第10話
改稿版
――――帰還編‐1――――
旅の目的地はタレスの町。
かかる時間はまったくわからない。
下手なところに出れば山脈越えをしなければならなくなるので、行程には細心の注意を払う。
今の装備で山脈越えするのは無謀極まりない。
自分は生き残れるかもしれないが、彼女たちを死なせては意味がない。
故に、常に血盟の力は全開状態である。
外敵のいないルートと街への方角を自分が察知し、最もなだらかな道をエステルの経験から割り出す。
彼女の判断はやはり的確で、今のところ大きな問題に直面してはいない。
旅は順調そのものだ。
同時に、皆の命は自分の双肩にかかっていると言ってもいい。責任重大だ。
手抜きなどできるはずもなく、出来る限り常に森に意識を集中して警戒する。
…しかし、常時力を開放するのは想像以上に負荷がかかった。
今までここまで人外の力を酷使したことがないため、どうしても疲れを覚える。
この力、なんと表現すべきか、自分の身体だけでなくて他の領域まで侵しているようなのだ。
集中し過ぎると、偶に自分がどこに居るのか分からなくなる。
自分の感覚がなくなり、空から見下ろしたり、地中から見上げているような不可思議な感覚に支配される。
ともすれば、暗闇へ落ちていくような錯覚がある。
その度に慌てて意識を自分に引きずり戻すのだが、
こういう感覚に対応できるように人間は出来ていな為、肉体と意識の乖離に精神がどうしても疲弊してしまう。
とはいえ、命綱である自分がへこたれては獰猛な動物の巣に入り込んでもおかしくはない。
元来この森は人の存在を受け付けないほど危険なのだ。油断してはいけない。
必要な休息はキッチリ取り、確実に一歩一歩進むことを重視する。
――そして、今はその休憩真っただ中。
安全を確認した木陰で体力の回復を図る。
「――お疲れ様だね、ソウマ。 やっぱり力の集中は結構疲れるんだね
純血種族も万能じゃないね」
「万能な力なんてないさ…。ずっと意識して血盟の力を使うと想像以上に疲れた。
――それよりさ、そうやって髪を梳かれると恥ずかしいんだけども…」
そう、さっきからセレンはずっと隣に座って頭を撫でるように手櫛していた。
額の髪を優しく梳いてくれる手がくすぐったい。
別に嫌じゃない。逃げるつもりはないが、どうも気恥ずかしい。
しかし、彼女の方に全く気にした様子なんてなく。
「気にしなくていいさ。
君が倒れると僕たちも危ない。君が頑張ってる分だけ僕たちは楽をさせてもらってる。
気にせず寝ていればいい。 今は、僕たちが君を守る」
ケロりとして返し、髪を梳く手は一向に止めない。
…まぁ、別に構わないか。彼女なりのスキンシップなのだろうし。
こういう風にされて気持ちが安らいでいるのも確かだ。今はゆっくりと休ませてもらう。
「――ありがとう。お言葉に甘えるよ、セレン」
「ん……、どういたしまして」
穏やかに微笑む様を見て目蓋を静かに落とす。
この異世界に転移して、血盟の力に目覚めて、身体はどんどん変化している。
今や睡眠を取らなければならない時は、こうやって精神か身体が疲弊した時のみと言ってもいい。
こういう時だからこそ、しっかり休まないといけない。
しかし、
――ギャイギャイワァワァグルグル
擬音系にでも直せば、こういう風な表現にでもなるのだろうか。
すぐ隣で喧しく騒いでる一人と一匹。
とても無粋だった…。
収まる気配なんてなくて、どんどん喧騒が大きくなっている。
耐えかねて隣に居るセレンに話しかける。
「――…ところでさ、アレはどうにかしなくていいのか?」
「放っておけばいいと思うよ。自分たちで解決しないと意味がない」
閉じた瞼を開けると、さっきから離れた場所でじゃれ合うエステルとカノンが目に入る。かなり激しい応酬してる。
まぁ、確かに自分たちで解決しないといけないことだ。でも――、
「それはそうだけど、あの雰囲気はどう見ても喧嘩一歩手前じゃないか?」
「いや、君の大切な休憩時間を邪魔しちゃいけないからね。
ああやって騒がしいのが殺り合ってれば君へ飛び火することはないし」
「いや文字がおかしいぞ?! そんな平和主義は間違ってるって…」
「間違ってないよ。
――あ、そうだ。ちゃんと水分補給もしておかないとね。…今度は僕が口移しで飲ませてあげようか?」
ポンと手を打ち、いいことを思いついたとばかりにセレンが言う。
思わずブハッと噴き出す。いきなり何てことをいうのかっ。若干トラウマなのに。
エステルとの一件は仕方ないと開き直って逆に利用しようと決めたが、それでも心臓に悪い。
「ちゃんと自分で飲めるって!
