第8話
改稿版
――――始源編-1――――
慣れない会話をしつつ、エステルとセレンを拠点としている大樹へと連れてきた。
セレンなど驚いて固まってしまっていた。どうやら魔法使いの知識をもってしても知らなかったことのようだ。
この世界の住人もここまで巨大な木を見ることはないらしい。確かに200メートルほどあって頂上が見えないほどだ。
これほど巨大な世界樹の成樹は深部にしか存在しないと聞かされたのは後の話だ。
この大樹を拠点にしている理由。
もちろん占領された核シェルターから近いというのも大きいが、根元に人が暮らせるほどの洞があることが一番のポイントだ。
ここに色々と分散させていた物資を集結させているわけだ。
とはいえ、腐りやすいものは基本的に置いていない。
食料全般は保存がきくように乾燥させてある。
獣達に居留守を突かれて中を荒らされたこともあったからだ。
今まで木の上での生活を余儀なくされていたわけだが、これからは違う。
交代の見張り役ができたお陰でそこそこ整った寝床で寝ることができるようになる。
いざ洞へと案内すると、
中に入って又しても固まっているセレン。やっぱり地球製の製品は珍しいのだろう。
自分の生い立ちを全部話すかどうかは置いておくとして、到底全て隠し通せるはずもない。
装備諸々は見られるても仕方がないと諦めている。追及されたら適当に煙に巻くしかない。
自失している魔法使いを尻目にエステルを広げたシェラフへゆっくりと寝かせる。
まだ意識を取り戻さず、ぐったりとしている。しばらくは寝たきりの生活になるかもしれない。
だが、鎮痛剤と抗生物質が効いたのか、寝顔や安らかなものだった。気のせいか熱も引いている。
先の応急処置に加え、血と汗で汚れた体をもう一度拭き上げ、折れた脚にもきちんと添え木を当てなおす。
手当を重ねている内にふと気付いた。
今までは殺風景な拠点としか思わなかったのだが――
「――不思議だ。今までただのがらんどうだったのに、ずいぶん様変わりした」
人という温もりを得て、ここは確かに"家"としての風情を醸し出していた。
そして、
やっと自分を取り戻したセレンがこちらへタタッと駆け寄って来る。
何事かと思うと、すぐ隣に座り、いきなりこちらの手を握って何か呪文を唱え出す。
何をしているのかと尋ねるが、無視される。どうやらかなり集中しているようだ。
今さら害を加えられることもないはずなので彼女のやりたいようにさせることにする。
ただ、何をするのかと意識を向けていると魔術が形をなしたのか手が熱くなるのを感じた。
そして――、
(――こんにちは。
さっきはエステルを助けてくれてありがとう。お陰で死なせずにすんだ)
いきなり頭の中へセレンの言葉が響いていた。
さらに正確にいうなら、意思の波長をもつ言葉とでもいえばいいかもしれない。
言葉の意味がわからなくとも、意思の波長を共有することによって直接理解させられるという感じだ。
(……こんなのありなのか。魔法って本当に何でもありなのか)
またしても頭がアイデンティティ的な意味でぐらつきかけたがなんとか堪える。
この程度で動揺しては生きていけないと今日散々思い知らされた。
とはいえ、どこかのテレパスなのかと問い詰めたい気分だ。
呆然とする此方にかまうことなく、彼女は言葉?を続ける。
(この魔術は意識を一方通行に結び付けるモノだから此方の意思しか伝えられない。
僕もまだ疲れているから長くは疎通できないんだ。だから、今からする質問に仕草で応えてほしい。大丈夫かな?)
その言葉に戸惑いつつも、彼女の質問に答えると返す。
微妙なこちらの胸中を知ってか知らずか、セレンもニッコリと微笑んで、ありがとうと口に出して礼を言う。
(じゃあ時間も惜しいからいきなり本題に入るよ?
…最初の質問。あなたは純血種族、"血盟の種族"ですか?)
…血盟の種族?? 純血種族だって?? そんなもの聞いたことがない。
――わからない。
(…う~ん、それじゃあ次の質問。あなたはこの森で一人っきりで暮らしているのですか?)
…その通り。まだ転移してから日は浅いが自分の他には誰もいない。
――そうだ。
(む~…。さっきの会話でソウマが僕たちの言葉を知らなくて、とても知りたがっているのがわかった。
あなたは僕達を同胞とみなしていますか? だから助けてくれたのですか?)
…同胞、か。誤射したとはいえ、その気持ちに変わりない。
――そうだ。
(そっか…。じゃあ次の質問を。あなたはいつかこの森を出ようと思っていますか?)
…流石に一生ここで暮らしたくはない。外界に人がいるとわかった以上、いずれ訪ねたいと思う。
――そうだ。
(やっぱりそう思ってるのか。
…じゃあ最後の質問。あなたは僕たちがこの森に来ていたことを知っていましたか?)
…この時の彼女の表情はなんというべきなのだろうか。
冷静な仮面をかぶっているが、その下では激情が渦巻いているのが窺い知れた。
今さら敵意など感じられなかったが、何故これほど気にしているのかわからない。
でも、そんなことは知らなかった。鳥の警戒鳴がなければ気付かなかっただろう
――否。
(――そうか、良かった。ありがとう、ソウマ。お陰で色々わかったよ。
…実は、厚かましいけど君にお願いしたいことがあるんだ)
ホッっとした様子で一旦テレパシー(?)を区切り、しっかりとこちらへ目を合わせて来る。
続けて、と促す。
(どうか僕たちを助けてほしい。
その代わりと言っていいのかわからないけど、言葉でも何でも、知ってることなら何でも教える。
エステルが回復したらちゃんと僕たちの町へ案内して融通するし協力もする。
だからこの森を出るまではあなたの加護が欲しい。ダメかな?)
