六十本目 見切り
一人の将軍が、『世界樹の根』と呼ばれる巨木に近づいた時だった。
巨木自体が発する力場――『結界』が波打った。
「ふん……流石に強力だ。だが!」
黒い髪を揺らめかせ、男――ダラドは突き進んだ。
「うっ、おおおおおおおおオオオオオオ!!」
本来ならば、その程度の力で押したところで、結界は破れない。
だが。
「ふっ、ふはははははッ!! これで最早【剣王】も手出し出来ん!! ついに辿り着いた!!」
彼は世界で彼一人しか持たない『スキル』を以て通過した。
愚かな男の高笑いが響く。
彼は【剣王】――カイルから逃げ延びたのだ。
【剣王】の接近を感知した時点で、彼は自軍を切り捨てた。
己が目的のために。
そしてここには『蛇帝』も居らず、結界内は完全な安全圏。
「ふん……いかんな。まずは俺の地位を押し上げてくれる『宝』を取らねば。……これさえあれば……ふははっ」
馬鹿げているようで、これは決して夢物語ではない。
彼の『インベントリ』に、容量一杯『世界樹』を詰め込めば、彼の現在の給料など埃に見えるほどの金を、自由自在に生み出せる。
『世界樹』とは、それほどの代物だった。
「待っていろ……王女よ」
彼は想像の彼方に佇む、一人の女性を幻視した。
美しく、気高い。
紅い髪をサラサラと揺らめかせる、彼女の姿を。
「俺は……必ずお前を、手に入れる」
その意気を以て『世界樹の一部』に剣を打ち込んだ。
しかしその剣は、『樹』が出すとは思えない甲高い音と共に弾かれる。
「ちっ、やはりこれでは無理か……ならば!!」
次の一撃は先ほど以上の力、そして『スキル』を発動した状態で突き込む。
今度は樹を割いて進んだ。
横に倒して抉るように、『樹』を切り出した。
身の丈を超える大きさの『木材』を、インベントリに仕舞う。
「ふむ……やはり厄介。あまり多くは取り出せんか……だがこの程度では、足りん!」
再び剣を突き込む。
もしも彼が、この時点で逃亡を選択していれば、あるいは。
『身の丈を知らぬクズが……』
生き残れた可能性は、万が一、いや億が一にはあったかもしれない。
「なっ……なんだッ!?」
彼は愚かであろうと間抜けではなかった。
故に。
問いながらも、声の主など既に予想出来ていた。
この場所は『世界樹の根』、その結界の中。
そう。
『蛇帝』の――『兄弟』が張った、結界の中だ。
『我が兄弟の身を……貴様アアアアアアアアアアアアアッ!!』
その言葉と共に、大地が割れた。
『兄弟』の身を案じてか、『結界の外』で。
その光景は正しく天災。
『地面に潜って外に出る』だけでその光景を生み出す、規格外のモンスター。
名を――『蛇帝ニーズヘッグ』。
「ひっ、ぎゃあああああアアアア!?」
二本の首が、原型を無くした大地から現れた。
◇◇◇
「……まさか」
戦場の中央、翡翠の鎧を身に纏った男が呆然と呟いた。
相対し、白光を纏って刀を構えている青年も「やっぱりか」と冷や汗を流す。
青年が見せた僅かな怯え。
しかし、両者、相手の隙を突こうとはしない。
【戦王】は計画の破綻を知りそれどころでは無くなったため。
流石と言うべきか、アランは即座に『敵』へと向き直った。
「……何故攻撃しなかった?」
そして問う。
間違いなくこの戦い最高の機会を、何故放り出したのか、と。
答えによっては許さない、とその目が告げていた。
そしてそれは同時に、戦いの目的が徐々に変化していたことを示していた。
本人は気付いていないその事実に、皇国軍はかなり騒めいている。
問われたリューセイは――
「面白くないから」
断言した。
人の命、国の権威、様々なものを賭した戦場で。
皇国も、王国も同じく怒りを露わにし、吠えた。
アランは目を点にしている。
遊びじゃないんだ、ふざけるな、真面目に戦え、と。
リューセイは皇国兵が僕を激励してどうするの、と呆れた視線を送っている。
だが。
「くっ、くくっ、ふふはははっ!!」
戦場に似合わない笑声が響いた。
その元は、と兵士達が辺りを見回して、唖然とした。
笑っていたのはアラン。
皇国軍の総大将、【戦王】アラン・グレイヴァル。
リューセイは知る由もないが、彼は基本戦場に私情は持ち込まない。
冷徹に、勝利を強奪する。
それが【戦王】、皇国最強。
