六十二本目 一つの決着
その事態を予期できた者は、存在しなかった。
そして同時に、防ぐことが出来た者も。
「なっ……」
何故ここに、と問おうとしたアランの声は続かない。
呆然とした様子でその光景を見るだけだった。
「ふん……アラン将軍殿、何故このような真似を?」
その言葉にはむしろ問い返そうとする者が多かった。
一騎打ちを行った上で、アランは負けた。
戦力的な勝ち目があるならまだしも、皇国軍最強たるアランが勝てないと、そう証明されてしまった。
故に。
元々戦に乗り気ではなかったアランは、停戦命令を出した。
そしてリューセイも交え少々の話し合いを行おうとした時。
その場に唐突に現れたのは、この場にはいないはずのダラド将軍。
今回の戦において、『世界樹の根』回収の任についていた将軍だった。
しかし途中で軍を放棄した、という話は既にアランも知っている。
そして彼は現れた――リューセイの背後に。
リューセイに剣を突き刺しながら、という形で。
既に消耗していたリューセイは、大地に膝をつき倒れ伏した。
その場は騒然となる。
そしてダラド将軍が発した第一声が、先ほどの声だった。
「何故……とは?」
そう問い返しながらも、アランは内心で理解していた。
このままでは不味い、と。
実際、リューセイに負けたから撤退、というのは少々理由として無理があった。
未だ王国の援軍は到着しておらず、将軍やリューセイ、【剣王】を除いた兵力――即ち一般の兵と他の『冒険者』――では、皇国が上回っている。
皇国の上層部は、間違いなく『世界樹の根』を手に入れるため戦の続行こそを命ずるだろう。
一騎打ちにおいてアランが負けたからと言って、軍が負けたわけではないのだから。
ニーズヘッグが復活しようと、足止めしながらダラドの能力を用いれば出来ないことはないだろう、と皇国の上層部は判断する。
故に。
この場でリューセイが殺されてしまえば、停戦の言い訳が消滅することと同義。
「当然、何故停戦などという馬鹿げた真似をしておられるのか、ということですよ。どうやらアラン将軍殿は、残念ながら、敗北してしまわれたようですが。殺されてはおりません。ならば我らはまだ、敗北していない。そうでしょう? アラン・グレイヴァル将軍殿?」
その言葉には多分に嫌味が含まれていた。
が、今はそれを指摘する余裕などない。
ダラドの言葉は、一見すれば間違っていない。
「何を言いますか……『蛇帝』は蘇り、戦力では劣る。彼が居なかったとしても、王国にはまだ【剣王】がいるのですよ? 時間をかけられない我々が退くのは当然でしょう」
将軍としても、アラン個人としてもそれは当然の事。
これ以上戦を続ければ、確かに王国の兵力は低下する。
『世界樹の根』も入手出来るかもしれない。そうなれば、総合的に見れば皇国は失う以上に大きく力を獲得出来るだろう。
だが当然、それは兵士は犠牲にした上で、だ。
【戦王】として、アラン・グレイヴァルとして。皇国上層部の私欲に塗れた今回の戦で、大量の犠牲を強いるわけにはいかない。そんなことは許されないのだ。
王国の援軍が来てしまえばこれ以上戦は続けられない。
だというのに、『蛇帝』も相手取り目的を遂げるなど犠牲は増える一方だ。
そもそも『蛇帝』が消えたからこそ攻め込んだというのに、それでは何のためにこの時期を選んだというのか。
(――と、上層部が考えてくれればいいんですが)
「確かにそうかもしれません……これ以上続ければ、あまりにも失うものが多い。退くのも良いかもしれない……得るものが皆無だったと言っていい今回の戦争を、皇王が許してくだされば、ですがね」
そうだ。
上層部どころか、皇国の頂点――皇王本人が許さない。
今の皇王は負けることを極端に嫌う。今回の戦に関しても、犠牲を払ってでも勝てと言うだろう。
目的を何一つとして満足に達成していない今回の戦は、間違いなく皇国の敗北だ。
そして厄介なことに、いや幸いと言うべきか……将軍は誰一人として死んでいない。
皇王は続行を命じる。それに背けば、如何なアランとて将軍職を降ろされるだろう。
(戦を止めて撤退を選べるなら、私自身はそれを選んでもいいんですがね……)
