第4話
改稿版
――――転機編――――
あれこれ試行錯誤する日々が続き、徐々に生活は軌道に乗り始めていく。
シェルターと水場を行動基盤とし、周囲の地形を探りながら狩り場を把握する。
例え樹が動いていようと地形までは変わらないようなので、地形を覚えることは有効だった。
当初は、近場に文明をもつ種族か何かいないか期待していたが、文明の跡は案の定何も感じられなかった。
そう簡単にコンタクトできるようなら誰も苦労しない。
ましてや異世界であるなら尚更だ。出会う者が異形の者であるかもしれないのだ。
とりあえず会話ができる種族との遭遇を諦めてはいないが期待しているわけでもない。そんな心境だった。
遭遇できなければこのまま一人で死ぬだけなのだから希望は持っておくべきだろう。
念のため現地で調達した物々交換できるかもしれない品は保存している。
毛皮、牙、宝石の原石らしき塊などである。
価値基準が地球準拠であるし、この星の文明が地球より高度であるなら価値などほとんど期待できないだろう。
原始的種族が相手ならば物々交換の材料くらいにはなるだろうといて程度だ。
文明探しより先に、まず自分を安定させること。
この判断に間違いはなく、当面の課題であった。
何もかも初めてなのだからとにかくやってみることの繰り返し。
当たって砕けるとあっという間に死亡コースだが、とにかく当たらないと進めない。
果敢な無茶ともいうべきさじ加減が重要である。
フォルカ自身はそれなりにうまくやっていたつもりだったようだが、とにかく失敗も多かった。
あれやこれやに襲われて、自分で勝手に自爆して怪我をするのも恒例である。
一々挙げればきりがないのだが、
洞穴を覗き込んだのはいいが"二足歩行する虎+熊=アニマルモンスター"みたいな狂獣にいきなり襲いかかられる。
⇒何とか撃退するも、しばらく洞穴に近寄れなくなるほどビビる。
試しに木の実でも採るかと木に登る。割とうまくいくので調子に乗って見境なく登りまくる。
⇒案の定、枝から滑り落ちて臨死体験を存分に味わう。起伏に富んだ地形で受け身などとれるはずもない。
無防備に水辺に装備を置いて湖で派手に水浴びしてみる。
⇒カラスもどきの3メートルはありそうな鳥に服やら一式盗まれる。もちろんシェルターに戻るまでの間は裸族の仲間入り。
新技を磨こうと、何故かライフルの兆弾を試してみる。
⇒何をどう間違ったか自分に跳ね返る。しばらくの間顔を洗うたびに頬が派手に沁みる責め苦を味わうことに。
悶えてはいるが、死ななかっただけ運が良いとしか言いようがない。そもそも兆段なんてわざとできることじゃない。
…つまりは人生とはままならないものだということだ。
思い出せば涙ちょちょ切れる失敗の繰り返し。
フォルカ自身色々言い訳もあったようだが、総じれば油断大敵という。これに尽きた。
弱肉強食の掟は厳しい。
色々とやらかしてはいたが、フォルカは生き残ることに常に必死であった。
孤独感に浸る余裕などなく、ひたすら目の前の課題をこなしていった。
常に何かに警戒して気を尖らせる。
日々これの繰り返しで、油断すれば死んでもおかしくない日々だった。
補給も救助もないサバイバル生活だが、
両親の趣味のお陰で狩に苦労せず安定して獲物にありつけているのは感涙ものである。
…同時に嫌な因果を感じるのも否定できないが。
――そんな繰り返しをしつつ、気づけば異世界での暮らしは3ヵ月を超えていた。
「ヘクシュッ! ふぁ~…、やっと朝か……」
自分のクシャミで思わず目が覚める。
"木の上"での睡眠はまったくもって慣れない。
ここ最近こんな日々が続いているとはいえ、これ以上続くのは御免蒙る。
地面で寝ようにも、見張りしてくれり相方がいないから無理。ダメ絶対。
一人で寝るなんて自殺行為にもほどがある。
この木がいくら大きいからってずり落ちたら即死だ。
木に見合った巨大な葉っぱを布団替わりにしても朝露には堪えるものがある。
日周は地球より若干長い程度で割と簡単に慣れたが、夜まで長くなったのはいただけない。
夜なんて暗過ぎて何も見えない。こんな状態で襲われたら戦えない逃げれない助からないの非情3連コンボだ。
夜なんて大嫌いだ。いい加減にしてほしい。
…フォルカはシェルターを離れ、樹木の上で寝食するようになっていた。
