僕達は皆それに従ってる。昔も、これからも絶対に変わらない。
破滅なんて関係ない。トワネスティーは、僕達は仲間を絶対に見捨てないんだ!」
瞠目した。
その言葉の重さを理解した上で実行すると宣言したことに。
追いうちをかけるかのようにエステルがさらに続ける。
「言い換えないとわからないみたいね。 あたし達はあなたの為なら死んでも本望だって言ってるのよ!」
「エステルの言うとおりだ。
だから、それに対する返事が上っ面で僕達を気遣った物じゃ認められない。
ソウマは僕達と通じ合う為にいつも行動で誠意を見せてた。誠意には誠意で応える。
これまで過ごした日々で君がどういう人かもよくわかったつもりだよ。
ソウマが例えどう思ってたとしても、僕等は唯一無二の仲間だって思ってるんだ!」
一気にまくし立てられる台詞に思考が赤く麻痺していく。
2人の言葉は絶叫に近かった。
気のきいた言葉を返したいのに頭が回らない。
「それは…――」
「――もう問答はいいわ。
改めて聞きます。フォルカ・ソウマ・メンハード。
あたし達と一緒に生きてくれませんか?」
エステルが言い終えると同時に2人から手がそっと差し出される。それが意味するところは明白だった。
最初と同じく疑問形ではあるが、それはもう決まったも同然で。
例え自分が断っても、必ず彼女達は追ってくるということがわかってしまった。
最早退路は完全に断たれていた。2人の瞳には不退転の意思が燃え盛っていて。
それに応えることが出来る台詞は一つしかなかった。
気の効いた台詞は出せなかったが、なんとか言葉を絞り出す。
「――わかったよ…。セレン、エステル、俺でよければ喜んで」
――俺は……、彼女達の手を取ったのだった。
******** 幕 間 (おまけ) ********
「――なぁ、セレン」
「どうしたの? ソウマ」
「さっき、ギルドに入ることを了解したけど、俺が更に断ってたらどうするつもりだったんだ?」
「……あぁ、実はまだ奥の手があったんだ」
「奥の手…?」
「多分ソウマは知らないから平然と出来たんだと思うけど、正直言ってよく出来たなと思う」
「普通の人なら初対面の相手に出来るわけがないわね」
「詳しくはエステルが教えてくれるよ。ね、エステル?」
「ちょっと!! あたしが説明できるわけないじゃない!」
「じゃあ、また誰かがエステルみたいになったらソウマは迷わず同じことをするんだよ?
それでもいいのかい?」
「…セレン、あなた鬼だわ」
「そっかそっか、ありがとう」
「誰も褒めてない!」
「?? 2人ともさっきから何の話をしているんだ?」
「――ああもぅッ! ソウマ、そこへ直りなさい!」
「は…?
――いや、わかったって。わかりました。直りますって!
だから剣の柄に手をかけるのはダメだって! 頼むから落ち着いて!」
「ぷふふ。エステル、もういいよ。僕がちゃんと説明してあげるから」
「…やっぱあんた鬼だわ、セレン。やることがえげつない」
「ふふ、そんなことないさ。 ソウマ、ちょっと耳を貸して?」
「はいはい、なにが何やら……。
――――――――ッてオイ。ちょっと待て。嘘だろう…ッ?!」
「嘘は言ってないよ? 全部本当。でも、見せつけられたのは初めて」
「…不本意極まりないけど、あたしも相当驚いたわよ」
「じゃあ、あの時俺が頷かなかったら、
次はこれを武器にして、街に着いてからじっくり追い詰めるつもりだったと…」
「そうだね」
「平然として言うなよ…。
俺は君達が怖くなってきたよ。どう転んでも詰みだったんじゃないか」
「どういたしまして?」
「だから褒めてないぞセレン!」
ぶん剝れるエステルとは対照的に面白そうな表情のセレンであった。
セレンがフォルカに伝えた内容は以下の通り。
口移しのキスは世界最高のプロポーズ!
口移しのキスは、男性から未婚の女性に対する求愛の最たる行為。
たとえどんな障害があろうと生涯愛し、守り続けるという誓い。
親しい見届け人がいて、
女が"男が与える糧"受け入れたなら否応なく効力を発揮する重く、
男も、自らの誓いを違えれば殺されようと文句を言えない。
その重さ故に、多くの人々は、男は、その誓いをする者はほとんどいない。
実際に誓った男共は何人も痴情の縺れ(=修羅場)で死んでいる程。
フォルカの場合、
①エステルが目を覚まして干し肉を食えなかった時、口移しで食事を与えた → 渾身のプロポーズ。
②彼女が自分の意思で食事を飲み込んだ → 婚約成立。
③さっきエステルが愛に応えると誓った → 誓約完全発動。
①~③どれもセレンがきちんと見守っていた → 男女ともに言い逃れ不可。
諸般諸々の事情があったとはいえ、カウンターによりフォルカは既に特大地雷を踏んでいた。南無。
早めに提案に乗っていなければ、間違いなく酷い目にあっていたところである。
蛇足だが、カノンは終盤お預けをくらって不貞腐れていた。残念。
―――完(?)