だが厄介なことに、アランが強権を振るおうと生半可な理由では撤退など出来ない。
不幸なことに『蛇帝』の脅威を知る者は、今の皇国にはいない。皇帝もそれは同じだ。
一人の将軍と皇帝、大抵の人間は後者につく。
撤退する事を伝えれば皇帝から戦を続けるよう命令が降り、そしてそれに背けば罰されるのは背いた本人のみならずその家族も巻き込まれる。
無理に撤退すれば、悲劇が起こることは想像に難くない。
「――へぇ……じゃあ完全に叩き潰さないと、君たちは帰ってくれないってことかな」
そんな声が聞こえてきたのは、アランが苦渋に顔を歪めた時だった。
まだ若いその声音からは、今までの愉快さの様な感情など消え去っている。
「なっ……貴様、何故生きている」
ダラドが武器を構える。
自分が心臓を貫いた相手が立ち上がっているのだから、その顔に浮かぶ驚愕は必然であっただろう。
だが、アランには不思議と驚きは無い。
あったのは……これで戦争は止まる、という妙な予感と安堵。
ダラドを冷ややかな目で見据えていたのは、水色髪の青年――リューセイだった。
口角は歪み、笑みを成している。
しかしその目に、愉快さや喜びなど欠片も無い。
宿っているのはアランと戦っていた時には無かった、明確な殺意。
戦意を上回る必殺の意思。
その様子を見たアランは、むしろ怪訝な表情になった。
リューセイと激闘を繰り広げた彼だからこそ、何故そこまでの殺意を宿しているのか理解出来なかった。
元々リューセイが戦争を絶対に回避する、という熱意があったようには思えなかったから。
「君は……『世界樹の根』に、直接手を出したね? 多分、一部でも手に入れてるんじゃない?」
『何ッ!?』
リューセイは、未だダラドを見据えていた。
"君"という言葉が誰を指しているのかは明白。
その言葉に驚愕したのは、リューセイ以外の全員だった。
「ダラド将軍、それは本当ですか?」
アランはそれを聞き流せなかった。
『世界樹の根』を入手したという報告を受けていなかったから。
もしもそれが事実であれば、目的を一部とはいえ達成出来たことになる。
撤退の一助になるだろう。
本来敵であるリューセイの言葉を、アランのみならずその場にいた他の者たちも信じたことはダラドの信用の無さが大きい。
同時にリューセイがそんな嘘を吐く存在ではない、と奇妙な直感があったことも影響しているだろう。
「なっ、何だと……」
それに狼狽えたのは、ダラドである。
彼は自信に信用が無いことは理解していたが、いくら何でもこの場面で迷わず自分を疑うなど――という想いがあった。
故にその後の答えには、冷静さが失われた。
「何故、貴様がそれを……!」
そう言ってしまってから。
ハッとした様子で彼は辺りを見回した。
作戦のためとはいえ自己判断で軍を戦場に放り出し、更には手に入れた『世界樹の根』の一部を隠す。
"将軍"という立場があろうと多少なりとも信用が保てるのか――睨みつけるような兵士たちの目が答えになるだろう。
「くっ……後で報告しようと思っていたのだ!! 量も大して多くない! 目的に達したとは言えんだろう!!」
そう言って彼は持っていた『世界樹の根』の一部を取りだす。
普段の彼ならば、何としてでも隠し通しただろう。
自分のみの手柄とするために。
しかし彼は、無駄に冷静さを失っていた。
取り出された量は、確かに多くはない。
だがダンジョンで僅かな量が手に入るのみの『世界樹』の素材……それが身の丈を超える大きさであるのだから、その価値は莫大である。
「さて……困ったなぁ。総大将と一騎打ちで勝てば戦は止まるっていうのは安易すぎたか。……アラン、彼は皇国の中で何番目かな?」
「……三番目、でしょうか。レベル以上に能力が特殊な方ですから」
その言葉を聞いたリューセイの笑みが深まる。
端正な顔が黒い笑みに染まり、その視線を向けられたダラド以外の兵士達も冷や汗をかいた。
「じゃあ君があっさりと倒されたら、多少は皇国が撤退する理由にもなるよね……というわけだから、来なよ、三番目の将軍殿?」
「……! ほざけっ!!」
リューセイの言葉は、ダラドの怒りを煽った。
それまでの焦りなど忘れ、剣を握りしめる。
元々彼は、アランをも超える立場を得るために『世界樹の根』を狙ったのだから。