その大樹たるや高さ200メートルを超え、枝の太さまで2メートルを超えるという地球レベルでは規格外の大きさだ。
一体なぜこんな境遇へ落ちたのか。
「う~ん…。やっぱりおかしい。なんでこんなことに」
誰も見る人はいないくとも、朝起きたら身だしなみを整える。地球にいた頃からの習慣は抜けないようだった。
水筒の水を使って軽くうがいをして髭を剃り、鏡で確認する。
…鏡の中には地球にいた頃とは明らかに違う特徴の顔が映っていた。
「…生物学的にありえないことが起きているのは何故??」
ハァと神を弄くりまわしながら溜息を吐く。
ここ最近のフォルカはキャトルミューティレーションされた気分を味わっていた。
簡潔にまとめると、
天然パーマがきれいなストレートヘアになった。何かできるはずがない。
ただの黒髪が黒曜石もかくやといわんばかりに艶と輝きを放っている。それに妙に硬い。何もしてないのに。
黒目が紅目になった。当然心当たりなどない。
どれも遺伝子レベルであり得ないことばかりである。
特に3番目には妙な恐怖を感じさせられた。何か病気になったのかと思うが身体は健康そのもの。
色んな物を試しに食べているが、食中りや中毒になったことはない。視力も絶好調で問題なしだ。
なんとなく紅目で鏡の中の自分を睨みつけると普通に恐怖を覚えたので自重しようと内心呟く。
それだけならともかく、変調は容姿に止まらなかった。
身体までも異常な状態になっている。
別に悪い作用はまだ起きていないが、
妙に身体機能やら方向感覚が強化・鋭敏化されているのだ。
それも人外レベルと感じるほど強化されている。
身体の異常は異世界に来て1週間を超えたあたりから自覚はあった。
今の状態だと、反射神経ならば犬を超えた自信がある。
短距離のメダリストが100メートル走する勢いでフルマラソンしても平然としているだろう。
というか陸上10種目の世界記録を全て塗り替えてしまう予感があった。
どうやら最大可動力と回復力が人外レベルまで高まっているのが原因だと思われる。
方向感覚のレベルも異常といわざるを得ない。
なんと表現すべきか…、とにかく自分が行きたい場所への確信が常にある。
木々がわさわさ動いて目印のつけようもないのに、獲物の追跡やら拠点への帰還やらに一切迷わない。
お陰で行動範囲が一気に広がり、付近の地理状態も判明してきている。
虫の知らせというか勘が異様なまでに鋭くなっており、原因が全く不明だ。
今や多少警戒していれば外敵から襲われる前に察知できる。俗に言う霊能者の気分はこんなものなのかもしれない。
とはいえ、全く知らない場所へ行ったり未来予知できるほど便利な代物ではない。
話は変わるが木々においてもちょっとした事実がわかった。
木々の移動はどうやら若木に限るようで、ある程度成長すると根を落ち着けるらしい。
成長の早さも木々によって違うようだが、木々の9割近くは常に動き回っているということから察してもらいたい。
自分のベストポジションを探して動けるなんてどういう仕組みか気になるが、
地球の植物と比べると、こいつらがとんでもなくアクティブなのは事実だ。
最初こそ戦々恐々としていたが、別に害があるわけでもなく慣れてしまった。
もしかしたらポジショニングで痴話喧嘩でもしながら動き回ってるのかもしれない。そう思うと何だか微笑ましい。
脱線したが、
どれもこれも特別なことをしたわけではないのに自然と身についていった。
これが自分の才能だったのかと自惚れるつもりはないが、一人で生き抜く上でこれほど心強いものはない。
自分で能力が選べるというならドリトル先生のような能力の方がありがたいとは思ったが。
まぁ、わからないことを延々と考えるのも時間の無駄だろう。仮説が立っても現状で証明する手段がない。
身体の変化を不気味に思う気持ちはあれど…、実際のところ大歓迎だった。
なにより環境に体が拒絶反応を起こしていないのは僥倖に違いない。
これだけ恵まれていれば人間なんとかなるものである。
これからも我武者羅に行動していくことに変わりはない。
1日1日を大切にしていくべきなのだ。
――だがその前に。
「これからどうするかなぁ。今あの核シェルターに戻れないし。迂闊に近づいたら頭から食われそうだ」