…こちらが望む最高の提案だった。第一最初から助けるつもりだったのだ。今さら是が非でもない。
――大丈夫。
(ありがとう、ソウマ! お世話になるよ。君しか頼れる人がいなかったんだ。本当に助かる…)
ここで頭に響く言葉に微かにノイズが走り出す。
(…つぅッ。やっぱり僕の魔術もそろそろ疲れて限界みたいだ。今日はこれまで。また明日から手伝うよ。だから――)
……言葉がどんどん遠くなり、聞こえなくなっていく。
セレンも集中力が切れたのか息を切らして苦しそうだ。反射的にその背をさすって労わる。
しかし、状況の打開策がこんな形で転がっていると想像もしなかった。
確かに、何か切り札を持っているような感じではあったが驚かされる。
1ヶ月程度は意思疎通するには時間がかかると思っていた。しかし、一方的でも言葉が通じるなら短縮可能だ。
加えて、彼女と繋がったら頭の中に言葉の下地が出来上がっていたのだ。
言葉の持つ意思の色ははっきりと頭に残っていた。
まさしく人間技ではない。流石ファンタジー世界だ。
一種のメモリージングとでも言えばいいのだろうか。彼女の知識というか理解の素地が直接脳へインストールされていくとでも言えばいいのか。
彼女が意識したことを、魔術で強引にラインを紡いでいるのだろうか。
これならば彼女達と過不足なく会話できる日は遠くない。
そう確信させる出来事だった。
そういう画期的なこともあったが、やはり食事をしなければ身体が持たない。特にエステルは危険だ。
先ほど水を飲ませることには成功したが、相変わらず意識が混濁していて自力で食事できる状態ではない。
うまく口に入れれば呑み込んでくれるのは運が良い。
簡易罠に引っ掛かっていたイノシシのような瓜坊をセレンと食べつつ、エステルにはレーションを与えることに決めた。
サバイバルキットの中から取り出したレーションに驚くセレン。
やはりビニールパックはこの世界にないのか。
仲間が食事を与えた方がいいにきまっているのでヒョイと手渡す。
慌てて受け取るが、扱い方が分からず四苦八苦していた。
仕方ないので袋を開けてみせて食べ物と理解させ、エステルに食べさせるよう促す。
…だが、袋ごとエステルの口へ持っていくセレン。
病人相手にそんな食べさせ方は論外だというのに。
案の定、舌が邪魔をして埒があかないようだった。
口の端からぼろぼろとレーションが流れ落ちている。
…とてもじゃないが、見ていられなかった。
「――セレン、俺がやるから。とりあえず任せて」
一生懸命エステルに食べさせようとしているのはわかるが、これ以上貴重なレーションを無駄にされるのは困る。
仕方がないないので奥の手を使うことにした。
エステルの背に手を回し、そっと抱き起こす。
ハァハァと発熱で熱い吐息を洩らしている唇を見つめる。
傷を負っていても彼女は綺麗だった。その表情はどこか蟲惑的だった。
どうしても男の性を刺激されてしまう。
だが、節操のない自分に呆れながらも意識だけは切り替える。胸元へ降りてしまいそうになる視線は戒めよう。
今から行うことは人命救助。やましいことではない。
命を繋ぐ為には、確実に処方できる者が適任なのだから。
「エステル、君の為なんだよ。悪いけど我慢してくれよな?」
どこかの悪人じみた台詞をつぶやき、レーション自らの口に含んでドロドロになるまで噛み砕き、口移しで直に与える。
深々と唇を押しあて、邪魔をする舌は自分の舌で押しのける。
気道に食べ物が流れないよう注意しつつ、ゆっくりと、ゆっくりと与えていく…。
そんな此方をセレンは真っ赤な顔をして見ていた。
怒られなかったということは行為の意味を理解してくれたのだろう。
いや、そうであってほしい。
本当に締まらない。
まったく、今日何度そう思ったことか。しかし、これほど濃密な1日を経験したことはなかった。
そんな感想をもらしつつ、記念すべき共同生活1日目は終わった。
焚き木を前に夜の見張りをしつつ、彼女たちを守る。
どことなく平和そうに眠る2人の顔を見ながら、なんとなく口元が緩んでいくのを感じる。
先ほどメモリージングされた知識を応用して、
セレンに「お疲れ様、ゆっくりお休み」とかいう意味になる言葉をかけたら本当に驚いていた。
まさか、いきなり言葉を覚えてくるとは思いもしなかったのだろう。
これからが始まりなのだという予感は心躍らせた。
エステルを治療し、彼女達と共に街へ出る。
それは自分の中では決定事項だった。
はやる心を抑え、
夜が更け、朝になるのをひたすら待ち続ける。
これからが大変なのだから。
・
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・
・
・
セレンやエステルと過ごす日々は順調に過ぎていく。
その中で、自分の能力の詳細がセレンのお陰で大分わかった。
どうやら血盟の純血種族とかいう者であることが。
そのせいでどうやら勝手に干渉されて身体が変化したようだ。
まだ詳しいことはよくわからないのでまだまだ勉強しないといけないが、厄介事を背負ってしまったようだった。
だが、副次的な効果とはいえエステルの治療に役立っているのはありがたいことだ。
冬の問題についても自分の考えが正しいことがわかった。
ますます街へ赴く必要性が高まったということだ。
今は初夏ということで冬まであと半年ほどだったらしい。自分が収集していたアイテムは結構価値があるらしいから金には困らないだろう。
色々融通して口利きしてくれるとのことで、何とか目処は立った。…それに、もう先が見えない1人っきりは御免蒙る。
エステルは相変わらず寝たきり。
しかし熱は引いてきたので、いつ目を覚ましてもおかしくはない。