そのアランが。
堪えきれない、心底楽しい、といった様子で笑っている。
そんなことを皇国の上層部に知られれば、間違いなく彼は厳罰を受ける。
「やっと、真面目にやる気になった?」
対するリューセイは、そんなことを問うた。
笑みを浮かべて。
挑発と取られてもおかしくない言葉。
事実、王国は「怒らせるな」と青ざめ、皇国は怒り心頭の様子で叫び倒している。
しかし。
本人達にとっては、挑発などではない。
「ええ、ええ。素直に詫びますよ。これは全力でやらねば、失礼と言うものですから」
その言葉に、リューセイは笑みを浮かべた。
そして周囲からは、一切の音が消えた。
言葉で表すなら、リューセイ以外の者の表情は「は? ウソでしょ」というものである。
アランはフッ、と微笑んだ。
そしてキッと目を引き結ぶ。
「ミスティルティンッ! 『限界超越』、『還元』ッ!!」
アランの表情から余裕が消えた。
紅き濃霧が霊槍から溢れ、アランの全身を包む。
霊槍ミスティルティン、その能力は相手からの生命力奪取。
そしてその生命力は、蓄積が可能である。
『生命力還元』により、生命力を自身の膂力へ。
だが、リスクが無いわけではない。
己の体にかかる負担は、相応のものになる。
『生命力還元』とは、負担が無い、そのギリギリまで強化するものだ。
そして『限界超越』という一語は、言葉通りにその制限を超える。
即ち、体にかかる負荷を無視した身体能力超強化。
過去に消費した生命力すらも引き出す、一度だけの技。
「……随分と、様変わりしたね。見た目同様、力も比べ物にならない、ってことかな。無茶するねぇ」
「ええ。私だけリスクを背負わずに戦うのは、不粋ですから」
アランが纏っていた翡翠の鎧は、紅に染まっている。
それに伴い金色だった目も、血の様に紅い。
そして体の表面に紅い光が迸っていた。
言外にお前もリスクを背負っているだろう、というアランの言葉に。
コロコロと笑っていたリューセイが、困ったように苦笑を浮かべた。
リューセイの『龍人昇華』も、アランほどではないがリスクはある。
魔力の消費、そして身体を酷使したことにより間違いなく発動停止後、馬鹿げた痛みが彼を襲うだろう。
暫くはまともに動けないはずだ、というのがアランの自分とリューセイに対する評価だった。
「発破をかけるようなことしておいて何だけど……将軍がそんなことしていいの?」
「良くないでしょうねぇ。間違いなく後でお叱りを受けます。……生き延びれば、ですが」
「……」
一瞬だけ、リューセイの顔が曇った。
しかしすぐにまた、笑みを纏いなおす。
「どうせこの戦争は、既に詰んでる。だからこそ、ここで決着をつける。そういうことでいいかな?」
「随分な良いようですが……間違ってはいませんね。あれが出てきた以上、戦争どころではないですから。それで構いませんよ」
遥か彼方に存在する頭二つの巨大な蛇を見て、両者は苦笑した。
周囲の兵士達は戸惑い、状況を把握しようとする。
が、彼らの視力では『蛇帝』を視認できない。
そもそも周囲の兵士に視界を閉ざされている者がほとんど。
「それでは……行きます、よっ!!」
神速の突きが、開戦の合図となった。
先ほどまでと同じように白光でそれを受け流す――が、しかし。
白光が散らされた。
かろうじて肌に触れない部分を槍の切っ先は通り抜ける。
しかしリューセイは特に焦ることなく、刀を突き出す。
そして。
「《炎塊激発》ッ」
「ッ――!?」
砲声。
刀の切っ先から、小さな炎塊が出現した。
アランは即座に後退――しかし間に合わない。
激発し、衝突。
多量の魔力が時間と共に流れ出ていく状況で、魔法。
リューセイの『龍人昇華』は最早十秒も残っていない。
「くっ……」
意表を突かれたアランは、しかし無傷。
炎は紅霧の表面を滑り、【戦王】の肌を欠片も焼かなかった。
だが。
一瞬の目くらましは、十分な効果を発揮した。
爆炎の中から刀が突き出、アランの肩を打つ。
「アアああああああああああッ!」
「ぐっ、うぉおおあああああッ!!」
連撃に次ぐ連撃。
アランも槍を引き戻し、応じる。
刹那の邂逅は煙を散らした。
アランが身に纏う濃霧は、肩口に綻びが出来ていた。
僅かに鎧にも傷がある。
(これ、はっ……!?)