彼がなぜ安全な寝床で寝ていないのか。なぜ木の上での生活を余儀なくされているのか。
その答えは数日前に遡る。
――某日のこと。
とある日の朝、フォルカは安全な寝床から釣れもしない魚を湖に釣りに出かけていた。
無防備に湖の畔で釣りをするわけにもいかないので、木の上から糸を垂らす。
肉ばかりじゃ健康に悪いでしょ、という大した理由もない行動だ。
性格からして、手榴弾を投げ込んで魚を一網打尽にしなかったのは褒めてやって良い。
そのあたり環境への配慮がある。実際は武器の温存と考えていただけだが。
実際のところ、その日はどこかおかしいと感じてはいた。
何故か森の空気がいつもより張りつめていたのだ。
とはいえ、転移してからこの程度の緊迫には慣れてしまっていたので気にすることなく釣りをする。
後から考えるとバカなことをしたものである。後悔先立たず。南無。
そうやってだらだらと釣り糸を垂らしていたところ、――異変が起きた。
「つゥ、耳鳴り?!いきなりなにが…」
まず感づいたのは耳だった。
後から理由はわかったが、耳が急激な気圧の変化を察知したからだった。
鋭敏化した感覚でも前もって察知できなかったのは、相手が恐ろしいスピードで接近してきたからだと思われる。
何が何だかわからないが、とりあえず大きな岩の陰へ転がり込むことには成功した。
次の瞬間だった。
すさまじい破砕音が、木を無理やりへし折るような異音が丘から森中に響き渡り…、
間を置かず突風が湖面にまで吹き荒れる。
必死に岩陰に隠れる中、木々だけでなく鳥や獣たちまで吹き飛ばされるのが目に入る。
まさに青天の霹靂だった。
吹き飛ばされないよう必死に岩へつかまりながら突風に堪える。同時に人外に鋭敏化した神経が警鐘を鳴らすのを感じる。
"あの場所へ関わるな。早く逃げろ"と。
だが、それには従えなかった。突風が止むや否や、岩陰から飛び出す。
耳をつんざくほど叫び続ける神経を無視し、大切な拠点へと急いで駆け戻る。シェルターへ近づけば近づくほど警鐘が激しくなる。
その全てに耳をふさぎ、自分の全てが籠っている地へと急ぐ。
いくら頼りになる勘とはいえ、譲れないことがあるのだ。
悲鳴を上げる本能を理性でおさえつけ、
全速力で丘を登りきったところでフォルカはとんでもないモノを目にした。
ここはなんでもありだと覚悟していたが甘かった。度肝を抜かれてしまっていた。
己が勘に従わなかったことを後悔するも――すでに手遅れだということだけがわかった。
「ド、ドド、ドラゴン?! そんな馬鹿な?!」
ドラゴン――架空の世界にのみ存在すると思われていた。だが実在した。
直感した。今ならわかる。
――なぜ彼らが恐れ崇められていたのか――
――なぜ彼らが神とも悪魔ともうたわれていたのか――
彼らこそ絶対者。平伏し、許しを請いたいと震わせる絶対者。
その気になればゴミのように命を刈り取ることができる存在。
丘の上は平地になってしまっている。木々は悉く切り刻まれ、薙ぎ倒されていた。
その凄惨かつ鋭敏な切り口は人知を超えていた。
その中心に元凶のドラゴンが鎮座している。恐ろしいほど巨体で、少なくとも30メートルは超えていると思われた。
巨大な銀翼と白銀の鱗を煌めかせ、悠然と周囲を睥睨している。
その姿は生態系の絶対者としての余裕と威圧を感じさせるに十分であった。
そして、ホワイトドラゴンが鎮座する場所こそ――間違いなく小屋があった場所だった。
恐ろしい威容を見せつけられ、どうしようもなく思ってしまった。
逃げること、シェルターのこと、生きる遺志、全て吹き飛ばされて真っ白になっていた。
あぁ、俺の存在なんて芥子粒みたいなものなんだろう。食い物にする以外気にかける理由がないほど矮小な存在…。
…が、唐突にドラゴンが惨状に呆けて立ち尽くす此方へ首を擡げる。絶対者と目が合ってしまう。
そう、違うことなくこちらを直視していた。全ての動きから目が離せない。何より…動けない。
喰われるという運命が脳裏へ去来する――
「―――っうゥっ」
身体が硬直し、喉が掠れたうめきを絞り出す。
(怖い、怖い。逃げたい。助かりたい。逃げられない。俺はまだ死ねないのに! ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ…!)