短いローブでちょこちょこ動き回るセレンは小動物的で愛くるしい。
とはいえ、単純計算で食いぶちが3倍になったのでそれなりに忙しくなった。
中でも水の補給が大変だった。
寝たきりな人間を清潔に暮らさせるには色々と大変だということだ。
それだけならまだしも、セレンの行動には手を焼かされていた。
なんだかここに置いてある全てが珍しいみたいで、色々勝手に触ろうとするから困る。危ないのに。
この前など、積んでたものをドミノ倒しの様に全部崩された。危うく寝ているエステルが埋もれかけた。
片付けるの誰がすると思っているのやら。
あと、一度狙撃を見たいというので、実際に目の前でやって見せたら気絶してしまった。
顔近付けちゃダメと言っておいたのに近づいたらしい。
…このいたずらっ子め。
とはいえ、エステルを狙撃で助けたことは納得してくれたので良しとする。
食糧補給に勤しみ、時間があればセレンに言葉や知識を教えてもらう日々。
そう言えば聞こえは良いが、要するに毎日徹夜である。
セレンには魔術式念話の連続使用で無理をしてもらってるので、夜に見張りなんてさせられない。
第一、代わりに昼間に食糧補給任せようにも絶対迷子になる。世界樹の森は慣れない者にとっては危険極まりない。
仕方がないので、エステルの介護を出来る範囲で任せることで一件落着した。
これが男の甲斐性というものだろうか。
多少無理しても、活力は勝手にチャージされてしまい健康を崩す様子は一切ない。
2人との邂逅の後、身体に宿った力は衰えるどころか力を増していた。
気にかかることは多いが、、努力の甲斐あって知識のストックは鰻登りに増えている。
夜の見張りの時間に、セレンから貸してもらったこの世界の本を読んでることも大きい。
不備なく話せる日も遠くない。セレンの力は絶大だと思った。
だが、その一方でホワイトドラゴンの件については伏せることにしていた。
彼女たちの不安材料を増やしても仕方がない。アレは未だに身動一つしてないし。やはり手出しできない。
守るものができた以上、そうそう無理はできない。無理は仲間の危険に直結する。
仕方ないので、監視を続けることで隙を狙うことにした。
何より、アレは恐らく竜人族じゃないかっていう気がしてならない。
なにしろ恐ろしい迫力なのだ。この前など双眼鏡越しに目があってしまった。正直トラウマものである。
セレンの話を聞く限り、純血種族の連中は容赦がないから危険極まりない。
でも、純血種族は人型であるという話と矛盾する。
姿形の変化は、力を解放した時にのみ保有する属性がオーラのように展開されるそうなのだ。
そして、解放できる時間は有限であり常時開放できるものではない。
ということは、アレが竜人族だという仮説は更に矛盾を抱えることになる。
…わからないことだらけだ。謎が解けたら謎が増えることの繰り返し。
そうした白竜の件もあり、こちらの経歴も全て秘匿することに決めた。
何を聞かれても適当に誤魔化す。とりあえずこの森で生まれ育ったことに偽装している。
彼女達から感じられる文明と、地球の文明の差があまりに異質に思えたからだ。
自前の銃とかは代々の秘宝ですと誤魔化したら、ますます此方を見る目つきが怪しくなってしまった。
言い訳が逆効果の様な気もしたが、覆水盆に返らずだった。
自分が神秘的な存在だからか、案外すんなり信じてくれたのは僥倖だ。
後々のトラブルになりかねないが、うまく誤魔化していくしかない。
なにも知らずに寝ているエステルが羨ましくなって、ついつい頬を突いて気晴らししてしまう。
触ると思った以上に柔らかくて気持ちよかったとだけ言っておく。
忙しい日々が続いていたが、彼女たちの仲間の弔いへ行くことにした。
彼等を森に任せて朽ちさせるのではなく、人として扱いたかった。
当初はタイガーベアの襲撃を警戒していたが、
一帯の猛獣は先の戦闘で駆逐されてしまったようで何もいなかった。
動物のいない静まりきった森は不気味だった。
いざ弔いの場につくと、移動する木の下に遺体が埋もれてしまっていた。
引っ張り出そうと試みるも、最早どうにもならなかった…。
エステルが回復したら改めて葬儀を上げることを死者へ誓い、遺品や貴重品らしきモノをかき集める。
死臭の激しさに、こんなにも人が死んでいたという事実に慄然としたが、
彼等がセレンやエステルを救おうとしたのだと思うと、不思議と耐えることができた。
――その遺品をセレンに手渡したら、その日は泣き止まなかった……。
喉から絞り出すように切なく、仲間の名を繰り返し呼んでいる…。
その度に瞳からは止めどなく涙が溢れ出していた。
これは起こってしまった過去のこと。どうしようもない。時に対していつも人は無力だ。
とはいえ、仲間が死んだ寂寥感は決して埋まらない。埋まるはずがない。後悔と懺悔が自分を襲うのだ。
自分も大切な人を失ったから共感できる。
慰めようとして思わずもらい泣きしてしまい、慰めるつもりが逆に慰められてしまった。本当に強い子だと思った。
3人っきりだけど逝ってしまった人を思い喪に服す。そんな日となった。
・
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・
・
・
――身体を潤す命の雫。身体が歓喜する。再び意識という火が灯る。
重たい瞼をこじ開けたら、見知らぬ男に口移しで水を飲まされていた。
「……………~~~ッ?!! っイヤァぁあぁぁぁッーー!!」
思わず悲鳴をあげて目の前の男を突き飛ばす。
吹き飛ばされて奥の荷物に埋もれているが知ったことではない。
なんということをしてくれるのかっ。このエステルに不埒を働く男がいたとは…!