もしかして、それは俺への当てつけですか…。
いい加減もう勘弁してくれないかな。一応反省してるんだ」
「う~ん…、どうしよっか。――当分、いや、一生無理かも」
「そいつは困った。俺はそんな大罪人なのか?」
「ふふふっ、僕等3人は運命共同体になったんだ。だから僕は――」
・
・
・
穏やかに限られた休憩を楽しむ2人。
だというのに、エステルは一体何をしているのか――
「かのん~~。ほらほら、こっちおいで~?」
『グルルルッ―――!』
何やら対峙している一人と一匹。
エステル――カノン――――――フォルカ&セレンという位置取りだ。
というよりエステルの前にカノンが此処は通さんといわんばかりに立ちはだかっている。
「ほらほら、ここにお肉もあるよ~? おいしいよ~?」
『シャァ――ッ!!』
差し伸ばされた手にがぶっと噛み付く。結構痛そうである。
「痛っ?! このぉ~、優しくしてればつけ上がって!!」
『グルゥゥッッ!!』
――両者は敵対していた。
なぜかカノンはエステルを不倶戴天の敵として認識しているようで、
自分は基より、フォルカの傍へ近寄らせようとしない。
「あんた…、セレンは良くてなんであたしはダメなわけ?! いい加減にしなさいよ!」
小さな白竜相手に怒っても通じるわけがない。ますますキシャーッと威嚇される。
以下ループ。しばらくその繰り返し。
あっち行けと威嚇するも、相手も負けじと威嚇して、両者の間に火花がバチバチと散る。
普通の人が見たら裸足で逃げ出しそうだった。異種族間ファイトである。頂上決戦っていわんばかりの迫力だ。
「――いい度胸じゃないアンタ! そのちっこい身体でこのあたしと闘り合おうってわけか!」
ついにキレて大人の面子を放り出すエステル。腰の剣をスラッと抜き放つ。
受けて立つといわんばかりにその翼をバッと大きく広げるカノン。
両者の間に闘いの紫電が走る。
…嗚呼、どっちもダメダメだった。仲良くする気配が微塵もない。最早戦闘モード。
流石にあの2人に喧嘩されると洒落にならない。
2人の本気を見たことがないので力は未知数だが、あの様子だと一帯が壊滅しそうだ。
早くしないと戦鐘という名のゴングが鳴ってしまう。
仕方なく立ち上がり、止めに入る。
「2人ともいい加減にしないか! 怪我したらどうするんだ。せっかくの旅なのに初日で挫折するつもりなのか?」
「えぇ?! でもコイツが」『きゅ、きゅいきゅい~』
「Shut up.!! いいから2人とも仲良くしなさい、な・か・よ・く。
…ほ~ら、握手握手」
嫌がる2人の手を無理やりとって、カノンは前足だが、握手させる。
同時にものすごく嫌そうな顔したのを見て、やれやれと溜め息を吐く。
調和への道のりは果てしなく遠そうだ。
ふわりと肩の上に乗ってくるカノンを、いい加減にしなさいと叱るがプイと無視される。
どうやら拗ねてしまったようだ。
…まぁ、生まれたてだから仕方ないと言えば仕方ないのか。
本能的に敵か味方か区別してるんだろうが、困ったものだ。
カノンが曲がりなりにも落ち着いたので、やっとエステルと会話できるようになる。
セレンに仲介役になってもらいたかったが、先ほどから何やら魔道品のチェックに余念がない。つまり忙しそう。
だが、なんとなく気まずい。とりあえず当たり障りのない話題から話す。
「そういえば、エステルはカノンとじゃれて休憩できてないけど大丈夫なのか?」
「言われてみればそうね。
その阿保チビ白竜には手を焼かされるわ。人の話をぜんっぜん聞かないんだから」
『グルルゥッ…』
そう言って肩に居るカノンをジロリとねめつける。
負けじとカノンもエステルに威嚇している。
どちらもフォルカの制止の言葉などとうに忘れているようだった。
「――わかったわかった。とりあえずエステルはセレンの所でゆっくりしてくれ。
カノンの相手は俺がする。俺はもう十分休めたから大丈夫だ」
「…まぁ、あれだけセレンとイチャイチャしてれば回復するでしょ」
「いや、そんなイチャイチャしてない!」
エステル、お前もか。表現がなんて直球ど真ん中。
2人揃って弱みを揺さぶるのは止めてほしい。
喧嘩しながらも、しっかり此方の様子を見ていたのは明白だった。
「別にいいんじゃない? セレンとなら」
なんか凄い返事が返ってきた。エステルに特に怒った様子はない。
普段の彼女ではあり得ないことが起きている。
思わず聞き返す。
「は――? 今なんと」
「セレンとならイチャイチャしても平気。むしろ結婚してあげたら?」
「――…」
とんでもない返事に思わず絶句した。
「話が唐突すぎてついていけないぞ…。結婚に飛躍するとか意味不明すぎる。
タレスの街では俺は一応エステルの婚約者という肩書でギルド申請とか色々話を進めるんじゃなかったのか?