絶対的な存在感の前に五感と心が悲鳴をあげる。
(自分が強化されたって? 何を自惚れていたんだ。あんなのにどうやって対抗しろっていうんだ。
無理だ。立ち向かえるわけがない。人間の敵う相手ではない…!)
――だが、その時だった。
ドラゴンがこちらへ笑いかけたかのように見えた。なぜかわからないが。
…錯覚かと思わず目を疑うも、親愛の情を確かに感じたのだ。
次には自分などいなかったかのように首を反らしていた。
恐ろしいほどの威圧感は確かに揺らいでいた。
ただ出来たのは逃げ出すこと。
チャンスは今しかない。ドラゴンに背を向けあらん限りの力で遠ざかる。
恥も外聞も知ったことではない。心を折られてしまっていた。
――フォルカの楽園はわずか3ヶ月目にしてあっけなく奪われることになった。
…とまぁ、
そんなどうしようもない襲撃(天災ともいえる)にあい、避難を余儀なくされている現状であった。
「チキンと笑いたくば笑えっ。アイツ怖いんです」とはフォルカの弁である。
とりあえず、最寄で最も高い木でドラゴンを見張っている。
家から3キロ以上離れているのを近いと言っていいのか疑問だが。
シェルターの奪還を目指し、
丘を奪われてから木の上からドラゴンを双眼鏡越しに観察するのは日課となった。
「お~お~、白いから目立つこと目立つこと。ヒストリオニクスもびっくりだよ。」
どうでもいいがヒストリオニクスとは、本当の自分がない底の浅いカラッポ人間たちを指す。
それはともかく、件のホワイトドラゴンはなぜか1日中居座りほとんど動かない。食事とかどうしているのか疑いたくなるほどだった。
(あんなにデカイのに何で食わないで平気なんだ…。アレか? 精霊の一種だから霞食ってますってヤツか?)