タレスの町でも、烈火のエステルといわれて荒くれ者共から恐れられていたのだ。
そんなあたしに、いきなり口移し?! ふざけるな!!
だが、不届き者を切り捨ててやろうと腰の剣に手を伸ばすも、剣がない。
それよりも体中が焼けるように熱くて痛い。どうして――?!
「エステル? 目が覚めたんだ! ……よかったぁ~。よかったよぉ~…」
いきなりのことに頭が混乱しかけるも、入口に姿を見せたセレンが飛び込んでくる。
胸元に抱きつき、堰を切ったかのように泣き出す。その小さな頭を苦労しつつ撫であやす。
どうやら相当心配させてしまったようだ。
――そうだ。あたし達は迷って世界樹の深部に入った。そこで…、
「…普通なら助からなかったんだよ? あんなに傷まみれで…、もう目を覚まさないかと思った…!」
思い出した。
自分たちは下手を打ったのだ。
まんまとタイガーベアの奇襲にしてやられ、壊滅した。
自分は弟の遺志を果たせず、奴等の餌食になったはず。セレンは奇襲で真っ先に殺されていたはずだ。
それなのに目立った傷がなく、生きている。あたしもなんとか生きている。
それよりここはどこなのか。どうやら木の洞らしいが、目につくモノは見たこともないモノばかり。
一体何が起きて――?
「あぁ~っ? ソウマ、なんで埋もれてるんだよ?!」
「―――ッうぅ、起きぬけの世界一考えなしなお嬢さんに突き飛ばされたんだよっ」
あの破廉恥野郎が頭を振りながら体を起こす。愚痴をこぼしているが、それはこっちのセリフだ。
それよりもセレンとやけに親しげなのが気にかかる。
「おいおい……、部屋がメチャクチャになったじゃないか。 またこれを片づけるのか…? 結構大変なのに」
肩のほこりを払いながら立ち上がるその姿を険しい視線で注視する。
とりあえず…、敵意は感じられない。
よくもやってくれたな、と胡乱な目でこちらを見やる緋色の瞳。黒曜石の如く黒い髪。
――緋色の瞳と黒く輝く髪?!
思わず幻術かと目を疑った。しかし、誰も何もした様子がない。そもそも怪我人を騙す意味もないはずだ。
ならば、在り得ない存在が目の前にいる。
純血種族について知るのはこの世界で生き残るための絶対知識だ。
どんな者であろうとも、自分が混血である以上、いつ彼らの脅威に晒されるかわからない。
圧倒的な力を誇る彼らを相手にすることは誰もできない。逃げるしかないのだ。
故に誰でも純血種族のことは知っている。子供のころから叩き込まれる。
その知識に、伝承に間違いがないのなら――、絶滅したはずの存在が目の前に居る。
唯一混血族にも力を貸したと云われた、あの"血盟の種族"が!
――――血盟の種族。
全28祖を誇る純血種族。
この大陸の多くを占める混血族とは一線を画す者。
魔人族種、獣人族種、精霊族種、天使族種、竜人族種、そして唯一の血盟族。
彼らこそこの世界における絶対者。交わらず、己が姿を神代のまま保つ者。
血盟の種族、
彼等は純血種族で在りながら、自らの業故に滅びた唯一の種族。
あらゆるものに"祝福"を与え、あるいは禁ずる。伝承でうたわれるもの。
世界そのものと血の盟約を交わし、それ故に赤き瞳をもつといわれる。
誰よりも世界の混沌をわけ与えられし者であるが故、数多の人の中で唯一輝く黒髪を持つことを許された。
最後まで他者を拒まず、今でも広く知られる最も特異な純血種族。
…これらは彼らを語る上で最も重要なこと。
遥か太古、純血種族の一部は、あるいは全て、混血を生む交わりを拒んだ。
一度でも血が濁れば、その力は失われたからだ。
自らに誇りを持っていた彼等は、交わった者を切り捨てた。
混血を悪とし、排除し続ける者。今もそれを全うする者だけが純血の力と姿を保つ。
その中において血盟の種族は例外だった。一族全てが全ての他と交流し、それ故に力を増した。
他の純血種族を圧倒するほどに。
個々の力は純血種族中最弱かつ混血にも劣るとされながら、彼らは大きく栄えた。
最盛期には大陸の覇者まで上り詰めた。
彼らの力を知る者は彼らと戦わない。戦えなかった。
彼らの力の本質は世界そのもの。個々の力と全の力が最も近しき者。
器の数が減れば、その力は全て別の器の力となりて力を増す。その器の限界まで世界は力を与え続ける。
殺せば殺すほど個々の力は跳ね上がる。
例え1万人殺そうと、100人も残っていれば同等の力を発揮したとさえ言われる。
その力は、彼らが愛する者に"祝福"を与え、仇名す憎き者に"世界の祝福"の恩恵を禁ずるもの。
世界は血盟の種族の意思を是とし、彼らを護る理を授け続ける。
誰もが世界の一部である以上、その力から逃れる術はない。世界から見放された者に勝機はない。
…種が追い詰められた時にのみ強く発動する、絶対ともいえる力。
だが、
彼等は長い歴史にあって、多くの交わりの繰り返しの中、徐々に自らの数を減らしていく。
…結果、その"祝福"の力は恐ろしいほど高まっていった。
彼らにとって自分たちが種族であるという認識が薄かったのか、それとも種を捨てたかったのか。
今はそれもわからない。
が――、
これこそが彼らの業であった。
世代ごと、様々な王に権力の象徴として飼われ、それが滅亡するごとに新生という名目の下に殺戮された。
いくら純血種族といえども、圧倒的な数の混血族を前にしては無力であった。
混血の一族の姦計の前に、生き残りの血盟の種族は悉く追われ、ただの道具とされた。
…その果てに、血盟の純血は歴史に埋もれることになった、そんな悲劇の種族。