連撃の最中、アランは目を見開いた。
おかしい。
リューセイが『龍人昇華』を使った時点で、身体能力は互角だった。
自分が限界を超えてミスティルティンの能力を使ったのだから、今は圧倒的に自分が上。
だというのに。
「ぐぅっ!?」
アランの腹部に刀が突き立った。
リューセイはしかし、即座に紅色の鎧を蹴り飛ばし距離を取った。
伴って黒刀はアランの身体から抜き取られる。
「そんな、馬鹿な……」
痛みを無視して、アランは呆然と呟いていた。
間違いない、相手の動きが、いや剣技が……加速度的に成長している。
いや違う。
こちらの動きに……対応している。
世界中でもトップクラスの達人である、アランの技術に。
(いや……あれは、剣技とは関係ない……!?)
アランはその正体に思い当たった。
ちょうどその時、リューセイの『龍人昇華』が解かれる。
本来ならば、アランが圧倒的に有利な状況。
リューセイは全身を痛みに襲われ、力も戻った。
だが。
彼は――笑みを浮かべた。
アランの頬が引き攣る。
何故か、不思議と、状況に見合わず、勝てる気がしなかった。
歴戦の勘が警鐘を鳴らし、頭の隅に『敗北』の二文字が過る。
身動きできないというアランの予想など、木っ端微塵に砕け散った。
「ふぅ~痛い痛い。けどまぁ、もう大丈夫かな」
痛みを気にしている様子などない。
「もう大丈夫」。
その意味は、本人達にしか理解できなかった。
事実、皇国兵など歓喜の笑みを浮かべている。
(見切り、などと呼んでいいものなんですかねっ、あれは!!)
そう。
それは、一般的には「見切り」などと呼ばれる物だろう。
だが。
「馬鹿げてます、ねぇっ!!」
アランが槍を突き出す。
最早、リューセイは受け流すことすらしない。
神速の槍技を、全て躱している。
しかも、槍が動くより先に。
(やはり……!!)
アランの表情に焦燥が滲む。
槍は当たらない。
刀はアランの紅い霧を削る。
徐々に、鎧すらも傷つけられ始めた。
兵士達は息を呑む。
(何らかのスキル……いや違うっ!!)
「自前の技術だよ? スキルじゃなくてね。……確か、ショートは『当たらなければどうということはない』、何て技名をつけてたけど」
アランの心を読んだように、飄々とした様子のリューセイが答えた。
「攻撃を受けなければいい」。
完全に、馬鹿げている。
それを自分よりも早く、手数の多い相手に実行出来るようなものではない。
だというのに槍は全て、空を貫く。
リューセイの技術……一言で言うなら『見切り』。
彼の最も秀でた能力は、言うなれば『対応力』だ。
相手の攻撃を読む。初見の攻撃への対応。
理屈では語れない『勘』を含め、およそ常人が想像できる域を超えている。
だがそれは通常、自分と同等以上の達人相手に出来ることではない。
「何でッ! そんな真似が出来るんですか!!」
「さぁ?」
普通ならば、である。
目の前の青年は普通ではない、そんなことは分かっていた。
だがこの戦闘時間のみで、『力に関係なく完璧に攻撃の筋を読む』など。
ふざけるな、そんなことが出来れば苦労しない、とアランは悪態を吐きたくなった。
アランとて似たようなことが出来ないわけではないが、精度が桁違いに過ぎた。
「ぐぁっ!!」
(鎧、が……)
刀がアランの足の腱を切り裂く。
鎧も最早、意味を成していない。
リューセイに何故そんなことが出来るのか、と聞けば。
「慣れたから」という言葉が返ってくるだろう。
確かに物によって、『斬る方法』は違う。
だからといって。
『翡翠鉄鋼』は、鉄を軽く上回る高度を持つ。
そんなものを簡単に切り裂くというのは、本当に馬鹿げている。
装備の質も、力もアランが上。
しかし、アランの敗北にそう時間はかからなかった。
「……はぁ。こんな集中したのは、久しぶりだなぁ」
五分後。
勝敗は、それまでの接戦ぶりからすれば実にあっさりと決まった。
【戦王】は、大の字で地面に倒れていた。
その表情は、いっそ清々しい。
穏やかなリューセイの声。
最早ミスティルティンの能力も解け、激痛がアランの体を襲っている。
彼は、全身の腱を斬られていた。
兵士達は皆唖然としている。
そしてリューセイは、アランに目を向けた。
刀を手に携え近づく。
そこでようやく、兵士達はハッとして駆け寄ろうとし――諦めた。
一人を除いて。
リューセイは体中を痛みに苛まれている。