お陰で居留守を突こうにもどうにもならない現状。どこかへ飛んで行けと何度念じたかわからない。
あんなところをピンポイントで狙ったのか全く不明である。死ねばいいのに、というのが偽らざる本音だった。
伝承やファンタジー小説にあるとおりなら洞窟に巣を作るはずだが、まったくもって神秘である。
デカイ身体が入る洞窟は売り切れたのかな?と馬鹿な思いも同時に抱くが、
デカイ洞窟には全部ドラゴンがいると同義であることに気づく。
…ゾゾッと3ヶ月前の洞窟恐怖症が再発しかけたのは内緒である。
日課となった朝一番の仕事を終え、今日も動きなしと確認する。
ならば次の仕事も決まっている。武器の整備だ。
幸いシェルターにあった銃器や生活必需品はちょっとずつ方々に分散させておいたので丸腰にはなっていない。
備えあれば憂いなしというが、結局武装が大幅に制限されてしまった。
ガチャガチャと手持ちの武器の整備をしながら考えに浸る。
今手元にある武器であのドラゴンに通じる可能性があるのは、この12,7㍉アンチマテリアルライフルのみ。
…しかし、効果は期待できないと考えるべきか。
今までこれほど頼りになる武装はそうそうないと考えていたが、今は頼りなさという哀愁を感じる。
(あの白銀の鱗の強度が如何ほどかは解らない…。
とはいえ、丘を平地にした攻撃力から逆算すればその強度はとんでもないことが想像できる。
もし鱗を貫けたとしても致命傷を与えるのは難しい。加えてあの巨体だ。
下手をすると手負いの竜となって暴れまわり、辺りを壊滅させる…ということか)
慣れた手つきで分解、組み立てという作業をこなしつつもションボリと肩が落ちていく。
考えれば考えるほど現状では手詰まりなのだ。
丘を更地にした、あの攻撃がもし連発されたらと思うと身の毛がよだつ。
まさしくエアー・カッターという言葉が相応しい。
どれだけ射程があるのかはわからないが、あんな無差別攻撃を避けることなど誰にできようか。
生身で食らえば間違いなくデッド・エンドだ。
加えて、
木の上から観察してから気付いたことだが、ここら一帯の森はエアー・カッターで蹂躙された跡が点々とあった。
円形の窪地が痛ましい。どうやら被害にあったのはあの丘だけはなかったようだ。
最近までそんなものはなかったのだから、あの爆撃のような攻撃は連発できるに相違ない。
それに、跡地のクレーターが普通じゃないのも気になる。蹂躙された跡地に木が全く侵入していかない。まるで結界だ。
(…ますます手が出せなくなったな、オイ)
木に紛れて近づくっていう基本戦術も使用不可のようだった。
シェルターにある誘導兵器とパンツァーファウスト等の連携で奇襲すればまだ勝機はあったかもしれないが、
強大な火力を誇る武装は全てホワイトドラゴンの下にある。
まったくあの場所から動こうとしないのだからどうしようもない。
クレイモアでも仕掛けておくんだったと後悔しているが今更だ。シェルターの防御力に慢心してしまった。
とはいえ、ドラゴンが動かないお陰で、本来ならドラゴンの縄張りとなってしまっているであろう湖を今でも利用できているのだが。
運が向いていると思えるのはそれくらいだ。
「どう考えても手詰まり、か…」
転移初日にも手詰まりになった。
しかし、今回の手詰まりは次元が前とはまったく異なる。手の出しようがない。
何をどう考えても相手を攻撃するのは自殺行為にしかならない。
今までの傾向を見る限り、手を出さなければじっとしているように思える。
森中の全てがホワイトドラゴンを恐れて近づかないから確実とは言い切れないが…。
スタングレネードなら手元に4発ある。あるけど、とてもじゃないが効果時間内に埋もれている核シェルターへ潜り込む自信はない。
第一、もし効果がなければ近づいた瞬間齧られてデッドエンドだ。
…流石にまだミンチになりたくはない。
恐らく一生過ごすであろうこの地で、銃弾は一発たりとも無駄にできない。
いずれは頼らなくても平気にならねばならないが、今はこれなしに生き延びることは困難極まる。
それに、現状とは別に気を割かなければならないことがある。
正直、これを考慮しなくてもいいならば、シェルターは最悪放棄しても構わなかった。
だが、避けえないだろうこの事態を考慮すればシェルターなしで過ごすことは自殺行為になる。
――どうしても気にしなくてはならないこと。
それは、冬。
今はいい。動物たちが溢れ、木々もわが世の春を謳歌している。お陰で不自由なく生きている。
だが、凍てつく冬になればそのすべてが沈黙するはずだ。
この異世界の気候が"熱帯"であるならば無視できたかもしれない。
だが、ここは"温暖地帯"だ。おそらく四季のサイクルがあるとみて間違いない。
付近の山を探索してみたが、頂上には雪らしきものは確認できなかった。よって、おそらく今の季節は春、ないしは夏。
実は今が冬だと思いたい。しかし、楽観的な観測ほど恐ろしい物はないと散々思い知っている。
地球に非常に似通っている環境を見る限り、気楽に構えることなどできない。
Forca must die. そんな展開など何があっても御免蒙る。せめて maybe まで抑えて欲しい。
この異境の冬がどれだけ厳しいのか想像がつかない。
だが、すべてが初体験になる以上、何らかのトラブルに見舞われることは絶対だ。
――病気になるかもしれない。
――吹雪で閉じ込められるかもしれない。
――装備が壊れるかもしれない。
だが、シェルターさえあれば耐えられる。最低限の医療道具はあるし、外気を遮断できる。非常食もあれば補給もできる。
暗闇なのは我慢するしかないかもしれないが、耐えればまた春がやってくる。
でも、どうしてもあの忌々しいホワイトドラゴンが邪魔をする!