そのはずだった――――
思わず目を見張るあたしにセレンが止めを刺す。
「ソウマは間違いなく血盟の種族だよ、エステル。彼の祝福があったからこそ君はこうして生きてる」
「うそ?! でも彼等は昔滅ぼされたはずでしょ?!」
「ホントだよ。
…僕も信じられなかったけど、ここ数日一緒に過ごしてたらもう信じるしかなくなったんだ」
思わず絶句する。
こんな話一体誰が信じようか。頭がおかしいと思うのが普通だ。しかし、セレンが仲間に嘘をつくはずもない。
言われてみれば、自分の中に今までなかった力が在るのを感じる。ならば――
「え~っと、話の腰を折るけどちょっといいかな?」
と、ここで件の破廉恥野郎が話しかけてくる。
「なによ。今あんたと話すことなんて何もないんだけど?」
「そうツンツンするなって、エステル。さっきのことについては悪かったよ、謝る。
それより自己紹介。俺はフォルカ・蒼麻・メンハード。
種族的には血盟の種族になるのかな? 一応純血種族らしい。
ここの世界樹の森で案内役をしてる。君達専属でね。
日常会話はできるようになったけど、難しい言葉は勉強中だから優しくお願い。これから宜しく!」
そこまで一気に言ってヒョイと手を差し出してくる。
…握手でもしようというのか。
この笑顔といい、態度といい、なんかイラつく。しかもいきなり呼び捨てだ。何が"優しく"だ。
大体、世界樹の森の案内役なんて誰にできようか。大言壮語も甚だしい。
「…ホント馴れ馴れしいね、お前。出直してきな」
わけもわからない奴相手と仲良くする趣味はない。素気無く拒絶して手を払う。
「ちょっとエステル。恩人に向かってそれはないよ!」
「セレン、あんた騙されてるんじゃないの…? 普通こんな怪しい奴信じられるわけないでしょ?」
そう。途方もなく怪しい。大体あの森色の服は何なのだ。
あんな妙な服など今まで見たことがない。
やっぱり自分自身に高度な幻影魔法かけて騙してるって言われた方が遥かに納得がいくような気がする。
何より、あの闘いから高ぶったままの頭が辺り構わず害意を振りまいてしまう。
「あ~…、これはちょっと外へ出てた方がいいかな?」
「まって、ここに「うん、さっさと席を外して」――エステル!」
肩をすくめて破廉恥野郎が出ていく。耳を澄ますとザッザッとこの木の上へ昇っていく音がした。
――やっと2人きりで腰を据えて話ができる。
「それじゃ、あたしが寝てる間に何があったか聞かせてくれる? セレン」
「…わかった。でも全部本当のことだから信じてね」
「もちろん。あんたが仲間に嘘つくような子じゃないっていうのはみんな知ってるよ。お願いするわ」
――さぁ、現状を整理しよう。
「ホ、ホントに、そんなことがあったなんて……」
「うん。全部、本当……」
――セレンの話は驚くようなことばかりだった。
あの変態が、単独魔術や矢も届かない距離から死ぬ間際の自分を助け、結果的にセレンをも救ったこと。
偶発的にセレンとあの変態が戦ったとき、自分の魔法が力を失ったこと。
自分が生きているのは、とっさに処置してくれ、祝福を与えてくれたからだということ。
5日間も寝込んでしまっていたこと。
辛いだろうに、毎晩自分たちを守るために見張りをしてくれていること。
死んだ仲間の弔いをし、涙まで流してくれたこと。
あの変態がここで一人っきりで暮らしていて、寂しがっていること。
あの変態は全く言葉が話せなかったというのに、たった6日で会話まできるようになったこと。
そして何より、自分に祝福を与え、命を繋ぐために懸命だったこと。
…これを信じられないと一蹴するのは簡単だ。
でも、そんなことをしていいのは世間知らずの人間だけ。
仲間の中でも誠実さでは折り紙つきだったセレンが事実というならば信じるしかない。
弟や仲間の死も…、割り切るしかない。この稼業ではよくあること。覚悟はしていた。
弟とも、どちらかが死んだとしても強く生き抜くことを約束しあっていた。
だがセレンを信じるとなると、唯一残された血盟の純血種族の遺子だという話も信じざるを得ない。
加えて、セレンの様子からは騙されている様子など微塵も感じられず、ましてや脅されている様でもなかった。
むしろ、喜んであの男に協力しているようだった。あの男について話すときは何だかとても楽しげに見えた。
…あの意地っ張りで負けず嫌いなセレンがギルドの仲間以外にこうも心を開く。
こんなことは初めてだ。
ならば、これだけでもあの男を気にかける価値があるに違いない。
(フォ…、なんだっけ? ……まぁソウマでいっか。別に悪い奴じゃなさそうだし、眼つきもなかなかだった。
それに混血を差別しない純血種族。色々総合的に考えても結構いい奴ってこと、うん…)
とりあえずこれからはソウマと呼んであげることに決め、これからどうするか考える。
ン~~っと悩む。……悩む――。
いつの間にかセレンはどこかに行ってしまっていた。気を利かせてくれたようだ。
「話、終わった?」
「う、うわっ。いつの間に?!」
思わずグッと考え込んでいると、いきなりソウマが目の前にいた。
こちらの顔を興味深げに覗き込んでいる。
…驚いた。怪我をして自失していたことを差し引いても、気配なくあたしに近づけるなんて尋常じゃない。
気配を殺していたのはおそらく無意識。この森で生き延びるため、自然と身についた技能なのか。
「なな、なんの用?!」
「―――???