だが、ならば今なら討てるかといえば、答えは否。
彼らはそう判断した。
「やめて、くださいッ!!」
一人の女性が、その間に割り込んだ。
まだ若く、年は二十を超えたところだろう。
白髪碧眼。
アランがセレン、と王国軍に衝突する直前、呼びかけた女性。
実力は決して高くない。
戦場で目立たず、しかし好意からアランに少しでも近づこうとしていた。
リューセイは知る由もないが、戦争の最中彼女がアランの傍にいたのは、「補佐をしたい」という彼女の懇願を受けての事だった。
そんな彼女は、リューセイの前に立ちふさがる。
もしリューセイが刀を振るえば、一瞬でその命を散らすことは明白。
この行為に意味などない。
「……セレン、どいてください」
「い、嫌ですっ!!」
「どきなさい」
「嫌ですっ!!」
セレンは逃げない。
その行為は、完全に無意味である。
「いや、殺すつもりはないよ?」
そう、リューセイに殺意がないから。
それを理解していたアランは、苦笑した。
「へっ?」
完全に空回り。
リューセイの態度を見て、それを理解したセレンは、顔を真っ赤にして俯いた。
「……あの、セレン」
「いいんですっ、慰めなんて……!!」
「いやそうじゃなくですね」
「惨めになるから、やめてくださいっ!!」
「いやあの」
「やめてくださいぃ!!」
「えっと……」
リューセイも呆れたように苦笑する。
アランの声は、届いていない。
しかし猶予はそう長くないこと知る彼は、やや大きめの声で訴えた。
「あの、このままだと、私死にますので」
「へっ?」
間抜けな声二回目。
アランの言葉を飲み込んだセレンは、顔を青褪めさせた。
限界まで生命力を『還元』した彼は、痛みだけでは済まない。
現在も尚、相当な勢いで生命力が減少している。
まず治せない段階にまで、彼の体は傷ついていた。
「すっすぐに回復部隊を……!!」
「あー、別にいいよ」
「なっ、貴方は何を……!」
リューセイの言葉に、セレンは憤った。
殺す気はないと、さっきそう言ったではないか、と。
そんなことを考える彼女は、戦場にあって非常に純朴過ぎた。
「僕がやるから」
「へぇっ?」
間抜けな声三回目。
今度こそ彼女は硬直した。
「そのためには、魔力が足りないんだよね」
「ひゃっ!?」
リューセイの手がセレンの手を掴む。
しかし瞬時に、自分の内から流れ出ていく魔力に驚愕した。
「なっ、何で……」
「言ったでしょ、魔力が足りないって」
セレンの魔力を九割方吸い取ったところで、リューセイは手を離した。
自信の魔力を流し込み、相手の魔力を引き出す。
それを理解したアランは驚愕したものの、リューセイに呆れを含んだ目を向ける。
「……あまり、うちの兵士を困らせないでくださいね」
「あはは、ごめんごめん。それよりも僕がやるのは、文句ない?」
「ありませんよ……。そもそも、これが治せるんですか?」
「うーん……見た感じ、多分ね」
笑いながら、リューセイはアランの胴体に触れた。
「《全身治癒》、《生命力譲渡》」
「ッ! これは……」
アランの体が、淡い桃色に包まれた。
そして十秒後、アランは立ち上がった。
「凄い、ですね」
「職業のおかげ、かな?」
「それで治せるようなものではないと思いますが……」
リューセイの【回復魔法】。
その技術にアランは目を剥く。
しかし呆然と呟いた感想に対する言葉に、呆れた様子で肩を竦めた。
「体は大丈夫?」
「まだ、戦闘は無理ですが。大方治癒しましたね」
「そう。それは良かった」
リューセイの言葉には悪意も何もない。
本当にアランの回復を喜んでいるようだった。
アラン自身、リューセイが自分を見殺しにすることはないだろう、という漠然とした予想はあった。
だが、実際にミスティルティンの能力の負担が消えるかは、一種の賭け。
それで死んでも悔いはないな、と馬鹿なことを考えたりもした。
それほどに、傷は深かった。
何より傷つき方が特殊だったのだ。
四肢の腱断裂、加えて全身ズタボロになっていた。
だというのに。
少ない魔力で、リューセイはこれの治癒を成した。
皇国の治癒士が治せるかわからない傷を、だ。
他人から魔力を吸収することもそう。
技術的に出来ないことではないが、大抵は効率が悪く意味もない。
(彼は本当に色々と、色々とおかしいですね)
アランはしみじみと、心中で呟いた。
【戦王】vsリューセイ、決着。