この調子で奴に居座られれば事態は悪化する一方だ。
…一体どうすれば!
考えれば考えるほど思考がループしてしまい、迷宮入りとなる。
あれは、今の自分にとって絶対に必要な保険なのに傍観するしかない。諦めるわけにはいかないのに。
希望を奪われた事実が焦りを募らせ心を焦がす。
…フッっと
どうにもならない状況に俯いてしまっていた頭をあげ、軽く振る。
ネガティブに考えていくのは趣味ではない。
とりあえずは今日の糧を得なければならないのだ。今を凌がずして明日はない。
(そう、腹が減っては戦はできぬ、さ。後でまた知恵を絞るか)
考えを切り替え、今日はどこで狩をするかと意識を切り替え、ハンターの目で周囲を見渡す。
いつもと変わらない森が広がっているはずだったが――
――鳥たちの激しい警戒鳴に注意をそらされる。何事かと振り向くと
奇怪な光景が目に入った。
森のところどころ、しかも今自分がいる付近で点々と煙があがっている…。
雷が落ちたわけでもない。
早朝の今、太陽光線で森が焼けたとも考えられない。
自分は付近へなにも手出ししていない。
イレギュラーのホワイトドラゴンは相変わらず沈黙している。
ということは…?
…まさか? まさか!
「人為的な火災…。つまり何かしら文明をもつ種族の仕業ってことになるのか?」
自分で口に出してからじわじわと興奮が高まる。
今まで苦悩がきれいに吹っ飛ぶ。
(まさか、本当に遭遇できるなんて…。しかも向こうからお出でなさったなんて信じられない! 夢を見てるとかじゃないよな?
未知との遭遇、コンタクト、どれもこれも望んだ展開だ!)
途方もなく高等な文明を有する種族なのか、それとも原始的な生活をする種族なのか。
そんなのはどちらでも構わない。
とにかく、直に会ってみたくてたまらない。
どんな形であれ、自分もその仲間に加われるかもしれないのだ。
「よっしゃあぁ! パーティーの始まりだ!」
人とまた話せる! そんな気持ちの高ぶりが身体に力を与えていく。
どんどん興奮が高まり、煙が上っている辺りをどんな異常も見逃さない言わんばかりに注視し手掛かりを探る。
煙の昇り方。火炎よりも煙幕のような白煙が目立つ。
これは焚き火のようなものではなく若木も一緒に燃やしたものか。 ……攻撃か何か、意図的に放火した可能性が高い。
偶に激しく揺れ、倒れる樹木。 ……何かと争っているのか??
煙と樹木の動きを結び付ければ不規則な移動でしかない。 ……これは、人が人を追う動きではありえない。狩りにしては非効率すぎる。
――つまり、…彼等はこの森の獣に襲われている?
そう考えると一気に思考が拓けた。
あの森は確か自分がアニマルモンスターがわんさかいる場所。洞窟での恐怖は忘れていない。
おそらく、あの辺り一帯は奴等の縄張りだ。
あの時は何とか撃退したけれども、確かにあんなの襲われたら普通ひとたまりもない。
あいつら矢鱈すばしこい上に怪力ときている。毛皮も分厚い。
思い出すだけで、あの殺意にまみれた叫びと威圧感が思い起こされる。
…あれを相手にするにはそれなりの装備が必要だ!
でないと確実に殺られる。
その結論に行き着いた瞬間、慄然とした思いが背筋を襲う。
――援護しなければ!