いや、もう夕暮れだし食事を持ってきたんだけど? 最近続いてる雨のせいで干し肉なのは申し訳ないけど」
「そ、そうだったの…」
心臓に悪いことをしてくれる。不意打ちを心臓に悪いことをしてくれる。
でも、自分たちを労わろうとしている気持ちが伝わってくる。
それと比例するように、自分とは別の力が大きくなっていくのを感じる。
――これが彼の"祝福"の力なのか。いざ自覚すると、その力が凄まじいことがわかる。通りで歴代の王が飼ったわけだ。
でもその強さは、孤独と同義なのだ。なんともいえない感情を抱いてしまう。
ソウマの方は、なんというか、狐に化かされた感じだ。
これじゃいけないと思う。フォローしなくては。
頭が真っ赤になっているが、なんとか言い訳しようと切り出す。
「ねぇ、あの…、ちょっと待って。さっきはその…、なんというかさ!
あんたのことがさ嫌いっていうかそんなんじゃなくて…」
「――――? なぁ、一体どうしたんだ。もしかして頭でも打ったのか?」
「―――…。」
…こんなことが言いたかったんじゃない。
ますます怪訝な顔になった純血種族。察してくれてもいいものを。
……死にたくなるよっ。
そんなこんなで、夕餉が始まる。メインディッシュは干し肉。
別にいつも行軍で食べ慣れているから文句はない。文句はないのだが――、
「――っう、っぷッ」
闘いから癒えきっていない身体はいうことを聞かなかった。
干し肉を口元へもっていく作業ですら辛い。何より、とても噛み切れないし飲み込めない。
身体までもガクガクと痙攣し出す。どうしよう――、
「……ああぁもうっ。エステル、病み上がりで無理するんじゃない!」
「え……? んグッ?!」
「う、うわあぁぁ~~――」
何やら苛立った様子のソウマ。
すっくと立ち上がっていきなり隣に座ったかと思うと、
なんといきなり自分の干し肉を口移しで食べさせてきた。手をしっかりと肩と頬に添えられて逃げられない。
身体が覚えていたからか、あまりにも自然だったからか、思わず反射的にゴックンと男が与えた糧を飲み込んでしまう。
セレンは真っ赤になってそれをチラチラ覗いている。
―――……え? この男一体何をした?!
思わず目を見開く。
何より条件反射のように普通に受け入れた自分に驚く。
自分の行為が信じられない。
意識がなかったのならまだ言い逃れできた。
人が見ている前で、大切な仲間が見ている前でなんということをしてくれるのか!
――この男許せない!
「っ、きゃああぁぁぁッ?!?!」
「ムぐぅッ?!」
続いて2口目を咀嚼して食べさせようとしていたソウマに思わずビンタしてしまう。
そのときだけは何故か身体が動いた。…遅いよ。
思わず悲鳴を上げたが、こんな悲鳴上げるなんて初めてだった。
「痛ぅぅ~~、流石にコレはいけなかったか。悪かった。俺が無神経だった」
「あぅ、あぅぅ……」
「ゴメンな、エステル。…でも、せめて言い訳を聞いてくれよ――」
懸命に言い訳をする純血種族を背に寝たふりを決め込む。セレンなんて無視だ。
頭から布をかぶって顔も見せない。でもなぜか――、
(もう見らんない! まだドキドキする。でも、不思議となんだか心地良いよ。
ギルドの仲間や弟と一緒に騒いでいた時は違う、紅い色…。 )
後ろで騒ぐ人を思いながら、そう感じた。心も身体も何故かポカポカと温かかった。
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エステルは順調に回復している。というか回復速度が異常。獣補正を考えても人外だ。
すでに骨がほぼ繋がっているなんて信じられない。寝ていた間に回復しすぎである。
とりあえず、元気なのでタレス帰還作戦の兵糧作りなどの準備を任せている。
旅慣れているだけあって的確で早い。大したものだ。自分ではこうはいかない。
治りの速さについては自分の力なのかと思うと心強いが、色々やっかいだ。
確かに、自分の思うがまま、自律的に世界が協力してくれるのはスゴい。
思わなくても危ないことを教えてくれるなんて、なんて優しいのか。地球にいたころと比べたら感涙ものだ。
しかしだ。
自分が血盟族だとばれれば、ある意味プライバシーが吹き飛ぶ。
力の発動条件は好意と悪意であり、無自覚であればある程純粋に相手に伝わる。
これはあまり好ましくない。
今でも思い出すと心が痒くなる。蕁麻疹が出てきそうである。
セレンが何で初対面の自分をすんなり信用してくれたのかわかったときは得心できたがどうにも気恥ずかしい。
だからエステルにもバレバレだというのも覚悟していたが…、
こうもあからさまに微妙な顔をされると此方も居たたまれない。
好意にも色々あるんだということを理解してもらいたいものである。
この人外性能、一度死んだら直るのかもしれないが、蘇れるはずもないのでためしようも無い。
大体自殺なんて解決策とはいえない。
それに、たまに2人っきりになると沈黙が重い。
いや、話しかけてもエステルがいきなりそっぽを向くことがある。
無視まではいかないが会話が続かない。隣に座るとすごく動揺する。
やはり、起きぬけと食事中の口移しが致命的だったのか。
アレは人命救助の一環だというのに。
とりあえず、一連のアレについてはタブーという暗黙の了解ができており言及も出来ない状態である。
もっと色々話したいんだけど、困ったものだ。
エステルとセレンは仲睦まじい。たまに下らないことで口論してるけど姉妹みたいだった。