「三番目」などと言われてしまえば、何故か味方に認められている敵に対する苛立ちも相まって、その怒りは抑えきれなくなる。
――リューセイが浮かべているのが、嘲笑であることにも気づかず。
「おおぁっ!!」
冷静さを多少失っていようと、彼は将軍であり、一度目の『進化』を超えた猛者である。
自信の最大の能力『透過』、それを生かすために磨いた隠密能力を用いて気配を断ち、背後から剣を振るう。こういった時のため、彼の剣は比較的小ぶりな小回りの利く物となっている。
彼は暗殺者の様な立ち回りで戦う、将軍という立場には珍しい人物だった。
故にこそアランも「レベル以上に能力が特殊」と評した。
『透過』の能力を駆使して、剣が風を切る音すら敵を斬る直前まで消している。
「ぬぅっ!?」
――が、通じない。
背後に移動した時点でそちらを向いていたリューセイの刀が、実体化した剣を打ち払う。
そもそも彼の『透過』には制約があった。空気の様な密度の低い物ならまだしも、固体の様な密度の高い物をすり抜けるには相応の労力が発生するのだ。
故に相手の武器や鎧をすり抜けて攻撃、というのはまず出来ない。
「予想を超えない能力だね……変わってるけど、特に面白みも無い」
とは、リューセイの言である。
常人からすれば多少の労力はかかろうと、物質をすり抜けるなど恐ろしい能力である。
「くっ……あがぁッ!?」
「……期待外れだな」
リューセイの蹴撃が、ダラドの腹部に直撃する。
回し蹴りである。
ダラドを除き、リューセイが漏らした呟きを聞き取れたものはアランだけだった。
リューセイは、武器すら使わなかった。
その価値すらも無い、と彼は断じた。
そして地に伏せるダラドの顔面へ、手のひらを向ける。
「君の能力は『物質を透過する』ものみたいだけど、自分が認識したものじゃないとすり抜けられないんだよね? 全ての物を透過する、なんてことは出来ない」
「なっ、な……!?」
ダラドは、腐っても『進化』を超えた人間である。
故にその感覚は人波を外れており……リューセイの手のひらに集まっている魔力が、自分を殺すに足るものだと理解出来てしまう。故に驚愕し、動けば殺されることを理解して動作を止める。
恐怖は怒りを上回った。
一方でアランも目を見開いていた。ダラドの能力は、リューセイに伝えていない。
『物質を透過する』という能力であることはまだしも、その詳細を一瞬で見抜いたことに驚いていた。
リューセイは戦闘中、非常に頭の回転が速いのだと。アランはそう理解した。
「さて……そんな君は、至近距離で即座に打ち出される魔法をすり抜けられない。違う?」
「……」
返答こそ無いものの、その顔は可哀そうなほどに青く、涙すら浮かべている。
だからといって慈悲など欠片も浮かばないわけだが。
「言い残すことは、なんて聞く必要も無いね」
「なっ、貴様ぁッ! 死んでも死なない貴様に何が分かるっ!! 遊び半分でこの世界を生きる『冒険者』如きが――」
ドンッ
小さく何かが炸裂する音が響いた。
周囲からは息を呑む気配が伝わる。
リューセイは正義の味方ではなく、子供が憧れるヒーローでもない。
故に改心の機会を与えるようなことはしない。
慈悲も、与えない。殺す時は躊躇わず殺す。
――この世界はゲームだ
――僕たちにとっては、確かにそうだろう
――だけど、遊び半分? 馬鹿なことを言うなよ
リューセイにとって、人を殺したのは初めてではない。
そして彼にとって、〈ヨルム〉――即ち創られたゲームの世界であろうと、現実であろうと。
一つの世界であることに変わりはない。
よって殺人を軽んじることはなく、だからと言って忌避もしていない。
ならばたとえ生き返ることが出来るとしても、"死"を軽んじるつもりもない。
正義を捨てても、それは譲れない。
それがリューセイであり、龍成だ。
――死ぬつもりはない、一度たりとも
それは一種の誓いだった。
自分勝手な彼だからこそ、守りたいものを守るために生きる彼だからこそ。
"死"は、軽々しく許容できない。
死んでも死なない? 元々死ぬつもりなどない。
そんな彼の横顔を、ごく僅かに怒りを滲ませる彼を、【戦王】は冷や汗を流して見つめていた。