あれほど逃げ回っているということは恐らく一刻の猶予もない。これほどの好機は二度とないかもしれないのだ。
己が獲物を携え、無我夢中で木を飛び降りようとした瞬間、
ホワイトドラゴンが抉った結界への一つへ"何か"が転がり込むのに気づく。
ザッっと思わず反射的にライフルのスコープ越しにそれを確認し…、瞠目した。
――わが目を疑うとはこのことか
・
・
・
・
傷だらけで、血まみれ。
まとう衣装はボロ切れとなり果て、構える剣は根元から折れている。
足さえ骨折している。
ボロボロながらもその二本の足で地を踏みしめる。襲い来る敵を睨めつける。
鋭い双眸に消えぬ闘志をやどす。
・
・
・
・
その何かは、
間違いなく"人間"だった。
――自失していたのは一瞬だった。
「何としても助ける! 絶対に!!」
当初の、状況を好奇心で見守っていた軽い態度など一瞬で蒸発していた。
"同胞を助ける"
その意志が閃光の如く紅い瞳に宿る。
だが、ここから駆け付けても間に合わない。辿り着く前に間違いなく嬲り殺される。
あの狂獣と"同胞"は臨戦態勢だ。
幸いにも狂獣は1体だが、このままでは一刻の猶予もない。
ならば一体どうするのか。
…狙撃しかない。
距離はおよそ1500メートルあるかないか。通常のアンチマテリアルライフル精密射撃限界ライン。
(お前に当てられるのか?)
己が心を弱音を吐く。
…いくら訓練学校での成績が良かったとしても経験が絶対的に足りない。
異世界という環境で揉まれた分を加算してもだ。
それは事実だ。
狙撃のミスは"同胞"の死に直結するだろう。
故に絶対に外せない。
慣れない地で動きが予想できない目標へ直撃させる。
その道のプロでも困難極まる射撃。それに未熟な若造が挑む。
「…やるしかないだろうがっ」
今は迷いなど許されない。
弱さを悪態を吐くことで誤魔化す。自分にあらん限りの活を入れる。
木の上で最も得意としていたブローン射撃姿勢を無理やり形取る。
…そして、敵を仕留めんと全神経を集中させる。
――自身と銃を一体化させていく。溶け合うことをイメージする。
敵を照準に収め、打ち抜くことに全てをかける。
自分の救うという目的すら忘れ、手段へ愚直なまでに意識を集束させる。弾道を、世界さえ支配下に置く。
(この一手に…、全て注ぎ込む!!)
空気が……どこまでも凛と張り詰めていく―――
…目標がじわじわと"何か"に向かって距離を詰めていく。警戒しているのか、その動きは緩やかだ。
――まだ、まだだ。まだ万全じゃない。もっと引きつけろ。
獣でありながら二足歩行する"クソ野郎"へ最高の一発をお見舞いしてやるのだ。
…"クソ野郎"が体全体に力を漲らせるのがわかる。リミットが次第に近づく。
――風が増してきた。さらに計算に入れて…補正を、…誤差修正。
わからない星の自転補正など勘で補正する。人を超えたはずの、今の自分の力を信じ抜く。
…唐突に"目標"の挙動が止まった。暴れるも何故か手足が動いていない。遅れてそれに"何か"が飛び付く。射線が重なる;
――…Catch completely. Break down. (…補足完了。 砕け散れ。)
Go.
何もかも忘れ去った感覚の中、脳が乾いた指令をだす。
指とトリガーは一つだった。無慈悲に撃鉄を落とす。
その瞬間、自分の目的を思い出す。硝煙の香りが舞う中で。
照準の中心にはあの狂獣がいた。
同時に、救うと決意した"同胞"がいた。
…まるで最後の抵抗と言わんばかりに必死に組み付いていた。
一瞬が引き延ばされる――
「っ! 曲がれえぇぇぇーーーーーーーー!!!!」
ただ、我武者羅に何もかもかなぐり捨て、渾身の絶叫を放つ。
許されたのは最後の抵抗と拒絶だった。