ギルド、トワネスティーの結束力は強かったと聞いた。彼等が死んでしまったことが惜しくてならない。
自分がもっと早く気づいていればとも思ったが、背負い過ぎるなとセレンに諌められた。
この辺やはり彼女は強い。出来ること、出来ないことをよく弁えている。
伊達に弱肉強食の世界で生き抜いてきたわけではないのだろう。
ifの話だが、もし彼等が生きていたなら、皆が家族のような関係だったに違いない。
セレンとエステルを見ているとそう思う。
自分もそれに加わって…、一緒に生きていきたかった。
喜びや楽しさを交歓し、怒りや哀しみを分かち合う。そんな仲間が欲しかった。
それでも生き残ったトワネスティーの彼女たちを救えたのは僥倖だ。
彼女たちは命を繋ぎ、こちらは良い仲間を作ることができた。
この世界に来てからというものの、色々あったが巡り合わせは悪くない。
だから、今は森を踏破し、タレスの町へと行くことを目標としている。それからのことは着いてから考える。
もう核シェルターについては一時放っておくしかない。
神でない我が身故、総取りは無理だが…、未練が残る。
未練解消のためにシェルターに行きたいが、
肝心のホワイトドラゴンは死ぬ気配もない。ピンピンしていて、最近に至っては明け方に突風まで起こす始末。
どこまで無法者になれば気がすむのかと突っ込みたいが、突っ込めばデッド・エンドなので自粛するしかない。
とはいえ、何故あの竜には血盟の力が通じてないのか。あれほど敵視しているというのに。
――何か特別な抜け穴があるのかもしれない。色々試す必要があるようだ。
血盟の力の研究は追々やっていくとして、
シェルターの方は多分大丈夫だろう。防御力は最強なのだから、直下噴火でも起きない限り平気だ。
もしそんなことが起きたら、内部の火薬やら色々誘爆して大爆発だろう。
その光景をなんとなく想像し、思わず身体中に悪寒が走る。
(……大丈夫、だよな…? )
想像したら心配になってしまった。もう何でもありだから常識が頼りにならないのだ。
しかし、今となってはシェルターは置いておくしかない。それよりもタレスの町へ行こうと思う。
今まで生き残ることだけを目的としていたが、これからは彼女たちに協力して人生を過ごすのも悪くないかもしれない。
――彼女たちの傍で日々を過ごしたい。いつしか強く思うようになっていた。
そのためにも、もっと親しい関係を築きたい。
エステルのリハビリも兼ねて森の湖へ水浴びに行く。
ここにはあの凶悪な白竜がいるが、逆にそのお陰でかなり安全な場所になっている。
まあ、警戒心の塊である獣がアレに近寄るわけがない。
されど、こっちは危険性の計算ができる人間なので統計的に判断できる。
丘の上に行かせないようにさえすれば問題なかろう、ということだ。
獣人であるエステルがヘンな匂いがするとか顔をしかめていたが…、全力で誤魔化し誤魔化し抜く。
なにがナンでも何でもないとか、訳がわからないことを口走っていた気がする。
必死になりすぎて怪訝な顔をされたが、辛うじて誤魔化しきることに成功した。
水浴びの方は2班に分かれて交互にやる。警戒もあれど、要するに男女の区別である。
案の定、最初は見張り役を拝命したわけであるが、どうしようもなく暇だった。
そうするとついつい好奇心が湧いてくる。
色々混ざっている人間の素肌がどんなものなのか気になって仕方がない。
ついでに抑えられていた男の性も覗け覗けと後押しする。
覗くなと、2人から念押しはされている。
しかしだ。誘惑に逆らえなかった…。
エステルもセレンも2人できゃいきゃいと騒いでる。
2人ともすごかった。なんというか、隠された色気が爆発するとでも言えばいいのだろうか。
エステルは肌に走る裂傷が痛ましい。しかし、それが気にならないほど活力がある。
身体中から迸る生気で霞んで見える。間違いなくいい女だ。
セミロングの濡れた髪、楽しげにゆれる尻尾、思いっきり楽しんでるのがわかる――。でも、
…胸部、胸、おっぱい。
うわぁ、すんごいよ?コレ。ホントにこんなに揺れるんだ。
と、子供じみた感想を抱いてしまったとだけ言っておく。
何だか無性に理性をガリガリと削られたのでスレンダーなセレンに視線は退避。
エステルの破壊力は高すぎた。
結っていた髪をほどき、腰まですらっと流した綺麗な金髪。
水をまとってキラキラと輝いている。
ファンタジーで髪の長いエルフっていうのは定番だけど、それをいざ見るとなると感動する。
幻想美――。まさにこの表現がピッタリだ。人間にこの境地は醸し出せない…。
しかし、ふとセレンの小さなお尻に目が流れると、白い小さなボンボンが目に入る。
どう見てもウサギの尻尾であった。
前からウサギのような雰囲気を感じてはいたが間違っていなかったようだった。
新しい真実を発見することができたのは嬉しいことだ。
――とまぁ、こんだけ食い入っていれば見つかるのも当然である。
二人には無言でお叱りを受けることとなる。
…セレンの汚いモノを見るような視線が一番こたえたのは間違いないが。
痛む身体をなだめつつ、自分もザバッと飛び込んで水浴びをする。
水面に身をまかせ、湖を静かに漂う。
そして、
なんとなく畔を見やると、エステルとセレンにばっちり覗き返されていた。
隠れてるつもりなんだろうけど丸見えだった。尻尾とか、頭とか、それはもう色々と。
見張りはどうした? と突っ込みたい。 ま、まぁ、人の事言えないんだけど。
それでも。
(男はだめで、女は覗いてイイのですか…?)