始めが肝心なんだ。あまり妙な噂が立ってほしくないんだが…」
「あんた一体何言って…。
あぁ、口移しの誓いも知らなかったんだから知らなくても仕方ないかぁ~」
なんか変なモノを見る目でこちらを見てきたが、
今までの奇天烈な行動を思い出して納得したようだった。とりあえず説明はしてくれる。
「あたし達は、一夫一妻制じゃなくて一夫多妻制もありなの。
その逆も偶にある。どこ行っても大抵そうよ」
――マテ。今なんと言った。耳でもおかしくなったかと疑う。 またまた想定外な言葉が聞こえてしまった。
「は…? でも皆それじゃ男女バランスが崩れて大変なことになるんじゃないか?」
「そんなことないわよ? 戦死者とかの関係で女の方が男より多いから特に問題ないわ。
だから、セレンと結婚しても波風なんて立たない。こっちとしてはむしろ歓迎してもいいくらい」
なるほど。この世界ではそれが常識なのか。エスエルも平然としたものだ。
それに、この世界では男女比がおかしくなるほど闘争の連続なのか。
………。転移してから目まいを覚えた回数を最早数える気にもなれない。
「――街に出て生活するのが急に嫌になってきたんだ。それに、痴情の縺れに巻き込まれるのは絶対いやだ」
「もう今さら遅いわ。
でも一夫多妻って重いのよ? 伴侶を担いきれなくて一夫一妻のまま通す人も多いんだから」
「俺にとっては一夫多妻がまかり通る世界が異常に思えて仕方ないんだが…」
「まったくもう…。変なことに巻き込まれちゃ大変だから詳しく教えてあげる。
第一に、主は家族を責任もって養わないといけない。
第二に、主は決闘で伴侶を得る権利があるけど、逆に伴侶を奪われても、場合によっては決闘で殺されても文句を言えない。
決闘内容決める権利も相手にあるんだけどね。もちろん両方の同意は必須だけど。
第三に、自分の伴侶が勝手に手元から離れていくのを止める権利がない。
一夫一妻制だと両方に大きな責任があるから自由に動くことはできない。
だけど、伴侶を誰かから奪われることもないし、安定した暮らしができる。
こんな感じかな」
エステルが指折りしながら教えてくれる。
なんという弱肉強食ルールだろうか。サバンナルールと言って差し支えない。
要は強けりゃ ALL OK ! ということらしい。逆に弱い男性の末路を考えるとゾッとする。
それに加え、先の説明で一つ疑問が湧く。
もしも既婚の女性に口移しの誓いを間違ってしてしまうとどうなるのか。
「…なぁ、エステル」
「はいはい、どしたの?」
「もしもの話だけど、口移しの誓いを既婚の相手にした場合はどうなる?」
「う~ん、相手と公開決闘になるんじゃない? 多分どっちかが死ぬまで終わらないわ」
「――俺はなんという危険なことをしたんだ」
エステルに質問をすると、大体想像通りの答が返ってきた。
彼女が既婚でなくて本当に救われた。気付かない内に危ない橋を渡るなど勘弁してほしい。
恐ろしいことだ。これからは人命救助でも自重した方がいいかもしれない。
「制度的には問題ないというのは解った。まぁ、それは置いておくとしてだ。
…でも俺とセレンに結婚を勧める理由がわからない。
立場的にはエステルと俺は婚約者同士になる。その辺りは問題ないのか?」
タレスの街に着いてからは、俺とエステルは婚約者同士として振る舞うと話し合って決めた。
その方がギルド登録から武器調達、人付き合いまで展開できる範囲が大きく広がるからだ。
街に馴染むまでは、そういう切欠があれば楽になると判断した。
エステルとの関係を演技で振る舞うのは解る。
しかし、セレンとは演技ではなく結婚しろという。
「……あまり好ましくはないかもね。
酒場とかでトワネスティーは三角関係の修羅場だとか噂されるかも」
恐らくそうなるだろう。人の色恋沙汰ほど面白い物はないと思っている人間はどこにでもいる。
それを承知してまでセレンと一緒に居ろという理由は恐らく――
「――俺にセレンの心の隙間を埋めろということか?」
「ええ…、その通り。セレンにはあなたが必要だと思う」
「だからと言って、いきなり結婚にまで発展するのは感心できないな。
それこそ彼女の為にならない」
セレンはきちんと自分が望む伴侶と契るべきだ。成り行きで結婚すれば、きっと後悔する。
もし自分と結婚したとしても、彼女の性格からすればエステルにどうしても遠慮してしまうだろう。
だから、誰か一番好きな人ができたら2人で暮らす方がいい。
しかし、エステルもそのくらい解っているはず。続く言葉を待つしかない。
彼女は言うべきかどうか迷っていたようだが…、切り出す。
「セレンは、―――あの子は、孤児なの」
「――え? 孤児?」
「そう。実の家族は皆死んでる。 元々は移民団の子だったらしいけど、それが盗賊に襲われて壊滅した。
その盗賊団を討伐したトワネスティーの皆が偶然彼女を拾い、育てた。
あたしはどちらかというと新入りだからよく知らないんだけどね。
だけど、セレンにとってウチのギルドが家であり、団員は何より代えがたい家族だったのは知ってる。
今みたいに男の子っぽい口調になったのは、危ない仕事の中でも皆と一緒に居るための意地を張ったからってことも」
壮絶な過去だった。そんな気配は微塵も感じなかった。
いや、違う。彼女に仲間の遺品を渡した時の涙は?