なんとなく自問してみたら、その通りという返事が返ってきた。 神は死んだと思った。
そういうやり取りがあった後のこと。
何故かその日からエステルとのぎくしゃくした関係の角が取れていた。人間関係とは不思議だ。
ようやくこちらに慣れてくれたのだろうか。
その証拠と言うべきか、
湖畔で休憩していると、うれしいことに初めてエステルが自分から隣に座って話しかけてくれたのだ。
その記念すべき第一声が、
「べべ、別にあんたのこと認めたわけじゃないんだからね?!」
「――そいつはなんというツンデレなんだ…?」
あまりにも突然だったので思わずポロリ。
ツンデレとは何かと言われたので説明したら怒りだしたので困った。
いつもは凛としてるが、動揺すると面白い娘だ。
友達になりたいなら素直になればいいのにと思う。こちらはいつでも大歓迎なのに。
少しずつ心の距離が縮まってうれしく思った。そんな日。
エステルの脚はほぼ完治した。
まだまだ無理はさせられないが、強行軍でもしない限り、長旅でも平気だと言っていた。
どうやら、そろそろタレスの町へ訪問する頃合いかもしれない。
時間に余裕がないわけではないが、シェルターで補給できない以上、こちらもジリ貧だ。
なにより、彼女達は1ヶ月近く音沙汰なしになっているのだ。
町で死人扱いされていてもおかしくない。少しでも早めに帰るのが得策だろう。
…だが、その前にエステルとセレンを連れて行かなければならない場所がある。
――彼女たちの仲間が散った地だ。
彼らの遺体の前で、仲間の生き残りを連れてくると約束した。それは果たさなくてはならない。
彼等の奮闘が無駄ではなかったと証明するためにも。
そのことを伝えると、悲しみを浮かべつつも賛同してくれた。
…そして、
惨状の地へ、俺たちが出会った地へと案内する。己の勘が、世界が導くまま、その地へ赴く。
歩みを重ねるごとに彼女たちの身体が緊張していくのがわかる。
だが、進むしかない。
この機を逃せば、おそらく二度とその地へ行くことは叶わないだろう。
迷いの森に遺体を飲み込まれてしまったとしても、仲間が戦い、散った地は特別な場所だ。
家族、大切な人との別れに禍根を残せば一生後を引く。
後悔しないことなどないが、
告別という儀式を済まさなければ、その頸木は一生癒えぬ傷となりて心を縊るものとなる。
異世界の儀式など知り得ないが、傍で祈りを捧げることはできる。
知りえない彼等に遺志に、ただの他人の俺が応えらること。それは生き残った仲間を故郷へ生還させることだけだ。
今、この迷いの森を抜けられる力を持つのは自分しかいないのだから。
――何時しか、忘れられない場所となった地へと到着する。
もはや遺体は方々に散らばってしまい、蠢く世界樹の中に呑まれてしまっていた。
でも、そこに刻まれた戦いの香りと血痕は消えていない。禍々しくその存在を主張する。
――エステルとセレンが静かに歩み寄る。一歩離れた場所からそれを見守る。
何を思っているのかは知りえない。それができるほど、彼女達のことを知っているわけではなかった。
ただ静かに、悲憤に耐える彼女たちの行為を見守る。
各々静かに、沈黙の祈りをささげていた。
そして、
懐から取り出したナイフを静かに掌へ深く突き込んだ。
…ゆっくりと傷口を抉り、あふれる血を静かに大地へ捧げていく。
その意味を問いかけはしない。だが、これが人を送る儀式だということは伝わってくる。
魂は共に在り、心はいつまでもあなた達と共に在る。そういう慰めに思えた。
――ならば、自分もそれに習おう。
静かに彼女たちの横に立ち、同じく己の手を抉る。
奔る激痛を堪え、
過去の彼女たちの仲間へ…、今の、未来の仲間として共に在ろうという思いを込め、血を捧げる。
新たな仲間として、彼女たちを、あなた達と同じように支えてみせると。
彼女たちは、それをただ黙って見守ってくれている。
そんな俺を彼女たちはどう思っただろうか。
無粋な奴だと思ったかもしれないけれど、彼らに捧げる気持ちは真摯なものであることは解ってほしい。
――告別の儀式はいつしか終わりを迎え、また世界樹の家へと戻る。
その日は誰も話そうとはしなかった。哀しむ空気が全てを覆っていた。
そして、夜が降り…、また朝が昇る。
…それからは、2人とも驚くほどいつも通りだった。
セレンはいつも通り言葉や知識を教えてくれ、エステルは今まで通り旅の準備を整える。
2人とも、ちゃんと笑うことができていた。
あの弔いを通してまた心の距離が近くなったと感じたのは気のせいだろうか。
いや、また一歩進んだのだと、近寄っているのだと信じたい。
この世界の人の強さをはっきり見たように思う。
彼女達の事をもっと知らなければならないと改めて思った。