あれは親しい家族のために流す涙だったのではないか…?
エステルが一息ついて言葉を続ける。
「誰かが死ぬことは生業上仕方がない。 だけど…、壊滅したなると話は全く別。
彼女にとって一番大切なものが全部壊れたってこと。あたしも仲間が死んだことは悲しいよ、とても。弟も永遠に失った。
だけどそれ以上にセレンが悲しんでるのがわかる。今も彼女がどれだけ悲しんでるか想像もつかない。
……だけど立ち直って一生懸命前を向いてる。絶望しきってない。 多分それはソウマのお陰」
俺が何をした? 何をしてやれた?
彼女の深い過去など初耳だ。それに対するフォローなどしていない。
「俺は、そんな大したことは何も――」
エステルは、続く此方の言葉を頭を振って否定する。
「いいえ、一番あなたが彼女を救ってるわ。
あなたが一番彼女を必要としてあげたから。何もなくなった彼女に居場所と役目をあげて励まし続けたから。
それが、それだけが今のセレンを支えてると思う。
もしもの話だけど、あたしがセレンと争ったら、あの子を本当に一人っきりにしてしまう。
ソウマやあたしまで彼女の傍からいなくなったら、――セレンは本当に壊れちゃうかもしれない」
いつしかエステルの目尻に涙が浮かんでいた。
…本当にいい女だと思った。仲間のためにこれほど熱く一生懸命になれる。
見捨てるのではなく、どこまでも手を伸ばそうとしている。
「今、セレンには新しい仲間が、家族が必要なの。
あなたには家族の一員になって欲しいって強く望んでる。だから"あなたの為なら死ねる"っていう言葉まで出てきた。
…でもいつか、それを超えてソウマと共にいたいと望むようになる。今の彼女を見てたらそう思う」
「―――その時は、受け入れることを拒むな、と?」
「ええ。…だから、本当に彼女が望んだ時はあたしのことは気にしなくていいの。
ちゃんと受け入れて上げて」
あたしとの関係は演技なんだから、と何処か儚い笑顔を浮かべてエステルは続けた。
目尻に溜まった涙は流れ落ちていた…。
…重い言葉だった。節々で見せていたセレンの必死さの理由が少しわかった気がする。
「――わかったよ、エステル。でも、結婚は無理なんだ」
「ソウマ……」
どうして、とエステルの瞳がさらに滲んでいく。
だが、自分は拒絶したいわけではない。
自分は、己の血統をこの世界に残すことはできないと思っている。
地球の歴史を鑑みての帰納法的理由だ。まだ完璧に説明できる状態ではない。
「いや、セレンを拒絶することはしないさ。ただ、結婚は出来ないというだけ。
セレンが本当に俺を選んだなら、君と一緒に支え続けよう。
……これでいいかな」
「――ええ、今はそれでいいわ。 その時が来たら…、セレンをお願い」
重い、重い約束を交わした。
自分にすがり、静かに嗚咽を漏らす彼女を、そっと包み込むように抱きしめる。
互いに心を交わしたというのに、どこか悲しかった。
数奇な運命を感じる。本当に。
迷いながら進む道だけしか残されていない。…進み続けなければならない。
それに消えぬ苛立ちを改めて覚えた。
――ぶち壊しだが、この時もカノンは相変わらずだった。
肩口から首を伸ばして、エステル噛もうとしていた。
止めるのが地味に大変で苦労したとだけ言っておこう。